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ヘビーなスモーカーはいつまでもタバコが吸いたい

作者: 夏瀬

 タバコが吸いたい。

 齢十歳になる少女がそう思っているなどとは、談笑をしているご令嬢方が気付くはずもなかった。

 空は晴れて麗らかで暖かな陽気の中、ご友人会と称して同じ年頃の少女たちのトップに君臨する令嬢、つまりは父親の階級が上の娘が開いたお茶会の中、明らかに少女の頭の中は異質だった。

 お菓子とかどうでもいい、タバコが吸いたい。

 ともあれば頭を抱えそうな、むしろ掻き毟りそうな勢いで、少女はテーブルに両肘をついてしまいたいぐらいの衝動を何とか抑えつけていた。

 ニコチンが欲しい。

 ニコ中が、と姉に罵られたことを思い出しつつも、少女はそれでもどうしてもタバコを吸いたくてたまらなかった。

 何故なら、少女はタバコを十数年、それも一日十箱も吸っていたヘビースモーカーだったからだ。

 さて、ここで話は巻き戻る。どうして少女が狂おしいまでにタバコを欲し、その年齢だというのにヘビースモーカーだったのか。そう、昨今では簡単で良くある話だ。

 異世界転生というやつだった。なんてこった。とは少女は思わなかった。ゲームか小説かマンガか、はたまた流行のジャンルだったらしい乙女ゲームか、なんて一切合切思わなかった。

 マリネ・クランプトン。何とも美味しそうな調理法と微生物を思い出させる名前を持つ少女は、一番濃かった味を堪能したくてたまらなかった。

 

 マリネの中にいる女は言ってしまえば平凡な日本人の女性だった。普通に働いて、普通に生きている。ただし結婚はしていなかった。年齢的にしていても可笑しくはなかったが、する気もなかった。

 これも昨今ではよくある話である。お一人様など鼻で笑える状況だが、現代日本が抱える闇の一つの中に、確かに彼女は当事者として存在していた。

 まぁ、そんなことはどうでもいい。彼女は普通だけれども、ちょっと悪い子だった。二十歳になる前に友人からもらったタバコを吸ってしまうぐらいには。

 初めは、こんなくそまずいものを、と友人に怒ったものだが、何となく一本また一本と吸う内に、自分で買うほどになった。本来なら買うことなど出来ない、だが、彼女が生きていた時代は親のお使いで買うことなど造作もなかった。

 そうして、タバコは比較的、お小遣いでも買える嗜好品だったのだ。昔のヤンキーマンガでタバコを吸ってる描写が多いのはそういうことである。多分、恐らく、きっと。

 そんなわけで彼女はタバコを吸うようになった。初めは数本だったのが年齢を重ねていく内に一箱へと変わり、それが五箱、十箱と変わって行くのに時間はかからなかった。

 ヘビーなスモーカーの出来上がりである。病気ですね。ご愁傷様です。


 彼女が年齢を重ねると、タバコも値段を重ねるようになる。仕事ではそれなりの地位に着いていたためにお金には困らず、職場でも吸える環境だったのでタバコの値段は少し上がったが、何も被害はなかったはずだった。

 そう、度重なるタバコ税の増税から始まって、分煙化が推奨されてからは。

 まず職場のディスクでタバコを吸うは禁止された。喫煙所が作られ、ほぼ彼女はそこにいるという状況に近かったが、流石に怒られたので職場で吸うのは休憩時間以外で我慢に我慢を重ね、家では風呂と寝る以外はずっとタバコを吸っているチェーンスモーカーと化した。

 真っ黄色に染まる壁紙を見て、部屋中の至るところに触れてべたりとする感触に、姉はすごく白けた目で、とりあえず箱数を減らせ、と言ってきたが彼女は言うことを聞くはずがなかった。

