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第九号 幻



生きるのが嫌になったって、生きるのを止めてはいけないと思う。

―同時刻・総隊長室・雅子一行―

総隊長室は無駄に贅沢な造りになっていたため、恋歌を寝かせる事は容易かった。

エヴァは寝かされた恋歌の額に両手を翳し、瞼を閉じる。

すると両手の平から淡い光が発せられ、恋歌を照らした。

そしてエヴァはそのまま、その手をゆっくりとつま先へスライドさせながら、こう唱えた。


「The darnel is collected, and thrown out to the burning fire.

(訳:毒麦は集められ、燃える火へと投げ込まれる)」


エヴァの光が恋歌を照らし終わると、彼女の腹に生えていた菌類のようなものは消えていた。


女神や聖女のような外見と性格のエヴァの能力は、攻撃的な能力と性格の多い面々の中では珍しく「浄化」というものである。

これは彼女自身が「汚れ」と認識した存在や概念を殲滅する能力であり、浄化は全身の皮膚から発することの出来る白い光によって行われる。

この光を浴びせられると、彼女が「汚れ」と認識したものだけが消滅し、「汚れ」と認識していないものはそのまま残ったり、澄んだ状態になったりする。

これは一見彼女自身が気に入らない者を焼き殺すだけかと思いきや、布地の染みやボールペンの書き損じなどもまるで無かったかのように綺麗に消してしまえるし、毒素や病原体に対しても大変有効である。

校長時代、彼女は時折この能力を使って生徒や職員の病気を治したりしていた為、手を翳しただけで病を治すかの伝説的な現人神の名をとって「エヴァ・キリスト」と呼ばれ、生徒やクリスチャンは勿論、異教徒や無宗教者からも慕われていた。



「『異形医者要らず』とは言いますが、身体が幼いですし鉛中毒の危険性もありますから、処置が終わりましたら再び施術します」

「お願いします。


…恋歌ちゃん、大丈夫?

苦しくない?」

「う……平気…」

「今、弾抜くから。

少し痛いかも知れないけど、我慢してね…」

「うー…」


雅子は右手の親指・人差し指・中指を細長いピンセットのように変化させ、それを恋歌の腹に突き刺さった銃弾と皮膚の際に差し込んでいく。

そして銃弾をしっかり掴み、慎重に弾を抜いていく。


誰もが固唾を呑んで見守る中、一分以上かけて弾丸は漸く抜けた。

毎朝15分という訓練の末に雅子が得た、技術五輪金メダリストが持つ「精密機械にすらお手上げの作業をヤスリ一本でこなす程度の能力」には及ばなくとも、それらに認められるほどの精度在ってこそ成せる技という奴であろう。

幸い出血もそこまで酷くはないらしい。

雅子は念のため救急箱から布を幾つか取り出し、心臓に近い血管へ布を巻いて止血帯とした。

胸をなで下ろす一同。


更に雅子は傷口をよく観察して言った。

「…異物無し…焦げ目無し…デブリードメントは必要無し…。

あのバカが持ってた拳銃が小口径で助かったよ。

あとは…一応傷口縫っておこうか。

恋歌ちゃん、かなり痛いけど我慢できる?」


頷く恋歌。



デブリードメントとは、切り傷を縫う場合過剰に焼け焦げていたり、擦り切れて汚れが多く洗い流してしまうことが出来ない場合行われる応急処置の方法である。

その方法とは至ってシンプルで、縫合に適さない組織をメス等刃物で切除し、新鮮な組織をわざと露出させてから縫うというものである。

局所麻酔などが無い場合、激痛を伴うので注意。


雅子は小指の先端から細く曲がりくねった針を産み出し、直美に言った。



「直美姉さん、お酒持ってます?

なるべくアルコール度数高い奴」

当然直美は驚いて答える。

「あるけど…まさか縫う前に飲むんじゃないでしょうね?」

「なわきゃ無いでしょう。酒飲んだ状態でこんな精密作業無理ですよ。

そもそも私今まで成人式でビールにね、塩カレースプーン五杯くらい注ぎ込んで、泣きそうになりながら無理矢理一杯飲み干してから一切飲酒なんてしてませんよ。

しかもそれが手塚さんと愛の巣築いてから、あの人下戸云々以前にお酒そのものが根本的に大嫌いでもう全ッ然飲まないし、私も嫌いじゃ無いけど別に必要ってわけでもないから、お酒とか全く飲んでませんよ。

人間だったらとっくにアルコール中毒起こしてる直美姉さんとは違ってね。


で、お酒は?」

「はい。偶然ウィスキーが在ったわ。

でも何に使うの?」

直美の問に、懐から紙を取り出して何やら折り始めた雅子は答える。

「判りませんか?

