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生まれ替わりし者の復讐

 森の中。

 木々がそびえ、草が隙間なく地を覆っている。

 木々の間は十分に人や獣が駈け抜けられるほどの広さがある。しかし、四方へ伸びた枝に繁る葉は、日の光をその正面に受け、地面まで届かせない。ごくわずかな隙間から落ちる木漏れ日が、かろうじて地表を照らし出す。煙ったような視界は、少し離れれば、その先にあるものをぼんやりとしか見せず、空の色も、木々の姿も、ひとつに溶け合って一様な茶灰色の壁となっており、それに木漏れ日がまじりあってまるでくすんだ光の壁のようになって、遠方の情景を覆い隠してしまっている。

 そこに1人の姿が見えた。

 背は普通の人間よりもやや高い、といったところか。

 体格は、ローブに覆われてはっきりとはわからない。かすかな金、あるいは赤い光を放つとも見える、白い分厚いローブとフード。その白さは象牙のようでもあり、見るものに気品を感じさせる。フードの縁や袖口、裾などに、金糸の縫い取りがされているのが見える。波打つ模様のようなそれは、知るものがみれば幾重にも呪文を封じ込めた文様であることがわかる。

 目深(まぶか)に顔を覆うローブの中には、幾分青みを帯びた白い仮面。つるりとしたその仮面は、ただ、眼があると思しきあたりに2本のスリットがあるだけだ。その大部分はフードの落とす陰に隠れ、まるで卵の殻のようにも見える。気高さすら感じさせるローブの白とは違い、仮面の白は、まるで死を思い起こさせるような冷たさと陰気さを漂わせる。その姿に目を向けた者は、自然、仮面から目を背け、全身のシルエットに視線を向けることとなる。

 腰の飾り帯(サッシュ)も、幾色もの光を放つ、見慣れぬ金属の糸を編んだものであり、見る角度によって変化するその光は、生き物の本能に畏敬と念を抱かせ、同時に危険な香りを感じさせずにはおかない。危険と崇高さが漂うその輝きは魔法の気配を隠しもしない。

 見るだけで、魔法の使い手とわかる。

 それを、今、7人が取り囲んでいた。いずれの目にも、残虐そうな光が浮かび、フードの中の仮面の顔をにらみつけている。

 ローブの魔法使いよりもさらに頭2つは長身の巨漢。

 黒いローブに身を包んだ、頬骨の出た痩せぎすの女。

 暗いオレンジ色のフードとマントに身を包み、両手をマントに隠した小ずるそうな細面の男。

 革の鎧をまとって短弓を持ち、背にやびらを担いだ女。

 チェインメイルをまとい、盾とメイスを手にした大柄な女。

 スケイルメイルに身を包み、三叉戟(トライデント)と投網を両手に持った男。

 そして、今1人の長剣を佩いた体格の良い男がリーダー格らしかった。そのリーダー格らしい男が口を開く。

 「アランファルサート、だな。そのローブ、その仮面。仮面の下にあるのは、されこうべの顔だ。間違いあるまい?」

 「わしを、知っておるのか。

 誰じゃ、そなたは」

 「俺の名はリゴアス。…いや、貴様は知るまい。だが、俺は貴様をよく知っている。恨みを晴らすため、十数年もの間、あちこちを探し回り、ようやく見つけたのだ。()()()()、ここで死んでもらおう」

 「遺恨と?

 名も初めて聞くそなたに、遺恨を受ける覚えはないと思うのじゃがな」

 「そうさ、知るまい。今のお前に行ってみたところでわかるはずもないさ。だが、そんなことはどうでもいい。俺は、貴様に恨みがある。それで十分だ」

 そう、リゴアスの言うように、仮面の下にあるのは人の…生者の顔ではない。

 それは、死んで、時を経て骨だけとなった、されこうべの顔。

 顔だけでなく、その全身は1体の骸骨。

 アランファルサートは、アンデッドと呼ばれる異形の存在、肉体の死後もこの世にとどまる死者ならざる死者なのだ。

 人としての生を終え、神の座を降りた神から教えられた秘術を用い、肉体の朽ちた後も、死した身を依り代としてこの世にとどまり続け、忘れたほどの時を過ごしている以上、他人から、良きにつけ悪しきにつけ、様々な感情を受けることなど、数え切れぬほどあっただろうし、そのすべてを覚えてもいない。

 「そうさな、確かにそなたの言うとおり、この身の見た目は骸骨、(しかばね)よ。

 アンデッドと呼ばれる非死の身、生前も数えれば、恨まれることなど、いくつあったか、わかりもせぬ。

 されど、したことについては、何も悔いることなどない。なれば、いくつの恨みを受けるも良し。

 じゃが、知りもせぬ相手のこと、ともなれば…、さて、覚えぬことじゃな」

 不思議そうに言うアランファルサートに、リゴアスが憎々しげに答える。

 「それぁ、覚えていねぇだろうさ。何しろ、まだ貴様は何もやっちゃいねぇんだからな。今は、まだ、な」

 「はて、してもおらぬことじゃと?

 それは面妖じゃの」

 「貴様は知らねぇ。だが俺は忘れねぇ。ラワードゥ帝国の滅びたあの日を。貴様が暴れまくって、帝都を焼き尽くしたあの夜を。何千人もの人間が、何もわからずに死んでいったあの時を。貴様にとっちゃ、何人の人間が巻き添えになって死のうと知ったこっちゃなかったろうが、炎の中で呻き、泣きながら死んでいった俺たちにとっちゃぁ、いくら恨んでも怨みきれねぇ、終わりのねえ呪いなんだぜ」

 ラワードゥなどという帝国のことは、しかし、アランファルサートの記憶にはなかった。

 あるいは、アンデッドとなる前、1000年以上も前の行いに端を発することかも思ってみたが、それでも、聞いたこともない国の滅亡に自分が関わっていたなどというのは理解しがたいことである。いや、そもそもラワードゥなどという国は、アランファルサートの知る限り、世界のどこにも存在したことがないはずなのだ。

 「はて、…聞いたことのない国じゃが、一体どこにあったのかの、そのラワードゥとやらは。

 まして、知りもしない国を滅ぼしたりなどできたとも思えぬが」

 しかし、彼らに、それ以上の言葉はなかった。

 リゴアスが手を振るや、その仲間たちが一斉にアランファルサートに襲い掛かってくる。

 最初に仕掛けてきたのは、一番の巨漢だった。その巨体に似合わぬ素早い動きで、手にした大剣がアランファルサートの胴を横ざまに薙ぎ払う。その剣圧に、一瞬アランファルサートの身体がバランスを崩したと見え、(やいば)が胴に吸い込まれるように軌跡を描く。

 だが、そこまでだった。

 剣は、わずかにアランファルサートを押しのけたかとも見えたが、しかしその体にかすりもせず、むなしく弧を描く。全身を覆う分厚いローブは、ところどころにミスリル、オリハルコンなどの混じった強靭な糸で織られ、比類なき防御力を誇る。

 それだけではない。

 死を乗り越える魔力に包まれたアランファルサートの身体は、並の武器では傷つくことがない。骸骨の全身を包むその魔力こそがアランファルサートの本体なのだ。実体を持たぬアランファルサートの本体は、死体を依り代としてこの世にとどまってはいるが、骨だけとなったその依り代は本体に守られて傷つくことがなく、たとえ何らかの理由で傷ついたとしてもたちどころに復元される。アランファルサートの本体を構成する魔力に対抗しうるほどの強力な魔力のみが、アランファルサートに危害を及ぼす可能性を持つのだ。

 「問答無用、というわけかの?

