第四話
水撒きが終わるころには、もう陽は沈みかけていた。相変わらず無愛想に一人帰ろうとするクリスを無理やり引き留めて、再び夕食を共にする。アーシェが急いで買ってきた肉や野菜に火を通しながら、今後のことについて相談した。
「じゃあ、くーちゃんは、祝女様にも内緒にしといた方がいいって言うんですか?」
「ええ、今のところは様子を見た方がいいと思う」
自身の姉であるセシリアにすら秘密にしようとするクリスに、アーシェは言い知れぬ不安を抱いた。
「もしかして、祝女様と仲悪くなっちゃったんですか?」
「別にそういうわけじゃないわ。一族にあの場所のことが伝わっていないわけはないって、私は思うのよ。ずっと昔から、この村のことを取り仕切ってきてるのだから」
「んー、でもあれ、気付かなかったんじゃないんですか? あの穴も元々なかったんですし」
「確かにあなたが空けてしまったものだけども、昔はあの場所まで普通に行けたはずでしょ? 単なる落盤だったのかもしれないけれど、意図的に塞いだとも思えてしまうのよ。あの洞穴、人工的なもので、丈夫そうに見えるから」
アーシェはかつて探検した洞穴の中の様子を思い出す。言われてみれば、そんなにあちこちが崩壊しているわけではない。進めなくなっている場所は、人為的に塞いだ可能性を否定出来ない。
「クリスちゃんってさ、祝女の一族なんだよね? 姉様とか母様とか呼んでるし、名前も変えたって言ってたし。もしかしてさ、ほんとは……何か知ってるんじゃないの?」
クリスの顔を覗き込みながら、フローラが遠慮がちに問う。クリスは目を伏せて答えた。
「何も聞いていないのよ。だからこそ隠されてる気がするの。山頂の御神体が悪魔として伝えられているものであることも、勝手に見に行って知っただけ。なら、この洞穴の奥のことも、御神体と同様、代々の祝女にだけ、一子相伝で語り継がれていることかもしれない」
「じゃあどうして、この洞穴そのものを、禁足地にしてないのかな? 誰か見つけちゃうと思わなかったのかな?」
「禁足地にすると、逆に中を見たがる人が出るからじゃないかしら? ここは元々、入り口付近は収穫物の仮置き倉庫として使われてて、誰でも出入りできたのよ。奥は落盤の跡があるから行く人ほとんどいなかったけど、自由に入れる場所にあんなものがあるとは、誰も思わないでしょ」
「なるほど……。入るなと言われると、逆に入りたくなる。実際に御神体見に禁足地に行った人が言うと、説得力があるね!」
フローラの感想に、クリスは視線を泳がせた。誤魔化すかのように口を開く。
「と、とにかく、しばらくは、あの場所のことは口外しない方がいい。祝女の一族が知ってたとしても、知らなかったとしてもね。中身が中身だから」
二人のやり取りを聞いていて、アーシェはこの先の展開を予想し、俯いた。
「くーちゃん、もしかして、もうあそこへは行くなって言うの?」
クリスはアーシェの方を向いた。しばらく瞳と瞳を合わせて見つめ続ける。そして小さく溜息を吐いてから答えた。
「言いたいけど、あなたたちが従うとは思えないから言わない」
「アーシェさん、全く信用なし……」
「さっきも話そうとしてたし」
冷たい瞳で見つめるクリスの前に、フローラが割り込んで、明るい声で言う。
「まあまあ。とりあえず、凄すぎるのじゃなければいいよね? さっきみたいに、あたしが他の村で教わってきたことにすればいいし。言い逃れ出来ないようなのは、外に出さないから」
「そうしてもらえると助かるわ。でも心配ね……」
「大丈夫! あの場所のことがバレちゃうようなすごいのは、どうせ理解出来ないから!」
心の中でレティスの忍び笑いが響く。
『なんという説得力……。これ以上はあるまい』
アーシェも何度も首を縦に振って同意した。クリスも何かを堪えているような微妙な表情になって答える。
