ヌシの庵の無頼客⑥
与平の作った“抜け道”を使い、お山の裏へ出た黒曜。
出際に与平から聞いた道を辿り、鬼の集落への洞穴に、一歩一歩近づいてはいたものの、暗闇に慣れぬ道とあって、思うように速度を上げられずにいた。
「……左に大岩、その陰に……ここか。……む」
ようやく洞穴に辿り着いた黒曜だったが、そこは既に、魔窟と化していた。
洞穴の中から溢れ出る瘴気、そして死臭。それらが何を物語っているのか、黒曜は容易に想像がついた。
――これじゃあまるで屠殺じゃねえか。りんに聞いたのとは随分と様子が違うが……
「ん、なんだ?」
黒曜の見ている前で、洞穴前に澱んだ瘴気が渦を巻き、やがて鬼の姿を形作っていく。その鬼の形は、片腕の肘から先がなかった。
「……こいつ」
それは、異界にてりんを眠りに落とし、現界に戻り出てきた茨木童子であった。
完全に姿を表した茨木童子は、辺りをギョロリと見回し黒曜を見つけ、にたりと嗤った。
「おお……? おめぇ、坂田かぁ……」
「やっぱりてめぇか、茨木童子」
「久しいじゃねぇかぁ……。おめぇ、京にはいなかったなぁ?」
「……京に行ったのか」
「おう、おかげでこの様だ」
そう言いながら、未だ傷癒えぬ片腕を振り上げてみせた。
「異界でおめぇの女にも散々やられてよう。よく手なづけたもんだなぁ、坂田ぁ」
「! ……てめぇ、りんに何かしやがったのか!」
「さぁてな。まあ、なんにしてもあの女、もうこっちには戻ってこられねえ。残念だったなぁ、坂田」
「てめぇ……」
黒曜は無意識に真・波切に手を掛けていた。
殺気が一気に熱を帯び、爆発的に膨れ上がる。
「! ……おめぇ、また強くなってるのかよ」
黒曜の放つ殺気に、茨木童子は思わず後ずさりしていた。
「このままじゃあ相手にならねえな……っと、そうでもねえかぁ?」
「……ごちゃごちゃうるせえな」
何やら独りごちる茨木童子に、黒曜は苛立ちを隠せずにいた。
すると、黒曜の背後からふいに声を掛けてくる者がいた。
「ほう、坂田殿ではないか」
「賀茂周明……」
それは、五郎丸と足柄の天狗を異界に落とし戻った、はぐれ陰陽師、賀茂周明であった。
「一別以来よのう。……どうやら、あの狼女はいないようじゃが」
「賀茂よぅ、おめぇの方は上手く行ったようだなぁ?」
「……てめぇら、手ぇ組んでやがったのか」
「くくく。お互いに京には恨みがあってなぁ。で、茨木の。とりあえずでかい河童と天狗は落としておいた。……まぁ、こやつには逃げられたがのぅ」
「! ……あのでけぇ髑髏はてめぇの仕業か」
「あんなことが出来る陰陽師がこの儂をおいて他におるかよ。それを判って逃げたのかと思うておったわ」
周明は下卑た笑いを黒曜に向けた。
「あの狼女がおらねば、貴様如き潰すのは訳もあるまいによぅ。ヒィッヒ、ヒ、ヒ」
「……殺されてえみてぇだな」
「俺もいるのを忘れんなよ、坂田。……二人相手に勝てると思うてか?」
「……馬鹿が」
黒曜の発する殺気はもはやはち切れんばかりに膨れ上がっている。対する二人は、はぐれとはいえ名門賀茂家の陰陽師、そして今は隻腕となったが、酒呑童子の右腕とまで称された鬼。
やりあえばどちらが勝つにせよ、双方ただでは済まないことは、この場の誰もが理解していた。
黒曜は手を添えた真・波切を抜き、その切っ先を賀茂周明に向けた。
「てめぇからか。それとも」
続けて切っ先を茨木童子に向ける。
「てめぇがやるか。……同時でも構わんぜ」
「どちらでもないな」
茨木童子は即座に応えた。
