第三話
「ほっ、ほっ、ほっ」
アーシェは山ほどの肉と野菜、米を抱え、前が見えないような状態でフラフラと走っていた。
『寄り道なんぞしていて良かったのか?』
「だってカテナ様まで増えちゃいましたし、朝ご飯足りるかどうかわからないですよ? 見張りに来てくれるって人にも、お昼ご飯くらい出してあげないと可哀想ですし」
帰り道、既に食料品店が営業開始していたので、食材の買い出しをついでに行ってきた。欲張って買い過ぎてしまい、この始末である。
『アーシェ、時間暴走発動だ』
「ふぇっ!? なんで?」
『何やら騒がしい。急いで戻れ』
言われるがままに発動し、急いで洞穴の入り口に戻る。見張りをしているはずのクリスがいないことに、アーシェはすぐに気付いた。
『急げ。後ろで戦いが起きているようだ』
慌てて荷物を中に置くと、時間暴走を解きつつ振り返る。その眼に巨大な魔獣の影が映った。距離はある。盆地の真ん中辺り、三百メートルほど先の畑の中に、熊の魔獣が複数いる。
「こんなとこに、あんな大きな魔獣が……?」
『急げ、クリスが一人で戦っているぞ』
見ると熊の魔獣の一体を足場にして駆け上がり、別の熊の魔獣に斬り付けるところだった。
「時間暴走、最大出力!」
アーシェは全速力で駆け出した。畑を荒らすことには抵抗があったが、今は緊急事態。膝上まで伸びた青々とした陸稲の生い茂る中を直進していく。充分距離を詰めると、時間暴走を解いて叫んだ。
「くーちゃん!」
足場にしている一体は倒したようだが、四体に囲まれ苦戦しているように見える。クリスはその声が聞こえたのか、足場にしていた熊の魔獣から飛び下り、陰になる位置に移動した。
「雷霆!」
アーシェは多数の光の剣を展開して、クリスに襲い掛かろうとしている熊の魔獣の一体に集中砲火をした。頭と腕を中心に、蒼白く輝く閃光が次々と穴を穿つ。致命傷になったのだろう、そのまま前のめりに倒れ込んでいく。その熊の魔獣を踏みつけ、クリスが上っていった。
クリスは今アーシェが倒した熊の魔獣を時間凍結して固定し、高さを稼いだようだった。他の熊の魔獣たちは、爪を届かせようと足を止めて立ち上がった。
『好機だ。遠慮なく撃ちまくれ、アーシェ!』
「くーちゃん、当たらないでくださいよー! ふおおおお!」
両手に持った刀でクリスが往なしている一体は放置し、残りの二体に向かって次々と光の剣を生成する。何度か攻撃が当たると、一体がアーシェの方を向いて、猛然と駆け出してきた。
アーシェの雷霆がその頭部に集中し、身体を幾度も貫いていく。もんどりうって倒れながら突っ込んでくる熊の魔獣を横っ跳びに躱し、前転して起き上がる。顔を上げると、さらに一体がアーシェに向かって動き始めていた。その背後からクリスが猛然と迫り、跳び上がる。落下の勢いのまま、脳天から刀で串刺しにした。
「くーちゃん、後ろ!」
クリスは深く刺した刀を手放し、そのままこちらに向かって跳び下りる。その頭上を雷霆が幾本も飛んでいき、クリスを攻撃しようとしていた熊の魔獣の腕を吹き飛ばした。もう一本の刀だけを手に、低い姿勢で大きく回り込んで駆けていくクリス。アーシェの雷霆が熊の魔獣の胴体を幾度も貫き、動きが止まると、クリスが跳び上がって横から頭部を串刺しにした。
「ありがとう、アーシェ。助かったわ。流石にこの大きさのを五体同時は大変だった」
アーシェは無事終わったと知ると、その場にへたり込んだ。念のため頸を斬り落として周っているクリスを見て、深く安堵の溜息を吐いてからやっとのことで言う。
「くーちゃん、一人じゃ危険ですよ、こんなたくさん相手に……」
「仕方ないでしょ。ここで足止め出来て良かった。村に上がっていかれたら、大変なことになってたわ」
『なかなか悪くない連携であったぞ。少しは成長したな、アーシェ』
レティスの誉め言葉に、アーシェは満面の笑みになって言う。
「えへへー、もちろんです! アーシェさんにお任せください!」
クリスから見れば会話がかみ合っていないからか、不思議そうにこちらをしばし見つめる。レティスとの会話と理解したのか視線を外し、最後の一体の頸を落としながらクリスが訊ねた。
「アーシェ、こんな大きな熊の魔獣が複数同時にここに出たことって、過去にある?」
「え……いえ、一匹だけならおっきいの出たことありますけど、たくさんは……」
「そう。どこから来たのかしら、これ? 私が気付いたときにはもう畑の中にいたから、山を越えてきたのか、それとも沢を上がってきたのか……。親子ではなさそうね、どれも大人」
倒した熊の魔獣の死体を見比べて歩きながら、クリスが不審気に首を傾げる。確かにどれもアーシェの背丈の三倍近くあり、子供が含まれているようには見えない。
『何かきな臭いな。親子でもない熊の魔獣の集団行動というのは不自然だ。我の認識では、群れで暮らす魔獣ではない。カテナが動き始めたこの頃合いに、かつてない襲撃……』
