第五話
「はー、お腹空いちゃいましたー」
アーシェは畑のある盆地の巡回をクリスと交替し、自分の家へと入っていく。
あれからさらに数日が過ぎた。カテナに書かせた手紙が功を奏したのか、それともクリスの提供した古代の美術品の力か。祝女の屋敷の手前、一番瘴気の薄い辺りに住んでいる人々が家屋を貸してくれ、そこに全てのクロカミと、弱っているイロカミを集めることが出来た。
以来、死人は出ていない。村人たちの団結力も上がってきている。狩猟が得意な者たちが村を巡回し、侵入した小型魔獣を退治してくれたり、農作業をも担ってくれるようになった。
クリスが用意しておいてくれた昼食があるはずだと思い、アーシェは外に面した居間に入る。机の上に丁寧に並べてあるのを見て、自然と笑顔になった。その横に、未調理の野菜が沢山入った籠が置いてある。アーシェは中を覗いて、歓声を上げた。
「あー、このお野菜、差し入れですー! お手紙置いてあります。ネリーさんですよ!」
『畑を守ってやっているから、その礼だろう。誰の人徳かは知らぬが、いい村だな、ここは』
「えへへへ、それはもちろん、アーシェさん! と言いたいとこですけど、この村の人たちは、みんな優しい人たちばっかりですよ」
アーシェは生で食べられる野菜を一つ取り出すと、丸齧りしながらご満悦の表情を浮かべた。
元々、得意なことを互いに提供し合い、それによって金銭や食料、衣服や雑貨などを手に入れるという社会形態の村だった。単に生活を維持する目的だけだったものが、危機への直面で動機が強化され、善意の交換としてより効率的に機能し始めたのだろう。
「アーシェさんはいらっしゃいますか? あるいはクリスは?」
温かで、透き通ったその声は、顔を見ずともセシリアのものであるとすぐにわかった。声のした洞穴の入り口へと、アーシェは慌てて飛び出していく。
「祝女様! どうしたんですか、こんなとこまで? 上にいなくていいんですか?」
アーシェの姿を見ると、セシリアは優しい微笑を浮かべた。
「あなたたちのおかげで、少しだけですが、時間の余裕が作れるようになったのでございます。皆山頂付近に集まり、移動をほとんどしないでよくなりましたでしょう?」
「あ、そうですよね……。良かったです、ほんと」
セシリアは手に持った籠を持ち上げて、アーシェに示した。
「ごく簡単なものでございますが、昼食を用意する皆様のお手伝いも兼ねて、久々に手料理を拵えたのでございます。母にも差し入れしようと思いまして。この奥におられるのですよね?」
『おい、何故セシリアがそれを知っている?』
レティスの警告の声が心の中で響いた。少なくともアーシェは話していない。クリスが漏らすとも思えない。フローラやカテナは、ここから出ていないはずだった。白を切った方が良いか迷っていると、セシリアが小首を傾げつつ問う。
「もう出かけてしまわれたのでございましょうか? 村がこのような状態なのに?」
『手紙に何か書いてあったのであろうか? 確かにカテナの不在で村が混乱していることは伝えた。詳細は明かさず、居場所だけを伝えることはあり得るが……』
「え、えっと……アーシェさん……その……」
アーシェは判断がつかず、しどろもどろになって狼狽えた。セシリアは身を屈めて、温かい微笑を浮かべつつ、アーシェの瞳を覗き込む。
「大丈夫でございますよ。あなたが奥に隠しているご家族のことは、聞いておりますから」
「ル、ルーチェのこと知ってたんですね……」
ルーチェのことも知っている。そして奥へ案内するのを躊躇ったのを、そのことが発覚するのを恐れたからだと解釈した。二つの事実から、詳細こそ知らないものの、カテナがここにいることだけは聞いているのだと、アーシェは判断した。
「えっと、じゃあ奥行きましょうか。あ、内緒でお願いします。アーシェさんの家族のことは」
セシリアは悪戯っぽい微笑を浮かべつつ、人差し指を立てて唇の前に当てた。
『あの古代図書館までは入れるなよ。広間のところで大きな声を出してカテナを呼べ。その先の判断は奴に任せろ』