 よかろう。ならば、わしも遠慮はせぬぞ」

 言うや、アランファルサートは大きく飛びのいて、距離を取った。仮面に隠された口から、ささやきにも似たかすれた声が漏れる。

 「…ラクド・カターシェス!」

 ほんの数秒の詠唱。それが終わる瞬間、アランファルサートに斬りかかった巨漢の全身が赤黒く染まり、数倍に膨れ上がった、と見えた。

 が、それは錯覚だった。

 巨漢の身体から、内臓という内臓が引きずり出され、体の外へぶちまけられたのだ。飛び出した内臓と、おびただしい血しぶきが、一瞬のうちに現れ、それが巨漢の身体が膨れ上がったように見せたのだ。絡まった腸が()じれて(はじ)け飛び、肋骨の外に引きずり出されて支えをなくした臓物があたりに広がる。漿液を(したた)らせた脳が、地面に落ちて、豆腐のように崩れつぶれて残骸が飛び散って広がる。

 重い音を立てて一対の肺が地に落ちるのと同時に、巨漢の身体もその場に崩れ落ちる。つぶれた内臓から飛び散った鮮血が下草を赤く染め上げ、滴り落ちて、地面に吸い込まれかけるが、あまりに量が多かったため、全部が吸い込まれずに残った血がその場で固まりかけて、まるでスライムのようになっていく。しかし、血だまりに倒れたその巨体は、まだ死にきれず、手指がむなしく大地をかきむしるのが見て取れた。

 「貴様、…なんてむごい真似をしやがるんだ!」

 空間転移…テレポートを応用した魔法。

 使いこなせるものは多くないといえ、魔法としては、割と知られた部類のものではある。しかし、このような使い方をすれば、そのインパクトは、視覚的な効果と相まって想像を絶するものがある。アランファルサートはテレポートによって人体の内にあった物体を、悉く体の外へと瞬間移動させたのだ。

 「なに、ありふれた魔法じゃよ。

 この年寄り相手に、いきなり斬りかかってくるような行儀の悪い奴に、このくらいの仕置きは当然じゃろう。

 さて…。

 今なら、まだそなたらを見逃してやるくらいの情けはあるぞ?」

「ぬかせ! 仲間を()られて、おめおめと引き下がれるか、ってんだ!」

 リゴアスが叫ぶうち、ローブの女が両手を素早く、そして複雑に動かす。その口から短いつぶやきが漏れ、次の瞬間、女の両手がアランファルサートに向けられる。その両手の間に炎の球が現れた、と見えた瞬間、火球は一条の光か、あるいは水流のように走り、数秒の間、アランファルサートの全身に炎が押し寄せた。白いローブが、燃え盛る炎の中に包まれ、一瞬見えなくなる。

 「火炎の放射魔法か。

 筋は悪くはない。じゃが、未熟じゃな。

 術が洗練されておらぬし、魔力の集中が不足じゃ。

 今しばらく修行すれば、まだまだ技量は伸びるだろうものを」

 ()けようともしなかったのは、魔法の威力を完全に見切っていたからか。炎が四散したあと、まったくの無傷で、そう(うそぶ)くアランファルサートの姿があった。

 1歩、2歩と彼が近づくのに、ローブの女が後ずさりする。

 それを(かば)うように、メイスの女が盾を構えて前に出た。

 その盾の中央には、神帝と呼ばれる神の紋章が描かれている。その盾を、女が高々と差し上げる。彼女の口から、高らかな声が上がる。

 「汚らわしい不浄の霊よ、神の威光を恐れるがよい」

 盾に描かれた紋章が、ほのかな光を放った、と見えた。修業を積んだ聖職者が神の力を顕現させた光。敬虔な信者の祈りに(こた)えて神が貸し与える力。神の定めた世の理に反してこの世に存在するアンデッドに、破壊と浄化をもたらすとされる聖なる力だ。

 「む、そなたはゼフューダ神のしもべを以て任ずるものか」

 アランファルサートの仮面に隠れた顔にどんな思いが浮かんだかは伺い知れないが、声には意外なものを見た、という響きがあった。

 それはそうだろう。通常、神の紋章が武器や防具に刻まれることはない。たいていの場合、それは護符(アミュレット)か、祈祷具のような小型の、持ち運びやすいものにしつらえられているものなのだ。大型の紋章には相手を威圧する効果があって、アンデッドに対する効果も大きいといわれるが、聖別のために要する技能も、法力もそれだけ必要になって、簡単に作れるものではないからだ。これだけの大きさであれば、おそらくは聖職者数人がかりで、1年近い日数をかけたものだろう。そして、それを使いこなすのに必要な法力も、また並大抵のものではない。まして、その紋章が表すのは、神々のうち最も力あるものとして知られる存在。

 「そうよ。アンデッドはこの世にあってはならぬもの。神の定めた(ことわり)に従わず、死に切れずに世にあるスケルトンよ、速やかにこの世から消え去るがよい」

 「なるほど、それは確かに神の説く摂理よな。

 じゃが、あいにくわしは、そなたの思うスケルトンではないのじゃよ。

 姿こそ、確かに骨だけの、あさましき(むくろ)の身ではあるがの。

 この身は、死にきれずにこの世にとらわれ、さまよっているのではない。

 古き神が見出だしたもうた技によって、この魂は死後もこの世にあることを許されておるのじゃ。

 言うなれば、わしもまた、神の御業(みわざ)で存在するものよ。

 よって、そなたの借り物の神の威光なぞ、わしには何の(さわ)りもない」

 盾に描かれた紋章に指を向け、かすかな詠唱をするアランファルサート。次の瞬間、盾は粉みじんに砕けていた。

 女が悲鳴じみた叫びをあげる。

 「そんな! アンデッドが神の力を砕くなんて…嘘!」

 「それが頼みの綱じゃったかな?

