ふうと黒曜②
「……さて」
ふうが帰り道を辿り、姿が見えなくなると、黒曜は徐にその姿を原っぱに晒した。それとほぼ同時に、黒曜の前に、三人の武士が現れた。
前を行く二人は若い下級武士、後ろからは上官だろうか、少し物々しい格好の上級武士がゆったりと歩いてくる。
「おい、そこな男、このような山の中で一体何をしている」
「……私でございますか」
「他に誰がいる。かような山の中、一人で何をしているのかと聞いている。ここは“お山”、ヌシ様のおられる霊峰ぞ」
「私は、ただのしがない鍛冶屋でございます。この山へは鉄を摂りに参りました。ヌシ様にはお供えなどさせていただいております」
「ほう、鍛冶屋か」
身を屈め、頭を垂れる黒曜に、下級武士達は不躾な目線を向けた。
じろじろと眺める下級武士の一人が、目を留めたのが例の小刀である。
「おい鍛冶屋」
「はい」
「その腰の得物を見せろ」
「……ただの小刀でございますよ」
「こいつ、口答えするか」
「いいから見せろっ」
黒曜は内心舌を打ちながら、腰の小刀を鞘ごと差し出した。
「……ほぅ、これは」
「おい、これはお主が鍛えたのか」
「……いえ、師匠の作でございます」
下級役人二人は、ヒヒイロカネの小刀を、物珍しそうにためつすがめつしている。
「よし、これは貰っておくとしよう」
「もう行って構わんぞ」
「……あ?」
我慢を重ねていた黒曜であったが、とうとう我慢ならなくなった。
堪忍袋などはとうの昔、得物を見せろの時点で緒を切っていたが、それでも大ごとにはすまいと、必死で耐えていたのだ。
「なんだぁ?」
「武士に楯突くつもりか、貴様ぁ!」
「……ふざけろ馬鹿野郎が」
「なにっ!」
鼻白む武士二人を尻目に、黒曜は奥に立つ上級武士に向かって言い放った。
「あんた、こいつらの上官か? 最近の武士は物盗りにでも成り下がったのか? おい」
「貴様っ! どなたに向かって口を利いている!」
「この御方はなぁ! 今をときめく藤原家直系の」
「うるせぇ」
「ひっ」
ぴぃぴぃと喧しい武士を一喝して黙らせた黒曜は、上級武士に向き直った。
「あんたが藤原だろうがなんだろうがどうでもいい。わざわざ頭下げて、穏便に済ませてやろうってのに、他人の持ち物をせびるたぁどういう了見だ。筋の通らねえ真似してもらっちゃ困るんだがな」
「……おい、その小刀をこやつに返せ」
「え、でも」
「返せ」
「は、はい」
渋々渡される小刀を受け取った黒曜は、それを元のように帯に差し込んだ。
見ると、それまで後ろにいた上級武士が前に出ている。
(……いつの間に)
その身のこなしに黒曜は興味を持った。
りんのような鮮烈な動きでも、ましてや黒曜の動きでもない。
するり、するりと音もなく動く。衣擦れの音すら気にさせないその動きは、正に影のそれである。
藤原某は黒曜の前に立つと、おもむろに地面に膝を付き、深々と頭を下げた。
「此度のこの者らの無礼、誠に申し訳ない。監督する身でありながら、つい反応を伺ってしまった。どうか、この通り」
「お、おやめください! 我々のためにそのような……」
「そうです! このような者に頭を下げるなど」
「馬鹿者! お主らも頭を下げよ! 相手が誰であろうと、その持ち物を自由にしていい理由などあるかっ! お主らの主人はそう教えたか! 痴れ者が!!」
「くっ……」
一喝された武士二人も渋々ながら膝を付く。それを見た黒曜は、この藤原という男にますます関心を持った。
(この男、物事の筋を弁えている。……それに、強い。お主らの主人と言っていたがこの男、直接の上役ではないということか)
「どうぞ、お顔をお上げください。私の方は、この小刀が戻りさえすればそれで構いませんので……」
「左様か」
藤原が顔を上げ、残り二人もそれに倣う。
それに合わせ、黒曜も軽く頭を下げた。
