りんと黒曜④
これにてひとまず「りんと黒曜」編は終了です。
少しお時間をいただいた後、新シリーズに入ります。
これからも「ヌシの庵の無頼客〜お山のゆるり隠れ家生活〜」
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外に出た村人を一掃した後、黒曜はりんのいる村長宅を見た。
(村人があれだ、中心になってた村長は推して知るべしってぇところだが……)
「おじちゃん……」
「お、そうだった。もう大丈夫だ、出てきていいぞ」
黒曜の後ろにあった薪小屋の中から、そこに予め隠しておいたあやかしの子どもが一人出てきた。最初に黒曜と出会った子どもである。
黒曜は、あの殺戮を見せずに済んだことに安堵しつつ、ふうにしたのと同じ様に膝をつき、身を屈めた。
「もう、こわいひと、いない?」
「おう、ここは大丈夫だ。これからおじちゃんな、ヌシ様をお迎えにいってくるからよ。もうちょっとだけその中で我慢だ、出来るか?」
「うん、待ってる。ヌシ様は何してるの?」
「……ヌシ様はな、今、お前たちのために戦ってんだ。……強いな、ヌシ様は」
「うん! オイラおおきくなったら、ヌシ様やかーちゃん達をまもるために、つよくなりたい! そのときはおじちゃん、つよくなりかた、おしえてくれる?」
自分も酷い目に遭ったにも関わらず、その気丈な物言いに、黒曜はこみ上げるものを感じたが、今はそうも言ってはいられなかった。
「ああ。お前はおじちゃんよりもっと強くなれるさ。だから今は、ここで待ってろ。な」
「はい!」
「……いい子だ」
そう言うと黒曜は、まだ小屋の奥からこちらを恐る恐る眺める子ども達にも目をやり、立ち上がった。
「さて。……向こうは佳境みてぇだな」
――――
「……さて、外も静かになったようだねぇ」
「ぐっ……、まさか、こんな……っ」
「鬼降ろし、か。まぁ訳を正せば同情する余地がないでもないが」
「そ、そうだっ! 貴様らや鬼どもさえいなければ……ッ!」
「勝手に踏み込んできたのはヒトの方なんだけどねぇ」
血肉の生臭い空気の中、りんは軽くため息をついた。先程から何度も同じような問答を繰り返している。
既に村長宅には、りんと村長の二人しかいない。
他の村人は全て、りんの体術により、一撃のもとに屠られていた。
我慢の限界に達していたりんは、すぐ近くにいた村人を三人程、その爪で肉の塊にしていた。次に、声を掛けてきた巨漢が後ろから襲いかかったが、りんの後ろ蹴りでその腹に大きな穴を開けている。
つい先程まで下卑た笑いと卑猥な視線に満ちていたこの空間は、今や血の池地獄さながらの体である。
そんな中、あくまでも自然体で立つ銀色に輝く狼のケモノビトは、その輝きをやや弱めていた。それでも、当然彼女の美しさに衰えはない。
対して村長は部屋の隅に追い詰められ、柱に背中を張り付けるようにしてガタガタと震えている。
「勝手に来て、勝手に耕して、勝手に棲み始めて。……まあ私たちも言えた立場じゃあないからね、それについちゃあ文句はないんだけどね。……挙げ句、お山からケモノビトを攫って仕事をさせ、雀の涙ばかりの供え物を寄越してさ。先々代からのしきたりっていうから渋々黙っちゃあいたけれど、ふうに手を出したのが運の尽きだったねぇ」
そこまで一気に話したりんは、改めて村長を真っ直ぐに見下ろした。
「知ってたかい? あの子はねぇ、先代の娘なんだよ。その力は折り紙付きさ。まだ幼いけどね。……つまり、あんたたちは、次のヌシになるケモノビトに手を出したんだ」
りんの発する銀光が、俄にその強さを取り戻していく。
「あまつさえ、他に攫った子らにしたこと。……到底許せるものじゃあないねぇ?」
「ひ、ひぃぃっ! ぐ、ぐぞぅおおおっ!!」
やけになった村長が、足元の村人の死骸から鉈をもぎ取り、大上段に振りかぶり襲ってきた。
りんはそれをこともなげに左手の指二本で挟む。それきり、鉈はビクともしなかった。
「……」
「! こ、このっ!! 離せっ!!」
「まだわからぬか……」
「このっ! 化け物がぁっ!!」
ふいにりんが、挟んだ鉈を離す。その拍子に村長は、後ろへもんどり打ってひっくり返った。
「よく言ったもんだね。その化け物をヒトに仕立て上げて喰らおうなんざ、あんたの方が余程の化け物に見えるけどねぇ」
「う、うるさい化け物! 貴様らなど、きさまラナド……っ!!」
「!?」
村長が言葉を言い終わらぬうち、その変化は起きた。
村長が急にえずきだし、身体を大きく跳ねさせる。まるで身体の中で別の生き物が暴れているようだった。
「お゛っ、え゛っあ゛っえ゛っ」
びくん、びくんと身体が跳ねる。縦に、右に左にと、無作為に身体を飛び回らせる。
それを繰り返す村長の肉体そのものもまた、変化し始めていた。
「大きくなっている……?」
「りん殿! 下がれっ!!」
「!」