 では、もう一度訊くぞ。

 まだ、おとなしく立ち去るつもりはないかな?」

 答えの代わりに3本の矢が飛来した。

 素早い射撃で、ほとんど同時と見えるほどの時間に3射を放ったのは女弓手だった。しかし、矢は、アランファルサートのローブに触れた瞬間、いずれもその勢いを失い、はらり、と地に落ちていた。

 「この女どもは、話の通じぬやつばかりよな

 で…、男どもも同じ考えかの」

 うんざりした、というようにこぼすアランファルサートに、リゴアスの声がかぶされる。

 「あたぼうよ、貴様の魔法は効果の出るまでに少しばかりの時間がかかる。時間をくれてやらなけりゃ、何もできめえ。…みんな、こいつに時間を与えるんじぇねえぞ」

 おう、と答えて三叉戟の男がアランファルサートに走り寄る。同時に、左手に持った投網をアランファルサートめがけて投げつける。細い鉄の鎖で編まれた網だ。軽いが、たやすく切れるものではない。狙い(あやま)たず、それはアランファルサートの身体を包み込んだ。動きの止まるアランファルサートの胸を、三叉戟が襲う。その勢いは、アランファルサートを突き倒し、同時に()かれた網に足をすくわれ、バランスを崩してアランファルサートの身体が横向けに地に崩れる。

 「もらった!」

 砕かれた盾を捨てた大柄な女の振るうメイスがアランファルサートの頭を砕くばかりの勢いで振るわれ、それは狙い通り、フードに覆われた頭部を直撃した。アランファルサートの頭が大きくのけぞる。それにかぶせて、2度、3度とメイスがうなる。そのたびにアランファルサートの頭が大きく揺れ、何度か目に顔を覆った仮面が飛んだ。その下に現れたのは、まぎれもない髑髏の顔。

 「思い知るがいい、アンデッドめ!」

 大きく振りかぶったメイスが、渾身の力を込めて振り下ろされ、アランファルサートの脳天を真っ向から直撃した。

 が、それだけだった。

 軽く左右に頭を振り、アランファルサートはゆっくりと上半身を起こした。網の中で、自由を奪われ、立ち上がることはできないままであるも、その暗い眼窩に宿った燐光のような光が女に注がれる。背筋に冷たいものが走った、と感じた女が思わず1歩後ずさる。

 三叉戟の男が、三叉戟を大きく振り上げつつ、再び網を曳く。しかし、今度はアランファルサートの身体はびくともしなかった。次の瞬間、大きくその体が宙に舞う。網にひかれた勢いを利用し、アランファルサートの身体が、男にとびかかる。網の中から、網をかぶったままの両腕が男の喉につかみかかる。

 「ぐ、ぐえええ!」

 男の喉から押しつぶしたような声が上がる。男の喉は、アランファルサートに触れられただけで、さほどの力が加わった様子はない。しかし、その顔には苦悶の表情が浮かんでいた。

 手袋に包まれたアランファルサートの両手から、淡い青い光が漏れている。その光に照らされて男の喉に、顔に、そして全身に濃い陰影が現れる。陰影? …いや、それは男の皮膚に深く刻まれるしわだった。刻み込まれたしわが深くなるにつれ、男の身体はみるみるやせ細るとともに茶色く変色していき、数秒のうちに、その体は老いさらばえた老人のものに変わっていた。同時に全身から力が失われ、網を持つ手が大きく開くと、支えをなくした網が地面に落ちる。すでに、男は立っていることも難しくなっていた。身体を支えるようにして地面に突かれた三叉戟を持つ手から力が抜けると、三叉戟は地面に落ち、草の上を転がっていく。

 アランファルサートが手を離した時、男はすでに息絶えて、その場に倒れていた。その姿は、完全に干からびて筋肉がしぼみ、皮膚が骨に張り付いたようで、まるでミイラのようになっていた。干し肉のような舌が開いた口から覗き、水気をなくして小石のようになった眼球が、両の眼窩からこぼれ落ちる。

 「ア…アンデッドの化け物! お、お前は、お前は…」

 「そうじゃ。

 死してなおこの世にある身じゃと、わしも言い、そなたも言うたではないか。

 何をいまさら驚くことがある?」

 ゆっくりと網を押しのけると、アランファルサートは静かに立ち上がった。

 「次はそなたじゃ。

 もう神の加護もあるまい?

 そう言いつつ前に踏み出したその体に、後方から何本もの矢が飛来する。しかし、それは最前同様、アランファルサートの身体に触れるや威力を失い、地に落ちるだけだった。

 「やれやれ、せわしないことじゃのう」

 そうつぶやいて矢の飛んできたほうに振り返ったその顔めがけてさらに2本の矢が飛ぶ。それはアランファルサートの両眼を狙って放たれていた。矢は正確にアランファルサートの両の眼窩を、まるで吸い込まれるように貫いた。

 アランファルサートの口から、かすれた笑いがこぼれる。

 「工夫したようじゃな。腕も見事。

 …されど、無駄というものじゃ」

 わずかに首が振られると、矢がぽろりと地面に落ち、アランファルサートはこともなげに言い放った。何やら詠唱を唱えつつ、ゆっくりと両手を広げる。その両の掌から、鳩の卵ほどの白い光球が飛び出す。ほの明るい光を放ってはいるものの、それは死の色だった。

 次から次へといくつもの光球が飛び出し、両手の間で輪を描きながら光球が飛び交う。アランファルサートが、両掌を少し上に向けると、光球の輪は、両手の上の空間に移動し、徐々にその速度を上げてゆく。それをいとおしそうに見つめたアランファルサートの目が、弓を持った女のほうに向く。刹那、輪の上端に達した光球が女のほうに、光の矢のように飛んだ。1つ、また1つ。全部で15の光球が女の全身に吸い込まれるように飛んだ。

 スフを裂くような悲鳴。それが彼女の断末魔だった。地に倒れ伏したその姿には、1つの傷もなく、1滴の血も流れ出さない。しかし、体に刺さった光球は、しばらくの間、その場所で淡い光をとどめていた。そして、徐々にその光が薄れ、最後に、大きく膨れたと見えるや、すべての光球は一斉に消え失せていた。同時に、女の身体が、光球のあった場所から砂のように崩れ始める。そして見る見るうちに、彼女の全身は崩れ去って、後には白い骨だけが残されていた。

 「ひとつ、座興としようか」

 アランファルサートが言うや、先ほどまで女だった骸骨がむくりと体を起こし、全身を揺らめかせながら立ち上がった。そして、メイスを持った女のほうに歩み寄る。

 「ゼフューダのしもべよ、それはもはやそなたの仲間ではない。

 命を失いて、なお死者に非ざるもの

 すなわちアンデッドじゃ

 そなたの信仰の力、みせるがよいぞ」

 ヒィ、と叫んでメイスの女は後ずさる。骸骨は、両手をゆっくりと前に差し伸べ、メイスの女のほうへ、ゆっくりと近づいてゆく。メイスの女は、もはや半狂乱だった。大きく後ずさろうとしたその足が滑り、しりもちをついてその場にあおむけに倒れこむ。そして骸骨の両手が彼女に触れようとした瞬間、脇から、炎の球が飛来し、骸骨を吹き飛ばした。先刻、アランファルサートに火炎を吹き付けたローブの女だった。骸骨は粉々に砕け散り、跡形もなくなっていた。

 「まったく、趣味の悪い真似をするね、この骸骨が!」

 ローブの女がアランファルサートに向けて右手を突き出す。その指先から、青白い火花が飛んだ、と見えた。次の瞬間、銀青色の電撃がアランファルサートを襲っていた。時間にして、ほんの2,3秒だが、雷鳴のような轟音が上がり、あたりの空気を引き裂く。しかし、ゆっくりと首を振ると、アランファルサートはローブの女のほうへ向き直っていた。

 「…あと10年、いや、15年も修行をすれば、あるいはわしに傷の1つもつけられたかもしれぬ腕じゃな。

 筋はよい。じゃが、未熟、と言ったはずじゃぞ」

 「バカにしやがって!」

 「バカに…?