「そうですね……なんかアーシェさんたちを邪魔するために出てきたみたい……」
「あなたもそう思う? それともレティスかしら? クロカミの急増のこともあるし、私たちが知らない間に、何かが動き出していたのかもしれないわね……」
洞穴の入り口まで戻ると、見張りを任された側女が来たところだった。熊の魔獣が出たことを伝え、注意喚起をしてから、二人は奥へと向かう。
「母様にもきちんと報告をしないとね。フローラが必要以上に怯えなければいいんだけど……」
アーシェは、フローラが死にかけたのは熊の魔獣が原因だったことを思い出した。それで、まずは種類は伏せて報告をし、アーシェがフローラに声を掛けてカテナと引き離した隙に、クリスが詳細を伝えることになった。
しかし、重大な何かを見つけたようで、カテナとフローラの二人に先手を取られた。
「お前たちにも聞いてもらいたい大事なものがある。フローラ、説明をせい」
カテナに促され、フローラが机の上の機械を指して説明を始める。大きな百合の花のようなものがついた、よくわからない機械。本に夢中で、調べることすらしていなかった。
「これはね、蓄音機っていうんだって」
「蓄音機……? なんですか、それ?」
「論より証拠。音小さいから、その花みたいなところに耳を近づけて聞いてみて、二人とも」
アーシェはクリスと顔を見合わせた後、言われた通り耳を寄せ、集中した。フローラが取っ手のようなものを動かして回していく。連動して台の上の円盤が回転しだし、花のところから音が聞こえてきた。正確には、声。聞いたことのない人物のものだった。
〈やあ、私の娘たち。もしかしたら、どこかに息子も生き残っているだろうか?〉
「これ、なんですか? 誰の声ですか?」
アーシェの問いに、フローラは手を止める。そしてやや勿体を付けた感じで答えた。
「聞いて驚かないでよー? 絶対だからねー? これ、古代人の声みたいなんだ」
「ふぁっ!? え……こ、古代人さん、こ、このお花の中に住んでるんですか? 生き残ってるんですか? え、小人さんだったんですか?」
アーシェの反応がさも可笑しいかのように、フローラが大笑いをする。今にも転がりまわりそうなほど笑い続けた。カテナに頭を小突かれると、涙を拭いながら説明してくれる。
「これはね、音を記録しておいて、あとで何度でも聞けるようにする機械みたいなんだ。普通の本が文字の本だとすれば、これは音の本ってとこ」
「なるほど……音の本! 古代人さん、すごいですね……。これ、どうなってるんですか?」
アーシェは顔を寄せ、蓄音機なる機械を隅々まで観察する。さっぱり理解出来ない。
「私はそれよりも、ムスコって言葉の方が気になったんだけど? どういう意味かしら?」
「このまま聞いてれば、わかるように教えてもらえるよ」
再びフローラが取っ手を回すと、声が聞こえる。先程よりやや低い声だった。
〈息子という概念は、もう残っていないかもしれないね。簡単に説明すると、子供の雄のことだ。子供の雌が娘。君たちはみんな雌なんだ。動物たちには雄と雌がいて、交尾をして子作りすることくらいは、もう知っているだろう? 人間も元々はそうだった。しかし私が君たちを作り変えた。雌だけでも子が産まれるように〉
フローラはそこで一旦手を止める。アーシェとクリスは、眼を見開き顔を合わせた。
「雌? 私たちが、雌? 全員? 人間に雄雌の区別があるの……?」
「作り変えたって、どういうことですか?」
フローラは無言でまた手を動かし始める。また少し高さの違う声が聞こえた。別人というわけではなく、声の高さが安定しない感じで、常に変化しているようだった。
〈君たちの驚く顔が見たいねえ。何故そんなことをしたのかというと、雄はこの世界で生き残るのは難しいようだからだ。今どう呼ばれているかは知らないが、私が瘴気と名付けた、魔法的な毒素のようなものによって、この世界は侵されている。雄は影響を受けやすいようなんだ〉
「影響を受けやすい……。クロカミは雄ってことかしら? 私たちと全く変わらないわよね?」
「クロカミの話はまた別みたいだよ。続き聞いてみて」
再びフローラが手を動かし、声が聞こえてくる。
〈雄が皆死に絶えたら、我々は滅ぶ。子作りが出来ないからね。だから雌だけでも子が産まれるようにした。それでも全ての雌が生き残れるわけではない。雌は瘴気への耐性を持って産まれることがある。その子孫だけだろう。君たちは赤や青、緑など、様々な色の髪や瞳をしていないだろうか? それが耐性を持った新しい人間だ。ちなみに、本来この国の人間は、黒い髪と、黒に近い瞳をしているのが普通だ。私もそうだ。既に瘴気に侵され、死にかけている〉
「クロカミは、やっぱり古代人なんですね……。さっき考えてたの、合ってたんですね……」
