第五話
「ありゃりゃ、もう真っ暗だよ……」
洞穴の入り口まで戻ってくると、フローラは外の光景を見て、途方に暮れた様子で肩を落とした。曇ってきたのか、星明かりもあまりない。何かしらの灯りがないと、村の入り口まで戻るのも大変そうだった。
「これ持っていきますか? アーシェさんのカンテラ」
アーシェは自身のカンテラを持ち上げ、フローラに示す。ふと、その顔がカンテラに吸い寄せられ、フローラは間近で眺め始めた。
「ルーチェやら古代遺跡やらのことで頭いっぱいで気付かなかったんだけどさ、このカンテラ、すごい高いやつじゃない? 透明なガラスだよね、これ?」
「奥真っ暗じゃないですか。風も吹くし。松明とかじゃ煙も出て大変なんで、風で消えないやつを奮発して買いました!」
「すごい……ガラスってもう作り方失われてて、古代遺跡で見つけてきたのを加工するだけなのに……。さっきまで乱暴に扱ってたのが、今更ながらに怖くなってきた。結構脆いのに」
「普通に使ってれば、別に壊れませんよ。……あ、アーシェさんが送ってけばいいだけでした!」
当たり前のことに今更気付いて、二人して大笑いする。心の中でレティスの声が響いた。
『己らの会話を聞いていると全く飽きぬ。アーシェが二人に増えたかのようだ……』
いい意味に解釈したアーシェは特に口答えすることはなく、カンテラを振り上げて外に出る。
「フローラさん、行きましょう。あんまり遅くなると、アーシェさんも怖いし」
「あ、あのさ……」
フローラは入り口から出ず、そう言って口籠る。アーシェが首を傾げていると、ややあってから、遠慮がちに切り出した。
「あたし、今日ここ泊まったらダメかな? アーシェちゃんともっとお話したい」
「別に構いませんけど、普通の人にはちょっと瘴気濃いんじゃないかと思いますけど……?」
「あたし、古代遺跡で何日か野宿したこともあるから、多分大丈夫。それに、奥のルーチェいるところは、山の上と変わらない感じだったよね? あそこで眠れば、気分悪くなったりとかしないと思うし、どうかな?」
「あ、そうですね……。ベッドとかないんで、床に寝るしかないですけど、毛布だけあればなんとかなります。アーシェさんも、あそこで寝ちゃうことありますし」
フローラは満面の笑みになってアーシェに駆け寄り、その手を取る。
「それじゃ決まり! 晩御飯にしよ、晩御飯。もうお腹空いてお腹空いて」
「えへへへ、アーシェさんもです! お肉焼いて食べましょう、お肉!」
そう言うとアーシェは、外に組んである肉焼き用の石竈に駆け寄った。竈といっても、部屋の中に拵えてもらったものとは異なる。ただ焚火が燃えやすいように、風で消えにくいように、石を積んで囲っただけのもの。残っていた灰を除けると、洞穴の中に積んであった薪を持ってきて、組み始めた。
「こっちあたしがやるよ。火どうやって点けてるかわからないから、火起こしお願い」
「火種保存してあるので、持ってきますー」
アーシェは洞穴に戻り、灰に埋めた燠火を掘り起こした。軽く吹いて空気を送りながら、炭にしてある木切れに火を移す。再び燠火を埋め直すと、一部が赤々と燃え出した炭を持って竈に戻った。フローラは薪の下に枯れ草や樹皮を詰めておいてくれて、その下に入れるとすぐに燃え上がる。
「よしよし、お肉持ってきます。お米も新しく蒸しますか? 朝蒸したの残ってますけど、蒸したての方がいいですよね?」
「んー、それ食べちゃわないといけないんだろうし、お肉焼きたてならそれでいいや」
「わっかりましたー」
フローラが火を大きくしてくれているのを確認してから、アーシェは部屋へと戻った。肉の短期保存用の、塩水が入った瓶の蓋を開ける。するとレティスの声が響いた。
『おい、それを食わせるのか? 浄化していないものではないのか?』
「あー! そうでした! ……どうしましょ? 浄化したお肉なんて置いてないですよ?」
アーシェの大声に、フローラが駆け寄ってくる。
「どうしたの、アーシェちゃん?」
「えっとですね……お、お肉はやっぱりやめませんかねー?」
「え、品切れ?」
「これ浄化してないお肉なんですよ……。アーシェさん、全然平気なんで、自分で捕ったやつをそのまま食べてて……」
フローラの顔が引き攣る。頬をぴくぴくと震わせながら、ゆっくりと口を開いた。
「浄化しないで食べてるの……? え、大丈夫なの、それ?」
「瘴気なんてぜんぜんへっちゃら。むしろ元気になってしまうくらいのアーシェさんです!」
