第三話
アーシェたちは最寄りの井戸へと駆けていく。そこではやや大柄な亜麻色の短髪の女性、ネリーが水を汲み上げているところだった。
「ネリーさーん! ちょっと井戸貸してくださーい!」
アーシェは手を振りながら、元気に呼びかけつつ走り寄る。ネリーは手を止めてこちらを見た。
「なんだ、三人して? クリスまで一緒に駆け回っているなんて珍しいな?」
「見張ってないと何するかわからないから、この子たち。あなたの家も酷い有様だったでしょ?」
「まさか穴だらけになるとは、予想もしていなかったよ……」
ネリーはそう言って肩を竦めた。アーシェは二人の会話の内容がわからず、首を傾げて見上げつつ、ネリーに問う。
「また魔獣でも出たんですか? あの黒くて気持ち悪いやつ?」
「いや、いいんだ。アーシェのせいじゃない」
なおも首を傾げたまま不思議そうに見上げるも、ネリーは苦笑を浮かべつつ押し黙る。
『恐らくこの間の魔獣退治の話だ。己の攻撃で壁が穴だらけになっておったからの』
心の中で響いたレティスの言葉に、アーシェは蒼白になる。
「ご、ごめんなさいー! 修理! 修理します、アーシェさんが!」
「もうやってもらったから大丈夫だ。クリスに礼を言っておけ」
アーシェが視線を向けると、それを避けるようにしてクリスは井戸に近寄った。
「この滑車、簡単に取り外せそうだわ」
「くーちゃん、どういうこと?」
「それはもういいから。――ネリーさん、畑の水撒きをしていたところかしら?」
クリスはアーシェの質問は無視して、ネリーに訊ねる。やや弱ったような表情をしつつ、ネリーは答えた。
「ここのところ雨が降ってないだろう? 少し撒いておいた方が、育ちがいいんだ」
「それ後で手伝うから、この滑車、外して持っていってもいいかしら? 少し試したいことがあるのよ」
「構わないが……そんなもの何に使うんだ?」
不思議そうに目を瞬かせるネリーに、アーシェは自慢気な笑みで答えた。
「ふふふふふ、あとでお見せします。すごいものを!」
「アーシェちゃん、うまくいかなかったときのこと、考えてないでしょ?」
フローラの指摘に、アーシェはしどろもどろに答える。
「だだだ、大丈夫ですよ! このアーシェさんにお任せください! もう一つの井戸、向こうです。さっさと取り外して、あっち行きましょう」
クリスは桶と縄を抜き取ると、井戸の屋根に結び付けられていた滑車を取り外す。それを持って、微笑まし気に眺めるネリーを置いて、三人は別の井戸へと駆けていった。
そこには誰もおらず、やはり滑車で桶が吊り下げられているのを確認すると、どうすれば先程の動滑車になるか三人で相談を始める。
「この持ってきた滑車をさかさまにするんですかね?」
「桶は外して、そこに付けるのね。それで縄の片側を天井に固定かしら?」
「これ、外れて落っこちないかな? う……かなり不安だよ」
とりあえず三人で手分けして、形だけは図面と同じようにしてみる。動滑車は縄に引っかかっているだけの状態で、かなり不安定だった。手を離すと外れて落ちてしまいそうである。
「重し入れればいいんじゃないですかね? 手で押さえる代わりになるかも」
アーシェが手近な石を拾って、動滑車に取り付けた桶の中に入れると、不安定ながらも手を放しても大丈夫そうになった。
「ゆっくりだよ。ゆっくり下ろすんだよ……」
クリスが慎重に縄を送り、桶を徐々に下に降ろしていく。
「まだまだですよー。あと半分くらい」
「これ、届かないわ。もう縄ないもの」
井戸の中を見ていたアーシェは、視線をクリスの手元に向ける。縄はそこで終わりだった。
「むむむむ、これ、縄の長さ二倍いるんじゃない?」