 いやいや、そんなつもりではないのじゃがのう。

 年寄りの言うことはもっと素直に聞くものじゃというに。

 血の気が多くて、目が曇っておるのはいただけぬな。

 知性が鈍っておるわ。

 その気になれば、立ち去れる機会を与えてやっておるのにのう。

 なぜ、それほどにまで死に急ぐ?」

 答えはなく、さらに一撃の電光が走る。それは、アランファルサートの胸を直撃したが、アランファルサートはよろけることすらなく、軽く右手を挙げた。同時に、ローブの女が宙に舞い上がる。最初はゆっくりと。そして徐々に勢いを増し、数秒後には矢のような速さで、空高くその姿は掻き消えていった。

 「な、なにがおこったの?」

 メイスの女が顔に恐怖を張り付けて言う。

 ふ、とアランファルサートの口に笑みが浮かんだように見えた。同時に上空から、ローブの女の叫びが聞こえる。しかし、それも一瞬だった。数秒もしないうちに、落下の速さに意識を失ったままのローブの女が大地に激突した。鈍い衝撃音の後、まるで大輪の花が咲き誇るようにあたりの地面に鮮血が飛び広がった。それに交じって、砕け散った四肢や頭が無数の肉片と骨片となって、そこら中にぶちまけられる。

 「この、人でなし!」

 「ずいぶんな言われようじゃのう。

 先に手を出してきたのはそちらじゃというに。

 それに、そなたらばかりに働かせて、そなたらのリーダー、あの男は何をしているのじゃのう?」

 メイスの女の視線がアランファルサートからそれて、リゴアスの方に走る。それにつられてアランファルサートの注意も、その視線のほうにむけられた。

 その瞬間。

 アランファルサートの足元、その影の中から、いつの間に忍び寄っていたのか、オレンジ色のフードとマントの男が躍り出し、手にしたショートソードが一閃し、アランファルサートの顎の真下から脳天に向かって一直線に貫いた。ショートソードの刺さったアランファルサートの頭が真っ二つに裂け、身体が仰向けに(くずお)れる。男はすばやく飛びのくと、手に、もう一振りのショートソードを構え、切っ先をアランファルサートに向けた。

 「しとめたか?」

 「まだよ、まだ死んでいない!」

 メイスの女の言うとおりだった。二つに割れて転がったアランファルサートの頭が、淡い、青い光を放った、と見えた。そしてショートソードをあとに残して、ふわり、と宙に浮かぶと、そのまま引き合うように合わさり、元通りの髑髏となって、頸の上に収まったのだ。収まり具合を確かめるように、ゆっくりと頭が振られる。その様は、不気味さを通り越してむしろ滑稽にも見えた。

 「驚かせてくれるのう。

 いや、実に見事な技じゃ。気配を全く読ませなんだわ。

 じゃが、一度そうして姿をさらせば、同じ技は二度とは使えまいな」

 男の顔がゆがむ。アランファルサートの言うとおり、相手の目の前では姿を消せない。彼の使うのは魔法ではなく、鍛え抜かれた体術なのだ。相手の注意がそれれば、そのすきに影に潜むこともできるが、正面からまともに注視されていたのでは無理だ。そして、一撃必殺のはずの彼の剣技は、アランファルサートに傷を負わせることすらできなかった。しかも、彼が使った剣は、尋常な方法で傷つくことのない怪物をもしとめられる筈の、強力な魔力を宿したものだったのだ。それすらもが、目の前のアンデッドには通用しない。男の口ががくがくと震え、言葉にならない声が漏れだす。手足が、体が震え、その場にしりもちをつくと、小便と大便が一度にもれる。震えて自由に動かない手足をそれでも何とか操り、少しずつでも、後ずさってアランファルサートから離れようとする。それを見た、アランファルサートの髑髏の顔に笑いが浮かんだと見えたのは男の錯覚か。

 アランファルサートの、眼窩に浮かぶ燐光のようなきらめきに見据えられ、ついに耐え切れなくなったのか、男は何とか身を起こし、最初は四つん這いで、そして何とか立ち上がるのに成功すると、身をひるがえし、悲鳴を上げながら、逃げ出したのだった。下草に足を取られ、幾度も転びそうになって、地面に手を突きながら、男は一目散に駆け出していった。

 「それでよい。

 あたら、命を無駄にするものではないからのう」

 呵々、と歯と骨だけの口から笑いが漏れる。それ以上、アランファルサートは逃げ去った男に興味を示そうとはしなかった。

 「そなたも、どうじゃ。

 おとなしく立ち去るのなら、まだ、遅くはない、命は取らぬぞ?」

 憎々しげに口元をゆがめ、メイスの女が、後ずさる。

 勝機のないことは明らかだった。

 アンデッドに対抗する神の紋章を盾ごと打ち砕かれ、彼女の知る魔法にアランファルサートに対抗できるものはない。

 逃げるかとどまるか、は、そのまま生と死の選択だった。

 慈悲深い選択を突き付けているのは、しかし、憎むべきアンデッド。神に仕える身として、不浄の存在の慈悲は受けられない。それが、そのまま死に直結するものであっても。

 「あああああぁ!」

 命を拾う代わりに、女はメイスを振りかざすとアランファルサートに向かい走り寄った。アランファルサートの口元に、にやり、と浮かんだように見えた笑みは、髑髏の顔に常時浮かぶ独特の表情か。そしてそれを嘲り(あざけり)と捉えたのは、彼女の目に映った幻覚だっただろうか。アランファルサートが軽く片手を振ると、鱗粉のようなかすかな光がこぼれ、それが女を包み込む。女の姿が光の中に消え、そして徐々に光が薄れると、後に女の姿はなかった。

 「さあて、リゴアスといったか。

 あとはそなたを残すだけじゃ」

 「貴様…、まったく容赦ねえな。勝ち目がないとわかっている奴に、せめて一太刀振るわせてやるだけの情けもねえのかよ」

 厚かましいともいえるリゴアスの物言いに、アランファルサートは軽く笑って答える。

 「ほう、それは心外な言われようじゃな。

 最後の女なら、殺してはおらぬ。

 ただ、この地から立ち去ってもらっただけでな」

 「ふん、そうかよ。どうせ、ろくなところへは行っちゃいめえ、ってところか」

 「はは、そこまで悪しざまに言うか。

 送った先は近くの村じゃ。命に何の障りもない。

 あ奴にとって、アンデッドに情けを受けるほどの屈辱はなかろうに。

 なれば、安全無事であるほどに、その屈辱も深まるというもの。

 今頃は、己の無力さをいやというほどに味わっておろうよ」

 「嫌味な奴だ」

 「問答無用で襲い掛かってくるような奴に、何の仕置きもせぬわけがなかろうに。

 腕に覚えのある奴や、まじめな奴ほど、憎い仇に情けを受けた時の屈辱は深いものよ。

 わしとて、心の傷を、いささか深める魔法も心得ておるからの。

 先に逃げた男も、もはや使い物にはならぬだろうて。

 …さて、そなたの番じゃな。

 この場を設けた以上、そなたにはそれなりの覚悟はあろうな?」

 「まあな。貴様の腕は見せてもらった。生中なまなかな魔法は効き目がねえ。並の武器では傷つきもしねえし、魔法の武器で仕留めてもあっという間に立ち直っちまう。前に俺が後れを取ったわけ、よおくわかった」

 前に…?

