第二話
「アーシェちゃん……?」
アーシェが洞穴の入り口に辿り着くと、上から声が降ってきた。見上げると、フローラが近くの樹の上にいる。
「フローラさん! 良かった、無事だったんですね!」
「大変なの、アーシェちゃん! 奥に血の痕があって、ルーチェがいないんだよ!」
「ルーチェは大丈夫です。詳しくは言えないけど、大丈夫です」
犯人が近くに隠れて聞いているかもしれない。カテナの元へ連れていったことの明言は避け、アーシェはそう答えた。
「フローラさん、ずっとそこにいました? 誰か出てきませんでしたか?」
「あたしが帰ってきてからは、誰も出てきてないよ。誰か中に忍び込んだの? それでルーチェが?」
「なら、まだ中にいるかもしれませんね……」
フローラの顔がさらなる不安に染まる。樹の幹にしっかりと抱き付きつつ問いかけてきた。
「途中にランタンとか置いてあったけど、あれはアーシェちゃんの?」
「そうです。血の匂いがしたんで、あそこに置いてったんです。……中、確認しないと」
「危ないよ、アーシェちゃん!」
「でも、誰かいたら、どうにかしないと……」
アーシェは身を屈め、慎重に洞穴の中へと踏み込んだ。自身の部屋に誰か潜んでいないか、窓越しに確認する。背後の足音に驚いて振り返ると、フローラが樹から飛び下りたようだった。
「フローラさんはそこで待っててください。アーシェさん一人で見てきます」
「やだよ、怖いよ。一緒に行く。灯りを持つ係くらい出来るんだから」
「じゃあ少し離れて付いてきてください。絶対前に出ちゃダメですよ」
フローラを数メートル後ろに従え、ゆっくりと中へ踏み込んでいく。広間まで進んでも、誰もいなかった。
『アーシェ、あの穴の先は危険だ。一人で行け。灯りをフローラに預け、時間暴走を使って一気に侵入しろ。どんなに暗かろうが、侵入者の気配くらい、我が探ってみせる』
「フローラさんはここで待っててくださいね。時間暴走!」
アーシェはレティスの助言に従って、フローラにランタンを押し付けると、時間暴走で自身の時間を最大限に加速してから穴に飛び込んだ。フローラが後ろで何か言っていたようだが、聞き取ることは出来なかった。そのまま姿勢を低くして、壁沿いに駆けていく。古代図書館の入り口の通路には誰もいなかった。
『ここには特に異常はない。だが飛び出てくるやもしれぬ。気を付けて進め』
アーシェは壁を背にしたまま横に歩いて、図書館の入り口まで進む。顔だけ出してそっと中を覗いた。暗すぎてアーシェには何も見えないが、灯りを持ったまま侵入者が活動しているということはないようだった。
『これならば相手からも見えない。足音をなるべく立てないよう、中へ入っていけ。壁沿いに一周するんだ』
アーシェは指示に従い、手探りで壁の位置を確認しながら、部屋の中を周る。緊張で呼吸を忘れ、激しく息を吐きながら立ち止まった。
『落ち着け。おそらく大丈夫だ。あのあとすぐ逃げ去ったのだろう。我にすら悟られぬように隠れられるほどの者と言えば、この村にはクリスくらいしかいない。このまま入り口まで戻ったら、声を出してフローラを呼べ。灯りを使って確認し直そう』
レティスの予想通り、特に何者の気配も感じずに入り口まで戻った。時間暴走を解除してから、声を張り上げてフローラを呼ぶ。
「フローラさーん、多分大丈夫みたいなんで、灯り持ってきてもらえますかー?」
「わかったー。ちょっと怖いけど、そっち行ってみるー」
フローラが来るまでのほんの数十秒が、時間暴走を解除し忘れたかのように、とても長く感じた。ランタンの灯りが見えた時、アーシェは心底安堵を覚えた。
「フローラさんは、そこに隠れててください」
アーシェは時間暴走を発動し直すと、ランタンを二つとも取った。一つは通路を戻って角に置き、もう一つだけを持って引き返す。暗号を解く機械の下の暗がりに、フローラが隠れようとしている。それを確認しながら、古代図書館の中を速足で周った。
