ヌシの庵の無頼客⑨【最終回】
いよいよ最終回、お楽しみください!
「……っても、異界の行き方なんて」
「りんは恐らく集落までは行ってるはずぅってててっ、五郎丸、もうちょい柔くしてくれや」
「が、がん、ばる」
「集落に入口があるってか」
「それは分からんが……」
「まぁ、ここでちんたらしててもどうにもならねえやな。……よし、ちょいと見てきてやらぁ。てめぇはそこで肩どうにかしろい」
「……おう。頼んだ」
金の字が俺に頼み事たぁな、と捨て台詞を残し、足柄天狗はふわりと舞い、洞穴に飛び込んで行った。
「……すまねぇな」
「いい。ヌシ、様、助け、るの、お、前だけ」
「……おう」
それからしばらく、黒曜は無言で五郎丸の手当を受けていたが、やがて洞穴の中へ斥候に出ていた足柄天狗が帰ってきた。
「金の字! 見つけたぞ!」
「……あったか」
「おう、集落の長の家っぽいでけぇのがあったんだがよ、その中が丸々異界になってるみたいだ」
「……じゃあ、行くか」
「たて、るか、こくよ、う」
「おう、大丈夫だ。……すまねぇ、恩に着るぜ」
黒曜達は洞穴の中へと入っていく。死骸の横を抜ける時、鼻に死臭が突き刺さるが、それを気にしている余裕はなかった。
洞穴を抜け、集落を横切り、長の棲む家に辿り着く。
そこは、りんが来た時と同様の状態で、戸の向こう側が異界になったままだった。
「……ずっと開いてたんだろうが、向こう側からはこの戸は見えなかった。どういう作りなのかは全く分からねえけどな」
「……! りん!」
黒曜は、戸の向こう側にりんの姿を見つけ、矢も楯もたまらず駆け寄った。五郎丸と足柄天狗がそれに続く。
所々獣化が残ってはいるが、その美しい肌、輝くような銀髪は、いつものりんと変わるものではなかった。
黒曜は自分の服を脱いだ。それを、衣服が引き裂け、半裸の状態になっているりんに掛けてやり、その傍らに膝をついた。
「りん、りん! ……くそ、戻ってこい!」
「だめだ、金の字。下手に揺するな」
「まて、そこ、の、鬼、が」
「……黒曜、という、ヒト、はい、いる、か」
「……誰だあんた」
「こ、の、集落、の、長だ。カシラ、と呼ばれ、ている」
「……あんたもここに捕らわれたクチかい。鬼なら出られるんだろ? なぜ逃げなかった」
足柄天狗が尋ねる。自分達は五郎丸の力でこの異界から抜け出した。ならば、純血の鬼であるカシラなら。そう思ったのである。
「力、を封印、され、たから、だ……で、ヌシ殿、だが」
「……なんか知ってるのか」
「い、今、ヌシ殿、は、無理やり、寝かされ、てい、る。起こ、すに、は、ヌシ殿、の心、に入る、しか、ない」
「心にって……そんなこと出来ねえだろ」
「出来、る。……黒曜、どのなら、お、おそら、く」
「俺……?」
「魂、が、つなが、ている、なら、ヌシ殿、の心、に、魂、を、送れる」
「それ……帰ってこれるのかよ」
「わか、ら、ない」
「分からねえだと!?」
「構わねえ。送ってくれ」
黒曜の返事は即答だった。
「俺にしか出来ねえなら俺がやる。……そうでなくても譲る気はねえ」
「金の字……」
「……ヌシ殿、に聞いた、とおり、の男、だ。……なら、ば、ヌシ殿、の、手を、とり、額、同士を、くっつ、けなさ、れ」
「……こうか」
黒曜はりんの手をしっかりと握り、額同士をつけた。
「目を、つぶり、心、を、ヌシ殿、に向け、なされ」
「……」
言われた通りにする黒曜を確認すると、カシラは口の中でなにごとかの呪詛を唱え始めた。すると黒曜の体が小刻みに震え始め、その震えは段々と大きくなっていく。
「おいおい、大丈夫なのかよ……」
震えはどんどん大きくなるが、黒曜の手と額はりんを決して離さず、しっかりと繋げていた。
黒曜の体がびくん、と跳ね、それきり動かなくなった。
「上手くいったのか……?」
「あと、は、黒曜、殿、次第……」
――――
気づくと黒曜は、白い靄の中に一人、佇んでいた。靄の先には何も見えず、ただひたすらに白い世界である。
――ここが、りんの……?
