りんと黒曜③
りんと黒曜編は次回で終わり、また新しい章が始まります。
引き続き、お楽しみください。
黒曜が村長の家を辞した後のことである。
りんは、早くも村人に囲まれていた。
(やれやれ、困ったねぇ)
りんは然程気にもとめていない様子で村人たちを見回した。
ざっと数えて三〇人程、この場で片付けるのは問題ないが、これで全てなのかがわからない。
くわえて、黒曜のこともある。
子ども達を見つけたはいいが、その時点で人質に取られていたら。
恐らくあの男は、為す術もないだろう。
そう考えたりんはひとまず、少しでも情報を引き出しつつ、時間を稼ぐ手段に出た。
「……さて、随分と沢山の殿方が出て参りましたねぇ」
「元々今夜は会合の日だったのでな、そこに貴方がたが戻られたという訳ですよ」
「なるほど。……して今夜は、お集まりで一体何を?」
「そんなこたぁあんたに関係ねえだろう」
割り込んできたのは、それなりに大きな男である。りんと同じくらいの目線だが、横幅は黒曜よりありそうだ。
男は、下卑た嗤いを浮かべながら、お世辞にも品があるとは言えない口調で続けた。
「関係があるのぁこれからだぜ、ねえさん。どうにもこの締まった身体、灼いて喰おうか煮て喰おうか」
「あらあら、お手柔らかに」
「……そう粋を見せていられるのも今のうちだ、ヌシ殿。……どうやってヤトハレ殿を懐柔したかは知らぬがな」
「……さて、何のことやら」
言いながらもりんは冷や汗をかいていた。
(この村長、意外と喰えぬ)
「いずれ、ヤトハレ殿にも知れようことよ、ヌシ殿にも少し話してやろう。……この村に、女子供が居ない訳をな」
「……やはりあの子らは皆、あやかしの子か」
「ほほ、声が変わったな。……そうとも、あれらは皆あやかし。それを人の子に見立てたのよ」
次に村長の紡ぐ言葉に、りんは絶句した。
「耳を削ぎ、尾を千切り、牙を引き抜いてな。……人の子として、贄とするのじゃ」
「……!」
「女共は既に贄とした。人の子もじゃ。だがまだ足りぬ。……まだ、儂らの肉体に神が降りぬ」
「神降ろし、じゃと……!?」
神降ろしとは、本来巫女の行う神儀である。清めた自分の身体に神を降ろし、宣託を受ける。それはこれから自分たちが進むべき道を示していたり、今ある困難を切り抜ける為の知恵であったり、その内容は様々である。その方法もいくつかあり、降ろしたい神によってその作法は異なる。
だが、人を贄として降りる神など。
――ある。
「主ら、まさか喰ろうたか!」
「……気付いたか」
「鬼をその身に降ろすには……それしか、あるまい……っ!」
唸るように漏らすりんのその言葉に、村長はじめ村人達はニタリ、と嗤った。
“鬼”とは本来、神ではない。
この時より数年前、鬼の総大将たる酒呑童子が、渡辺綱率いる四天王により討ち取られて以来、逆にその鬼の力に魅了されて信奉する者がいる、という噂は立ったが、いずれもその実態は知られぬまま、いつしか種火が消えたかの様に噂すらされなくなっていった。
――それが、この者たちであったか。
自らの統べる“お山”の麓に、よもやそんな暗黒教団があったとは。
沸々と煮立つ怒りに、りんの心の奥に潜む何かが目覚め始めていた。
「酒呑童子様がこの身に降りるのにはまだ業が足りぬ。女を喰らい、子どもを喰らい、それで足りぬならば……」
村長の眼は、どぶの様に濁り切っていた。
「あやかしの子、女。無理矢理にでも人として喰らい、業を高め。……そして儂らの身に鬼が宿らば、今再び鬼の力を世に知らしめてやるのよぉ!」
「お主らっ……この、外道……っ!」
「ふん、なんとでも言え。いずれお前も儂らに喰らわれる運命よ」
「やめておけ。腹壊すぞ」
「ぬぅっ! ……戻りおったか」
離れの外から声がし、村長の視線が外に向く。