 タバコは友達である。依存症ともいう。

 しかしながら、彼女はタバコの箱数を減らすことにならざるを得なかった。そう、上記にもあるが分煙化である。あそこに喫煙所があったはずなのに、なくなっている、なんてことはざらだ。

 贔屓にしていた喫茶店も、ファストフード店も、レストランも、すし屋も、食べ物屋さんの至るところで禁煙、禁煙、禁煙、である。「喫煙席ですか? 禁煙席ですか?」などとは数年もしない内にもう聞かれることもなくなってしまった。


 吸える場所が少なくなった彼女は泣く泣くタバコの箱数を減らした。それでも一日五箱は吸っているのだから、まぁお察しである。

「先輩、臭いです」

 なんてどストレートに部下から言われたが、彼女は全くもって気にしなかった。もう鼻がバカになっていたからどうしようもなければ、そんなことよりタバコを以前ほど吸えなくなったことが残念で仕方なかった。

 とはいえ彼女はタバコを吸う以外は普通の人だったので、部下に言われてタバコの匂い消しを使うようになった。スメルハラスメントなるものもあるらしいもので。

 しかし、天は彼女に光明をもたらしてしまった。とある病原菌が世界に蔓延ったのだ。そうして始まったのが自宅でのリモートでの仕事。

 自宅ではタバコを吸い放題である。またタバコの箱数が復活した。

 さて、ここまで来るとどうせ肺がんかタバコの不始末で火事で早くして亡くなったのだろう、と想像するかも知れないが、人の命というのは自然に抗えない。

 死因は、災害。一瞬にして命は刈り取られ、そうして彼女の身体はどこにあるのかも分からないままである。

 そんな状態を思い出したにも関わらず、彼女の第一声はこれだった。


「タバコが吸いたい」


 そうして翌日に控えたお茶会に出なければならず、冒頭に戻る。

 幸いなことにタバコを吸ったことのない身体はニコチン中毒で震えることも苛立つこともなかったが、脳はこれでもかとタバコを欲していた。自然と指がタバコを吸うように立って唇へと動こうとするのを、慌てて机の下に戻すこと数回。

 あれだけ楽しみにしていた高貴なお茶会だというのに、女が中にいるマリネはそんなものどうでもよかった。

 粗相をしないように気をつけましょう。そんな風に毎日行儀のレッスンをしていたが、今はタバコである。

 話題に事欠かないように、ついて行けるように知識も豊富に。そんな風に家庭教師を雇って、または少々値が張るも最近話題の新聞なるものを買い付けていたりしていたが、今はタバコである。

 もしかしたら彼と出会えるかも知れない。そんな風に頬を薔薇色にしながら令嬢の兄上様を想ったものだが、今はタバコである。

 とにもかくにもタバコなのだ。それ以上も以下もない。

 しかしながら、即座に、尚且つ気取られないように、おじ様が休憩中に吸っているものは何ですか、から始まって聞き出したもの。

 そう、タバコはあった。庭師のおっちゃんがいつも吸っている。何なら葉巻もある。父親が吸っているからだ。だが葉巻には興味がない。タバコが目的だった。だから、庭師のおっちゃんに聞いたのだ。

 嗜好品でありながら安価で手に入りやすい。

 心の中でガッツポーズをとったのは言うまでもない。この世界にガッツさんはいないので何といえばいいか分からないが。サムズアップもそうだ。何かと言語には注意せねばと思った瞬間だったが、そんなものは一瞬でどっかに消えた。


 しかしながら、タバコはやはり大人の吸うものだ。

 この世界では、いや国では十六歳からが成人だと認められるので比較的早い方だが、それでもマリネはその六年を待てるはずがなかった。

 だからお茶会で、タバコを吸いたい、と思いつつも昔取った杵柄、この場合は女の人生だが、考えながらも話は聞いている状態を整えながら、微笑を絶やさなかった。まぁ時折、指が口元に動いてしまうのはご愛嬌だ。

