第四話
それからの日々は、アーシェたちの不安を掻き立てるのに充分なものとなった。村に漂う瘴気が濃くなっているように感じる。畑がある盆地も同様で、その影響なのか小型魔獣が頻繁に侵入してくるようになった。アーシェとクリスは、依頼に関係なく交代で常時見回りを続け、逐次退治していかなくてはならなくなった。
にもかかわらず、カテナとフローラの調査は進展していない。前提知識が足りなすぎるのか、断片的にしか理解出来ないものばかりということだった。基本に立ち返り、各分野の初歩として用意されているもの全てに手を広げ、理解を深めるよう努めることになった。
そして事態は更に悪化していく。アーシェたち四人では対処出来ない問題にまで発展してしまった。瘴気は更に濃くなったようで、クロカミたちの多くが体調を崩し苦しみ始め、死んでしまった子供が複数出た。畑に出る魔獣も増え、農作業も危険と思える。そこでアーシェとクリスは、他の戦える者に盆地の警備を一時任せ、交渉のためにセシリアの元へと向かった。
「いらっしゃいまし、お二人とも。残念でございますが、あまり時間は割けません」
セシリアは珍しく祝女の屋敷にいたが、第一声がそれだった。事前に言伝をして約束したので、忙しい中時間を割いて待っていてくれたのだろう。クリスも単刀直入に用件から入った。
「姉様、把握していると思うけれども、村の瘴気が濃くなっている気がするの」
「はい。あちこち浄化をして周っているのでございますが、とても追いつきません」
「下の畑のことは、私たちでどうにかすることだと思うけれど、村の瘴気の件は姉様にしかどうにもならない。葬儀に出る暇もなかったけど、もう何人か死んだって聞いたわ」
セシリアは哀し気に目を伏せて俯いた。力ない言葉がその唇から洩れる。
「わたくしにも、どうにもならないのでございます。イロカミの者たちでも、寝込んでしまう者が増えました。特に子供や、お歳を召された方に、その傾向が強いようでございます」
「祝女様、クロカミの人たちや、体調を崩してる人たち、全員上の方に避難させることって出来ませんか? ここと保護施設じゃ足りないと思います。近くのお家の人に、しばらく場所を空けてもらうことって、出来ないんですか?」
アーシェの言葉に、セシリアも頷いて返す。しかしその表情は明らかな憂いを含んでいた。
「わたくしもそう思い、交渉を始めたところでございます。ですが、母の不在ゆえか、なかなかうまく進みません。彼女たちも不安なのです、下に行くことが。自身の指導力不足をつくづく感じます。母上は、こんな時にどこまで出かけてしまわれたのか……」
アーシェはクリスと顔を見合わせた。カテナの不在が対策の遅れの一因であるとまでは、思い至っていなかった。思い付きだったが、アーシェは試しにと一芝居打ってみた。
「アーシェさんに任せてください! カテナ様見つけて、お話してきます。すぐ帰れないようなら、お手紙書いてもらいます。お家を貸してくれるようにって、お願いするやつ!」
「そうでございますね。アーシェさんの脚なら、母上がどんな遠くまで行ってしまっていたとしても、お手紙くらいすぐに届けていただけることでございましょう」
セシリアは勇気付けられたかのように、やや表情を明るくしてそう言った。アーシェは努めて笑顔を作り、拳を握って元気に宣う。
「お任せください! 姫神村の暴走娘として有名ですから、アーシェさんは!」
「では、わたくしはその前提で話を進めておきますね。クロカミに限らず、イロカミでも調子を崩している方、元々丈夫でない方などを、上の方で一時お預かり出来るようにいたしましょう」
そう言ったセシリアの目の前に、クリスが握り拳を突き出す。
「姉様、手を開いて」
セシリアが不思議そうな顔をしながら両手を広げて差し出すと、クリスが拳を開く。いくつもの輝きがそこから落ちていった。セシリアの手に受け止められ、窓から差し込む光を反射して、美しく光っている。宝石付きのものも含め、金や銀の装飾品がいくつもあった。
「これは……」
「一時的なものとはいえ、退去を迫るには対価が必要でしょ? これを使って。それから、組合に預けてあるお金、全て姉様の名前で引き出せるようにしておくから、それを食費に当てて。人も雇う必要があると思う。全部使っていいから、とにかくみんなを守って欲しいの」
無表情のまま言ってのけたクリスに、セシリアは今にも泣き出しそうな揺れる瞳を向ける。
「クリス……あなた、これ、全て古代の美術品。一体どれだけの価値が……」
セシリアは目を伏せ、深く、深く頭を下げた。