しばしの沈黙が場を支配した。黒い髪の古代人が、瘴気への耐性を得て生まれたのがイロカミ。雌だけで繁殖出来るように、古代人が作り変えたイロカミの子孫が今のイロカミ。そして耐性を失い、古代人に戻りつつあるのがクロカミ。その全ての始まりが――
「瘴気。私たちはそれについて知り、克服する術を得なくてはならない」
カテナの言葉が沈黙を破る。そして図書館内を見回しながら続けた。
「この中にはきっと、瘴気について古代人が研究した成果があるのではないかと私は思う。これだけの超技術を持っていたのだ。何かしらの対抗策はとれていたはずだ。例えばこの洞穴の奥、瘴気が薄すぎるとは思わないか?」
「この洞穴、上りになってるからじゃないんですか?」
アーシェの言葉に、カテナはゆっくりと首を振った。それから手を動かして示しながら、わかりやすく説明する。
「山がこうある。祝女の屋敷がこのあたり。ここは屋敷のあたりと同じくらいの瘴気の濃さだ。この洞穴はこのような感じで奥につながっている。高さが全く違っていないか? 恐らく村の入り口よりも低い場所だぞ、ここは」
「い、言われてみればそうかも……。じゃあ、なんでここ薄いんですか?」
「辰砂。辰砂が埋め込まれてるってことかしら、壁に?」
クリスが割り込んでそう問いかける。カテナは腕組みして考えながら答えた。
「辰砂だと困るな……。あれはそう簡単には手に入らない。しかし、あのように瘴気を遠ざけるものを我々は知っている。古代人も何か知っていたのではないのだろうか? ここは見た目、辰砂は使われていない。別の何か、もっと手に入りやすいもので遠ざけているのかもしれない。まずはそのあたりについて、古代人がどうしていたのかを調べていくつもりだ」
「そうね、今起きている問題の全ては、瘴気をどうにかすれば解決する気がするわ。クロカミも、魔獣も、瘴気さえなければ何も問題ない。食料も浄化せずに食べられるようになる」
「そういうわけで、古代人が滅びた当時の最後の記録から、逆に辿りつつ調べていく。お前たちはどうする?」
それで思い出して、外で起きた出来事をやっとクリスが説明した。魔獣の種類については伏せたが、カテナから質問はなかった。おそらく察してくれたのだろう。
その後、一応セシリアにも魔獣の件について報告すべく、クリスが出かけていった。戻ってくるまでの間に、アーシェが朝食を用意することになった。あまりにも色々なことが同時に押し寄せ、ついつい思索に耽って手が止まる。
「レティスさん。レティスさんって雄? 雌?」
『我は雌だ。この世界の人間が雌だけなのには気付いておったが、まさか人によって作られた存在とは思わなんだな……』
「ってことは、雄の人間知ってるんですね……。なんで教えてくれなかったんですか?」
『いや、そういうものなのだと思っていたからな。余計なことは言わぬ方が良いと考えたのだ。神話の中には、雌だけの国というのはよく出てくる。故に、それほど不思議とも思わなかった』
「へー、そうなんですか……」
アーシェはいつの間にか肉が焦げそうになっているのに気付いて、慌ててひっくり返した。
「あちゃちゃちゃちゃ!」
『ほんに緊張感のない奴だ。我は先程からずっと悩んでおるというのに……』
手に付いた熱い肉汁を舐め取りながら、レティスらしくない歯切れの悪さを不審に思い、アーシェは訊ねた。
「何を悩んでるんですか? だからずっと黙ってたの?」
『神が生み出した、雌雄つがいであるべき人を、雌だけで繁殖出来るように作り変える。これは、神に逆らうに等しい禁忌の力ではないだろうか? 古代人は、そうやって生き物を創り出していたのであろうか? 己らの存在自体が、神への反逆なのやも知れぬと心配だ』
「神への反逆? 存在自体が? アーシェさんたちは、生きてるだけで罪?」
『一連の出来事、何者かの企みなのやも知れぬ。山頂の天使像、この奥の古代図書館。それだけでなく、己ら雌だけの人類やイロカミは、この場所で生まれたようだ。ここが全ての始まり。その始まりの地での数々の異常。明かされた真実の過去。……神は、再び最後の審判とやらを下そうとしているのではないか。そう思えて仕方がないのだ』
レティスの言っていることは、アーシェも漠然と不安に思っていたことだった。これ以上の悪化は防がなくてはならない。そして、最後の審判というものの回避も。
「大丈夫です、みんなそのために頑張ってるんですから。アーシェさんも頑張りますよー!」
『己はとりあえず、食べ物を大切にするという概念を学ぶことを頑張るが良い』
「あー!」
串を持ったまま振り上げた手から飛んでいった肉の欠片を追いかけて、アーシェは時間暴走を発動した。地面に落下する直前に両手で受け止めたものの、その熱さに悲鳴を上げる。取りこぼした肉は、結局アーシェが責任を持って食べることになった。