 マリネは上でもなく下でもなく中間の階級だった。多分、恐らく、そこらへん。なんせ今のところはタバコばかりに頭が行っているので、そんなものを思い出すのもどうでも良かった。

 挨拶の時にちゃんと爵位は言ったはずだが、名前を言うようにさらっと言えるので、覚えていると言えば覚えているし、覚えていないと言えばいない状況だった。

 それでも口は受け答えをそれなりにしてくれるぐらいには順調なので、お茶会の中ではまずまずの評価を得られただろう。可もなく不可もなくで誰の歯牙にもかからないぐらいには。

 マリネには何も起こらなかったが、誰かがいびられ始めた。女特有の陰湿なあれやそれである。巻き込まれませんように、と普段なら祈るところだが、タバコを吸いたいだけのマリネには興味がなかった。

 聞いているようで聞いていない風を装いつつ、我関せずとそちら方面にも一切触れず、そうしてあんなにも胸をときめかせたお茶会は、あっさりと終わりを迎えたのだった。


 お茶会もマリネには恙なく終わり、馬車に揺られてごとごとと実家に戻って来た。

 ここですることはもう決まっている。それは。

「タバコが売ってるなら買えばいいじゃない」

 品行方正のマリネにとっては有り得ないことだが、歳を取ったヘビーなスモーカーの女が嘘を吐くなんて朝飯前だ。

「タバコの葉が医療の役に立つと聞いたのよ。そうね、十箱ぐらい購入して来て」

 実際にタバコの葉が医療に役に立つのは不明というか、そんな話を聞いた覚えはない。でまかせである。だが、マリネがそういうのなら、と用意してくれたのは僥倖だった。

 こんなにも早く手に入れられたタバコを前にして、マリネは、さてどうしたものか、と頭を悩ませる羽目になった。

 まず匂い。これはタバコだからどうしようもない。そうして吸い殻。これもタバコだからどうしようもない。だが、そんなこんなを解決する糸というのはそこら辺に転がっている。

 タバコばかりに頭が行っていたが、脳裏を過ったのは部屋の掃除をするメイドだ。立てた人差し指を指揮棒のように振るえば、色んな家具が勝手に動き始める。動き始める、というよりは浮遊だ。大掃除の時にしかやらないが、正しくあれは魔法。

 タバコは吸える。だが、気兼ねなく吸うには、匂いを消せる魔法や吸い殻を燃やし尽くす魔法を覚える方が、何かと便利なのではないか。

 マリネの口元が弧を描いたのは言うまでもない。


 部屋のバルコニーに出て端っこの方に身体を丸めて座り込み、久しぶりのタバコの味が濃いことに盛大に咽て、そうして何本も満喫した後で自然と吸えるようになり、マリネはそそくさと風呂場へと向かった。匂いを消すためだ。服に移った匂いは実験をしているため、ということにしておいた。

 ちなみに火はまだ幼いマリネでも生活魔法とやらに興味を持っていたお陰で、火種はいらなかった。

 まぁ、別にバレていようがどうでもいいのだが、マリネという少女に此処に来て初めて申し訳ないと思ったのだ。

 湯船に浸りながら、マリネになってしまった元日本人の女は、どうしてこうなってしまったのかをようやっと考える。

 女もマリネも中の中も良いところな生活水準だ。女の方が豊かでお金もあったが、それは成人しているからであって、仕事もしていたからに他ならない。

 子供のことを思い出すとどう考えてもマリネの方が良い生活をしている。だから、中の中とお互いの人生を適当に置いてみた。

 マリネは特に身体が悪かったわけでもない。何かの事故にあったわけでも。

 しかしながら、その手の話に興味がなかった女にとって、異世界転生やら何やらというものは頭の中になかった。なんか知らんが他人の身体の中に入ってしまっている。そうして、その人生も頭の中にある、そんなふわっとしたものだった。