針と糸の消毒ですよ」

そう答えた雅子の手には、折り紙で作られたコップが握られていた。

雅子は「紙コップ」にウィスキーを注ぎ、針と糸とをその中に沈めた。

そして雅子は針と糸とに念を送る。

身体から分離していてもそれは彼女の一部である為、念じることでかなり精密な操作が可能なのだ。


コップに満たされたウィスキーの中を、針は浮き上がり、糸はハリガネムシのように動き回り、それぞれ協力し合うかのようにして、糸は針に結びついた。

結びついた針と糸の内、まず針だけが空気中に姿を現し、それをつまむ雅子。


「んじゃ縫うよ」

雅子は恋歌の腹に針を刺し、一回転させてまず一針を縫合し糸を切断。

縫合に於いて注意すべき事の一つに「深さ」があり、十分な深さを確保しなければ死腔が出来て化膿する危険性が増してしまう。

しかし雅子は訓練で得た器用さにより、そんなものなど気にせず縫っていく。

一針、また一針と暫く縫合を続けた後、雅子はウィスキーを含ませたティッシュで傷口を消毒した後、ガーゼとテープで傷口を覆うと、恋歌に告げた。


「と、これで私が出来る応急処置は一通りやったわけだけど、幾ら傷の治りが早い異形だからって、最低一時間くらいは安静にしておいてね」

「うん。雅子お姉ちゃん有り難う」

「どう致しまして。

まぁ、これくらい親友兼同僚として当然の事だと思うけどね。

あ、エヴァさん。施術お願いします」

「はい。畏まりました」

施術に入るエヴァ。



と、此処で健一が衝撃的な事実を告げる。

「楠木さん」

「何でしょうか?」

「よく考えれば船と潜水艦に救急セットが備わっていましたので、取りに行って参ります」

「はい、是非お願いします。

私もガーゼとテープくらいは持ってきたんですけどね、突入が急すぎてて全部とは行かなかったので」

「では」

走り出す健一。




「「「「「「「………」」」」」」」




黙り込む他一同。




―同時刻・愚民逃亡中―


「ぜェっ、はァっ!

ゼぇッ、ハぁッ!


糞っ垂れェ!

誰が愚民だ糞作者ぁぁぁぁ!」


一太は追い来る松葉から精一杯逃げていた。

恐怖の余り時折意味不明な言葉を発していたりもする。

船内を全力疾走していた一太だが、次の瞬間。


ガッ


「あでぇ!」


典型的にも躓いて転んでしまった。

早いところ体勢を立て直さねば大変な事になるのだが、起き上がった視線の先に居た者を見て、一太は尻餅をついたように後ずさった。


「!!!!

テメッ…駄犬ババア、何でこんな所に!?」


そう、疑似霊長・ホロビである。


「駄犬ババアねぇ…私も酷い呼ばれ方するようになったものね…。

ババアは認めるけどね、駄犬は無いわよ、駄犬は。

だって私、イタチ科だもの」


そっちかよ。

そう誰もが思うであろう。


「そっちかよ!」

「えぇ。そっちよ。

そういえばねアンデッドの王、私実は古藤様から貴方への伝言を預かってるの。

それも貴方のこの先に関わる重要な事なのよ」

「…なんだそりゃ…?

とっとと話せババア!」

「そう急かさないの。

あ、あと貴方銃落としちゃったでしょ?