「滑車のことについては、ネリーさんにああ言われてしまった以上、伝えなきゃならない。でも、今はまだいい。何か聞かれたら、外れないような改良方法を考えてからのつもりだった、と答えておきなさい」
「そうだね、それなら説得力あるよ」
「よーし、じゃあ、明日からも、どんどん調べちゃいましょー!」
アーシェは、そろそろ食べごろと思える肉の串を手に取り、高々と掲げながら言った。
「そうしよう、そうしよう!」
フローラと二人で肉を頬張り、焼き立ての美味しさに顔を綻ばせる。クリスはやれやれといった様子で、野菜の串に手を伸ばした。
§
翌日から、古代図書館の本を読み進めた。クリスはやって来ず、アーシェとフローラの二人。よく理解出来ないものに対して、その使い途を考えて議論しながらなので、なかなか読み進められない。かといって、すぐに思いつかないものを飛ばして先へ進んでも、もっとわからないものだらけになってしまう。
夜までそれを続けた挙句、結局滑車を複雑に組み合わせた次の本の一つ先にあった、輪軸というものに戻って、翌朝からそれを試すという話になった。
「フローラさん、もらってきました。これで作れますかねー?」
アーシェは壊れた荷車の車輪を頭の上に持ち上げて走ってくると、洞穴の前のフローラに声を掛ける。工作をしていたフローラが振り返り、満足げな微笑を浮かべて答えた。
「ちょうど良さそうだね! でも、今日中に作り上げるのは無理かなー。あたしこういうの、そんなに得意じゃないし……」
「アーシェさんに任せてください!」
「任せられないから、あたしがやってるんだけどね……」
二人で苦心しながら、工作を続けていく。作っているのは、短く切った丸太を台に取り付け、回転させられるようにしたもの。その丸太に車輪を固定する。さらに丸太の部分に縄を巻き付けた。これで車輪の部分を持って回すと、やはり小さい力で縄を引っ張れるらしい。
二日がかりで作り上げたのち、まだ決まっていなかった使い途について、二人で議論しながら夕食を共にする。
「アーシェさんはやっぱり、これでお婆ちゃんを引っ張り上げればいいと思います! 荷車に乗ってもらってこれで引っ張れば、坂も楽々なのです!」
「んー、楽は楽だけど、意味がない気がするんだよね、それ……。歩いて上った方が絶対速いと思うんだ」
「だから、速さじゃなくて、楽かどうかですよ。お婆ちゃん、ひいひい言って登ってる人いましたし。最近見かけませんけど……」
「んー、よし、じゃあまずは、アーシェちゃんで試してみようか。お婆ちゃん怪我させちゃったら大変だからね」
「アーシェさんには怪我させてもいいんですね……」
『まあそう言うな。己ならば怪我をしないよう、安全に飛び下りられると思っておるのであろう。たとえ崖から転落しようとも、時間暴走があればどうにかなろう』
レティスの言うことはもっともだが、あまりにも酷い扱いに、アーシェは地面にへたり込む。
「崖から……転落……」
「アーシェちゃん、あたしそこまでするつもりないんだけど……?」
レティスの声は聞こえないフローラが、心配そうにアーシェの顔を覗き込む。
「まあ、フローラさんよりは怪我しにくいのは確かです。ここはこのアーシェさんが身体を張りましょう!」
そう宣言したことを、翌日アーシェは後悔することになる。まずは人目に付かないところでやろうとしたが、山中に平らな坂などどこにもない故、何度もひっくり返って酷い目に遭い断念。整備された村の中の坂に移動して、やっとうまく動いたと思っても乗り心地は最悪。
「フローラさん、止めてくださいー! これ、気持ち悪くなるんですけどー?」
「だよねー。あたしそう思ったんだ。ここの坂でも、結構凸凹だし……」
アーシェはフラフラとしながら、借りてきた小さな荷車から降りる。そのまま地面にへたり込むと、様子を見ていた近くの村人たちの笑い声が響いた。
「アーシェさん、大丈夫でございますか? もしや、瘴気に中てられたのでは?」