 普段の女ならば慌てふためくものだが、マリネの影響か顔や身体に出ることは一切なかった。身体に刻まれた行儀が許さなかったのだろう。

 それに、女のことで覚えているのはヘビーなスモーカーだったのと姉がいること、それから死因がどうであることぐらいだったので、むしろマリネの中に女がちょっとだけ居座っている状態だった。

 ちょっと、というにはタバコに対する情熱が強すぎたのだが、吸い終えた今となってはマリネの記憶の方がキレイに残っていれば、そういえばなんか女の時はこんな感じでしたわね、みたいな感じに落ち着いてしまっていた。

 例え死んでしまって誰かの記憶の中に入っても、タバコが吸いたい欲求、おそるべし、だ。


 風呂場から自室へと戻って、立てた指先に火を灯しながらマリネは考える。品行方正で大人しい部類だと勝手に自己完結していたが、女が中に入ったせいかちゃんと判断がついた。

 そう、別に、そこまで品行方正でもなければ、言ってしまえばじゃじゃ馬の部類だった。

 まず貴族が生活魔法を覚える必要など全くない。そんなものは使用人が使うものである。というか、使用人はそれを使えないと仕事につけない。従って、貴族が使う魔法は、実践的なものばかりだった。

 これは生活魔法をこっそりと教えてくれた侍女のニコラがため息交じりに言ったものだ。

 ニコラとニコチンってどっか似ているわね。そんなことを思いながらも、次に、とマリネは指先の炎を一息で消して、また火を灯す。これこそがニコラから言われた魔法の練習だ。反復方法で少しずつ魔法量なるものを増やしていくらしい。詳しくは学園で習うので、とこれもまたふんわりとした説明だった。

 次のことは、両親に強請れば何でも買い与えられることだ。決して大きな額のものではないが、あれもこれもそれも、と結構なものを強請っている。そうして、結構なものをぶっ壊している。中々に爽快だろう。ここまで来ると。

 頭の片隅で女の感覚がドン引いている。マリネも思った。そうして、両親が親ばかというものだということにも気づかされた。

 タバコを買う際に、医療の役に立つ、と母が元薬師であるのを思い出して言ってみれば、まぁまぁまぁ!! なんて嬉しそうにしていたっけと遠い目になった。あれについては、普通に頼めば良かった。

 火を消して、火をつけて、何度か繰り返しながら十歳の年齢を振り返る。思えば、全然、ちゃんとした令嬢と言える女の子ではなかった、と。

 マリネは遠い目をした。現実逃避は大事だ。どの世界でも。

 何せ女でありながら乗馬は一人で遠乗り、狩りは飛ぶ鳥を狙えるぐらいの腕前、剣技はギルドを退職したA級の元冒険者からの仕込み。貴族でありながらこの歳で秘密裡に魔物を倒した覚えもある。

 そうして、これを真っ先に思い出していれば、タバコを頼まずに済んだのに、というものもようやっと頭の中に戻って来てくれた。そう、家を抜け出して偽名と仮面を被り年齢を偽って、ギルドに所属する冒険者になっていたのだった。

 これをじゃじゃ馬と言わずして、なんと言おうか。

 





「ニコラ、もう少し火を強くしてみてもいい?」

「お嬢様、流石にそれは看過できませんよぉ」

 マリネの部屋から繋がる小さなバルコニーの上で、マリネとニコラはその場にしゃがみこんでマリネの指先に灯った火を見ていた。その火種はふっと息を吹きかけるだけで消えてしまうほど儚いもの。タバコの吸い殻を燃やし尽くせるほどではない。

 国中の至るところに設置してある灰皿、或いは清掃員のお陰で普通にポイ捨てしていい状況であるが、やはり何というか仮面で顔を隠していても、この身長である。もし職務質問でもされようものなら、怖すぎる、という警告を女が出してくるのでどうにかしようと思ったのだが。