「ありがとうございます。これがあれば、きっと交渉はうまくいくでしょう」
「その代わり、もう一つお願いがあるの。盆地で農業をしている人たちに、しばらく畑には下りず、農作業を休むよう伝えて欲しい。この間のような大型のものは出ていないけれど、小型の魔獣が頻繁に出ているわ。怪我人が出てからでは遅い」
「それほどの状況でございますか……」
アーシェは話を聞いていて一つ思い至ることがあって、遠慮がちに口を開いた。
「えっと、アーシェさん思うんですけど、体調崩してる人たちのお世話とか、その人たちに頼んでみたらどうですかね? お野菜とか獲れないと、お金に困りますよね? 報酬を払う代わりに働いてもらえば、お互い助かるんじゃないでしょうか?」
クリスの視線がアーシェを向く。そして額に手を当てた。
「もしかしてあなたも、瘴気の影響で体調崩してない?」
「アーシェさんだって、たまにはまともなこと言いますー!」
頬膨らませて抗議するアーシェを見て、クリスが楽しそうに微笑む。
「ということだそうよ、姉様。私の組合のお金を使ってそうして。それから、代わりに組合に野菜の収穫の依頼を出すといいわ。食料の供給が途絶えても困る。自力で魔獣と戦える、腕っぷしの強い者たちに代わりにやってもらいましょう」
「そう致しましょう。この窮地は、皆で協力しないと乗り越えられません。わたくしは早速交渉に参ります。お二人もそれぞれのお役目、お気を付けてお願いいたします」
セシリアはまた深く頭を下げてから、側女と一緒に慌ただしく屋敷を出ていった。
その後姿を見送ると、クリスがアーシェの方を向いて、白々しく言う。
「それじゃ、アーシェは母様を探しにいって。きっとオーメまで行けば、噂くらい耳に入るわ」
「ではでは、アーシェさん、時間暴走!」
アーシェはとりあえず祝女の屋敷を飛び出して、村の中を駆け下りていく。
『どこまで行くつもりだ? 本当にオーメまで行くのか?』
「行きませんよー。適当に下の川まで行って、食べられそうな魔獣を狩りましょう。この先食べ物にも困りそうですからね。二時間くらいもしてから帰ってお手紙書いてもらえば、ちょうどいいんじゃないですか?」
『ふむ……それがいいな。――己は最近、変わってきたの。思考回路がまともになった』
今まではまともではなかったという意味にしか取れない。アーシェは頬を膨らませながら抗議する。
「あのですね、アーシェさんはですね――」
『待て。引き返せ。魔獣がいた』
「ふぇっ!? 魔獣!?」
『大きかったぞ。急げ。怪我人が出るぞ!』
アーシェは慌てて振り返ったが、視界にそのようなものは見当たらない。既に山か建物の陰と判断して全速力で駆け戻る。
「ふおおおおお!」
幾らも戻らないうちに、下の急斜面から巨大な狼の魔獣が上がってきているのが見えた。既に空中に跳んでおり、その先には未だ気付かぬ村人の姿があった。
「レティスさん! 力を貸して!」
『身体を壊すなよ! 時間暴走、最大出力!』
アーシェは暴風を纏って突進し、狼の魔獣の鋭い牙が届く寸前に村人を抱えて走り抜けた。充分な距離を取ると、村人をそっと地面に横たえ、再び狼の魔獣の前に走り込む。
「雷霆、連続展開!」
ゆっくりと口を開き、丸呑みにしようと牙を剥く狼の魔獣の眼の前で、アーシェは手のひらを動かし大量の光の剣を発生させる。三十本以上展開するころには、既に何本かが狼の魔獣の鼻面を捉えていた。致命傷間違いなしと判断すると、牙が届く前に離脱する。
振り返って時間暴走を解くと、大量の光の剣が狼の魔獣の身体を貫通して、空に向かって飛んでいくのが見えた。村人が顔を上げ、何が起こったのかわからぬ様子で呆然と眺めている。アーシェは駆け寄りながら声を掛けた。
「大丈夫ですかー?」
「ア、アーシェか……。今何があった? あれは――狼の魔獣か? どうしてこんなところに?」
村人を助け起こしながら、その視線を追ってアーシェは狼の魔獣を見た。地面に倒れ込み、大量の血を流しつつ痙攣している。
「狼の魔獣で間違いないですね。あんなおっきいの、なんでこんな山の上に……」
村人に怪我が無いことを確認すると、アーシェは近くの崖側に寄って下を見た。
「これ、登ってきたんですかね? こんなきついとこを? なんでわざわざ?」
「ここのところ、魔獣が多すぎるな。瘴気が濃くなってきている影響か……?」
村人もアーシェの隣まで来て、共に下を見てそう零す。周りがざわついてきて、狼の魔獣の方に視線を戻すと、近くの村人たちが集まってきたところだった。
「大丈夫ですよー! このアーシェさんが、ばっちりやっつけましたよー!」