「さっきの井戸の縄、持ってくればよかったわね。結んで繋げば届いたかも」
「結び目が引っかかっちゃうんじゃないですかねー?」
「フローラ、これちょっと押さえててくれないかしら?」
クリスはフローラに縄を預けると、ポケットの中をまさぐり始める。五十円玉を取り出し、アーシェの手に握らせつつ言った。
「これで縄買ってきてくれないかしら? あなたならあっという間でしょ?」
「いいんですか、お金出してもらって?」
「長さ注意してね。余分に長くても別に構わないから。もし届きそうなの無かったら、作ってくれるように注文だけしてきて。その場合、明日試し直しましょう」
「じゃあ、ちょっくら行ってきます。時間暴走!」
アーシェは猛然と駆け出し、村の雑貨屋へと向かった。あっという間に辿り着くと、店主に向かって五十円玉を示して言う。
「おばさん、縄ください、縄。長いやつ!」
「どれくらいだい?」
「えっと……ここから……ここまでよりも長いやつ!」
具体的な数字が出てこなくて、アーシェは走った距離で長さを示す。
「太さは?」
「えっと……井戸に使うんですけど……これくらいですかねー?」
アーシェは人差し指と親指で円を作って太さを示した。
「あんたんところの一番近い井戸のだよね? ならこれを持っておいき。えーと、釣りは……」
「組合にツケといてください!」
丸めて縛った縄を受け取ると、アーシェはさっさと時間暴走を発動して駆け戻る。
「くーちゃーん! フローラさーん! 買ってきましたよー!」
縄を振り回しながら二人の元に戻ると、動滑車を取り外しすぐに試せる状態になっていた。
「ア……アーシェちゃん、もう村まで行ってきたの?」
フローラが目を見開いて驚きを示す。アーシェはあっけらかんとした笑顔で答えた。
「もちろん。速いのだけが、アーシェさんの取り柄ですから!」
「ほら、アーシェ、貸して」
クリスが縄を解き、再び三人で取り付けていく。完成すると、慎重にゆっくりと水面へ下ろしていった。桶を水の中に沈め、満杯の水を湛えた状態で引き上げる。
「確かに軽いわ。試してみる?」
「アーシェさんにやらせてください、アーシェさんに!」
「あたしもあたしもー!」
アーシェとフローラは奪い合うようにして縄を引き、その感触を確かめる。
「おー、確かに軽々な気がしますー」
「アーシェちゃん、手、放してよー。これじゃわからないってばー」
二人で引いている状態だったので、アーシェはそっと手を離す。フローラは細腕で軽々と引き上げていった。アーシェは井戸の中を覗き込み、桶に汲まれた水の重さを想像する。半分の力というのが本当だったことを確信し、自然と笑顔になった。
「ほんとだ、楽々だよ、これ! あたしいつも少しずつしか汲めなかったのに」
「すごいすごいー! これ、水撒きなんて簡単あっという間じゃないですかー?」
「どうかな……? ゆっくりとやらないとダメだから、時間はあんまり変わらないかも」
上がりきった桶を取りながら、クリスがぼそりと言う。
「これ、向こうの井戸でやった方が良かったわね……」
アーシェは水撒きをする予定の畑を見た。とても遠い。クリスの方を振り返り、つい大声を出す。
「なんでもっと早く言ってくれないんですかー!」
「まあまあ。要領はわかったから、これ外して向こうへ持っていって水撒きしよ!」
再び取り外して、滑車や縄を手に元の井戸へ戻る。ネリーは井戸に寄りかかって退屈そうにしていた。
「すみません、こっちでやってみるんで、ちょっといいですかー?」
「お、なんだかわからないけど、うまくいったようだね」
ネリーが場所を開けると、三人で手早く滑車を組み合わせ、水を汲み上げる。今度はアーシェが縄を引かせてもらった。
