そして俺は舞い戻る
すみません、予約の日付を間違えてました……。
白く短い腕を器用に丸め、握り拳を作り、虚空に向かって仁王立ちする妖精に、天上の主達は暫し呆気に取られていたが、やがて我に返った天使が咳払いすると、女神もまた我に返った。
ーーごほん。では、早速貴方には現在イーヴィルが絶賛侵攻中の地域に赴いて貰います
「……は?」
え、いきなりすぎんか?
その言葉に愕然とした俺を、セレスがむっと睨みつける。
ーーなにか文句でも?
その目に、無い筈の股間がキュッと萎縮した気がした。本能的に悟る。俺はこの女神には逆らえない。
そういうモノに作り直されたんだから。
「で、でも俺はまだイーヴィルも魔法少女も見た事がないんだぞ?」
ーーそうですね、けれどそれは現地で実際に見た方が早いでしょう
セレスが宙にその白く細い指を踊らせると、機械の唸り声のような電子音とともに、指で描かれた軌跡が輝き、一つの紋章を作り出す。
ーーこれは時空転移の門。これを抜ければ貴方は再びセキュア、つまりあなたの元の世界に戻れます。
その言葉に頷き、踏み出そうとしていた足を止める。
そうだ、大事な事を聞き忘れていた。
「……分かった。じゃあ最後に教えてくれ。ミクは、俺が付き合っていた人はどうなったんだ?」
その問いを待っていたかのように女神は微笑んだ。
ーー死にましたよ。己の罪に耐えかねて。貴方が死んで間もなくね
何かを期待するかのようにじっと俺を見つめる女神に俺も笑う。
「……ハッ、ざまー!」
俺の叫びに女神は顔を引攣らせた。
ーー流石、清々しいまでのクズですね!!
「おいおい俺を殺したんだ。当然だろ。ま、これで未練なく次の妖生が送れるって訳だ」
誰も彼もが俺を疎み、両親でさえ俺と縁を切った。最後に残ったか細い糸の端を握っていた女も死んだ。
これでいい。立つ鳥跡を濁さずってな。
ーーひとつ伸びをして紋章に向かって羽ばたいた俺を何者かが掴んだ。
ーーレナス!!
「御意。歯を食いしばれ、クズ。……行くぞ!ハァ!」
と、いつの間にか俺の背後に立っていたレナスが、俺を振りかぶり、投げたーー!!
おーと、俺が投げられた先で待ち構えているのはいつのまにかCフラップを被り、
血みどろのバットを構えた女神!!
「は?……いや、は? おい、ちょっと」
ーー4番、セレス〜、セレス〜
「自分でコールしてんじゃねーよ! オイ、嘘だよねえぇ?!」
ただでさえどデカイ女神の顔があっという間に迫り、次の瞬間世界が割れたかのような衝撃が走った。
打たれた勢いのまま、俺の体は魔法陣を突き抜けていく。
でもさ、ふつうに投げてくれても魔法陣抜けられてたよね……。
そう思いながら、俺は意識を失った。
ーー フィルギアがいなくなった空間に静寂が訪れる。それを破ったのは月の横顔のような美しさをもつ白翼の天使だった。
「ーー主よ、1つ尋ねたいことが」
女神の脇に控え、顔を伏せながらそう言った天使を、女神は横目で見た。
ーーへえ、貴女が私に質問とは珍しいわね。あの子が気になるの?
「ご冗談を。ただ、アレに器を用意しませんでしたね」
ああ、と女神が頷く。確かに彼は妖精の精神体として転生し、肉体を持っていなかった。
天上ならばそれでも事足りるが、人間たちの暮らす混世で
暮らして行くには、彼の収まる器が必要だ。
ーーええ、そうですね。だって私が彼に器を用意してしまったら、余計な手が入ってしまうでしょう?それでは面白くない、そう思いませんか?
「成程」
ーーそれより、彼は本当に面白いわね!! まさか、私の奴隷に生まれ変わったのにあそこまで強固な自我を
保ち、尚且つニンゲンの欲を抱えたままなんてね!