 この男はまた不可解なことを言う。アランファルサートはそう思わずにいられなかった。リゴアスと戦った記憶は、彼にはなかったからだ。もちろん、どこかで集団相手に戦った際、その中に彼がいた、という可能性はある。しかし、彼の口ぶりは、そういった状況での遭遇ではないと思わせるものがあった。

 …まあ、よかろう、と、アランファルサートは考えるのを打ち切った。

 「そうか、それで今まで成り行きを見て負ったわけか。

 あ奴らは、そなたの仲間ではのうて、実地検分のための捨て駒だったわけか」

 「そんなところだな。…まあ、そう思ってくれてて、構わねえ。貴様にはそれで十分だろう」

 言いながら、リゴアスは腰に佩いた長剣を抜いた。常人の目にはわからないが、アランファルサートには、刃の輪郭がぼうっと揺らいでいるのが見える。

 「ほう、業物(わざもの)じゃな。

 その輝きは、オリハルコンを張ったか」

 伝説の金属、淡い紅の魔力を放つオリハルコン。通常の物質では傷つかぬものでも破砕する力を持つという。魔法によって鍛えられる合金といわれ、完成したオリハルコンは、溶かして他の金属と混ぜ合わせることができない。したがって、武器にするには、武器自体をオリハルコンだけでつくるか、あるいはその表面に張るしかない。合金の、特殊な結晶構造がオリハルコンの特殊性の源なのだ。変成すれば、オリハルコンはただの金物に代わって力を失う。熱を加えて溶かすことができないため、鍍金(めっき)もできないのだ。だが、リゴアスの持つような大振りの剣全部をオリハルコンで作れば、あまりに重くなって常人には扱いきれないし、それだけのオリハルコンを手に入れることも簡単ではない。なので、刃の表面に薄い箔状にして貼り付けるのが一般的なのだ。

 「目利きだな。さすがだ。ついでのことに、こいつには魔力もいささか封じ込めてあってな」

 「そうか、わしに傷をつけるためか。

 なるほど、その鎧にも細工があるようじゃな」

 「そうさ、もう分かっちまってるだろうから言ってやるが、反魔のテュアーウィを細かくしてちりばめてある。俺様に魔法をかければ、そのまま貴様に跳ね返っていく、てぇ寸法よ」

 テュアーウィとは、地中深いところからごくまれに見つかる鉱石に、魔力を封じ込めたもの。その効果は、魔法を込める術者の腕に左右されるが、最も熟達した術者の手になるものは、強力な効果を持つうえ、ほぼ、半永久的にその力を保つという。リゴアスの言うように、反魔の力を持つテュアーウィには、それを持つ者にかけられた魔法を、術者に向けて跳ね返す力がある。

 「やれやれ、ご苦労なことをするものじゃな。

 ずいぶん手間もかかったろうにの」

 「ああ、貴様のために、たっぷりと手間をかけてやったぜ。感謝しな」

 「ふ、そこまでの評価、光栄の至り、と言っておこうかの」

 言い合いながら、少しずつ2人は距離を詰めていく。

 剣は間合いに入らなければ役に立たない。

 魔法を使わずとも、アランファルサートの身体は、生きた人間にとって致命的な損傷を与えうる。

 しばしにらみ合ったのち、先に仕掛けたのは、アランファルサートだった。10メートルまで近づいたところで、右手が高く上がり、うむ、と力が籠められる。瞬間、アランファルサートの姿が、5人に増えた。

 「なに!」

 目をむくリゴアスの前で、アランファルサートの姿がさらに増える。気が付けば、13人のアランファルサートが、リゴアスの周りを取り囲んでいた。

 「そなたにかけた魔法ではないからのう。

 反魔の効果も意味があるまい」

 「けっ、アンデッドが幻術かよ! アンデッドと幻術は相性が悪いってのが相場だぜ?」

 「たしかに、アンデッドには効果のない幻術もあるからのう。

 巡り巡って、そういうふうに言われておるのも無理はない。

 じゃが、アンデッドに効かぬ術じゃからといって、アンデッドに使えぬというわけではないのじゃよ。

 …あまり上手(じょうず)、とまでは言えぬがの」

 13人のアランファルサートは、ゆっくりとリゴアスの周りをまわりながら距離を詰めてくる。

 「覚えておくぜ」

 いうや、リゴアスは剣を構えると目の前の1人に向かって駆け出し、その胴を一閃した。剣戟を受けたアランファルサートの姿が、掻き消すように見えなくなる。

 「やはり幻か」

 囲みの外に出たリゴアスが言う。

 「来いよ、順番に1人ずつ消していってやらぁ」

 「悪くはない考えじゃな。

 じゃが、あまりに芸のないのは面白くないからのう」

 いつの間に数を戻したのか、再び13人になったアランファルサートが一斉に手を挙げた。指先から赤味がかった光が放たれ、周囲の木々に当たる。それを受けた木々が光の当たったところで折れ、リゴアスのほうへ倒れてくる。

 「おお!」

 何本もの木々の倒れるのを避け、リゴアスはアランファルサートから遠ざかる方へと移動させられていく。さらにアランファルサートの放つ光が次々と木々を倒し、リゴアスの退路を断つ。

 「魔法とは、あくまで技、使い手の意図で千変万化の働きをするものじゃ。

 また、そのようでなくては、魔法の使い手は名乗れぬ」

 13人のアランファルサートが、一斉に火球を放つ。それが狙うのは、リゴアスではなく、周囲に倒れた木々。火球の直撃を受けた巨木は見る見るうちに燃え上がり、リゴアスは炎の中に取り囲まれていた。

 「貴様、森中を焼き尽くすつもりか! この腐れ外道が!」

 「そなたに言われたくはないのう。

 心配はいらぬ、焼き尽くした後で、木々を元に戻す(すべ)くらいは心得ておるでのう。

 …その鎧、火には対策をしておらなんだようじゃな?」

 火は、単純に倒木を燃え上がらせるだけではなく、次第に間隔を狭め、リゴアスの方へ迫ってくる。おそらくは、アランファルサートが火勢を操っているのだろう。このままじっとしていれば、押し寄せる火の渦の中に飲み込まれ、焼き尽くされるのは間違いなかった。そうするうちにも、猛火にあぶられ、皮膚の何か所かに火ぶくれができかかる。もはや、猶予はなかった。

 「貴様ぁっ!」

 怒りだけに身を任せ、リゴアスはアランファルサートの姿を求めて炎の中に飛び込んだ。13人のうち、一番近くにいるアランファルサートに向かって切りつけようと。

 「おおおおおぉぉぉ!」

 全身火だるまになりながらも、炎の中から姿を現す。髪が燃え、鎧の中の布製の下着に火が燃え移り、革の部分がくすぶり出している。

 せめて一太刀! そう念じて長剣を振りかぶったリゴアスの目の前で、13人のアランファルサートは、一斉に消え失せた。

 「な、何だとぉ?!」


ははははは…


 頭上からか、あるいは地の中からか。アランファルサートのかすれた笑いだけが彼の耳に届いた。文字通りに全身が燃え上がり、目の前が真っ赤に染まり、そして何も見えなくなる。全身の焼ける苦痛の中、リゴアスの意識は消えていった。数分が過ぎた後、残されたのは黒焦げになった死体のみ。


 空を黒い雲が覆う。

 やがて、ぽつり、ぽつりと雨が降り出す。

 雨は徐々に勢いを増し、小雨から、本降りへ、そして篠突く雨となって燃える木々に降り注いだ。

 燃え盛っていた炎が見る見るうちに小さくなり、そして消える。

 やがて雨の勢いは衰え、雲が切れて青空が見える。

 「片付いたようじゃ。考えたようで、考えなしの男じゃったな。

 …しかし、身に覚えのない遺恨とはな」

 再び姿を現したアランファルサートがそう(つぶや)いた時。

 「見事だったな、アランファルサート」

 「なに?