小さな子供が不安そうに母親の後ろに隠れているのを見て、アーシェは満面の笑みを浮かべつつ、狼の魔獣に駆け寄った。既に死んでいるように見えるが、まだ身体が痙攣して動いている。念のため、他の村人には近寄らせない方が良いと判断した。
「アーシェさんは、速くて強くて可愛いから、魔獣退治なんてお茶の子さいさいです! 何かあったら、時間暴走ですぐに駆け付けて解決しちゃいますんで、ご安心をー!」
敢えておどけつつ、ブイサインをしながら村人たちに笑顔を送る。
「それはどうするんだ? 肉は不味くて食えないが、毛皮が使えそうだ」
「ふぇ? ああ、そうですね……。ん、んー。アーシェさんは苦手なんで、誰かやる人いたらあげますよ?」
「じゃあ、あたしが貰おうかな」
村人の一人が腰の小刀を抜きながら近寄ってくる。心の中でレティスの声が響いた。
『アーシェ、下がらせろ! もう一匹上がってくる!』
「時間暴走!」
アーシェは時間暴走を発動して走り出した。近寄ってきた村人を抱えて離脱しようとする。だがアーシェの動きが見えていない村人は、そのまま小刀を抜いてしまった。その刃がアーシェの肩に触れて痛みが走る。ほんの僅かに切れただけだったが、アーシェは態勢を崩して村人と一緒に転がった。その拍子に時間暴走も解けてしまう。
「大丈夫ですか?」
最後は村人を下敷きにして滑っていく形になり、怪我をさせたのではないかと慌てて身体を起こし訊ねた。そのアーシェの視界が暗くなる。大きな何かが陽の光を遮り、影を作っていた。
「オ、オーバードラ――」
アーシェの身体が凍り付いたように動かなくなる。何故なのかはわからない。村人の大きく見開かれた瞳に狼の魔獣の鋭い牙が映っているのを見て、アーシェは死を覚悟した。
(くーちゃん……ごめんね……。ルーチェ、お昼ご飯は一人で食べて……)
『何を勘違いしておる。よく見ろ』
レティスの言葉で、アーシェはやっと気付いた。狼の魔獣の手前に、萌葱色の風が割り込んできたことに。村人の瞳にはっきりと映っている。それから、ひらひらとした白い布。そのゆっくりとした動きから、時間暴走はきちんと発動していることを悟った。そして萌葱色の正体も。
突然身体が動くようになり、アーシェは村人を抱え、萌葱色の風が消えたのとは反対方向に移動する。振り返ると、クリスが狼の魔獣の牙を両手で掴んで抑え込むようにして、転がっていくところだった。
「くーちゃん、アーシェさんに合わせて! 上から行きますよー! 雷霆!」
アーシェは雷霆を発動すると、多数の光の剣を上空に向かって放った。充分な数を用意してから、その軌道を変え狼の魔獣に向ける。驟雨のように降り注ぐ光の剣が、狼の魔獣を貫いていった。クリスが飛び退り、刀を抜くと、倒れ込みつつある狼の魔獣の頭部を上から貫いた。
「くーちゃん、くーちゃん、大丈夫ですかー?」
アーシェは慌ててクリスの元に駆け寄る。素手で狼の魔獣の牙を防いでいたので、怪我をしていないか心配で心配で、その顔は今にも泣き出しそうだった。クリスはいつもの落ち着いた表情でアーシェに視線を向けると、そっけなく言う。
「服も身体の表面も、時間凍結して守っていたから何ともないわ」
時間凍結という単語を聞いて、先程身体が動かなかった理由にアーシェは思い至った。
「なんでアーシェさんまで動けなくしちゃったんですかー!」
『違うぞ、アーシェ。あれは守ってくれたのだ。お前の反応が遅れていたら、攻撃が当たっていた。時間凍結して攻撃を無効化しようとしたのだろう』
「あ……そうなんですか? いえ、でも、アーシェさん、普通に逃げられましたし……」
「でも転んでたし。気付いてないかもしれなかったし」
クリスはアーシェを見下ろしながら反論をする。アーシェは頬を膨らませてやり返した。
「あれくらいアーシェさんはですね――あいたっ!」
肩に出来た小さな傷に、クリスが触れた。アーシェはそこに手を当てながら文句を言う。
「痛いじゃないですかー!」
「あなたは脆すぎるのよ。ちょっと刃が触れただけでこれ。あなたは確かに、魔獣の攻撃なんてまず当たらないほど速いのかもしれない。でも万が一狼の魔獣に噛みつかれたら、即死してもおかしくないのよ? 小さい頃は、クロカミ並みに身体も弱かった。心配して当然でしょ」
クリスは至極真面目な顔でそう言うと、アーシェが答える前に踵を返して歩き去る。アーシェは後ろ姿を見送りながら、小さく呟いた。
「くーちゃん……」
その瞳には、大粒の涙が浮かんでいた。零れ落ちないのが不思議なくらいに、様々な感情を湛えて、陽の光を反射して煌めいていた。