 でも別にポイ捨てしていいのなら、もう良いんじゃないかと気にしないことにした。だが、それはそれとして魔法というものを覚えられるのなら、もっと大きなものにしていきたいと思うのが冒険家としても、剣士としても求めてしまう欲求だった。

「学園に行けば、ちゃんと魔法を覚えられますからぁ。今はそれぐらいで我慢して下さい~」

「だって後、二年もあるのよ? もっとすごいの覚えたいじゃない」

「それは型を覚えてからではないとぉ」

 苦笑するニコラにマリネは太ももの上に頬杖をついて、はぁ、とため息を吐く。別に魔法を覚えようと思えば、ギルドの人たちに頼めば教えてもらえる。だが、ニコラの言う通り、型、があるのだ。

 貴族は貴族用に、冒険家は冒険家用に。それは形が違って、器用に使い分けることができないと思ったからこそ、ギルドからの魔法を覚えることを断念したのだった。

 いずれかは両方使えるようになりたいと思うが、それは貴族用の魔法をちゃんとマスターしてからだ。

 だが。

「でも、火はもっと大きくできるのよね?」

「ニコラはもう何もいいません~。が、やりすぎたらニコラの首が飛びますのでぇ、恨みますぅ」

 のんびりとした口調の中でも、はっきりとものを言うニコラに目だけが笑っていない表情で見られて、しません、と誓うのだったが、もちろんその夜のタバコを吸う時に吸い殻は火力を増やして燃やした。


 マリネは冒険家だ。ただし、年齢不詳で素性も不詳。そんなものはどこにでもゴロゴロといるので、別段と気になるものでもない。

 だって、顔面が実際にない種族だっているのだし、エルフだとかそういった多種族たちも存在するので、必要なのは本人照明をする血だけだ。血が媒介となって本人を証明するだけで、そこに付随する名も素性も性別さえも何ら必要ない。

 それでいいのか個人情報。と思わなくもないが、血ほど確かなものはないので、冒険家は年齢も性別も種族も何もかも越えて、いくらかのお金があれば簡単になれる職業ではあった。尤も、仕事内容だってピンからキリまであるのだが。

 今日のマリネの仕事は指名制で、森の近くに繁栄してしまったロクロク鳥というモンスターの狩りだった。ちなみに食用にも使われる。とっても美味しい。金額的にもそれなりに。

 弓の腕を買われた他の三人と集合待ち中、マリネは早速とタバコを取り出して吸い始めた。ちなみに仮面に小細工をしているので、上にずらすということはしない。

「おっ、タール。タバコ吸ってんのか」

「はまっちゃってね」

「別に吸うのは良いが、仕事中は辞めろよ」

「了解」

 ギルドの職員にそう言われ、煙を吐き出しながら集合し始めたメンバーに舌打ちを鳴らしそうになりつつ、惜しむようにタバコの火を消した。ちなみにタールがマリネの偽名なのだが、ちょっと自分でも笑ってしまったのは秘密にしておこうとマリネは思った。


 便利なもので、この国には収納袋、という麻のようなもので作られたその名の通り、見かけとは裏腹の内容量を持った袋が存在する。これもまたピンからキリまであって、マリネのモノは中の中ぐらいのものだった。つまりはマリネもギルドの中で中堅クラスだった。

 女が、割かしチートというものでは、と考えていたが、己が男に産まれていたらそれは良いことだったのに、と喜べるようなものではなかった。

 マリネは冒険家だが、肩書は貴族だ。貴族は名と血を残さねばならない。従って、結婚が義務づけられている。六つ違いの兄が家を継ぐのは当然として、マリネが他の貴族の男性に嫁ぐのも当然のことだ。

 冒険家を続けたいと思うけれど、それは叶わないことだ。と思っていた。女がマリネの中に存在する前までは。今では普通に血とかどうでもいいじゃん、タバコ吸いたいじゃん、お一人様上等じゃん、一人で生きていけるって素晴らしい! ってことで家出を企んでいた。

