大国の継承者②
ずっと、ずっと、ずうっと、それは大昔のこと。
かつてこの御伽大国には御伽噺の登場人物達が暮らしていてね、我等がグリム神から授かった偉大で不思議なちから・御伽能力で困難を乗り越えたり、心の闇から生まれた悪をやっつけていたりしていたの。そのうち御伽能力を持つ自分達が特別な存在であることに気付いた彼等は、そのちからを世界の為に役立てようと考えた。人々を悪から守りハッピーエンドへと導くことを使命とし、その意志を我が子達にも託すことにしたの。
そうして月日は流れ、先祖から代々受け継ぐ不思議で偉大なちから・御伽能力を持つ子どもがそれぞれの一族に生まれるようになってね。そんな彼等が集うのが、継承者育成機関童話学園だった。
【不思議の国のアリス】
【白雪姫】
【人魚姫】
そこは様々な御伽噺の子孫達の学び舎。学園に通う子孫達は一族の名誉と栄光、そして御伽能力の継承者としての責務を背負っていた。通常、御伽能力の継承者は一族のなかで現存する者一人きりと決まっていてね。ちからを使い熟せるよう訓練するための施設として、ハインリヒ女王が創立した継承者育成機関童話学園への入学が義務付けられていた。童話学園では各地から集まった御伽噺の子孫達が学友達と切磋琢磨し、己の能力を鍛え、一人前の継承者になるべく日夜励んでいるの。
「なので!せいぜい励むとよいぞ、エルシ・リデル!」
「はあ…………」
だけどエルシときたら、てんでやる気がなくってね。長々と学園のことを話していたハインリヒ女王の言葉なんて右から左に聞き流してたほどにうんざりしていた。女王が大袈裟なくらいに身振り手振りを付け加えながら語るたびに、胸部を締め付けている鉄枷がガチャンガチャンと耳障りな音を立てるものだから、内容を聞き取り難いせいでもあるのだけれどね。まだ何かをくっ喋っているハインリヒ女王を無視して、エルシは室内をぐるぅりと見回したの。
現在、エルシが居るのは継承者育成機関童話学園の敷地内でも一際豪華な内装が施されて、高価な調度品が飾られている学園長室だった。
リデル家は【不思議の国のアリス】の子孫でね、なかでもエルシの姉・エリーシャは御伽能力を受け継いできた歴代継承者随一の最高傑作と歌われる天才だった。
それに引き替えエルシときたら。
双子ゆえか、姉と同じ御伽能力を受け継いだにも関わらず、ちからを上手く使いこなせないくらいダメダメで、優秀な姉と比較されては落ちこぼれ呼ばわりされていた。
けれどエルシはそれで捻くれることも、姉を羨むこともなくってね、ただ純粋にエリーシャを誇らしく思うばかりだった。姉がリデル家の当主になるのだとばかり思っていた。
だからさ、まさかエリーシャが死亡認定されたことによって自分に白羽の矢が立つとは思いもよらなかったの。優秀な継承者を失ったリデル家は、代役として落ちこぼれのエルシを継承者にすると決定してね。エリーシャの通っていた童話学園に編入学させることにした。蛙の紋章で封蝋された手紙のなかに入っていたのは、エルシの編入学を認めるって内容の書類だったのだけれど、当の本人はまだ継承者になる自覚がないんだから困ったものだ。
「で、あるからして!……………エルシ・リデル?我の話を聞いておるのか?」
「え?ああ、はい………………何ですか?」
「うむ、これっぽっちも聞いておらぬな」
エルシが上の空であることに漸く気付いたハインリヒ女王はヤレヤレと首を大きく横に振った。
「人の話が聞けぬ阿呆めが。仕方ない、この美貌と慈悲深さを兼ね備えているハインリヒ様が、もう一度最初から説明してやろうではないか!」