 …まだ、いたのか、仲間が」

 「いいや、少し違うな。そいつらは俺のことなど知っちゃいねえさ。俺は、知っているがな」

 「そうか。

 で、そなたもわしを狙うのか?」

 「いかにもそうだ。なにしろ貴様は俺を殺したのだからな」

 「なんじゃと?

 …そなたは現に生きているではないか。それとも、そなた、不成仏霊か?」

 この男も、また不可解なことを言う。いったい、自分の知らぬ何が起こっているのか?

 「いいや、こうしてぴんぴんしてるぜ。アンデッドなんかじゃねえ。貴様と一緒にされたくねえな」

 「む、わしのことも知っておるようじゃな」

 「そうとも。貴様は俺の宿敵だ」

 「宿敵か。

 なぜ、そう言う?」

 「言ったじゃねえか。貴様は俺を殺したんだ、ってな。

 …ふふ、わかるめえか。じゃ、見るがいい。たった今、貴様が殺したその男だ。リゴアスだ」

 「こ奴が…?」

 「そいつは、俺の前世さ。そいつが死んで、生まれ変わったのがこの俺様だ」

 「バカな。

 この男は、つい今さっき死んだばかりじゃぞ。

 それが生まれ変わったのがそなただと?」

 どんな生物も、死ねば一定の時を経て生まれ変わる。アンデッドであるアランファルサートにとって、それは自明のことだった。アンデッドとは、いわば、生から次の生に至るその中間の時点で、次の生へ移るのを拒んだ存在なのだ。神から授けられた法によって存在するといっても、アンデッドとしてのありように違いはない。自らの知識と力でアンデッドとなった以上、輪廻転生の理はもとより熟知している。しかし、この男の言うことは、アランファルサートの知っている、世の常の生まれ変わりとは内容を異にするものだった。

 「そうさ。教えてやろう。俺は、生まれた時から、そいつの生きてきた時のことを全部覚えていたんだ。そして、今日、ここで貴様に殺されたこともな。だから、前世の俺を殺した貴様を倒すため、記憶にある今日、この場所へやってきたというわけだ。

 はは、間抜けな面をさらしてやがるな。心配するな、俺は普通の人間さ。前世のことを覚えている以外はな。

 俺が生まれたのは、今からざっと50年前だ。それから、まっとうに年を取って、技を磨き、こうやってここに立っているのさ」

 「50年前じゃと?

 すると、今ここで死んでから、50年の時をさかのぼった過去に生まれ変わったというのか?」

 「そういうことになるな。…いや、聞くんじゃねえ。どうして50年も前に生まれたのか、なんて、俺にもそのからくりはわからねえさ。ただはっきりしているのは、俺の前世の記憶は間違いなく本物だったっていうことだ。なにしろ、たった今、こうしてここでお前が俺を殺すのに立ち会ったんだからな」

 そう話すのを聞くうち、目の前の男の語り口、口調、そういったものが先ほど倒したリゴアスにそっくりであることにアランファルサートは気がついた。確かに、この男はリゴアスの生まれ変わりなのだろう。しかし、死後に時をさかのぼる。そんなことがあるのだろうか?

 アランファルサートの知る限り、そのようなことを聞いたことはない。しかし、この男の言うことに嘘は感じられなかった。

 確かに、絶対の存在というものはない。すべてのものが、生けるものの感じ取るだけの幻影のようなものである、とはアランファルサートも知っている。実体のない幻影を感じ取ることのできる心、物質や肉体の制約を離れた、生命そのものというべき心の最奥なるもののみが存在のすべてだ、と。

 だが、時もそうなのか?

 時とは、生きとし生けるもの、そして死者も含めてすべてのものが共有するものではなかったのか? 中陰、あるいはトワイライト・レルムと呼ぶ、生と生の間の死後の場にすら、時は流れ続けるはずのものだ。生と生の間に時の絶対支配がないのなら、時とはそもそも何なのだ? 困惑しながら、アランファルサートは言った。

 「信じがたい。が、嘘ではないようじゃな。

 では、そなたはリゴアスなのじゃな」

 「今の名はビラスだ。…ま、どっちでもいいことだろうがな」

 「そして、前世と違って、今のそなたは魔法使いか」

 吐き捨てるように言ったビラスに、アランファルサートが重ねて問う。問いというよりは、確認だった。ビラスの姿からは、彼が魔法の使い手であることははっきりと見て取れた。いくつもの光る粒をちりばめた黒いローブ。先端に宝珠を頂いた、怪しげな爬虫類の姿を模した杖。

 「そうさ。貴様のような手合いに剣で向かってもだめだ。そうわかったから、魔法を極めることにしたのさ」

 「で、前世のそなたを助けようともせずに、勝負がついてから姿を現したのか」

 「そうだな。そういうことになっちまったのは(ちげ)ぇねえ。

 あいにく、自分の過去に手出しはできなくてな。いや、何かが邪魔するんじゃねえ。ただ、単純にそうする気になれないだけさ。自分の意志で、自分の過去に触れずにいるしかねえのさ。こいつも、俺にゃわからねえからくりさ」

 つまり、時を超えても過去は変えられない。そういうことなのか。ならば、時を超えることもありうるのかもしれない。漠然とだが、アランファルサートはそう思いいたった。

 「そうか。

 …そやつがそなたの前世なら、そなた、そやつがわしを狙ったわけも知っておるのだろうな? わしが、そやつ…いや、そなたの前世にどんな恨みを買っておったのか」

 「ああ。当然知ってるさ。だが、教えてやる義理はなさそうだ。

 …長話が過ぎたようだな。そろそろ始めようぜ」

 こいつは面倒な奴だ。アランファルサートは思った。何しろ、過去に自分と戦って、手の内は知られているようだ。それに、ビラスのローブにちりばめられているのは、数種のテュアーウィ。反魔だけではないのはわかる。テュアーウィは、込められた魔力とその効果によって、輝きが変わるからだ。手にしている杖も魔法を封じてあるのは間違いない。

 テレポートして立ち去ることも考えた。しかし、ビラスは自分の知らない秘密を知っていそうだ。時を超えた転生者は、自分の知力を超えた存在だ。下手に後ろを見せるような真似をすれば、どんな風に付け込まれるかわからない。ならば、今ここで決着をつけるのが上策というものではなかろうか。