『やはりもうおらぬな。あの時すぐに調べていれば、取り押さえられたかもしれぬが……』
「それよりもルーチェのが大事です!」
『そうだな。外に出て、フローラを安心させてやれ』
アーシェは時間暴走を解き、声を張り上げた。
「フローラさーん、大丈夫みたいですー。誰もいませーん」
入り口から顔を出すと、フローラは机の下で震えたままだった。アーシェの顔を見ると、心底安堵した様子で抱き付いてくる。
「あたし、めっちゃ怖かったよー」
「アーシェさんも怖かったですよー。これからどうすればいいんでしょ?」
『誰もいなくなったら、侵入者が戻ってくる可能性が高い。詳しく調べる時間はなかったはずだ。あのガラスの本を持ち出していたとしても、あれだけでは役に立たん。もう一度来ると思った方がいい』
「じゃあ、カテナ様のとこに戻った方がいいですか? ルーチェも心配ですし」
『駄目だ。ここの詳細を知られるわけにはいかない。悪意を持った人物でなければ、ルーチェが傷付けられるようなことはなかったはずだ。ここに留まって、秘密を守らなくてはならない』
「でもでも……」
「もしかして、レティスさんと話してるの?」
独り言を繰り返しているように見えるアーシェの顔を覗き込み、フローラが問いかける。アーシェは頷いて返した。
「遺跡の秘密を守るために、ここに残れって」
「あたしもそうした方がいいと思う。ルーチェを傷付けるような人なんて怖いけど、そんな人がこの中の古代の知識を手に入れるのは、もっと怖いもん」
言われてみればそうだった。ただ知りたいだけや、善用のためだったら、忍び込んだりはしない。住人であるアーシェに声を掛ければ良かった。ましてや、ルーチェを攻撃している。悪用目的に違いない。
『覚悟は決まったか? ルーチェが心配かもしれぬが、いつもの寝室に戻れ。外の焚火は絶やすな。牽制になるし、灯りさえあれば、己が眠っている間も、我が見張っていてやる』
§
それからアーシェとフローラは眠れぬ夜を過ごした。レティスが見張っていてくれるといっても、身体は動かせないと言っていた。レティスの警告に気付かず眠りこけてしまい、奇襲を受けるのが怖くて、フローラと二人震えつつ、一つのベッドで身体だけを休めた。
「アーシェ、アーシェ」
空が白み始めたころになって、疲れがたたってうとうととしていると、クリスの呼び声がした。何をしに来たのか察し、アーシェは慌てて跳ね起きた。
「くーちゃん、ありがとー!」
転げるようにして部屋から飛び出すと、クリスは抱えていたものを包む布を取り外した。そこから出てきたのは、もちろん毛むくじゃらの顔。アーシェを見て嬉しそうに鳴いた。
「ルーチェー!」
アーシェが駆け寄ると、ルーチェはクリスの腕を振りほどいて跳び下り、そして跳び上がってアーシェを押し倒した。そのまま二人で床を転げまわる。
「ルーチェ、ルーチェ! 元気になったんですね……。生きてるんですね……」
大量の涙をルーチェの毛皮で拭き取るようにしながら頬ずりするアーシェを、起きてきたフローラと共にクリスが眺める。その顔には珍しく微笑が浮かんでいた。
しばらくしてから、クリスが洞穴の外まで行って声を出す。
「母様、約束通り奥に案内するわ」
その声にアーシェが振り向くと、クリスの隣にカテナの姿が現れた。
「家族という言葉に偽りはなかったようだな……。お前は本当におかしな奴だ。クロカミだけでなく、魔獣まで救うか……」
カテナは呆れたとも感心したともいえる、曖昧な微笑を浮かべながら洞穴の中に入ってきた。
それから、カテナを伴い奥の古代図書館へと四人で進んだ。入り口を開けるための暗号を解く機械、中のガラスの本、そして顕微鏡。カテナは終始言葉を発することなく、フローラの説明を聞きながら見て回った。そして入り口に戻り、その横の壁に刻み込まれた、古代人からの警告とも助言ともとれる文章をフローラが読み上げると、カテナは初めて口を開いた。