暖かで透き通った響きが、坂の上から降ってくる。見上げると、金色の風が吹いていた。その正体を目にして、アーシェの顔に満面の笑みが浮かぶ。
「祝女様!」
アーシェは立ち上がって、声の主、セシリアの元へと駆け寄った。
「大丈夫です! これが酷い揺れなので、ちょっと気持ちが悪くなっちゃっただけなのです。浄化は必要ないのです」
「そうでございますか。アーシェさんは、本当に元気でございますね」
それからセシリアは、隣に立つフローラの方を向いて、心配そうな顔のまま問う。
「フローラさん、あなたは大丈夫でございますか? あの後、特に治療にはいらっしゃらないので、心配していたのでございます」
「あたしも、もうすっかり元気になったよ! 元々瘴気は平気な方だから、怪我さえ治っちゃえば大丈夫」
「それはそれはようございました。安心いたしました。……ところで、これは何をしていたのでございましょうか? この荷車をひっくり返したようなものは、何でございますか?」
フローラはアーシェの方へ視線を送り、やや迷いを見せた後、名前は出さずに説明を始めた。
「こういうの、あたしが周ってきた村の一つで使ってたの。この車輪のところを回すと、縄を少しの力で引っ張れるんだ。試してみる? 多分あたしとアーシェちゃんの二人がかりでも、祝女様一人に勝てないよ」
「何かの勝負でございますか?」
「ここ、回してみて。――アーシェちゃん、あたしと一緒に縄引っ張って。綱引きだよ」
アーシェはフローラと一緒に、縄を掴んで引っ張り出した。
「ふおおおお!」
体重を乗せ、かなりの力で引っ張ったが、セシリアが車輪を押さえているだけで動かない。セシリアは不思議そうな顔で訊ねる。
「それ、本当に思い切り引いているのでございますか? わたくし、ただ軽く押さえているだけなのでございますが……?」
「引いてますよー! 祝女様、凄い力持ちですー!」
「あらあら。これは不思議なことでございますね」
そう言ってセシリアが車輪を回すと、アーシェとフローラがまとめて引きずられた。
「これはとても便利そうでございますね。使い途はわたくしには思い付きませんが、是非お二人で考えてくださいまし」
そう言ってセシリアが車輪から手を離すと、突然縄が伸び始める。アーシェとフローラは坂を転げ落ちた。
「あたたたたた……」
「あらあら、あらあら。これは大変。母上をお呼びして参らなければ……」
セシリアが慌てて駆け寄って、二人を助け起こす。村人たちの笑いが再び響いた。
「大丈夫ですー。ちょっと擦りむいただけなんで……」
「そうでございますか。申し訳ありません。わたくしがうっかり手を離してしまったばっかりに……」
深々と頭を下げるセシリアに、アーシェも頭を下げ返す。
「いえいえ、ちゃんと説明しなかったアーシェさんが悪いのです」
「相変わらず、お優しいことでございますね。いつも助かっていますよ、あなたのおかげで」
セシリアはそう言って温かい微笑を残すと、金色の髪を靡かせて坂を上がっていった。
「さて、アーシェちゃん。これはどうやって使うべきだろうね?」
セシリアを見送ると、フローラが問いかけてくる。アーシェは腕組みをして唸りつつ考えた。
「むー、これ、小さくすること出来ませんかね? そしたら井戸に使えませんか? この間のやつよりもこっちのが力出ますよね? あれすぐ外れちゃいますし、こっちのが便利そうです」
「おお、その発想はなかった。でもこれ、小さいのなんて作れるかな……」
「アーシェさんたちに出来そうには思えませんけど、大工さんなら出来るんじゃないですかね?」
パン、とフローラが手を叩く。
「その手があった! 大工さんの家って、坂もうちょっと上がったところだよね? ちょっとこれ持って行ってみない?」
アーシェは何度も首を縦に振りながら同意した。
「行ってみましょう!」