 そう決めた時。

 「レプタール、出ろ!」

 ビラスが叫ぶや、空間に裂けめが生じ、それを押し広げるようにして異形のものが姿を現した。

 ぬめぬめと光る肌、不揃いの6本の脚。

 半円形の口からちらちらと覗いて見える赤い舌。

 非対照に並んだ4つの目。

 のそ、と1歩踏み出せば、地面に足が数センチもめり込む。

 見た目は、頭から尾の先まで1メートル半ほど、大型のトカゲほどの大きさだが、体重はそれよりもはるかにあるのがわかる。そして、ひとたび歩き出したそのさまは、最初の印象よりもはるかに機敏であるのが見えた。

 「む、これは…」

 「どうだ、ちったぁたまげたか」

 「まさに、異界の魔獣、とでも言いたげな見てくれじゃな。

 あいにくじゃが、そんなこけおどしには引っかからぬよ。

 察するに、そなたの作り出した合成獣(コンストラクト)じゃな。

 その(ざま)、趣味がよいとは言えぬのう。

 じゃが、技量としてはなかなかじゃ。

 腕を磨いた、と言うは、まんざら張ったりでもなさそうじゃ。

 …しかし、高々50年の命。

 もう2,3遍も生まれ変わって励めば少しは違うかもしれぬがのう」

 「…減らず口を」

 憎々しげに言うビラスの前で、アランファルサートの姿が、ふわりと宙に舞い上がる。

 「さて、そやつは、飛べるかの?」

 「ふ、なめちゃぁいけねえ。…レプタール、昇れ!」

 ビラスが杖を振るや、合成獣の巨体がゆっくりと地上を離れ、空中に浮きあがる。そのまま、ゆっくりとアランファルサートのほうへ向かい、泳ぐような動きで進み始めた。

 「見事じゃ。

 よしよし、では、これはどうじゃ?」

 アランファルサートの手が怪しく動き、宙に印を(えが)く。その印の中心に、一条の煙かと見えるものが現れた。それは、徐々に広がり、合成獣のほうへとたなびくように広がっていく

 「な、何をしようってんだ?」

 「虫じゃよ」

 「虫ぃ?」

 アランファルサートの言うとおりだった。煙かと見えたのは、無数の小さな羽虫。数万、数十万もの羽虫の群れだ。

 「小さいが、なんでもかみ切る強い顎を持った虫じゃ。

 一つ、小手調べというところじゃな」

 アランファルサートが手を振ると、虫たちが一斉に合成獣を取り囲み、その全身にとりつく。黒雲に覆われるように、合成獣の姿が虫たちに隠れて見えなくなる。が、それもほんのひと時のことだった。あたかも汚れが洗い流されるように、虫たちの姿が消えていき、合成獣は元のままの姿を現した。

 「ほう?」

 「あいにくだったな。どうせどこかの毒虫でも呼び寄せたんだろうが、こいつにはそんなものは通用しねぇぜ。こいつの全身から出る体液は、触れたものを溶かして吸収できるんだ。言ってみれぁ、全身が胃袋でおおわれているようなもんさ」

 「ふむ、それで、あ奴の身体はぬめぬめとしていたわけか。

 で、つまり、あれだけの虫をすべて食ってしもうたと?」

 「そんなところだな」

 そう、ビラスが満面の笑みを浮かべながら言うのを、アランファルサートは興味深そうに聞いていた。

 「わしの身体も食われるかのう?」

 「そいつは、貴様自身で試してみるがいいや。レプタール、襲え!」

 おどけたように言うアランファルサートに向かって苛立たしげに言い捨て、ビラスが杖を振る。合成獣は、先ほどとは打って変わった素早さでアランファルサートめがけて襲い掛かった。それを、わずかな差でかわすと、アランファルサートはビアスめがけて一直線に飛んだ。合成獣がそれを追う。

 「おっと、その手は食わねえぜ」

 アランファルサートの目の前でビアスが消える。テレポートしたのだ。それを見たアランファルサートも、また、姿を消した。猛スピードで追ってきた合成獣が、勢いあまって大地に激突し、あたりを震撼させる。同時に、アランファルサートは合成獣から20メートルほど離れた大木の枝に姿を現していた。

 「さすがに、機敏には動けぬか。

 …いや、待てよ?」

 合成獣は、地面に突っ込んだまま動こうとはしない。死んだはずはない。全身は無傷の上、巨大な魔力がその全身を覆い、あたりに放たれているのが感じられる。

 「レプタール、立て!」

 やはり近くの地上に姿を現したビアスが杖を振る。合成獣は起き上がり、6本の足を踏みしめて立ち上がった。

 「レプタール、探せ!」

 ビラスが命じると、合成獣は、ゆっくりと歩きだす。

 口から出し入れされる舌の動きが素早くなる。

 やがて、合成獣の頭がアランファルサートのほうを向く。

 4つの目がアランファルサートの姿をとらえたのがわかる。舌がアランファルサートの気配をとらえ、目が、その位置を見極めたのだ。大木の枝に立つアランファルサートを、頭を上げて4つの目で見据える。

 「レプタール、火を吐け!」

 ビラスが言うや、合成獣の口が少しづつ開いていく。ゆっくりと、よだれを垂らしながら、大きく開かれる。文字通り耳のある位置まで、その頭が引き裂けたようにほぼ直角に顎が開く。まことの生き物ではない、合成獣なればこそ可能な動きだった。そして、その喉の奥から、赤と金の入り混じった色の炎が噴き出し、アランファルサートを襲う。

 「はうっ!」

 緩慢に口が開くのを見ていたアランファルサートは、合成獣のはいた炎に完全に包み込まれていた。炎はアランファルサートのいた木に燃え移り、巨大な火柱となる。

 「ざまぁみろ、少しは驚いたか!」

 高らかにビアスが叫ぶ。それにこたえる声があった。

 「なるほど、確かに驚いた、と言っておこうか」

 合成獣の背後に、何の損傷も受けていないアランファルサートの姿が、あった。

 「こけおどしの木偶(でく)とはいえ、なかなかの作りじゃ。思わず見惚れて、気を抜いてしまったのは不覚じゃったな。

 …おっと、これ以上、火が燃え広がっては困るな」

 アランファルサートが、大木を包み込んだ炎に向かって軽く手を振る。次の瞬間、炎上していた大木は、燃え盛る火もろとも、その場所から消え失せていた。

 「気取りやがって! レプトール、襲え!」

 ビラスの命令を聞き、合成獣が、アランファルサートの方へ頭を向ける。しかし、アランファルサートの方に向けて足を踏み出そうとした瞬間、その目の前の空間がわずかに揺らいだかと思うと、巨大な岩の壁が現れたのだ。岩の壁は、合成獣の前だけでなく、右、左にも順に広がっていき、円筒状になって、ぐるりと合成獣の周囲を取り囲んだ。