普段の貼り付けたような笑みとは違う、心からの笑顔を浮かべる主人を見上げ、レナスは言った。
「ですがそれが我らにとって良き結果をもたらすとは限らないのでは?」
ーーいいのよ、どうせ暇つぶしなんだし。悪影響を齎すなら刈り取ればいいしね
手をひらひらと振りながらあっけらかんに言ってのける女神に、セキュアの人々への慈愛は無かった。
ーーそろそろフィルギアがセキュアに着く頃ね。さあ、リセマラを始めましょうか
『ーきなさい』
『ーー起きなさい、フィルギア!』
「ーーはっ」
なんか既視感のある展開だよなあと思いながら目を開くと、そこは見慣れた世界だった。
青い空はどこか窮屈で、辺りにはビルが雑多に並んでいる。美しくも神秘的でもないが、馴染みのある世界だ。
だがふと目を凝らすと、眼下には轟々と燃えるこじんまりとしたマンションがあった。
「現実世界に戻ったと思ったら、派手に燃えてるじゃねーか!……それで俺にこの火事を消せって言いたいのか?」
『ええ、厳密に言えばこの火事の原因を取り除いて貰いたいのです』
何処からか聞こえてくる女神の艶やかな声が行った。
「でもこんな小さな体で何が出来る? それにもう消火は始まってるみたいだぜ」
マンションの周囲には既に何台もの消防車が停められており、マンションに向かってホースから出る水がかけられていた。
だがやがて違和感に気づく。
火災は一向に収まる気配がないばかりか、むしろどんどん燃え広がっていく。ガラスが割れ、蛇のような火が吹き出す。 その光景を見ていた群衆の悲鳴が聞こえてきた。
「おかしい。普通火っていうのは上に上に燃えていくもんだろ? なのにさっきまで燃えていなかった下の階まで燃え始めてる!」
まるでマンションの中にいる何者かが火をつけて回っているかのように。
『そうね、これが普通の火事であればだけど。よく見なさい、今の貴方の目ならばアレが見えるでしょう』
そう言われた時、視界の中で黒く強調される影と赤く光る点が浮かび上がってきた。
「見えた! こいつが!!」
黒い影は炎を物ともせず、勢いよく燃える部屋から出るとマンションの壁を這い上がり、屋上に居座った。
二本足で立ち上がり、鼻をヒクヒクと動かしているそれは、炎を纏った巨大なネズミだった。
「うわ、デカすぎだろキモい!!」
黒々とした目は、知性を感じさせると同時に、醜悪な欲望を持っているように思われた。
車3台分はありそうなその巨大なネズミは今も消火活動をしていた消防車をちらりと見ると太い尻尾を叩きつけた。金属が軋む音を立ててひしゃげる車を見て、人々が騒ぐが、屋上に堂々と居座る化けネズミは一顧だにしない。
「もしかしてあの人たちには、アイツが見えてないのか?」
『ええ、アレがイーヴィル。この世の物でない故に認知はされませんし、生物を直接害する事も出来ませんが、ああして物体に干渉することは出来る。放置すれば際限なくこの世界を汚し、やがて実体を得て顕現するでしょう。それを止められるのは私の力を得た魔法少女のみ』
「……成る程な。それで、その魔法少女はどこにいるんだ?」
『それももう見えているでしょう? 赤く光っている点が魔法少女になれる才を持つ者です。さあ、彼女の元に急ぎなさい。どうやら死にかけているようです』
「おいおい、点はあの燃えてるマンションの中だぜ。俺も死ねってか?」
『忘れたのですか? 貴方のその身は既に妖精。この世界の肉体を持たない、あのイーヴィルと同質の存在です。貴方はこの世界の影響は受けません』
「はっ、そうだったな!」
その言葉に安心して背中の翅を羽ばたかせると、炎の中に身を投じた。
Tips
セレスティン
女神、セレスが治める世界。彼女の配下であるガーディアンらによって守られている。イーヴィルとは敵対関係。彼らは精神のみから成るために、ひどく曖昧な存在である。故に世界の境界、秩序を守ることで、その内に在る自分達を維持している。
イーヴィル
逸脱者が涌き出る場所。セレスによりセレスティンとも混世とも切り離された空間。一部を除き彼らに理性は無く、本能的衝動によってセキュアを浸食し、あらゆるものを飲み込もうとする。