 そんなこんなでロクロク鳥を収納袋に吸い込ませながらも、ギルドから魔法を覚えるべきではないかと昨今は考えるようになった。これも女様々である。

 いや、元から誰かの元に嫁ぐというイメージがわかなかったのだ。この家で一生を暮らすと思っていたぐらいには、溺愛されているのだから。

 だが、一生を過ごせるわけじゃない。それなら見ず知らずの男に嫁ぐよりか、冒険者として生きて行きたいと思ってしまった。貴族として失格だが、両親と離れて暮らすぐらいなら、近場で顔が見れるぐらいの位置で冒険家としてそっと様子を見るぐらいの生活を送りたかった。

 子どもらしい願望、というよりも子どもだったのでそういうのがさっと出て来たのだが、案外とこの世の中は上手くできていた。

 顔も素性も、隠すことなんて魔法や魔法道具を使えば、どうにかなる。


 マリネは考えていた。タバコを吸いたい、ではなく、何歳になったらこの家から出て行こうかと。

 本来なら出て行きたくはない。それぐらいには家族が大好きで、離れがたかった。マリネはまだ十歳だ。まだまだ両親に甘えたい年頃でもある。

 しかしながら、女の感情も持っているので、何とも言えない感情を持て余した挙句、とりあえず貴族用という魔法を覚えても良いのでは? という強欲的な理由で学園の卒業をとりあえず目指すことにした。

 女の世界でも学校を出てからが社会人、みたいな感じだったのでなんかそういうあれだ。相変わらずふわっとしていた。だって、女が成人して何歳であろうとも、マリネは十歳でタバコを吸うぐらいには普通ではなかったので。

 マリネは普通ではなくなったのだ。それが嬉しいことか、悲しいことかは分からないが。









「燃え尽きろ!」

「爆ぜなさい!」

 大気を震わせる二つの大玉の炎が宙を舞うようにしてぶつかり合い、相殺するかのように分解して消えた。

「お見事です」

 拍手をするのは審判をしていた教師だけでなく、生徒たちも混ざっていた。

「相変わらず、可愛げのない」

「貴方様にどう思われても結構です」

 忌々し気に、というよりも、呆れたような顔でそう言ってのけた少年に、マリネは無表情でさらっと流した。教師は少し困った顔をしながらも、次の子へと指導をし始める

「やっぱりマリネはすごいわね」

「わたくしたちも、もっと頑張らなければなりませんね」

 うふふ、とつきそうな会話を聞きながらもマリネは、あれでも制御してんだけどね、と内心で思いつつ目の前で繰り広げられる魔法の授業に目を向けた。

 マリネは十五歳になっていた。学園に通い出して、後一年で卒業だ。その間に、勉学はもちろん、貴族用の魔法を覚えた。ざっと三年分全て。

 抜け目がない、というよりも、女として知識があったのだ。それを座学では前倒しのように使った。とはいえ、歴史やらはどうにもならなかったので一からだが。

 魔法は媚びに媚びた。もちろん、先生ではない。高位の爵位を持ち、持ち上げればほいほいと魔法を放って扱い方を教えてくれる心優しき先輩に。ちなみに女性だ。そこら辺の面倒は持ち込まないようにした。

 従って、マリネの魔法は既に卒業しても何ら問題ないレベルになっているのだが。


 タバコの煙をくゆらせながらマリネは仮面の下で考える。貴族用の魔法は早々に覚えた。ギルド用の、冒険家用の魔法も。冒険家として生きて行くのならば、もう十分に生きていける。