さらにアランファルサートの詠唱が続くのを見て、しかし、ビラスは嘲笑った。

 「しゃれた真似をしたつもりだろうが、そんなものぁ、時間稼ぎにもならねえぜ」

 「ほう、そうかな?」

 「レプタール、昇れ!」

 先刻と同じようにビラスが杖を振る。

 合成獣が空中に舞い上がり、円筒状の岩壁の中から姿を現すのを期待して、だろう。

 だが、岩壁の中から合成獣が姿を現す気配には感じられなかった。

 「何? …レプタール、昇れ!」

 結果は同じだった。

 「レプタール、昇れ、昇れ!」

 少し焦りを覚えてビラスが叫ぶ。しかし、無駄だった。

 「あいにくじゃな。

 壁の中、上の方には、やかましい雑音がざわめいておってな。

 そなたの言葉は、あの怪物には届かぬのじゃよ」

 「なんだと?」

 「音の聞こえなくなる魔法、というのも考えたがの、どうせ、あ奴には反魔の力も持たせてあるのじゃろう。ならば、直接魔法をかけずとも、近くの空間に騒がしい音を立てておけば、それでそなたの声は聞こえなくなるというわけじゃ。

 先ほどから見ておれば、あの怪物は、そなたの命じたことしかしておらぬ。

 虫どもが食われたのは、あ奴の体液に触れたからで、怪物が自分で何かをしたわけではないのじゃろ」

 見破られたビアスの口元には、しかし、不敵な笑みが浮かぶ。

 「…ふん、所詮は操り人形、ということか。いいだろう、それならこれはどうだ!」

 ビラスの指先から、幾重にも絡まった稲妻が放たれる。それは、いったん四方八方に飛び散り、網か、あるいはクモの巣のように広がると、再度ねじり合わされるように集まり、絡み合いながら、アランファルサートの胸に直進する。

 「ちっとやそっとの魔法じゃ、貴様に効き目はねぇ。だが、高位レベルの魔法なら、どうだ?」

 同じ魔法であっても、術者の技量や、集中度が高まれば、効果の度合(レベル)は向上する。低位レベルの電撃は、単に1条の稲妻を放つだけだが、同じ電撃が高位レベルの魔法として発動すれば、威力も効果も増し、魔法に耐性を持つ相手にも影響を及ぼすことができるようになる。ビラスの放ったのは、電撃の魔法としては最高位に近いレベルのものだった。

 だが。

 必殺を狙って放たれたそれは、アランファルサートの胸に吸い込まれると、そのまま消えてしまったのだ。

 「何! あれだけのレベルの魔法なら、反魔の力も破るはず…」

 「そうじゃな。

 あれだけの魔法をまともに食らえば、わしとて、只では済むまい。

 そうならなかったのは、空間をつないで、電撃をほかの空間へ飛ばしたからじゃよ。

 そなたにもテレポートの心得くらいはあろう?

 魔法のレベルと使い方は違うが、要はその応用の仕方じゃ」

 いっそ、空間をつないで、そなたに電撃を返してもよかったのじゃがな。

 しかし、やはり聞いておきたくてのう。

 わしが、そなたに何をしたというのかな?」

 「くどいぜ。何度聞かれても言わねえよ。言ってもどうにもならねえからな。起きちまったことは変えられやしねえし、貴様の好奇心を満足させてやっても俺の得にはならねえしな」

 「やれやれ、意固地なことじゃのう。

 魔法の使い方と同じじゃな。かたくななだけで、柔軟さがないわい。

 もうすこし、応用が効けばよいのじゃがな。

 …応用といえば、空間を操れば、こんなこともできるのじゃぞ」

 そう言い終わらないうちに、空から、ぽつり、ぽつりと(しずく)が落ち始めた。

 「何だ、雨でも振らせようってのか?」

 見る間にしずくは小雨ほどの勢いでビラスの上に降り注いでいた。ただし、ほかの場所には雫は落ちない。ただ、ビラスの上にだけ雫は集中した。ビラスのローブに、見る間に雫がしみこんでいく。

 「け、まったく嫌味な真似をしやがる。だからって、こんな小雨が何になるってんだ? しみったれた真似してねぇで、さっきみてぇな大雨を振らせてみたらどうなんだ?」

 「ふむ、必要のないことはせぬ主義でな。

 分からぬなら、その雫、舐めてみるがよい」

 「何?」

 わけのわからぬまま、手についたそれをなめる。

 甘い。

 甘露というよりは、むしろ、胸が悪くなるほどの、くどい甘さだ。

 「蜜水じゃ。

 というか、花の蜜じゃよ」

 「蜜だと?」

 不吉な予感を覚えてビアスが言う。

 「そうじゃ。

 蜂どもの大好きな花の蜜じゃ。

 そなたは、それを全身に浴びたのじゃ」

 「ま、まさか貴様…!」

 「同じ魔法を2回も使って、芸がないのは悪いがのう」

 アランファルサートが言い終わらないうちに、宙に描かれた印の中から、無数の虫が飛び出してきた。先ほどの細かい羽虫とは違う。人のこぶしほどの大きさのはあろうかという、蜂の群れだ。それが蜜の匂いに吸い寄せられ、一斉にビアスの全身にたかる。

 ビアスは必死に探した。この窮地を逃れるための魔法を。防御障壁、火炎纏装、高位電撃。知っている魔法はいくらもある。だが、自らの装備した反魔のテュアーウィ、それが術の使用を妨げる。反魔のテュアーウィには絶大な効果がある。それを身に着けたものへの魔法をすべて、魔法をかけた相手に跳ね返す。しかし、それは諸刃(もろば)(つるぎ)。自分自身の使った魔法にも、同じ効果をもたらすのだ。魔法は自分自身に跳ね返り、かけた魔法と跳ね返った魔法が相殺され、対消滅して効果を現さない。反魔のテュアーウィを外さない限り、防御の術をまとうことも、あるいは魔法で傷をいやすことすら不可能なのだ。相手を攻撃する魔法は使えるが、無数の蜂相手に、攻撃魔法を使っていてもらちが明かない。テレポートして逃げようにも、緊急時にその魔法を発動させるテュアーウィはすでに使ってしまっている。

 「や、やめろ、やめてくれぇ!」

 恐怖。もはや魔法を使うゆとりもない。蜂の群れから逃れようと、死に物狂いで走り回り、地面の上を転がるが、強い粘り気を帯びた蜜はローブにたっぷりとしみこんで取れず、蜂の群れも、また、ビアスから離れようとはしなかった。

ビアスが暴れるたびに、興奮し、怒った蜂がビアスの身体を刺す。何匹かの蜂はビアスの身体の下につぶされたが、蜂の群れは無尽蔵と思えるほどにもいた。魔法や、超自然の力に備えた彼の装備も、只の虫相手にはなすすべがなかった。頭や首、手足などローブから出たむき出しの皮膚が何度も蜂の猛攻にさらされる。徐々に毒が回り、ビアスの動きが緩慢になってゆく。それにつれ、ビアスの全身を蜂が覆い、やがてゆっくりと蜜をなめ始めたのだ。時が過ぎ、蜂たちが去った時、ビアスはすでに虫の息だった。

 「ぐふぅ、…今度も俺の負け、か」

 「気の毒じゃが、腕の未熟と知るがいい。

 どうやら、無駄なことのために一生を過ごしたようじゃな」

 「ふん、いいさ、また次…ってこともあろうぜ。今度があったんだ。これで終わり、とも限るめえ、から…な」

 「今度が、か。

 …訊くが、そなた、これで何度目だ?」

 ふふ、というかすかな笑いがしたように思えた。しかし、答えはなかった。すでに事切れていたのだ。

 ゆっくり頭を振ると、アランファルサートは、その場を後にしたのだった。


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