「まさか、アーシェちゃんって、魔獣!?」
二人ではっと目を見開いて見つめ合う。
「違いますよー! アーシェさん、ちゃんと人間です。こんな可愛い魔獣がどこにいるんですかー!」
「奥にいたし」
アーシェはルーチェの姿を思い出し、言い返せなくなる。確かに可愛い。
「ま、それは冗談として……アーシェちゃんはもしかして、身体に浄化機能でも備わってる……? だからここに住めるし……もしかして髪が黒いのも……」
フローラはまた顎に指を当てて、ぶつぶつと呟きながら考え始める。
「えっと……どうしましょ。お米とかも全部浄化してないやつしか……。フローラさんイロカミだから、ここの畑で獲れたやつは大丈夫かな……?」
他人を招いて食事をすることは基本的にないため、そういうときに困るという発想はアーシェには全くなかった。食べさせるものがなく、アーシェも必死に考え込み始める。
「あ、ルーチェ! ルーチェ用のは浄化してあるやつなんで、あれならフローラさん食べても絶対大丈夫です。今取ってきますー!」
アーシェが洞穴の奥へ行こうとカンテラに手をかけると、聞きなれた透き通った声が響く。
「それは流石にないんじゃないかしら? 魔獣用のを食べさせるなんて」
振り返ると、萌葱色の瞳が別のランタンの光を反射して輝いていた。
「くーちゃん!」
「私のところに泊めろと言われてたけど、暗くなっても来ないから。どうせこんなことだろうと思ったわ。あなたのところに泊めるなら泊めるで、連絡くらいして頂戴」
「あ……ごめんなさい……」
フローラとの会話が楽しく、すっかり忘れていたことに気付き、アーシェは申し訳なさそうに下を向いた。クリスが陰でいつも自分の心配をしていると聞かされたことを思い出す。もしかしたら、何かあったと思って気を揉んでいたのかもしれない。
「ごめんね、あたしもすっかり忘れてたよ。そうだよね、心配するよね……」
フローラも俯いて小さな声で謝る。クリスは小さく溜息をつくと、左手に持った大きな籠を持ち上げて示した。
「食材、持ってきたわ。ちゃんと浄化してあるやつ。米は蒸しておいたのも入ってる」
「くーちゃん……」
アーシェはその心遣いに目を潤ませつつ、籠を受け取った。クリスは興味なさそうに振り返ると、短く別れを告げて立ち去ろうとする。
「それじゃ」
そのクリスの腕が左右から同時に掴まれる。
「ちょっと待ったー!」
「待ってくださいー!」
同じ行動をとったアーシェとフローラが目を見合わせる。クリスは再び小さく溜息をつくと、ゆっくりと振り返った。
「言わなくていい、わかるから。とりあえず大声出さないで、二人して」
アーシェとフローラは、してやったりという顔で、互いに笑顔を交わした。
§
「それでですね、くーちゃんがこう、両手に持った二本の刀を振り回してですね」
三人で食事をしつつ、アーシェはクリスとの過去の冒険譚をフローラに熱く語る。
「口の中に食べ物を入れたまま喋らない」
「それはそれはもう強くてですね、なんと成人前にもう村の守護神になっちゃいましてね。『私は姉様のような祝女にはなれないから、代わりに力で村を守る』とか言って、姓も一文字変えて神和から神薙にしちゃうとか、めっちゃかっこいいじゃないですか!」
「だから米粒飛んでるって言ってるでしょ。あと他人の家族関係、勝手に語らない」
興奮して止まらないアーシェの口を、クリスが無理やり手で塞ぐ。それを見て、フローラがけらけらと笑った。
「二人とも、仲いいんだねー。うらやましいなー。あたしにもそんな相棒がいればなー」
その言葉を聞いて、クリスはアーシェの方を見る。アーシェがにっこりと笑って返すと、クリスはぷいっと横を向いて言った。
「こんなのを相棒扱いしないで。仕方ないから、困ったときに助けてあげてるだけ」
「あはははは、照れてるんだよ、これ。アーシェちゃん、ほんとはクリスちゃんはきっと――」
フローラの言葉を遮るように、クリスは普段は出さない少し大きな声で言う。
「そんなことよりも、あなた何者なの? この村に何をしに来たの? 昼間、村中嗅ぎまわってたでしょ? もし私たちに害を為す存在なら……」
クリスは足元に置いてある自分の刀に手を伸ばす。アーシェが慌てて割って入った。
「くーちゃん、やめて! フローラさん、そんな人じゃないってば。フローラさんはね……」
それからフローラの目的と、今日の調査結果について、ルーチェのことも含めクリスに説明を始めた。アーシェの説明はいまいち要領を得ず、結局フローラが語ることになった。
