表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/28

序幕

 空に末枝を広げて稲妻が走り、眩い閃光が装飾柱の隙間から神殿内に差し込む。それが大理石の台座の上に横たわった、小柄な少女の姿を浮かび上がらせた。次いで襲い来る激しい轟が建物ごと地面を震わせると、その眼が驚きに見開かれる。紅の瞳が不安げに左右に揺れた。


「もう時間がない。神代の巫女よ、覚悟は良いか?」


 台座を取り囲むようにして立つ、白いトーガ姿の神官たちの一人が、少女にそう語りかけた。一際豪華な装飾の施された冠を額に嵌めた、長と思われるその男。少女は視線だけを向けると、小さく頷きつつ震える声で答えた。


「このために生まれてきた身です。とうに覚悟は出来ています。私の生命一つでこの国が救われるのなら、喜んで全てを捧げます」


 覚悟の言葉と共に瞼を閉じた少女の顔の上に、神官長の手がかざされる。その唇から召喚の儀式の呪文が朗々と流れ始めると、少女は胸の前で手を組み意識を集中した。


「我は汝、東の海の領域を統治する女王、力あるティアマトを招聘する。塩と水の交わりによって秩序を産みし原初の神よ、混沌の象徴にして空と大地を創りし者よ」


 神官長の声に重なるようにして、その場に集まった十数人の呪文が響き渡る。台座を中心に円を描く者、放射状に入れ代わり立ち代わり行き来する者たち。紡ぎ出される呪文のリズムに乗って、統一された動きで踊るようにして儀式を進行していく。


「我が声を聞け。全ての霊を我に服従させよ。空と大地と海を支配し、渦巻く風と燃え盛る炎、轟く雷霆をもって我が敵を討ち果たせ。巫女アーシェの魂を贄として捧げる。この身を依り代とし、今ここに顕現せよ」


 詠唱は次第に抑揚を増し、神官たちの動きも激しくなる。それに呼応するように、少女の身体が小刻みに震え出した。


「耳あるものは聞け。我が名はクリティアス。汝が名はティアマトなり。今ここに来りて我に従え!」


 神官長による呪文の詠唱はそう結ばれて終わる。同時に全ての神官たちの腕が少女に向かって伸ばされ、固定された。頂点に達した熱気と霊力が少女に集中し、膨大な魔力が溢れ出す。その長い黒髪は月白色に光り輝き、開かれた瞼の下の瞳は、紅から空色に変わり煌めいていた。


 儀式の成功を確認した神官たちから響きが上がる。少女の空色の瞳だけが動き、即座に跪いた神官長に向けられた。


「ここはどこか?」


 先ほどと同じ囀るような少女の声。しかし力強さと威厳が籠った言霊がその唇から洩れた。立ち尽くしたままだった他の神官たちも慌てて跪く。中には地面に頭を擦り付けるようにして平伏する者もいた。


「ここはアトランティス。海神ポセイドンの末裔たちによる王国にございます」


「ポセイドン……?」


 髪と同じく月白色に変わった少女の眉がひそめられ、疑問の色が表情に浮かぶ。その顔に再び稲光が差し込み、空色の瞳がそれを反射して妖しく輝いた。


「アテナイの軍勢が迫っております。奴らは神々の王ゼウスを懐柔し、あろうことか、我らが祖先ポセイドンを尖兵として送り込んで参りました。ティアマト様は異国の神と存じ上げてはおりますが、同じ海神を敵に持つ者として、我らにご助力を」


 轟く雷鳴に負けじと神官長が声を張り上げ、この国が置かれた状況について短く説明する。少女の身体に降臨した何者かは、瞼を下ろして静かに答えた。


「我はティアマトなどという名前の者ではない。神でもなく、ただの人の子に過ぎぬ」


 神官たちの間に僅かに動揺が走る。神官長だけが冷静を保ち、それに応じた。


「異国の言葉ゆえ、御名の発音を間違えたことを謝罪致します。何卒我らにお力添えを」


 しかし少女は、その眼を閉じたまま興味なさそうに無表情で答える。


「助ける義理などない。聞くに、自らの祖先である神に攻撃されているとのこと。その力に驕り高ぶり、狼藉を働き、怒りを買ったのではないか? ならば、汝らは滅びて然るべし」


「し、しかし、ポセイドンは貴女様の……」


 流石に神官長も動揺し、立ち上がって言葉を荒げる。少女の瞼が再び開かれ、空色の瞳が下から刺すような視線で見上げた。


「否定はせぬか。自覚はあるようだな。ならば我は我のやりたいようにやろう。貴様らを助けることはせぬ。しかし我は神殺しの咎人。ポセイドンなる者は我の仇敵の一族とみた。戦うに吝かではない」


 気を取り直して安堵の表情を浮かべる神官たちの前で、少女の身体は横たわった姿勢のまま、ゆらりと起き上がる。まるで糸で吊り下げて持ち上げられたかのように、人に非ざる動きで台座の上に立った。


「精々巻き添えになって死なぬことを祈るが良い」


 何の感情も見せずそう言い放ち、再び平伏した神官たちを見下ろしながら首を巡らす。そしてふと、そのあどけない顔が残忍に歪んだ。唇の端を吊り上げ、悪魔の微笑を神官長に向ける。


「だが己らが生き残ることは許さぬ。幼気な少女を贄としてまで我を目覚めさせしこと、万死に値する。その生命を以て贖い、己らも我が力の糧となれ」


 その言葉に顔を上げた神官たちの頸は、既に胴と永遠の別れを告げていた。驚きの表情を張り付けたまま、重力に引かれて斜めに傾いでいる。少女を中心に発生した蒼白の光の剣が回転し、一刀のもとに全てを終わらせていた。


「さて、久々に暴れるとするか。このような形では、真の力は発揮出来そうにもないが」


 少女は天井を見上げて不敵に微笑むとそう零す。再び光の剣が現れ、石造りの天井を斬り裂いた。崩れた隙間から、漆黒の雷雲に覆われた空が臨く。そこに神の姿を認めると、長大な光の剣が生成されて伸びていった。それが戦いの合図となって、全てが始まり、そして終わった。


 一昼夜の後、大地震と洪水でもって、人々は神の怒りにより大陸ごと海に沈んだ。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