それを追わずとも、その声が黒曜のものであることは、りんには分かっていた。
「随分と待たせるねぇ」
「済まねえな。おかげであやかしの子らは見つけたさ。……二人程、間に合わなかったがな」
「見つけた、だと……?」
「おう。見つけた。お前ら、これで隠したつもりだったんだろう?」
そう言って黒曜が村長に向けて放ったのは、封印の呪符である。あちこちが掠れ、文様や呪詛の言葉が擦り切れていた。
「この手の呪符はな、小まめに張り替えてやらねえと効果がどんどん薄れていくんだ。それに、書かれている呪いも軽い。造ったのがどこの陰陽師だか知らねえが、随分と杜撰な造りだったぜ。……子供の力で、戸を動かせる程にな」
「くっ……貴様、ただのヤトハレではないな」
「ただのヤトハレさ」
黒曜はにやりと笑い、担いでいた斧を降ろすと、巻いていた布を解いた。
「ヤトハレが普通じゃねえだけだ」
「……もういいかい」
りんが小さく呟く。見ればその髪は鬣の如く総毛立ち、暗がりの中でも銀色の淡い光を放ち始めていた。
「我慢が限界だよ」
「構わねえさ。……存分にやりな」
その黒曜の声が合図だった。
次の瞬間、りんのいる辺りから、ぞぶり、ぺき、と、肉を切り骨をへし折る音が聞こえた。
「あ゛っ」
「ひ、ひぃっ!」
「ひぃあぁああああっ!!」
「く、くそっ」
「逃がすかよ」
散り散りに逃げようとする村人の前に立ちはだかるのは、黒曜である。
「て、てめぇっ!! ヤトハレの分際で!!」
「そこをどけぇっ!」
「今てめぇが言ったろう。ヤトハレの分際で、持ち場を離れる訳にはいかねぇんだよ」
そういいつつ、黒曜は大斧の一番下、石突と呼ばれる辺りを左手で握り込む。左脚を前に、腰を深く落とし、左腕を右の肩口まで捻りこんだ。更に右腕を前に突き出し、拳を握る。
「てめぇらはもう人じゃあねえ。鬼を降ろす? そのために人を喰らう? 挙句に幼子、あやかしにまで? そういうのをな、人を辞めた、“ヒトデナシ”ってんだよ」
「う、うるせぇ! 鬼くらいしかもう縋ることも出来ねえ、俺たちの気持ちが分かってたまるか!!」
「上からは年貢だなんだと絞り取られ! 戦のせいで何年も土地が枯れ! ……俺たちに他にどうしろっていうんだ!!」
「都合よく捻じ曲げてんじゃねえ馬鹿野郎が。土地が枯れてんのはてめぇらが何もしねえからだ。鬼の棲み家とお山が近かったのを良いことに、その全てを鬼とお山のせいにして、何もしてこなかったてめぇらの自業自得だろうが。……そもそもこの地には、年貢なんざかかっちゃいねえ」
「なんだと! じゃああの年貢はなんだったんだ!」
「知らねえよ。村長にでも聞いてみな。……地獄でな」
黒曜はそれきり、口を閉ざした。
空気の重さが増す。
村人達はそれぞればらばらに逃げ出そうとするが、黒曜から発せられる重圧に、脚を動かすことが出来ずにいた。
増した空気の重量が、更にどんどん増していく。息苦しいまでに詰まり切った空気に耐えきれぬ村人が一人、落ちていた鍬を拾い上げ、狂ったように叫びながら黒曜に投げつけた。
その時。
「――殲!!」
黒曜が投げ放った大斧が、唸りを上げて村人たちに襲いかかる。
逃げ惑うヒトデナシを次々に沈め、一周して帰ってきたそれを片手で受け止めた黒曜は、まだ残る村人数人に向かって豪然と斬り込んだ。
りんと出会った時の、どこか静寂な趣すらあった戦いとは全く違う。
まるで獣が獲物を狩り尽くすかのような、純然たる暴力である。
腕が飛び、首が飛び、無造作に踏み潰されていく。
――地獄絵図だ。
誰かがそう呟いた。次の瞬間、呟いた者の頭は宙を舞っている。
逃げた全ての村人が肉塊と化し、一人佇む黒曜の姿は、まるで、酒呑童子の再来かと思わせる程の禍々しさであった。
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