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雨は嫌いではない。
好きでもないが。
ふと外を見ると、日没が近く、今にも雨が降り出しそうだ。辺りは薄暗い。
心なしか風も冷たく感じる。
自分が能力に『覚醒』したのは今日のような寒く、暗い日だった。
裕福な農家に生まれ、幼い頃から学ぶことが好きで、すぐになんでも覚えた。魔法の適性もあり、親はとても喜んでいた。
ある日、脳内に広がる知識が宇宙のように一気に広がり濁流として押し寄せたのだ。
当時まだ4歳程だった私はそれに耐えられず気絶し、7日間目覚めなかったそうだ。
その後もそこまで身体は強くなく、ずっと病弱のままになってしまった。
覚醒した能力は何かをしたい時『どうすればいいか』がわかるというものだった。
それは簡単なこともあれば、難しいこともあった。
例えば鳥を見かけて種類を判別したい時「尾羽と鳴き声が特徴的だから覚える。この本を見れば載っているだろう」とわかる。
これは簡単だ。
しかし数式の解法となると「どうすればいいか」わかっていても、途中に必要な計算に対する知識がなく、何度も能力を使う羽目になる。さらに計算は自分でするしかなく、慣れていない作業にとにかく時間が掛かった。
親は賢い子供だと喜んだが、それも長くは続かなかった。
ある時、親よりできる所を見せてしまい「バカにしてるのか」と蹴り飛ばされたからだ。
親は子供が思い通りにならないと暴力を振るった。
自分の能力について幼かった自分が言葉にするのは難しく話していなかったことも拍車をかけたのかもしれない。
ただの生意気な子供にしか見えなかったのだ。
親心として、賢い子供にはしっかりと学んでほしいと思うのはわかる。
しかし私は全ての娯楽を切り離され、勉強しても馬鹿にされた。
勉強をすれば「身体が弱いから勉強しても大して役に立たない」
魔法を訓練していれば「勉強もろくにやらずに魔法ばかり」
運動をすれば「魔法も大して扱えないのに運動なんてできるわけない」
親が言うには焚き付けたつもりだったらしい。馬鹿にされてやる気を出す人がいるならこの目で見てみたいものだ。
もちろん自分が進学したい方向には進ませてもらえず、こっそりともらってきた魔法芸術大学の資料は目の前で破られ、ゴミ箱に捨てられた。
一般的な学校を卒業した後、親の強い希望で一般的な大学へ進学したが、嫌になって途中で勝手に中退して行方をくらました。
親から逃げるには「そうするしかない」とわかっていたからだ。
知識なんて、技術なんてあってもろくなもんじゃない。
その頃はもう幼い頃の知識欲は全く無くなってしまい、生活できる最低限のお金を稼いでは、借りた小さな家で無駄な時間を浪費して過ごしていた。
惰眠を貪ったり、最近の遊びに興じてみたり。
魔法を使って友人と連絡をとってみたり。
自分が寂しいのだと気づいたのはここ最近のことだった。