だからはい、新しい拳銃よ」

そう言ってホロビは拳銃を一太に手渡す。

受け取った一太は、背後から何かの気配を感じ振り返る。

そして案の定其処にいたのは、読者諸君が予想した通りの人物であった。



「ほぉ…人禍は異形やゾンビや人間だけでなく、疑似霊長まで飼っているのか…。

まぁ、玄白が居れば可能だろうよ…奴は化学系以外にも、医者・獣医の免許や生物学の博士号まで持っていた。

それ故肩書きこそ薬学部部長だったが、実質的には化学部・医学部・生物学部・農学部・遺伝子学部等、自らの守備範囲にある学問と縁のある殆どの部署に手を貸していたからな。

にしても、俺とはまさに雲泥の差だ。随分と美人で実りも素晴らしいじゃないか。

それも今年新種認定されたばかりの大型イタチ、ノースヘッドハンターとは珍しい」


そう、現れたのは獣化した松葉である。


ホロビはそんな松葉に頭を下げ、丁寧に挨拶をした。

「日本異形連盟東京チーム幹部にして、日異連を代表する脱法悪討伐の第一人者…禽獣の異形ことMr.手塚松葉…。

お初にお目に掛かるわね、私はホロビ。

貴方の言ったとおり、ノースヘッドハンターの疑似霊長で雌。

古藤様の実質的な義子の一よ」


「義子…ねぇ。

つまりお前達は、玄白によって我が子同然に育てられたと?」


「そうなるわ…。

ちなみに能力は明かしたくないの…許してね」


「あぁ。構わない」


「それともう一つ、お願いがあるのだけど…」


「何だ?」


一太(このこ)の事、今日ばかりは見逃してあげてくれない?」


「何故だ?」


「…今日はこの子、貴方と戦えるほど調子が良くないのよ。

その癖負けず嫌いで強がっちゃうから、ついつい無茶してしまうの。

勿論、立ち去るまで私は貴方に攻撃しないことを約束するわ」


「…判った、承諾しよう。

では麗しき獣・ホロビよ、仮にお前がその約束を破り、何らかの方法で俺がお前によって攻撃された場合はどうする?」


「その時は、私を容赦なく殺して構わないわよ。

こういう時に嘘の約束なんて、何だか気分悪いもの」


「そうか…」

そう言って松葉はホロビと一太に背を向けた。

そして一太に言い放つ。

「それと…小沢一太。

今回ばかりは運が良かったと思っておけ。

それと大変良い同僚を持ったようだな、大切にしろ」

松葉は来た道をゆっくりと戻り始めた。



と、その時である。



「納得行かねぇ!」



ドォン―バシュ!


一太は立ち去らんとする松葉に向けて発砲した。

弾丸は松葉の背中、それも獣化した松葉の腕が届かない位置に突き刺さる。


「ッ!

…小沢…手前(テメェ)…!」


そう言い残し、松葉は腕に翼を生やすと、羽ばたきながら急いで戻っていった。

「(…エヴァの協力さえ在れば…こんな能力如き…)」



松葉が去った後、ホロビはというと。

「さて、伝言だけれども…」

「おう、何でも言えよ」




ホロビの口から出た言葉とは、衝撃的なものであった。














「貴方、実は異形じゃないのよね」









「…………何…………だと………?」




その一言を最後に、一太は凍り付いてしまった。

人間を超えたことが嬉しく、余程誇りに思っていたのだろう。

それもその力が、他の誰かを支配する力ともなれば、その誇りは傲りへ、そして傲りは慢心へと変わっていったのだろう(余り変わっていない気もするが気の所為であるとして割り切って欲しい)。




凍り付いた一太を尻目に、ホロビは話を続けた。




「でも勿論、貴方が異形の力を使っていたというのは本当よ?