歩き出してからレティスの助言がある。アーシェは小さく頷いて答えた。ランタンの灯りをなるべくセシリアの足元に向けるよう、気を配りながら歩いていく。
「ここは古代遺跡なのでございましょうか? 見事な細工の壁でございますね」
「そうですね……。ただの洞穴なんですけどね」
アーシェの気配に気付いたのか、ルーチェの声と、爪が床に当たる足音が聞こえてきた。
「ルーチェー!」
アーシェが呼ぶと、ルーチェが広間の入り口に出てきた。そして突然、今まで聞いたこともないような恐ろしい声で唸り始める。アーシェは慌ててルーチェの元に駆け寄った。
「ルーチェ! どうしてそんな怖い声出すんですか!」
ランタンを地面に置き、抱きしめて落ち着かせようとしても吠えるのを止めない。振り向くと、セシリアが哀し気な顔をしていた。
「とても哀しいことでございます。傷の手当てをした母には懐いても、わたくしには懐かないのでございますのね……。魔獣は魔獣、ということなのでございましょうか?」
「えっと……あの……ルーチェ、いつもこんなじゃなくて……」
「どうした、何が起きた、アーシェ?」
声に振り向くと、カテナが壁の穴から這い出てくるところだった。
「カテナ様! ルーチェがセシリア様に吠えちゃって。知らない人は苦手みたいです」
「セシリアだと?」
カテナは速足でアーシェのところまで来る。ルーチェに怯えたのか、セシリアは少し離れたところで足を止めたままだった。そのセシリアの方を向いて、カテナは強い口調で問う。
「何をしにきた、セシリア」
「母が何日も帰ってこなければ、心配に思うのが娘というものでございます」
セシリアは本当に心配した様子で、絞り出すように声を出して言った。アーシェには本心としか思えなかった。カテナもそう感じたのか、やや表情を和らげた。
「どうして私がここにいると知っていた?」
「わたくしはこれでも祝女でございます。村での出来事は自然と耳に入ってきます。ですが、全てはわかりません。母上は、こんな場所で一体何をなさっておいでなのでございましょうか?」
カテナはしゃがみ込んで、ルーチェを抱き上げた。そして頭を撫でながら答える。
「これはルーチェという。アーシェが赤子のうちに拾ってきて育てた、狼の魔獣だ。これでもう大人だ。お前には吠えていたが、人によく懐き、とても賢い。大型化も狂暴化もしていない。何故そうなったのかについて、ここで研究をしている」
「それは今する必要があることなのでございましょうか?」
「ある。この場所の瘴気の薄さ、お前ならわかるだろう。ルーチェはここで、浄化した食べ物だけを与えて育てられた。結果、このようになった。他の魔獣でも、同じことが出来るかもしれぬ。味の良い草食魔獣を捕まえてきて育てれば、浄化せずとも食べられる、安全な肉が得られるやもしれぬ」
カテナの言葉に、セシリアは小さく溜息を吐きつつ俯いた。そして珍しく、不平とも取れる感じのことを言い出す。
「将来のことも大事でございますが、今のことも気にかけてくださいまし。村がどのようなことになっているのかは、ご存じでございましょう?」
「だからこそ研究をしておる。クロカミの件も、魔獣が襲ってくる件も、全て瘴気が原因だ。特にクロカミの件、ルーチェを研究すれば、解決出来るやもしれぬ。ルーチェは人で言うクロカミに相当する魔獣であると、私は思っているからな。魔獣とクロカミの問題は繋がっておる」
『うまいこと誤魔化すものだな。流石はカテナだ』
レティスの声が響く。アーシェもそう思った。奥の古代図書館のことを知らなければ、全く疑いようがない説明になっている。
しかしセシリアは、残念そうに目を伏せると、踵を返しながら言った。
「母上の意図はわかりました。ですが、立場をお弁えくださいまし」
立ち去ろうとするセシリアの背に向かって、カテナの鋭い言葉が響く。
「立場を弁えるべきなのは、お前の方であろう。祝女であり、村長であるのはお前自身だ」
その言葉に、セシリアはゆっくりと振り向いた。カテナはなおも厳しい調子で続ける。
