第一話
「あ……あ……」
『落ち着け、アーシェ。きっと侵入者がいる。遺跡の中を確認しろ!』
「ルーチェ……ルーチェ……」
レティスの忠告など全く頭に入らず、アーシェは鈍々と床を這ってルーチェの元へと近付いていく。どこか斬られたのだろうか、鮮血が床に広がっていた。
『アーシェ、話を聞け! ルーチェがやたらと人に襲い掛かるわけはない。敵意を感じるような人物がここに来たということだ。そうでないとしたら、一方的に攻撃を受けたということだ』
アーシェはルーチェのところまで辿り着き、その身体に手を当てた。時間暴走を解いて様子を見る。
『アーシェ、とても大事なことだ。こんなところに魔獣退治に来るわけがない。侵入者の目的は、この奥の古代遺跡に違いない。確認しろ、アーシェ!』
「ルーチェ……生きてます……ルーチェは、生きてますー!!」
アーシェは歓喜の叫びをあげた。ルーチェの身体が僅かに上下している。呼吸をしているのだ。再び時間暴走を発動すると、ルーチェを優しく抱き上げ穴へと戻る。急いで潜り抜けると、即座に走り出した。
「ふおおおお! 時間暴走、最大出力! レティスさん、力を貸してー!」
『くっ……致し方ないか……。力を貸してやる。その代わり、必ず間に合わせろ!』
アーシェは颶風のように洞穴の中を駆け抜ける。暴風が吹き荒れ、入り口横の部屋の中のものを吹き飛ばした。周囲の草を巻き上げ、土煙を立てて、文字通り目にも止まらぬ速度で坂を駆け上がっていく。村人たちは吹き荒ぶ突風に、ある者は顔を背け、ある者は腕で庇った。
「カテナ様ー! カテナ様ー!」
ルーチェを救ってくれる可能性のある唯一の人物の名を叫び、一気に祝女の館に辿りつくと、扉を蹴破って中に飛び込んだ。そのままカテナを探して屋内を勝手に突き進む。
「カテナ様!」
台所にカテナがいるのを見つけると、アーシェは時間暴走を解いて大声で呼びかけた。それに重なるようにして、机の上の食器や食材、盛られた料理などが床に落ちて派手な音を立てる。アーシェの巻き起こした風が、それを引き起こした。
「何をやっておるのだ、お前は!」
カテナの大音声が響く。怒りに染まった瞳でアーシェを見下ろしてくる。しかし負けじと睨み返して、アーシェは再び大声を張り上げた。
「ルーチェを! ルーチェを助けてください! 血がいっぱい出てます。今にも死んじゃいそうです。お願いします!」
両腕に抱いたルーチェを、アーシェは差し出した。それを見て、カテナは大きく眉をひそめる。
「なんだ、それは? 魔獣の子か……? 何故そんなものを連れてきた?」
「怪我してるんです! 誰かにやられたんです! お願いします、助けてあげてください!」
「魔獣の子の治療なぞ出来るか! すぐに森に捨ててこい!」
アーシェはその場に跪いて頭を下げ、涙を滝のように流しながら懇願した。
「お願いします、お願いします。アーシェさんの家族なんです。三年間ずっと一緒に暮らした、たった一人の家族なんです」
「家族……? 三年間一緒に暮らしただと?」
「だから、助けてください。ルーチェが死んじゃったら、アーシェさんも生きていけません。魔獣を家族にするなんて、いけないことだってのはわかってます。治してさえくれたら、アーシェさんは村を出ていきます。絶対迷惑はかけません。お願いします、助けてあげてください!」
「お前があの場所に住んでいるのは、そいつのためか……」
「カテナ様!」
アーシェは既に真っ赤に腫れ上がった眼で見上げて懇願する。カテナの顔から怒りは消えていたが、何かを迷っているように見えた。しばし押し黙った後、決断をしたのか口を開く。
「わかった、治癒はしてみよう。魔獣に施したことはないから、助けられるという約束は出来ん。しかし条件がある。治癒をする代わりに、お前が住んでいる洞穴の奥へと連れていけ。お前が住んでいる部屋ではない。あの洞穴の一番奥にある部屋だ」
「一番……奥の……部屋?」
あの古代図書館のことを言っているのは明白だった。そのことから、アーシェの脳裏に一つの可能性が思い浮かぶ。怒りに瞳を燃え上がらせ、勢いよく立ち上がりながら叫んだ。
「カテナ様が……カテナ様がやったんですか、これを!? ルーチェを、殺そうとしたんですかー!?」
余りの迫力に、さしものカテナがたじろいだように見えた。心の中でレティスの声が響く。
『アーシェ、それはない。血の固まり具合から見て、斬られてすぐだ。犯人はまだ中にいるはずだったから、確認しろと警告したのだ』
「でもでも、あの場所を知ってる人なんて!」
『よく考えろ。お前より先にカテナが帰ってこられると思うか? お前は一分もせずにここに辿りついたんだぞ? 空を飛べたって難しい』
「じゃあ、じゃあ、誰が一体?」
アーシェがレティスと問答していると、カテナが困惑した顔で訊ねる。
「アーシェ、お前こそ一体誰と話をしているのだ? 独り言ではないな、それは? 一体どうなっているのだ?」