輪軸を荷車に載せ、それをガラガラと引きながら坂を上っていく。大工の家まではすぐで、外で道具の手入れをしていた。
「グレタさん、グレタさん、これちょっと見てもらえませんか?」
荷車の上に積んだ輪軸を叩きながら、アーシェは大工のグレタに声を掛けた。顔を上げたグレタは、荷車の上を見て不思議そうな顔をする。
「なんだい、それは? 車輪が片方外れたのかい? どこへ置いてきちまった? 車輪まで作り直すとなると、値が張るぞ?」
「そうじゃなくてですね、これはこうやって使うものなのです」
アーシェとフローラは、綱引きの形でグレタの前で実演をする。グレタにも輪軸を回す役と、縄を引く役の両方をやってもらい、その性能を体験してもらった。
「これはすごいな……。他の村ではこんなものを考え付く奴がいるのか……」
グレタはしきりに感心しながら、輪軸を隅々まで観察する。
「これ、小さいのとか作れませんかね? 井戸とか楽になると思うんですけど……?」
「構造は単純だから、小型化は出来ると思うぞ。他にもいろいろと使い途がありそうだな。かなりの力が出る。崖の下から農作物を引き上げたりも出来そうだ」
「あ、それもいいかも! 重たい野菜とかあるしね!」
グレタは輪軸を叩いて威勢良く言う。
「よし、これは見本としてオレが買う! とりあえず、千円でどうだ?」
「せ……千円!? こ、これが千円!? アーシェさん、三か月は暮らせるんですけど……?」
「甘いな、アーシェ。こいつはきっと金を生む。千円でも安いくらいだ。もし儲かったら、売り上げの一部をお前らに払おう。どうだ、乗るか?」
アーシェはフローラと顔を見合わせる。フローラも興奮した表情をしていた。
「フローラさん、この千円はあげますんで、その儲けの一部とやらは、アーシェさんに使い途決めさせてくれませんかね?」
「そうくると思ったよ。この千円もそうしていいよ。何に使うのかは想像つくから」
温かい笑顔でそう言うフローラに、アーシェは深く頭を下げた。
「ありがとう、フローラさん」
それからグレタの側に寄り、背伸びをしつつ耳打ちをしようとする。それでも届かないので、グレタが身を屈めてくれた。アーシェは周りに聞こえないよう小さく囁く。
「この千円と儲けの一部ってやつ、祝女様がやってるクロカミの保護施設に寄付してもらえませんかね? どんどん増えてるし、お金大変みたいなんですよ」
グレタはニヤリと笑って頷いた。
「任せておけ。お前も本当、お人好しだな。意図はわかった。なら頼まれてる建増し代を値引きするという形にしてやる。それなら、お前の名前は出ないだろう?」
アーシェは笑顔で頷いて、グレタの提案に同意した。そしてフローラの元に駆け寄り、交渉の結果を耳打ちする。フローラも無言のまま笑顔で返した。
「毎度あり!」
グレタに輪軸を引き渡すと、アーシェが荷車を引いて、フローラと一緒に坂を下りていった。
「これ、依頼こなすよりも、ずっとお金儲けられますねー」
「よーし、どんどん新しい機械作って使い方考えて、それで儲けちゃおう!」
アーシェとフローラは、嬉々として坂を駆け下りていく。新しい本を読みたくて仕方がない。その二人を、クリスが走って追い抜いていった。
「あれ……くーちゃん、何やってるんですかねー?」
「さあ? あれ以来顔見せないよね……」
「そういえば、最近ずっと姫神村にいますね……。いつもオーメ行ってばっかりなのに……」
『アーシェ、お前が組合の依頼を一切やっていないから、奴が忙しいんじゃないのか?』
「あー!」
アーシェの叫びと、荷車がひっくり返る音が重なる。レティスの指摘に、思わず荷車の梶棒を手放してしまった。
「フローラさん、大変大変! これ返してきてもらえませんか? アーシェさん、ちょっと組合行ってきますー!」
「ど、どうしたの、アーシェちゃん?」
「とにかくお願いしますねー! 時間暴走!」
アーシェは慌てて坂を駆け上がり、組合の建物へと向かった。