 家族と離れることも学園の寮へと入ることによって、ホームシックになることもあったが、離れる腹積もりも出来た。後はもう自分の生きたいように生きるだけ。

 十五歳だ。もう一年も経たない内に成人する。

 ふぅ、とタバコの煙を吹き出して、麦酒を飲んでいる大人たちを見ては、合法的にタバコも酒も窘めるのだと今更なことを思う。

 冒険家として生きて行く。それが目的だ。貴族として生きることはもう出来ないと考えてもいる。だって、タバコが吸えないのだ。これは歳を得てから知ったことだが、貴族の女性はタバコを吸わない。滅多にいないが代わりにキセルを吸う女性も存在するが、ほぼほぼ吸ってはいけない。

 つまり、マリネには貴族として生きて行くのは絶対に無理だった。

 ヘビーなスモーカーになったマリネにとって、タバコは切っても切れないものだ。

 どうせ家族と離れなければならないのであれば、タバコを吸える冒険家として生きて行くのが、マリネの生き方にあっているように思えてならなかった。








 紫煙が揺らぐ。そうして、消えたと思ったその瞬間に、全ては終わっていた。

「これが、タールさんの力」

「やっぱすげぇな、紫煙のタールは」

「俺たちの出る幕がねぇな」

 ひゅー、と口笛を吹く中、一面の氷景色に冒険家たちは白い息を吐き出す。氷漬けにされているのはモンスターで、指音が一つなるとパキンと音を立ててバラバラと崩れて落ちた。

 国外から流れて来た大量のモンスター退治の中、紫煙のタール、と呼ばれる者が猛威を振るっている。

 年齢不詳、顔面不詳、性別は女性。そうして、いつもタバコを吸っている。貴族用の魔法を使うことからして、元貴族、それも没落したか流れて来たかのどちらかだと言われているが、明確には分からない。

 分かることは少ないが、紫煙のタールが冒険家として上位の存在であることは確かだった。

「貴女が紫煙のタール殿」

「お偉いさんにも名前を憶えられてるなんて嬉しいねぇ」

 仮面の口元から依然とタバコの煙は立ち上っている。その姿と口調に、揃いの制服に身を包んだ男たちが咎めようとするも、タールに話しかけた人物が片手を上げると静まった。

「王子様というのも大変だ」

「第三、ですが」

「それでも王子は王子さ。我々にはない重責を代わりに担ってもらっている。感謝はしているんだよ、これでも」

 苦笑する第三王子は、事態の指揮を任されていた。二十歳になったばかりだというのに、もう国の大事を任されるぐらいには、王族としての威厳や人としての才覚を持っていた。

 まぁ、それは外面の話だけだが。

 ふぅー、と煙を吐きながら五年ぐらい前のことを思い出す。第三王子に煙たがられていたというか、対抗意識を燃やされていたことを。「可愛げのない」とはよく言われたものだ。


 上位の冒険家や第三王子が率いる軍隊がいるとしても、戦いは長引いた。専門家が言うには、流れて来たモンスターを考えてみるに、もしかすると色んな場所から召喚されたのではないか、と。

 実際、見たことのないモンスターも多く存在した。急所が分からずに倒すことが出来ず、凍らせることも燃やすこともできないモンスターは、結局、雷という電気でようやっと倒すことが出来たが、そのころには血が流れすぎていた。

 タールも蓄積された疲労に膝をつくこともあった。それでもタバコを手放さないのは流石というところか。

 国中から選りすぐりの冒険家や軍人が投入され、ようやっと収束する頃には、第三王子はもうトップの地位には立っていなかったが、いつもタールの隣にいた。

 彼は現場に出ることを志願した。そうして、兄に全体の指揮を任せた。死ぬかも知れないが「国を守らずして何が王子だ」と啖呵を切ったのだ。王様が折れたのは、その言葉に胸を打たれたからだろう。

 シューズとミュールとクルソ、つまりは約半年ぐらいを以てして、ようやっと事態は沈静化を迎えた。まだ終息には至ってはいない。森の方から国へと向かってモンスターがちょろちょろとやってくるからだ。