「なるほどね……。ルーチェはやっぱり、魔獣が浄化されたような存在なのね……」
「くーちゃんは知ってたの?」
「いいえ。でも瘴気の影響との関連は疑ってたわ。クロカミのこともあるし。瘴気が人にだけ影響を与えるというのも、おかしな話だから。もしかしたら、瘴気に適応することで、その中で生きられるようになった存在なのかもしれないわね、魔獣は。――あなたのように」
クリスは最後、アーシェの方を向いて言った。
「ア、アーシェさんは、魔獣じゃないですよ?」
「それは知ってるわ。むしろ普通の狼の魔獣よりも、ルーチェにそっくりだもの、あなた」
「つまり、めっちゃ可愛い!」
「魔獣並みの知能ね……」
「ぐむむむむむ……」
アーシェは魔獣のように唸りつつクリスを睨み返した。その視線を躱し、クリスはフローラの方を向いて問う。
「それにしても、あなたも本当、物好きね。姫神様の教えが始まった場所を探すためだけに、危険な旅に出るなんて。私も古代遺跡にはよく行くけれども、あなたのような目的の人は初めて見るわ。みんな古代遺物や美術品目当てで、基本腕っぷしが強い人ばかりだから」
「あれを見たらクリスちゃんだって、同じこと考えるよ。――そういえばアーシェちゃん、あたしの荷物はー?」
「あ……すっかり忘れて……今持ってきますー!」
アーシェは居間に置いたままだったフローラの鞄を取ってくると、外の焚火の前に戻ってきた。それを見たフローラの顔が喜色に包まれる。
「これこれ! あたしの荷物! ……えっと……確かここに……」
フローラは鞄の口を開くと、中身をごそごそと漁り始める。そして何やら布に包まれた拳大のものを取り出した。アーシェとクリスが興味深く見守る中、布を取り払っていく。
「悪魔……? なんで悪魔像なんて持ってるんですか!?」
布の中から出てきた黄金の像を見て、アーシェは思わず声を上げた。人の形をしているが、その背には空を飛ぶ鳥の魔獣のような翼を生やしている。祝女の教えで語られる悪魔の姿そのものだった。フローラは頭が上になるよう持ち直し、アーシェの前に突き付けて言う。
「違うよ、アーシェちゃん。これは天使。神様の使いだよ」
「天使……? 何ですか、それ? 神様の使い? 姫神様の?」
驚きに目を見開くアーシェ。一方クリスは、僅かに鋭い目付きに変わったものの、ごく落ち着いたいつもの表情で、その天使像なるものを見つめていた。
「詳しく教えてあげる。あたしも全部は覚えてないから、今ここでもう一度やる。これはあたしの固有魔法、解析の結果では、天使と判定されるんだ。いくよ、解析!」
フローラは先程ルーチェにやったように、右手の人差し指と親指で円を作った。その円の中とフローラの瞳が金色に輝く。そしてフローラの口から、何かが語り始められた。
「天使。ユダヤ教やキリスト教、イスラム教の聖典で語られる、神の使い。神と人の間を繋ぎ、啓示を与える御使いにして、天界を守護し、神に背いた悪魔たちを滅ぼす、聖なる軍勢。天使には九つの階級があり、上から熾天使、智天使、座天使――」
「待って待って待って! 何言ってるのかさっぱりわかりません!」
フローラの語る言葉は、神の使いや悪魔を滅ぼすという件以外は理解出来ない。耳慣れない単語ばかりで、アーシェには何を言っているのかわからなかった。説明を遮られたフローラは、瞳の色が元の菜の花色に戻り、けろっとした顔でアーシェに言う。
「大丈夫、あたしも断片的にしかわからないから!」
しばし沈黙が流れる。アーシェは遠慮がちに、上目遣いで問う。
「えっと……自分で言ってるのにわからないって、どういう意味ですかね……?」
「頭に流れ込んでくることを、そのまま喋ってるだけだから。多分今の二人と一緒。誰かに説明されたのを、そのまま繰り返してるだけみたいな状態」
「つまり、あなた自身、今言ったことの真偽は証明出来ないってことね? 私たちに理解出来ない単語を適当に並べ立てただけで、その黄金の悪魔像についての説明であるという証拠はないわけね?」
クリスは僅かに鋭さを保った目付きのまま、フローラに問う。何やら不穏な空気を感じ取って、アーシェは慌てて両手を広げ間に立った。
「待って待って。喧嘩はダメー。くーちゃん、なんで信じてあげないの?」
「だって証拠がないわ。悪魔崇拝を正当化しようとしているだけかもしれない」
「く、くーちゃん……」