黒曜がりんを想った時、目の前にりんが現れた。
りんはいつもの作務衣姿で、黒曜に背を向け、気付いていないようだった。
「りん!」
「……」
「りん……?」
「……」
黒曜の声を無視している風ではない。まるで気付いていないようだった。
(心の中、か)
――ならば。
「邪魔するよ」
「……おや珍しい。ヒトのお客人かい」
「俺の頼みだ。……すまねえが、俺の心を攫った女を返しちゃくれねえか」
黒曜が“俺の女”と言ったことで、りんが振り返った。
その顔は涙でぐしゃぐしゃになっていた。
「先に、攫ったのはっ、あんただろう、黒曜っ」
そう言って泣きじゃくるりんは、いつもよりもだいぶ幼く見えた。
黒曜は一歩近づき、りんの銀髪を優しく撫でる。りんはなすがままにその手を受け入れていた。
「……すまねえな、遅くなっちまった」
「ほんとだよぅ、もう、もう逢えないかと思ったじゃないかぁ……っ!」
「もう大丈夫だ、な」
「黒曜っ!!」
りんはたまらず、黒曜の胸に飛び込んだ。黒曜はりんの髪を撫でる手を止めず、そのまま腕でりんを包み込む。
「戻ったらまた“お山”のヌシだ。……今しばらくこうしていようさ」
「うん、うん」
りんは若くしてお山のヌシであることを余儀なくされた。
更に、親友の子を我が子のように育ててきたのだ。
一人気を張り、頼るものもなく、それでもヌシでありつづけた。
そこに、黒曜が現れた。
最初は不躾なヒトだと思い、にべもなく追い返すつもりだった。
が、黒曜はただのヒトではなかった。
対峙し、勝負し、心意気に触れた。
その時、りんは、負けたら次代のヌシである、ふうを頼むと言った。
言ってから、自分に驚いた。
――私は、なぜこんなに心を開いている?
その答えはすぐ近くにあったが、それに気付いたのは最近のことだ。
黒曜は強かった。強靭な肉体はもちろん、その精神もまた、これまでに遭ったヒトやあやかし、その全てを上回っていた。
そしてなにより、優しかった。
自分が黒曜の、その全てに惹かれていると気付いた。
同時に、自分が弱くなったという自覚もあった。
自分自身を頼るしかなかった頃に比べ、黒曜を心の拠り所にしてからの自分の精神が、柔らかく弱いものになっていると感じた。
だから、鬼の集落へは一人で行った。
そして、黒曜への想いに気付いた。
気付いた時には、りんは永遠とも言える眠りにつかされた。
それを壊しに来たのは他でもない。
自分がこの上なく惚れ込んだ男であった。
りんは、自分の心が完全に解け、なくしたと思っていた少女の心をさらけ出して、泣いた。
――――
りんと黒曜が異界に戻ると、五郎丸は既に出口を開いていた。その先は庵にほど近く、与平やふうも迎えに来ていた。
「お母ちゃん!! お父ちゃん!!」
「ほっほ、戻ったかよ。……どれ、黒曜殿の怪我でも診ようか」
「その前に。……直実はどうした」
「……来い。庵にある」
「……ある?」
庵に戻り、直実を見た。
「直実……」
「あんた、こんなになってまで……」
そこには、背中を砕かれ、もはやヒトであったモノと化した直実が横たわっていた。
「……ついさっきまで息をしていたんじゃがな。最期まで、黒曜殿、ヌシ殿と、お主らを案じておったよ」
「……すまねぇ。すまねぇな、直実。感謝の言葉もねえ」
「ん? ついさっきまで、って言ったかい?」
「ん、ああ。本当についさっきだ。……息を引き取ったのと入れ違いでお主らが戻ってきたくらいじゃ」
「……なら間に合うね」
りんはそう言って庵を出た。
大地にすっくと立ち、肩幅ほどに広げた脚で、お山の気を感じているようだった。
「ヌシ殿……?」