「急々如律令」
一瞬眼を離した隙に呪符を用意していた周明が呪を唱える。すると、黒曜の足元の地面から無数の腕が生え、黒曜の足に捕まった。
「しまったっ」
「馬鹿が。そのまま我らに嬲り殺されるがよいわ」
周明が嘲笑う。その顔は以前、黒曜に“化け物”と吐き捨てられた時以上の醜怪なものであった。
そんな周明に、茨木童子が声を掛けた。
「賀茂の。ご苦労だった。……もういいぞ」
「どういう意味だ?」
「おめぇの出番はこれで終わりだ。……最期は俺の糧となれ」
「なんだとっ!? ……な、なんだっ!?」
茨木童子が右腕を周明に向け、掌を開いた。その瞬間、周明は突然引っ張られたように茨木童子の手まで、一飛びに吸い寄せられた。そのまま鬼の掌は、がっしりと周明の胴をわしづかむ。
「なっ! 何をするっ!」
「決まってんだろう。おめぇの力を取り込んで、俺がさらに強くなる。その上で坂田をぶち殺してやりゃあ、おめぇも本懐を遂げられるってもんだ」
「ふ、ふざけるなっ!! や、やめろっ!! た、助け、ひぃっ!!」
喚く周明をものともせず、茨木童子は、掴んだ掌を閉じていく。胴を絞られ、まともに息も出来なくなった周明は、それでも喚き続けた。
「話が違うぞ! これが終われば、貴様が儂の守護となるぁあああ!! がああああああ!!!!」
「その時とは話が変わっただけのことだ」
周明の胴体は、既にあり得ないほどに細くなっている。掴まれた部分にあった臓物は身体の中を上下に別れ、周明自身は完全に白目を剥き、だらりと舌を垂らしている。
「おめぇの肝を喰らい、その力をいただく。ま、悪く思うな」
そう嘯いた茨木童子は、そのまま周明にかぶりついた。
ぞぶり、と臓物を喰らう音が響く。
「!!!! ……――」
周明は一度びくん、と大きく身体を仰け反らせたが、そのままぐったりと動かなくなった。
周明が絶命したと同時に、黒曜の足に絡まる腕が消える。自由な身となった黒曜は、改めて愛刀を正眼に構えた。
「最初からそのつもりだったな」
「当たり前だ。この俺が、なぜあんな糞陰陽師の守護にならねばならん」
「……てめぇ、どこから手引きしてやがった」
「この山の麓の村にちょっかいかけたのはこの賀茂の野郎だ。俺はその話を異界で知ってなぁ。それで牛鬼を降ろさせた」
「……てめぇの仕業だったか」
「それもこれも酒呑童子様を復活させるため……というのは方便だがなぁ」
「その方便で他の鬼どもを騙し、てめぇが狼煙を上げたわけか。……どこまでいっても屑は屑だな」
「……なんだと?」
挑発する黒曜の言葉に、茨木童子は苛立った。
「俺達が酒呑童子を倒す時、てめぇは既に逃げ去った後だった。右腕とまで言われたてめぇがいないおかげで、予想よりも被害が少なく済んだのは、逆に感謝すべきことかもしれねぇけどな」
「うるせぇ!! 俺ぁな、そもそも酒呑童子なんて野郎の下でくすぶってるつもりなんて最初からなかったんだよ!! だからあの時も、わざとおめぇらをけしかけて首取らせたんだろうが!!」
そう言って激高する茨木童子を、黒曜は冷たく鼻で嗤った。
「どうにも見下げ果てた屑だな。で、今度ははぐれ陰陽師を騙して力を手に入れたか。……いいぜ、だったらてめぇに教えてやるよ」
再び黒曜の殺気が膨れ上がる。二人の間の空気が密度を上げ、熱を帯びる。
「……てめぇはもはや、鬼でもなんでもねぇ、ただの屑だってことをな!!」
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