珍しく攻撃的な発言をするクリスに、アーシェは何か違和感を覚えて口籠る。確かにフローラの言っていることが正しい証拠はない。しかし間違っているという証拠もない。そんな不確かな状態で、こんな他人を傷付けるようなことを言う人間ではなかったはず。
「じゃあ証拠を見せるよ。いや、聞かせるよ。間接的なものになるけど。解析!」
再びフローラの指が作った円と瞳が金色に輝く。それはクリスに向けられていた。慌てて刀を取り、飛び退るクリス。アーシェは時間暴走を発動し、その柄を押さえて抜けなくした。
フローラの口から、何かを読み上げるようにして言葉が漏れる。
「固有魔法、時間凍結。自身の身体に触れているものの時間を止めることが出来る。エネルギーの伝達も遮断するため、時間凍結したものは決して破壊されることはなく、物理的なものはもちろん、魔法的なものも完全に防ぐことが出来る」
「これ……くーちゃんの固有魔法についての説明……?」
フローラの言葉はさらに続く。
「物質の密度によって伝播性能は変わる。水程度であれば、凍ったような状態にし、その上を歩くことも出来る。生物に対しても効果を発揮し、魔獣の動きを止めることも可能。ただし殺すことは出来ず、発動を解くと再び動き出す」
「……もういいわ。どうやら本物のようね」
クリスは刀をアーシェに預け、元座っていた椅子に戻った。フローラは満足気な顔で微笑む。クリスはその顔を無表情で見返し、口を開いた。
「あなたのその固有魔法、どういう仕組みなのかしら? 私自身が認識していない仕組みまで、あなたは解説していたわ。全部は理解出来なかったけど、これも時間に関係する能力だったのね……。とりあえず、アーシェから聞いたことを語っているわけではないというのは確か」
「じゃあ、これが天使だってことも信用してくれる?」
フローラは黄金の悪魔像、正しくは天使像をクリスに向けながらそう問う。
「信じざるを得ないようね……」
小さく溜息をつくと、クリスは先程まで齧っていた肉の串に手を伸ばした。アーシェも椅子に戻り、二人の様子を注意深く観察しだす。フローラは天使像を眺めながら語る。
「あたしね、古代遺跡でこれ見つけて、解析したら悪魔ではなく天使だと知ったの。これって祝女様の教えと違うよね? これは悪魔だって教えてる。だから、その間違った教えがどこから発生したのか、どうして事実と異なるのか、それを調べるために旅に出たの」
「そしてあなたは、ここでその秘密を知ってしまった。山頂の御神体が、その悪魔像――いえ、天使像であることを聞いて」
「ふぁっ!?」
アーシェとフローラの口から、同時におかしな叫びが飛び出す。
「あ……えっと……くーちゃん、山頂の御神体って、これと同じなの……? え、悪魔なの?」
アーシェの問いかけに、クリスの表情が凍り付いた。珍しくそわそわとし出して、視線があちらこちらに泳ぐ。そしてゆっくりとアーシェの方に視線が戻り、小さな声で質問をした。
「もしかして、アーシェ知らなかった?」
アーシェはこくこくと何度も頷く。クリスは頭を抱えてうずくまった。
「しまった……あなたのことだから、てっきり勝手に入り込んで見たことあると思ってたわ……。もうそれ話してしまったのだと思い込んでた……」
『くくく、これは面白い。初めての展開だ。アーシェ、滅多にない機会だぞ。虐めまくれ』
心の中で意地悪そうに笑うレティスの声が響いた。アーシェの顔が、悪魔の笑みを浮かべる。
「ふふふふふ、くーちゃん、早とちりなんて珍しいですね。いい機会です。さあさあ、教えてもらいましょうか、その御神体の秘密とやらを!」
「あたしも聞きたい聞きたい! 知ってるからには見たことあるんだよね? どんなのだった? そっくりだった? なんで悪魔像が御神体なのか、どう説明された? ねえねえ、どうして? だから山頂は禁足地なの? 祝女様はなんて言ってるの?」
質問を矢継ぎ早に飛ばすフローラの口に、クリスは食べかけの肉を突っ込んだ。そして刀を取って立ち上がりながら言う。
「知った以上、もう見にいく必要はないわね。これでこっそりと忍び込もうとして捕まるという事態を防げたわ。そう、これは犯罪の予防。あなたたちが罰されるのを防ぐための私の策略」
そう捨て台詞を残して、クリスは灯りも持たずに暗闇を駆けていってしまった。
フローラと二人、呆然とそれを見送ってから、アーシェが言う。
「あれ、負け惜しみですよね?」
口に突っ込まれた肉を噛みながら、フローラは何度も頷いた。