「……いけるのか、りん」
顔を上げ、両手を広げたりんの周りに、お山の清涼な気が満ち始める。
そして。
「ォー……ォォォォオォオオオォォオォォーー…………」
りんの高く深い遠吠えに、お山の気がざわめいた。暗闇の空に、気がきらきらと輝く。
それは、命の息吹とも言えるものであった。
「オォオオオォォオォォーーォー……ォォォォオォオオオォォオォォーー…………」
りんの遠吠えが長く深く、お山に響き渡っていく。
「! 直実殿っ」
庵の中で、与平の叫ぶ声がした。
急ぎ振り返った黒曜の眼の中に、肩を上下させる直実の体が入ってきた。
「直実……!」
一方、黒曜の体にも変化が起こっていた。
「おい、金の字、おめぇ……」
「かた、が、治って、る」
それは、りんとお山の起こした奇跡、とも言えるものだった。
お山の全ての生命が活性化し、息を吹き返していく。
「……待て、茨木童子も下手すると」
「その心配はねえよ、金の字」
足柄天狗と五郎丸は、揃って笑っている。
「どういうことだ?」
「あいつは異界に放り投げてある。お前らがヌシ殿の中から戻る前にな。あと、カシラは外に出しておいたぜ。しばらくすりゃあ、お山の裏も元に戻ってんだろ」
「……かたじけねぇ」
「ヌシ殿、のた、ためだ」
「あの姐さん、お山で起こる厄介事は、全部自分のせいだと思いかねないからな」
りんの遠吠えは続く。
それは、お山が新しく生まれ変わる、産声のようでもあった。
――――
緑に生い茂っていた木々が、あちらこちらで赤や黄など、色とりどりに化粧をし始める季節。
そろそろ日が翳ろうかという頃合いであった。
「おーいふう、そろそろ帰るぞー」
ふうを釣れて沢に降りて釣りをしていた黒曜が声を上げた。川に入って釣をしていたふうは、その声に振り返る。大きな耳がひくひくと動いていた。
「はーい、お父ちゃんはどうだったー、釣れた?」
「坊主は免れたってところだな。ふうは……聞くまでもねえか」
「へっへーん」
「また魚籠一杯か……ふうはすげぇなぁ」
「ねーねー、ふうも役にたってる?」
「おう、大したもんだ」
黒曜の大きな手に撫でられ、ふうはご満悦である。
「こればっかりは負けないもんね!」
「そうだな、今じゃお母ちゃんより上手いもんなぁ」
そんな話をしながら庵に戻ると、庵の外にはりんと客人が一人、立ち話をしていた。
「おや、帰ってきたね。……おかえり、ふう、黒曜」
「たっだいまー! 大漁ぉぅ!!」
「おう、帰ったぜ。……と、久しぶりだなぁ、直実……いや、藤原直実殿」
客人は、今ではすっかり元気になり、お山周辺の統治を任された、藤原直実であった。
「直実でお願いしますよ。どうにも“藤原”は肩が凝る」
「そうかい。……で、今日はどうしたんだ」
「実は……」
やれやれ、また面倒事かい。りんは少しだけ重くなった腹を撫でながら苦笑した。それを見たふうも、困ったもんだ、とばかりに腰に手を当てる。
――お山のヌシは ケモノビト
行けば帰れぬ 口のなか――
季節は段々と暮れてゆく。冬になり、春になる頃には、庵に棲む家族も一人増えていることだろう。
時は平安。
かつて金太郎、坂田金時の名を以て、四天王として戦い抜いた男、黒曜。
親友を殺され、その一人娘の母親となり、お山のヌシを継いだ女、りん。
眼の前で母親を殺され、りんに引き取られるも心を閉ざしていた、ふう。
今、三人を取り巻く風は暖かく、穏やかにそよいでいた。
【ヌシの庵の無頼客 〜お山のゆるり隠れ家生活〜 完】
長らくの応援、ありがとうございました。
これにて一旦、お開きとさせていただきます。
皆様、またのお目もじを。