「お願いします」
「佳かろうとも」
そう言ってハインリヒは、「コッホン!」仰々しく、咳払いをひとつ。
「我が童話学園は諸君ら御伽能力の継承者に、継承者のなんたるかを一から百まで叩き込む唯一無二の学び舎。5年制で、現在在籍する生徒は…………えーっと、…………キミも含めて全部で10名だ!」とハインリヒ女王が指折り数えた両手を突きだして見せた。
「思ってたより少ないなぁ」
「当然だ。たとえ御伽噺の主人公の家系でも、先祖と同じ御伽能力を持った継承者が世代毎に生まれるわけではない。継承者の存在はとても稀有で、奇跡に近しい。なので必然的に生徒の数も少なくなる」とハインリヒ女王。
「世に蔓延る悪から人々を守ることが、我ら継承者の使命。それは半人前の学生であるキミ達も例外ではない」
王家の紋章である蛙のマークが施されたシグネットリングを嵌めた長い人差し指が、エルシをびしりと指差した。
「悪は人の心の闇、つまり負の感情から生まれる。即ち、人の数だけ悪が存在する。けれど、悪に対抗できる継承者の数はごく少数。エルシ、我が王国にどれだけの民草が住まうと思う?日々、どれだけの悪が誕生すると思う?」
「ええと、」アリスは顎に指を添えて考える素振りをした。
「つまり、人手不足ってこと?」
「エルシ・リデル、大正解だ!賢い仔は話が早くて助かるよ」ハインリヒ女王はパチンと指を鳴らし、満足げに頷いた。
「なので!キミも他の学生同様、悪をバッサバッサ退治してくれ給え!期待している」
そう言うと、ハインリヒ女王は自分の執務机の上に置いてあった何かを掴むとね、それをポーンとエルシに放って投げた。慌ててキャッチしたエルシの手のなかには、青いリボンの付いた鍵が収まっていたの。
「これは?」
「キミの部屋の鍵だ。知っての通り、我が童話学園は全寮制でな。集団生活ゆえに様々なルールがあるが、そこはまあ、世話役に説明を任せるとしよう。おおーい、入り給え」
ハインリヒ女王が応接間の入口にむかって声を掛けると、開けっ放しの扉の向こう側から少年がひょっこりと顔を覗かせた。艶やかな黒髪の少年は、手招きするハインリヒ女王をジト目で睨み付けた。
「至急学園長室にって呼び出しといて、いつまで待たせるんスか。ここの廊下寒くて冷えるし、俺任務帰りでヘトヘトなんスけど」
「エルシ、彼はカタリーナ・スノウ」
少年は腕を擦りながらブルリと体を震わせてたのだけれど、ハインリヒ女王はそれを無視してエルシに微笑みかけた。
「キミの同級生で、寮部屋のお隣さんだ。エリーシャ・リデルの学友でもあるから、世話役にピッタリだと思い任命しといた!何でもカタリーナに聞くと良い、彼は頼りになるぞ」
「自分が面倒見るのダルいだけッスよね?」カタリーナが呆れ顔でいうと、
「ハハハッ!頼りになるぞ!」とハインリヒ女王は笑って誤魔化した。
「ホンット人使い荒いんスから……」
顰め面をするカタリーナをじっと見つめていると、視線に気付いた漆黒の瞳がエルシを射貫いた。長い脚でエルシとの距離を縮めたカタリーナは、皮の手袋を着けたまま右手を差し出した。
「よろしくッス、俺はカタリーナ。ま・そういう訳だから、分かんないことがあれば何でも聞いてくれて構わないッスよ」
「学生寮は学舎から一番遠くてさ、少しばかし歩くけど我慢ッスよ。一年生は俺とエルシを含めて三人で、部屋は一階。共同スペースの物は自由に使っていいけど、冷蔵庫の中にある物は勝手に食べたら先輩らに半殺しにされるから気を付けて。食べ物の恨みは恐ろしいッスからね」
へんてこりん、へんてこりんだなぁ!