「全てが繋がった気がする。ここが隠された理由、祝女の教えの内容、そして山頂の御神体」
「母様は全てを知っているの?」
クリスの質問に、カテナは首を横に振る。そして三人に対して質問で返した。
「お前たちは、山頂にも忍び込んだのか?」
「怒られるのを覚悟で言うと、私は大分昔に……。この子たちにはつい最近、私から教えた。そのあと実際に見に行ったかどうかは知らないわ」
「意外だな……アーシェではなく、お前の方が忍び込んでいたのか。これは行くなと言われると、むしろ行きたくなる奴だと思っていたのだが……」
カテナはアーシェの頭を叩きながら言う。アーシェは頬を膨らませて不満を示した。
「まあいい。では、山頂の御神体が、この世界を滅ぼした悪魔として語り継がれているものの形をしているということは、皆知っておるのだな?」
三人は静かに頷く。カテナもそう語る以上、天使と悪魔が入れ替わっていることは、間違いなさそうだった。そして古代人が書き残した、この歴史についても。
「ならば言おう。ここに書いてあることは、恐らく事実だ。祝女の一族に一子相伝されている、裏の歴史と一致する。表の教えがいつから変わったのかは知らぬ。だが滅ぼしたのが神なのであれば、我々は咎人の子孫ということになる。その事実を伏せたくて、神と悪魔を入れ替えて教えるようになったのだろう」
「母様。何故浄化を使えず、祝女候補ではなかったはずの母様が、一子相伝の裏の歴史について知っているの?」
カテナは肩を竦めて自嘲気味の笑いを浮かべ、それから普段と異なり小さな声で語る。
「私もお前たちと一緒だ。若いころから色々なことに興味を持ち、嗅ぎまわっていた。御神体をこっそり盗み見てからは特にだ。何故悪魔像が御神体なのか、神とは何なのか、瘴気とは、魔獣とは一体何なのか。常々疑問に思い、治療依頼にかこつけて、あちこちへ出かけていた」
「それで伊津村なんて遠いところまで?」
フローラの問いに、カテナは小さく頷く。そしてさらに小声になり、内緒話をする子供のように語り出す。
「ここだけの話だが、先代の祝女、私の母からセシリアへの口伝を盗み聞きしていたのだ。常に山頂で行われていた。あちらこちらに見張りを置き、禁足地に踏み込めぬよう警戒が行われていたから、そう毎回とはいかなかったが、一部は知ることが出来た」
「母様が一番悪人ね。立場を利用して、意図的に警備の穴を作ったんでしょ?」
悪戯が見つかった子供のように、カテナは肩を竦めて笑う。
「カテナ様、祝女様に言いつけちゃいますよ!」
「では私は、このルーチェをセシリアのところへ連れていこう」
「ちょっとちょっと待ってくださいー! 脅すとか酷いですー!」
二人のやり取りに、全員が噴き出して笑う。珍しくクリスも声を出して笑った。危険を感じ取ったのか、足元にいたルーチェが逃げ出したものだから、なおさら可笑しかったのだろう。
「それで、母様。ここのことはどうするつもり? 見なかったことにして封印する? それとも……」
カテナは周囲を見回し、それからフローラの方を向いて問う。
「お前はその固有魔法の解析とやらで、全ての古代文字が読めるのだな?」
「読めるけど、書いてあることの意味については、自分で理解する必要がある。だから、わからないものはわからない」
「しかし、ここは文明を失った我々のために用意された場所のようだ。手を広げて順を追って調べていけば、理解出来るように考慮されているはずだ」
「それじゃあ……」
フローラの顔が歓喜に染まる。直後にカテナの口から発せられた言葉を聞いて、それが萎む。
「この場所のことは決して口外するな。知り得た知識も持ち出してはならぬ。古代人が滅亡した理由からすると、知ってはならない禁断の知識を、お前たちは得てしまったのかもしれない」
フローラはもちろん、アーシェも大きく肩を落として下を向いた。確かに真実の歴史は、知るには重すぎる内容であった。そしてもしかしたら、ここの知識の全てを手に入れた時、人類は再び驕り高ぶり、神の怒りを買うのかもしれない。審判の時代が再度来るかもしれないのだ。