(……一先ずはこんなところか。大方、こないだの村の一件を調査しにきたのだろうが)
「ところで、鍛冶屋殿」
「……へい」
ふいに声を掛けられ、顔を上げた黒曜が見たものは、今まさに刀を抜こうとする藤原の姿だった。
「! ちぃっ」
抜きざま、横薙ぎに一閃する刀の軌道を読み、飛び退る黒曜。左手は背中にまわり、例の小刀の柄を握っている。
「……やはりな」
「ふ、藤原様……?」
「お主ら、修練が足りんな。この男は只の鍛冶屋ではない」
「なんですと……?」
「そうであろう、鍛冶屋。……いや、ヤトハレか?」
黒曜は素直に驚いていた。鍛冶屋でないと見抜いたばかりでなく、黒曜がヤトハレであることにすら気付いている。
「なんのことで、ございましょう」
「誤魔化さずともよい。その身のこなし、並みのものではあるまいよ。とはいえ我々のような剣術とも違う。……生きる為、屠る為の獣の動きだ。違うか」
「……困りましたな」
言いながら黒曜は、少しも困った表情を見せていない。それどころか、うっすらと笑みすら浮かべている。
その黒曜の出す殺気に、少なくとも表向きは全く動揺を見せない藤原も流石であった。
「一つ手合わせ願えぬか。なに、命をどうこうという話ではない。参ったで終わりの試合だ。――お主を見ていると、どうにも滾る」
こいつは同類だ。
黒曜は藤原に対し、自分と同じ匂いを感じていた。
「そちらの、お若い衆はいかがなされるので」
「ふむ、そうだな。……お主ら、あのヤトハレと試合ってみぬか」
「わっ、私たち、でございますか」
「何、先程も言うた様に、別に命のやりとりをしようというのではない。ほんの力試しだ。
やってみよ」
「別に俺は構いませんよ。……殺る気で仕合ってもね」
「ふ、怖いな。……そら、二人がけでいっても構わんぞ」
挑発され、けしかけられ、武士二人は左右に並び立った。
一人は刀、もう一人は短槍である。
いずれも黒曜に気圧され、完全に及び腰だ。
これでいっぱしの武士気取りかと黒曜は呆れたが、このままでは拉致が明かない。それに、本番はまだこの後に控えている。
黒曜は小さく溜息をつくと、腰に差した小刀を鞘ごと抜き、地面に置いた。
「――これでどうだ」
「なっ! ……貴様っ!」
「こっちは丸腰。……それでも怖いかい、坊っちゃん方?」
「なめるなあっ!!」
槍の武士が勢いかかって一突き、黒曜の心臓に向かって踏み込んだ。黒曜はそれを躱すでもなく、ただ右手を伸ばして柄を掴む。
「遅えよ」
「くそっ! 離せっ!!」
「隙ありっ!」
片手の塞がった黒曜に、刀の武士が走り寄る。塞がっている右手側に回り込むのは定石である。
だが。
「がっ!」
上段に刀を構え、振り下ろしたのがいけなかった。
黒曜は右手で掴んでいる槍の柄を捻り上げて刀を受けつつ、左脚を軸にして、刀の柄の部分を右脚で蹴り上げた。
刀は槍の柄に食い込み、槍の武士は柄を引っ張られたことで前のめりになる。柄を蹴り上げられた刀の武士の両腕は万歳の格好になっていた。
「ふんっ」
黒曜はそのまま身体を右に引き、前のめりになった槍の武士の体勢を更に崩す。すかさず重心を右脚に移し、左膝をがら空きの脇腹に突き入れた。
「があっ!!」
槍の武士がたまらず逃げた先には、件の万歳武士がいた。
二人はもんどり打って倒れ込み、ジタバタと藻掻いている。
「続けるか?」
黒曜の、全く抑揚のない声に二人は戦慄し、慌ててあとずさった。再び軽く溜息をついた黒曜は、今度は藤原に目を向ける。
「……あんたは」
「勿論」
藤原は既に収めている刀の位置を整えた。それを見た黒曜が、藤原から目線を外さずに小刀を拾い、背中と帯の間に挟み込む。
「やるかい」
「やろうさ」
陽の光を天に頂く晩秋の風が、ひゅるりと二人の間を駆け抜けていった。
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