ふうと黒曜③
黒曜と藤原の間の空気が熱を帯びる。
今はまだ、互いに間合いの外である。
ぞろり、と藤原が腰の太刀を抜き、鞘を捨てた。
俗に言う、収めるつもりがない、という様なものではない。
単純に、邪魔になるからである。
「……まだ名乗っておらなんだな」
「いらねえよ。……とは言え、あんたが藤原家ってのは聞いた」
「……」
「黒曜。ヤトハレだ」
静寂が煩い。
いつぞやのりんとの仕合いで感じた、冷たさを感じる静寂とは別のものを黒曜は感じていた。
参った、で終わる試合ではあるが、お互いそれを意識しているわけではない。只の口約束だ、破って殺したところで恨まれる筋合いもない。
試合を提案した方も受けた方も、得物は殺すための道具である。それを使う以上、殺した、殺された処で文句はない。
「黒曜殿。……俺が勝ったら、真の名を教えてくれ」
「……優しいな」
「む?」
「負けても話せる位には手加減してくれるのかい」
黒曜の気が膨れ上がる。それに気圧され、藤原は一歩下がりそうになるが、すんでのところで踏みとどまった。
(なんという気迫か。……いや、違うな)
殺し、殺される覚悟。命を投げ出さねば活路のない、そんな戦いに身を投じたもののみが持てる――正に“殺気”であった。
――ならば。
藤原が黒曜に応えるように、その気を開放する。
その様に、黒曜は既視感をおぼえた。
(こいつ……彼奴に似ている)
それは、黒曜の持つ獣じみた殺気ではなく、もっと違う純度をもった何かであった。
藤原はそれほど大きな男ではない。少し猫背気味なのも手伝ってか、むしろ小柄に感じる程である。
その男が、刀の中でも刀身の長い太刀を使い、構えた途端にこの気である。
――志。
そういう類のものであった。
(……面白ぇ)
二人の間に膨れ上がった熱は、今にも弾けんばかりに大きく、渦を巻いている。その熱気にやられたのか、若い武士二人はその場から動けず、ただじっと固唾を呑むばかりだった。
「……」
藤原が、渦越しの黒曜を睨む。
「……」
黒曜もまた、藤原を睨んでいる。
渦が高くなり、冷たい外の空気に触れ、陽炎のように揺らいだその瞬間、
「しぇぇいっ!」
「んんっ!」
藤原の太刀が真っ直ぐ黒曜の顔に向かって伸びる。長い太刀の刀身に加え、藤原は腕が人より長かった。
黒曜は目算よりも速いその一太刀目に感嘆していた。
(速ぇっ!!)
元来藤原は、黒曜ほどではないものの、身長は高い方である。さらに常人より腕も長い。
それを、普段はあえて背を丸め、腕を縮めて振る舞っていたのだ。
これは、敵はおろか味方にすら油断をさせるためであり、常に戦に身を置く武士としての証でもあった。
この藤原という男もまた、鬼と例えられるヒトであった。
すんでのところで避けた黒曜だったが、切っ先は右頬を掠めていた。避けた勢いを殺さず左を前に半身になった黒曜は、左脚に重心を掛けながら身を深く沈める。
沈み切った身体を強靭な足腰で前に運んだ時には、既に切り返しの二之太刀が元いた場所の空気を斬り裂いていた。
(三はねえか……!!)
黒曜は三撃目はないと踏み、反撃に出ようと小刀を逆手に持つ左手を前に振り出した時、
「……あるのかよっ!!」
視界の端に、更に回転して追ってくる太刀を見た。
ぎぃん、と金属同士の打ち合う甲高い音が山に響く。
ギリギリ届く距離に伸び切った藤原の太刀を黒曜は、柄を両手で持った小刀で受け、弾いた。
再び距離を取った二人は、今度はじりじりと、左側に回り始める。
回りながらも、藤原は黒曜に焦りを感じ始めていた。
(今の回転三連を受けるか。……となると、もはや手は一つ)
黒曜もまた、藤原の動きのキレに感動さえ覚えていた。
(こいつぁすげぇ。あの重い太刀をここまで自在に使うかよ……)
それぞれの思惑を胸に、じりじりと半周程を回った時である。
「おじちゃーん、黒曜のおじちゃん、いないのー?」
(まずい!)
急なふうの声に一瞬動揺した黒曜の隙を見逃す藤原ではなかった。
「ぃぃいいいっ!!」
前のめりに倒れ込む寸前にまで身体を伏せ、同じく地面すれすれに構えた太刀を横薙ぎに振りながら、地面を蹴りつけた。
「くぉぉっ!!」
先に動かれたとはいえ、その動きは黒曜も読んでいた。黒曜は、今度は避けることをせず、そのまま全力で前へ大きく踏み込んだ。
長い武器を振ってきた場合、一番殺傷力のあるのはその切っ先である。突進力、腕力、そして遠心力を味方につけた斬撃は、常人では出しえない速度を持ち、それがそのまま破壊力へと繋がる。
だから、黒曜は前に出た。大きく前に踏み出すことで斬撃より先に距離を縮め、太刀の威力を極力小さくするのが目的である。加えて今の黒曜の間合いに、藤原が入ることにもなる。
多少脚が斬られたとて、動けさえすれば問題ない。
そういう判断であった。
ぞぶ。
黒曜の右脛を太刀が斬り付ける。灼けるような感覚があった瞬間に、黒曜は右脚に強く力を込めた。
「ぬっ!」
黒曜の鍛え抜かれた脚の筋肉は、低く斬りつけてきた藤原の太刀を挟み込んで止めていた。
太刀が止まり、藤原が抜こうと力を入れるのに合わせ、黒曜は自分から脚の力を抜いて瞬時に藤原の懐に入り込む。
そのまま小さく構えた右の拳を、藤原にめがけて突き出した。
「おうっ!」
黒曜の右拳が藤原の腹にめり込む。
「んぐぉっ!」
その衝撃で前に折れた身体に覆いかぶさるように、黒曜は藤原の背中に密着し、右腕を藤原の右肩と首に絡め、絞め上げた。
「ぐっ……」
「……終わりだ」
黒曜が左手に持った小刀を藤原の首筋にちょん、と当てると、つう、と血が刀身を伝い、黒曜の手に落ちた。
完全に動きを封じられた藤原は、少し渋い顔をした後、小さく呟いた。
「……参った」
おかしいな、ふうはもっと出番あったはずなんだけど……。
次回はふうとの会話から始まりますよー!
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