「私はしばらくここに泊まり込む」
カテナが突然意外なことを言い出し、アーシェやフローラはもちろん、クリスも目を見開いてその顔を見つめた。カテナは至極真面目な顔で語り始める。
「お前たちも気付いているだろうが、ここ最近、クロカミが生まれる割合が異様に多い。このままではこの村は滅ぶ。他の村ではまだ異常は見られないようだが、この先はわからぬ」
カテナは古代人の残した文章を指して言う。
「この部分、もう一度読んではくれぬか、フローラ。おそらくここからここまで」
フローラが解析を発動して、示した範囲を読み上げた。
「僻地に逃れた人々を絶滅へと追い込むため、何らかの霊的な毒素を地上に撒いたようだ。人間だけに害をなし、次々と死に至らしめている」
「ここも読み上げてくれ」
カテナが指した部分を、再びフローラが読む。
「君たちは、きっと瘴気への抵抗力を持ち、魔法のような不思議な力を使えるようになった新しい人類だろう」
「書いてある順番は逆だが、神々が瘴気を撒いて人類を滅ぼそうとした結果、抵抗力を持った人々が生まれた、というように読み取れないか? しかも、魔法を使うとある」
「もしかして、クロカミは古代人? クロカミであった古代人が、イロカミに変わることで生き延びたのだって言うの、母様は?」
「そう考えると辻褄は合うと思うのだ。クロカミは先祖返りした存在ではないのか? そしてそれには瘴気が影響しているのではないか? 私にはそう思えて仕方がない」
アーシェはフローラやクリスと顔を見合わせた。色々と心当たりがある。
「カテナ様、もしかしてイロカミって、魔獣ですか? クロカミは動物。瘴気の薄いところで育つと、イロカミはクロカミに?」
アーシェの言葉に、カテナが笑いを堪えた様子で答える。
「一番アホなお前が最初に正解を言うとは……。その通りではないかと私も思う。アーシェやクリスは、この村以外のことはあまり知らないだろう。だがフローラ、お前なら理解出来るかもしれぬ。どの村でも、山の高いところにある家ほど、クロカミが生まれやすくはないか?」
「え……えっと……そこまで考えたことはなかったけど……でも、この村に関してはそうかも。アーシェちゃんと調べたんだけど、この四年で生まれたイロカミは五人。そのうち一人はクロカミの保護施設で生まれてるけど、あとは全部山の下の方だったよ。逆に考えれば、上の方は一人を除いてみんなクロカミってこと」
フローラの答えに、カテナは満足そうに微笑んで言う。
「見込みがあるな、お前らは。やはり過去の歴史を詳しく知る必要があるようだ。確かにここには、古代人が滅びる理由となった、過ぎた知識や技術があるのかもしれない。しかし、それらは道具と一緒だ。正しく使えば必ず役に立つ。使い方次第であり、使う人間の心次第だ」
「それじゃあ、カテナ様……」
「フローラ、当分こき使うぞ。心せよ」
満面の笑みでフローラは何度も大きく頷く。その瞳はかつてないほど輝いていた。
「クリスとアーシェは、なるべく普段通りに行動しつつ、村の様子を探り、私に報告しろ。夜に報告会を設けよう。夕食の時間に全員集まるのだ」
「見張りとかはどうするの、母様? 侵入者がいた以上、何か手を打った方が……」
「私の側女のうち、特に信頼出来る者に任せる。とりあえずシャロンに声を掛けろ。『想定通りになった』と言えば通じる。あとは奴が手配してくれる」
アーシェは自分向きの仕事だと思い、右手を挙げて元気な声を出す。
「それならアーシェさんが行ってきます! アーシェさんならあっという間ですからー」
「ならその間は、私が入り口を見張っているわ」
「では行動開始だ。いいな、くれぐれも外に情報が洩れないように注意しろ。側女にも詳細は話していない。中で何をしているかについては、今後も決して口外するな」
四人は大きく頷き合うと、それぞれ動き始めた。この村を救うために。