「いつまでも私に頼りきりになるな。そろそろ自分で考えて自分で判断して、村を導いていけるようにならなくてはならない。――私もいつまでも生きていられるわけではないのだから」
セシリアはいつになく厳しい表情を、カテナに向ける。そして、自身の決意の表明とも、カテナへの宣告ともいえる言葉を発した。
「ではそういたします。自分で一番良いと思う方向へ、この村を導くことにいたします。母上は、母上の信念に基づいて、行動なさってください。わたくしもそういたします」
それだけ言うと、セシリアは軽く頭を下げて、再び背を向けた。そのまま灯りもなしに歩いていってしまう。アーシェは入り口まで照らしてあげるべきだと思いながらも、険悪ともいえる二人のやり取りに気圧されて、その場を動けなかった。
『凄まじいものを見たな……。しかし、このカテナ相手に一歩も退かずに親子喧嘩とは、ああ見えてセシリアもやはり、カテナの血を引いているのだな……』
レティスの感嘆の声が心の中で響く。全くその通りだとアーシェも思った。
「アーシェ」
カテナに声を掛けられて、やっとアーシェの金縛りが解け、その顔を見上げた。カテナはルーチェを手渡しながらアーシェに言う。
「セシリアはもうここには近づけるな」
「喧嘩はダメですよ、カテナ様!」
「そうではない。この奥に何があるのか、セシリアは知っておるのかもしれぬ」
アーシェは絶句して、口をパクパクとさせるだけで、問い返すことも出来なかった。
「そう驚くな。中身の詳細を知っているとまでは私も思わん。だが曖昧には知っているかもしれん。祝女の口伝、私は一部しか知らぬ。その中に、古代の記録が収められた遺跡を封印した、とくらいまでは、あってもおかしくはないと思うのだ。外にそのような文面があるのだから」
アーシェは入り口外の、あの鍵のような役目をしていた古代の線文字の輪の横に刻まれていた文面を思い出した。古代の英知と歴史と書いてあった。聖刻文字の読み方が失われる前からの口伝であれば、可能性はある。
「祝女だけが知る裏の歴史と、表の教えが食い違っていることは、セシリアも認知していないわけはない。私たちがそれを知り、口外すると困ると思って、様子を探りに来たのかもしれぬ」
「どうするつもりなんですか、今後……? 祝女様にはあくまでも内緒ですか?」
アーシェの反応を探るような目つきで見下ろしながら、カテナは言う。
「ここに収められた真実の歴史を、いずれ人々に公開すべきだと、私は思っている」
「だ、大丈夫なんですか、そんなことして?」
「私から言うのは拙い。セシリアの口からでなくてはならない。そうでないと、私を信じる者と、あくまでもセシリアを信じる者に分かれて、諍いが起きる可能性が高い。それは望むところではない。しばらく様子を見ながら歴史について学び、セシリアを説得する材料を得たい」
『流石によく考えておるな。しかし説得に応じない場合、どうするのであろうな?』
レティスの疑問は、アーシェの疑問でもあった。上目遣いになって、恐る恐る問う。
「説得出来ないときは、どうするんですかね?」
「あれの反応次第だが、まあ、おそらく諦めることになるだろう。人々は真実を知るべきだと私は思うが、今まで知らずとも生きてこられたのだ。クロカミや魔獣の問題さえ解決出来れば、偽の歴史のままでいいのではないかとも思える」
「そうですか……良かったです」
アーシェはほっと息を吐きながらそう言った。人々が争うのは見たくない。ルーチェをしっかりと抱きしめ、その温かさと柔らかさに安堵を覚えた。
「心配するな。うまくやるさ。お前はお前の得意なことをしろ。それ以外は、他の者を信じて任せるのだ。そうやって協力して生きてきたのが、この姫神村だ」
カテナは、アーシェに向かっていつになく優しい微笑を見せた。アーシェは元気よく応じる。
「わっかりましたー! ではでは、アーシェさんはさっさとお昼ご飯を食べて、畑の見回りに行ってきます!」
そう返事を残して、アーシェはその場を去った。いつもの如く、全力疾走で。