 その頃になると、隣りの国が何をしたかの情報も入って来ていた。

 曰く、異世界の住人を召喚して国を豊かにしよう、と。

 バカではないか。タールは呆気に取られて思わずタバコを落としそうになったが、そのせいで国が一つモンスターによって消えた。どれほどの血が流れただろうか。もう考えたくもない。

 昔からの知り合いも、この戦いで何十人も死んで行った。ふざけるな、と叫びたかったが、命は帰らない。だから、何てことのないふりをしながらタバコを沢山吸って気を紛らわせた。

 どれほど吸ったのかはもう分からない。ずっと吸っているような気がする。そのせいで血を吐いたような気もするけれど、もう何だか虚しくて、悲しくて、どうしようもなかった。


「タール。吸いすぎた」

「うん」

「身体を悪くする」

「うん」

「兄上が、タールは何処に行った、とお怒りだ」

「うん」

「……たくさん、死んでしまったな」

「うん……」


 城壁の上。タールは仮面を外してタバコを吸っていた。その顔を見て、第三王子はやはりと目を細めたけれど、あえてタールと口にした。

 令嬢、マリネ・クランプトンは避暑地へと向かう途中で、荷馬車ごと盗賊に襲われた。遺体は見つからなかったが、地面へと流れた大量の血と、その本人を表す血の証明により死んだことになっている。もちろんそれは女が考えた偽造なのだが、今は関係ないことだ。

 たくさんの人が死んだ。親しき人も、名も知らぬ人も、関係なく。隣の国がバカをやったせいで。

 遣り切れない、遣る瀬ない感情が渦巻いて、どうにもならない。せめて、家族の安全な状態を見ればどうにかなると思っていたが、安堵を抱いただけで、胸に残ったしこりのような何かは消えてなくならなかった。


「王子」

「なんだ」

「私は家族が好きです」

「そうか」

「タバコが好きです」

「そのようだ」

「……冒険家が好きです」

「ああ……」


 紫煙が揺らぐ。どこかで病原菌を持った遺体を焼いているのか、特徴的な匂いが鼻についた。嘆きの声が聞こえる。死者への声が。

 ああ、この声を私は知っている。

 女は、マリネは、嘆きの声を聞きながら、タバコの煙ではない呼吸を吐き出して、肺深くまで息を吸い込む。その様を隣で見ていた王子も、同じようにして深呼吸をした。

「行こう」

「うん」

「タバコは吸うなよ」

「王様の前で吸えないよ、流石に」

 努めて軽い口調のやり取りをしながら、二人は城壁の上を歩いて行った。






「ヤニが足らん!」

 ぎゃーすか叫ぶのは、上位の冒険家と呼ばれるタール、であるはずだ。新人ギルド職員の青年は何とも言えない顔でタールを見ていた。

「買って来いよ」

「いつもの銘柄が売り切れなんだよ」

「大量に買ってるんじゃなかったのか?」

「タバコにも消費期限はある」

「味何てどれも一緒だろ」

「ちっがーう!」

 わいわいがやがやと話を続ける冒険家たちに、青年はそんなに違うものなのかと吸ったことがないので想像がつかなかった。

「そんなお前に差し入れだ」

 机に蹲るタールの前に、一つのタバコが置かれた。はっ、と顔を上げたタールは銘柄が違うことに眉を顰める。

 突然の第三王子の登場に、足が軽いと言われているのは本当のことだったのだと青年は驚きながらも、敬愛の情を抱く。

「王子~。またなんかあったの?」

「ああ、そのタバコの件についてだ」

「えっ、なに、愛用のやつが流通しないとかそういう話とかやめてよね」

「まぁ、そういうことだな」

 仮面の下で多分、タールの表情が固まった。


「タバコが吸いたい!!!」


 心からの叫びにギルド内で、笑い声やため息などが広がったとかいないとか。


タバコは健康を害する恐れがありますので、服用にはお気を付けください。

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