寮へと続く長い廊下を颯爽と歩くカタリーナの背中を追いながら、エルシは首を傾げた。
雪のように白い肌。
血のように赤い頬や唇。
黒檀のように黒い髪を持って生まれた美丈夫。
カタリーナ・スノウはうっかり見惚れてしまうほどに端麗な顔立ちをしているけれど、紛うことなくエルシと同じ男の子でね。
なのに、カタリーナって名前は女性固有名詞に使われるものだし、身に纏う制服は黒いタイトなズボンの上にアシンメトリーな長さの紫色をしたスカートを履いている。さらには、前を歩く彼の足元を彩る真っ赤なピンヒールはどう見ても女物の靴だった。世の中には色んな趣味趣向の人がいるからなぁ、検索すべきではないよなぁ。そう思っていても、エルシはどうにも気になって仕方がなかったの。
「カタリーナはどうして女の子みたいな名前なの?どうしてスカートを履いてるの?どうして女の子の靴を履いてるの?」とエルシが思わずそう尋ねると、長い足がピタリと止まった。
「質問責めッスか?初対面なのにグイグイ来るッスね」振り返った美丈夫が苦笑する。
「カタリーナが何でも聞いていいって言うから」
「まあそっスね」とカタリーナ。
「ざっくり言えば、役作りッスよ」
カタリーナは悪戯に笑って見せた。真っ赤な唇が美しい弧を描いた。
「スノウ家は格式を重んじる厳格な家風でさ、代々当主は継承者の女と決まってんスよ。なのに、男の俺が先祖の御伽能力を継承して生まれちまった。だからせめて、先祖の姿形を真似て女のように振る舞いなさいって言い付けられてるんスわ。さすがに長い髪は鬱陶しくて切ったけど。名前が女の子みたいなのは、女の子として育てられたからッス」
器用に片足立ちしたカタリーナは、ピンヒールがよく見えるように足を上げてみせた。
「この真っ赤なピンヒールは、先祖が拷問に使っていたものを模して造られた鉄靴なんスよ。なんでも、火で炙って赤く灼けた鉄靴を履かせて、死ぬまで踊り狂わせたとかで。趣味悪いッスよね~、鉄製だからすげぇ重いし。もう慣れたけど」と、カタリーナはその場でくるりと一回転してみせた。その振る舞いにエルシは器用なもんだなあと感心したの。だってあんな細っこい棒がくっ付いただけの靴で、体を支えられるなんて信じられない!自分ならクルクル回るどころが立っているのもやっとだろうし。
「だけれど、窮屈そうだなあ」とちょっぴり同情した。エルシの小さな独り言はカタリーナには届かなかった。
だって名前も服装も言動も、全部ぜぇんぶが最初っから決められているなんて、僕だったらウンザリしちゃうや!
家に縛られて生きるカタリーナの姿が、いつかの姉エリーシャと重なって見えて、エルシは無意識に唇を噛んでいたの。一族の期待を一身に背負っていたエリーシャはとても優秀な継承者だったけれど、時折つらそうに顔を歪めていたことを、ずっとそばにいたエルシは誰よりも知っていてね。それでも次期当主として毅然と振る舞っていた姉は弱音を吐くことはなかったから何を思っていたのだか、行方知れずになってしまった今では知る由もないのだけれどね。
それでも、継承者育成に心血を注いでいるリデル家の厳しい教育方針の元で育ったエルシでさえ、スノウ家の徹底ぶりにはぎょっとしてしまうほどだった。
御伽噺の一族のなかには先祖を神のように崇める家もあるが、スノウ家はその典型的だ。
そこでふと、エルシは思ったの。スノウ家の神さまは一体誰なのだろう。
「ねぇ、カタリーナの先祖って、」エルシが尋ねようと口を開くと、
PiPiPiPiPiPiPi
カタリーナの制服が突然歌い出したの。軽快な電子音は上着のポケットから聞こえていた。
「ワリィ、ちょい待ち」
カタリーナはエルシを片手で制し、取り出した通信端末を耳に当てた。二三言葉を交わしたかと思えば、長い溜息を吐いたあと、乱暴に端末をポケットに仕舞った。
「ごめん、任務が入ったッス。王都で悪が発生したから今すぐ向かえって」
カタリーナが面倒くさそうに言った。美男は気怠げなさまも絵になるなあと、エルシはちょっぴり見惚れちゃってね。
「そっか、それは大変だ」
「大変ッスよ~!みぃんな心に闇抱えてるわ、人手も全然足りないわで、俺ら継承者は朝から晩まで悪退治ッスもん。加えてあの鬼畜女王様は人使い荒いから休む暇ねぇし、日に数件の任務抱えるなんてざらッスよ」とカタリーナはありったけの文句を垂れるとね、エルシの手を掴んだの。
「そんじゃ・ま、行くッスかね」
「え?…………何で僕も?」エルシがきょとんとすると、「なぁに間抜け面してんスか」カタリーナが思わず笑った。
「ハインリヒ女王に説明されたっスよね?継承者は万年人手不足。当然俺ら学生も駆り出されるんスよ。エルシも継承者のひとりなら、悪をバッサバッサ倒さないと」
そう言うとカタリーナは右手で作ったVサインを右目の部分にかざし、ウインクをパッチリ決めたの。
「我等継承者に勝利を!使命を果たすッスよ、エルシ」