「おおー、軽々ですー! さすが古代人!」
「古代人……?」
『おい、アーシェ』
「あのですね、これ――」
アーシェの口はクリスによって塞がれた。もごもごと口を動かすも声が出ない。
「これ、そこのフローラが他の村で学んできた技術なのよ。私たちは信じられなくて、実際に試してみたの」
クリスはそう言ってフローラを指差した。意図を察したのか、フローラがその言葉を継ぐ。
「そうなんだよ。これね、古代からの知識として伝わってて。古代人ってすごいよねー。遺跡とかも、どう作ったのかさっぱりわからないし」
「アーシェが住んでいる場所も、見事な技術で作られているものなあ。ほとんど継ぎ目のない石積み。あれはどうやって作ったんだろうねえ?」
「だよねー、古代人凄いよねー」
フローラとネリーのやり取りが終わった後、心の中でレティスの声が響く。
『ふむ、うまく誤魔化してくれたか。アーシェ、やたらと口外するでない。あの場所のことは、まだ他人には知らせぬ方が良い』
アーシェはただ黙って、小さく頷くことで返事とした。
「滑車を二つ組み合わせているのか……。面白いことを考えるもんだなあ。ちょっとあたしにもやらせてもらえるかい?」
引き上げ終わった動滑車を見て、ネリーがそう言う。拒否する理由は特になく、アーシェは桶の水を零しつつ、笑顔で答えた。
「試してみてください。とっても便利ですよー」
ネリーは縄を手渡されると、勢いよく手を滑らせて、一気に桶を水面まで下ろした。
「あー!」
アーシェが慌てて井戸の中を覗くと、動滑車が縄から外れて、桶ごと水の中に沈んでしまっていた。クリスとフローラも中を覗いて呟く。
「やっぱり……外れちゃったよ……」
「アーシェ、あなたが拾いに行きなさい。ゆっくりやらないと外れるって、説明しなかったあなたが悪い」
アーシェは井戸の深さと、底に溜まった水を見て言う。
「こ、これ、下りるんですか? アーシェさんが? え、どっぼーんしろって言うんですか?」
アーシェが渋っていると、クリスは小さく溜息を吐いた後、井戸の中に飛び込んだ。水面に着地すると、屈んで手を伸ばし、沈んだ滑車を引き上げる。
「クリスちゃん、水の上に立ってない?」
「時間凍結してるんですよ、あれ。くーちゃん、川の上でも細い枝の上でも、ああやって固めて歩けるんですよ」
「ああ、そういえばそんな説明だったような……」
クリスは下で滑車に縄を取り付け直していた。それから上を向いて言う。
「アーシェ、引き上げてくれないかしら? 性能を試すのにもちょうどいいんじゃない?」
アーシェとフローラは、眼を輝かせつつ顔を見合わせた。
「一気に引き上げちゃいますよー!」
「ゆっくりだからね、ゆっくり。クリスちゃん落っこちちゃったら、困るからね」
驚くべきことに、クリスより大分軽い体重のアーシェ一人でも引き上げることが出来た。
「自分より重いものでも引き上げることが出来るのか……これは便利だな」
ネリーがその様子を見て、眼を見開きつつ言う。興味深そうに滑車を眺めている。
「でしょでしょ?」
「外れないような工夫をする必要があるようだが、それさえどうにか出来ればとても便利だ。これは村中に広めるべきだな。祝女様のところに行って、報告してくるといい」
「そうしよう、そうしよう!」
アーシェとフローラは早速駆け出すも、後ろからクリスの声がかかる。
「二人とも、忘れてることがない? 水撒きする約束よ。あとこの滑車、向こうの井戸から借りてきたものだから、ちゃんと元に戻さないと」
『ほんに前しか見えぬ奴らだの、己ら二人は……』
心の中で呆れた感じのレティスの声が響く。アーシェはフローラと二人肩を落とし、とぼとぼと井戸に戻っていった。