ふいに聞こえた黒曜の叫びに、りんの体は咄嗟に反応した。飛び退り、黒曜の近くへと回り込む。
「黒曜殿、あれは何ごとだ!?」
「……变化だ」
「变化?」
「おう。……成功しちまってたらしいな」
黒曜は苦々しく吐き捨てた。
「……鬼降ろしが」
ごる。
ごがぎゅるぃ。
思わず耳を覆いたくなるような咆哮と共に、それはそこにいた。
村長だったそれは、全身を硬い毛に覆われていた。四つん這いだが、それでもその高さは黒曜の背に近いほどに膨れ上がっている。その顔は村長の面影はあるものの、眼は裏返り、口には巨大な牙が生え、頭には大きく曲がった巨大な角が二本生えていた。手足の形はヒトのそれだが、何倍にも太くなり、また、ヒトではありえない方向にひん曲がっている。
「牛鬼……」
「……厄介なのが降りて来やがった」
「でもご本家とは大分様子が違うねえ」
「ほう」
「黒曜殿、少しお下がりよ。あれはヒトに良くない毒を吐く」
「おめぇさんは大丈夫なのか?」
「なに、お山のヌシに効く毒などありはせぬよ」
それを聞いた黒曜が数歩下がり、ヌシは再び銀の光を強く放ち始めた。
「何を血迷うたか、牛鬼。ヒトを喰ろうて生きたお主がよもや、ヒトの身体に降りるとはの。……戻ったばかりで悪いが、すぐにまた冥府魔道へと戻してやろうぞ」
「お……おでぇ……ご、ろ゛ぜぇ……」
「委細承知」
りんは、両手を大きく広げた。銀色の光がりんの掌に集まってくる。
袖からのぞく彼女の肘から先に、筋肉の筋が深く入る。
同時にざわざわとその肌が蠕動したかのように、柔らかくしなやかな狼の毛が腕を覆っていった。
りんはそのまま顎を上げ、大きく息を吸い込む。
そして。
「ォー……ォォォォオォオオオォォオォォーー…………」
お山に届けとばかりに発せられたそれは、細く、長く、高く、美しい遠吠えであった。
それと同時に、銀色の光の力が増していくのを、黒曜は心から美しい、と感じていた。
ぉごぎゅる。
が、ごぉぎょろぉぉウ!!
牛鬼が大きく吼え、角を突き出すようにりんに突進した。
りんは大きく脚を開き、広げていたその手で、牛鬼の角を掴む。
「ふぅぅぅううっ!!」
拮抗するままに動きが止まる。りんの光は極大にまで達し、その光は全て、牛鬼の角に流し込まれていった。
が、ごぃぃいいぃぃぃ……
ぎゅひゅるるぅぅぅうぃぃぃぃ……
銀の光に溶かされる様に、牛鬼の身体は小さくなり、やがて最後の光が粒のように舞い、消えた。
後に残されたのは、異様な形に手脚が捻じ曲がり、舌を長く出して果てる、村長の肉体だけであった。
「終わったか」
「終わったさ」
「あやかしの子らは薪小屋にいる。連れて帰ろう」
「そうしよう。あの子らはお山の子だ。戻りお山の気を吸い、水を飲めば、傷ついた身体も治ろうというものさ」
「……二人は間に合わなんだ。済まなかった」
「……気に病まれるな。その子たちもお山へ連れ帰り、かの土に埋めてやるとしよう。……そうすれば、またお山の子として、生まれて来てくれる」
そして、りんと黒曜は子どもたちを連れ、最後に村に火を放ち、お山へと戻る。
お山に戻るとあやかしの子らを洞穴へ寝かせ、状態が良くなるまではりんとふうが世話をすることになった。黒曜は、
「俺の役目は終わった。またいずれ」
とだけ言い残し、その晩のうちにお山を降りていった。
りんは、
「やれやれ、慌ただしいお人だねぇ」
と呆れつつも、少しばかりの寂しさを含んだ声で笑っていた。
――翌朝。
「……あんた、何してんだい」
「おう、とりあえずちょいと助けちゃくれねえか」
目を覚ましたりんが見たものは果たして、まだ回復はしていないものの、元気を取り戻したあやかしの子らに、肩や頭、膝などに乗られて辟易している黒曜の姿であった。
「いやな、まだあんたから、もう一つの報酬をいただいてなかったからよ」
「……もう一つの報酬? まあ、私が用意出来るものなら」
「ありがとう」
「え?」
「そう、あんたに言われたくなった。昨日そういったはずだ」
「!」
「俺はまだ、あんたの口からそれを言われてねえ。……だから、それを取り立てるまで、ここに居座ることにした」
「……あんた」
「悪いか?」
眉をしかめ、不機嫌そうに呟く黒曜を見たりんは、つい可笑しくなって吹き出してしまった。
「ぷっ……、そうかいそうかい、そういうことなら構わないさ。……ただし、働かざるものは食うべからずだ、何かあったら手伝ってもらうよ?」
「そう笑うな。……とりあえずはこのガキどもをなんとかしてくれ。兎くらいは獲ってこよう」
「はいはい、ほらみんな、おじちゃんがご飯獲ってくれるからね、まだ治っちゃいないんだから、大人しく待っていなさい」
「はーい! おじちゃん、よろしくね!」
「分かった分かった、分かったから一旦降りてくれ」
その朝、お山に響き渡る木霊は、楽しそうな子どもの笑い声に溢れていたという。