混乱した場を落ち着かせるように、涼やかな声が響く。
「母様、とにかく先に治療を。洞穴の奥へは私が案内するわ」
振り向くと、そこにはクリスの姿があった。萌葱色の瞳をあくまでも冷静に輝かせ、アーシェを見つめる。
「今はルーチェの生命こそ最優先。考える前に行動する。それがあなたのいいところでしょ? 後のことは後で考えなさい。どうにもならなければ、私がどうにかしてあげるわ」
「くーちゃん……」
「シャロン、湯を沸かせ。それから、効くかどうかわからぬが、止血の薬草と腐れ止めの薬草を。クリス、お前は人払いをしろ。流石にこれを知られるわけにはいかん。誰も入れるな」
カテナがてきぱきと指示を出し始める。アーシェはカテナの寝室と思わしき場所に通された。
「ここなら誰も入ってこない。床に寝かせろ」
アーシェが指示に従うと、カテナはすぐにルーチェの呼吸を確認した。それから毛皮を掻き分けるようにして、傷の状態を診る。
「刃物で斬られた傷だな。湯はまだか? かなり状態が悪そうだ。先に始めるか」
カテナの手のひらから、眩いばかりの白い光が放たれる。アーシェはその強烈さに思わず瞼を閉じた。
「一応効くようだな。まさか魔獣の治癒をすることになるとは思わなかった」
「母様。その子は魔獣であって魔獣ではないわ。元々は大人しい、動物という生き物」
クリスの声だった。扉のところに立ち、注意深げに廊下を見張っている。カテナは視線は向けず、治療を続けながら質問で返した。
「動物とは何だ? 魔獣と何が違う?」
「おそらく古代人と共に暮らしていた生き物じゃないかしら? ルーチェはとても賢く、人懐っこいだけでなく忠義にも篤い。アーシェの家の奥を守っているような感じだった」
「そうです。ルーチェはとっても優しいんです。アーシェさんが悲しいときは慰めてくれて、淋しいときは寄り添ってくれて。いっつも一緒にいて、アーシェさんを元気づけてくれてたんです」
シャロンが湯を運んできて、カテナは一度治癒を止めて傷口を洗い流し始めた。その間にクリスが説明を続ける。
「瘴気が動物を狂わせ、大型化させて魔獣にするみたい。あの洞穴の奥は、この辺り並みに瘴気が薄い。アーシェは食べ物も浄化したものを与えていたわ。自分は浄化していないものを食べているのに。だからルーチェは魔獣にはならず、そうしてただの動物の大人になった」
カテナは薬草を少し擦り込んでから再び治癒を発動した。それからクリスに問う。
「お前、それをどこで知った?」
「これはあくまでも、フローラの母が魔獣を育てる研究をして得られた結果と、アーシェがルーチェを育てた方法の違いからの推測。でもその秘密は、母様が行きたがっている場所にあるかもしれない」
「なるほど。睨んでいた通りのことになっているようだな……」
「ついでだから言うわ。もしかしたら他の魔獣も、瘴気の薄い場所で、浄化した食べ物だけを与えて育てれば、動物として育つのかもしれない。そうしたら、浄化せずとも食べられる、安全な肉が得られるかもしれないわ」
カテナはルーチェの治療を続けながら、その穏やかな顔を覗き込む。傷は大分癒え始めて、容体は落ち着いたようだった。
「確かにこのルーチェとやらからは、魔獣のような瘴気は感じぬ。見た目は狼の魔獣をそのまま小さくしたかのようだが、大人し気に見える。こう言ってはアーシェが怒るやもしれぬが、食べても安全と思える」
『アーシェ、悪意はない。我慢せよ』
アーシェが文句を言おうとしたのを察知したのか、レティスから制止が入る。家族を食べるなんてとんでもない。アーシェは心の中でだけ、大声で反論しておいた。
「すぐにとは言わないわ。いずれ試させてもらえないかしら? 危険性の低い子供を捕まえてきて、なるべく山頂に近い方、村人が立ち入らない場所。例えば禁足地の中に、安全な囲いを作って育ててみるの。捕獲も世話も私が責任を持ってやる」
「その話、他人にはするなよ? たとえセシリアが相手でもだ。シャロン、お前も今ここで見聞きしたこと、口外は許さぬ。いいな?」
シャロンは無言で頷き、煎じていた薬草をカテナに手渡した。
『アーシェ、ルーチェはもう大丈夫なようだ。ここはクリスに任せて、洞穴の奥へ戻れ。そろそろフローラが帰っていてもおかしくはない。これをやった奴がまだ残っていたら、フローラが危険だ』
アーシェは涙を拭いながら立ち上がり、クリスに声を掛けた。
「くーちゃん」
「言わなくていい。フローラが心配なのね? すぐに見てきなさい。ルーチェは後で私が連れていってあげるわ。村人には見られないように注意するから、安心して」
アーシェはクリスと頷き合うと、カテナとシャロンの二人に向かって深く頭を下げた。
「ルーチェのこと、よろしくお願いします。それから、ありがとうございました!」
すぐに時間暴走を発動すると、焦る気持ちを抑え、家の中に被害を出さぬよう注意しつつ駆け出していった。