ただ、それは貴方自身の力ではなく、貴方が異形の力を借りていただけ。


聖書にこうあるわ。

『主が言われる。復讐はわたしのすることである。わたし自身が報復する』

またあるクリスチャンがネットで言ってたのよね。

『神に仕える者はその信仰により神の御業をあらわすだけで、自らの意思により奇跡を起こすのではないんですよ。

ってかそんなことしちゃいけません。傲慢です。

人間は自らの意思で神の力を使うことなんて到底無理なわけです。

それをしようとする時、その者はユダヤの腐れまじない師と同レベル、つまりは神を侮る者となっちまいます。』

ってね。


つまり貴方は、他の異形の力を勝手に使って、その上それを自分自身の力だと思いこんでたのよ。

そして貴方に力を貸していた異形は、貴方が総隊長室で銃弾を使い果たして、拳銃を投げつけた時点で貴方を捨てた。

つまりあの時点で被弾した手束松葉は、貴方の良いなりになんかならないわ。


理由なんて簡単よ。

『余りにも傲りが過ぎるから』


つまり貴方は調子に乗りすぎた。

自分が今生きていられるのが、自分自身の力だけによるものだと考えていた。

しかしそれは大きく違うの。

生きとし生けるもの全ては、皆が皆誰かと繋がって生きている。

誰かと繋がっていなければ生きては行けないの。

狼は兎が、鮫は鯖が、蛇は蛙が居なければ死ぬ。

兎は草が、鯖は鰯が、蛙は虫が居なければ死ぬ。

草は日光や土や水が、鰯はプランクトンが、虫はその種毎の多種多様な餌が無ければ死に、枯れる。

例えあらゆる生物と交わることのない深海に住み、何も殺さず傷付けずに生きる唯一の動物とされるハオリムシ(チューブワーム)さえ、硫黄を分解するバクテリアが居なければ飢えてしまう。


人間社会でもそう。

サラリーマンは上司が居なければ仕事がない。

調理師は空腹の客が居なければ金がない。

作家は読者が居なければ家賃がない。

大家は入居者が居なければ光熱費がない。

同人屋は同人作家が居なければ利益がない。

皇帝は民が居なければやってられない。


つまりこの世は『民あっての皇』なのよ。

でも貴方や、貴方の父や伯父や兄の認識は『皇あっての民』だった。

確かにそれも間違いではないけれど、貴方達の意識の中では自分自身が皇だった。

それは明らかに、自然の法則に抗うこと。

科学に従って生きている限り、自然の法則に抗って生きる事は許されないし、出来ないのよ。


つまり貴方は、此処で死ぬべきなの。総統の命を受けた古藤様の意志を受けた、私によってね…」


凍り付いたままの一太へと、表情を変えずに延々と話を続けていたホロビの口元が にやり と笑った。


ホロビは一太と距離を置き、がに股でしゃがみ込むと右手を握り床につけ、左手の親指・人差し指・中指を立て、上に掲げた。



そして、何やら唱え始めた。


「ダワィドの詠…

悪人の謀に行かず、罪人の途に立たず、壞亂者の位に坐せずして、

其の心を主の法に置き、晝夜此の法を思念する人は福なり。

彼は水邊に植ゑたる木の、時に及んで果を結び、其の葉萎まざるが如し。

凡そ行う所皆遂げざるなし。

悪人は否らず、乃ち塵の地面より風に吹き上げらるるが如し。

故に悪人は審判に立つを得ず、罪人は義人の会に立つを得ざらん。

蓋主は義人の道を知る。

悪人の途は滅びん」


ホロビの左手の指先に、空中からなにやら文字列のようなものが集まってくる。

そしてそれらは一度ホロビの体内を通り、右拳から這い出て辺り一面を覆い尽くした。


ふと、ホロビの姿が消えた。

意識を取り戻した一太は、立ち上がり、辺りを見回した。


「…さっきのは……………夢か………?



そ、そうだよな!

俺が只の人間なんて、それも総統から捨てられるなんてありえねーもんなぁ!

あっはっはっはっはっはぁ!」


笑いながら歩き出そうとした時であった。



ドォン!



「うぉ!?

なっ、何だぁ!?

船が揺れたぞ!?」


船が大きく揺れ、倒れそうになる一太。

と、その時であった。



グワシャアアアアアアアン!


船体の上半分が、巨大な何かによって削り取られた。

一太の現在位置はちょうど真ん中だった為、どうにか無事ではあったが、頭上に広がる光景を見た一太は、思わず地面に倒れ伏した。




「………………嘘…………だろ…………?」





そこに広がっていたのは、航空母艦を見下ろす巨大なホロビの姿。



その身長はもう150mを超えているだろう。

只でさえ凶悪な目付きが、巨大さ故により凶悪に見える。

そして無表情だったホロビが、少し笑って右腕を天高く上げた。


「止めろ…止せ…止めろ…」


と、次の瞬間。

ホロビの拳が勢いよく空母へと振り下ろされる。


「止めろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」


悲鳴を上げる一太。

しかし拳は止まることなど一切せず、空母を真っ二つに―

少しでも希望があればそれが糧になるし、希望が皆無ならそれだけ余裕があるって事だから。

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