ふう②
「じゃあいくか」
「はいよ」
「おでかけーっ!」
お山の向こうの夫婦山。
その山間部に棲むという、天狗の大工に庵の拡張を依頼しようという道行きである。
はじめは面識のあるりんが行くという話だったが、ふうがどうしても行きたいとだだをこねるので、ならばと三人で連れ立っていくことになったのだった。
とはいえ、流石に庵を空にするのはあまりよろしくないということで、以前黒曜と相撲勝負をした河童の五郎丸を呼び、留守を頼むことにした。
「すまねえな、帰ったら美味いもん食わせてやるからよ。りんが」
「はいはい。じゃあ留守を頼んだよ」
「ごろーまるのおじちゃん、いってきまーす!」
「ぎを、づげ、て、な」
黒曜の肩の上から元気に手を振るふうに小さく手を振って応えながら、五郎丸は、
(まるで家族だなぁ……)
と、少し羨むような眼で送り出すのであった。
「ねー、お父ちゃん」
「おう?」
黒曜がお山に戻って以来、ふうは黒曜のことを「お父ちゃん」と呼ぶようになった。黒曜も初めはこそばゆいやら気恥ずかしいやらで断っていたのだが、今はもう、すっかり呼ばれ慣れているようだった。
「ふう、しっぽむずむずするの」
「おや、じゃあふうもそろそろだねぇ」
「そろそろー?」
「おう、大きくなるとな、ふうはしっぽが増えるんだってよ」
「そっかぁ……」
「どうしたんだい?」
話を聞いて少し浮かない顔をしたふうに、りんが尋ねた。
以前なら早く大きくなりたい、お母ちゃんみたいに強くなってお山を守りたい、そう言っていたはずなのだが。
「だって、おおきくなったら、お父ちゃんのっけてくれなくなっちゃう……」
「おや」
聞いたりんがニヤニヤと笑う。そして、
「ふうはお父ちゃんの肩がお気に入りだねえ」
「うん、ふう、お父ちゃん大好きだもの!」
「そ、そうか……」
父親扱いには慣れても、こうも直接的な好意には慣れていない黒曜である。もごもごと口の中で応えると、後は黙りこくってしまった。
「お父ちゃん?」
「ふう、お父ちゃんは照れてるだけだよ。そのうちいつものお父ちゃんに戻るから。ほら、ちゃんと捕まってないと落っこちちゃうよ?」
「はーい! ぎゅーっ!」
ふうは口で言った通り、黒曜の頭をぎゅっと抱え込んだ。黒曜は少し困り顔になったが、なすがままである。
「だいぶ板に付いてきたねぇ、お父ちゃん?」
「茶化すんじゃねえよ。ったく、どうにも調子が狂う……」
くつくつと笑うりんに眉をしかめる。が、実際の所、黒曜もこの生活に慣れ始めていた。
(まぁ、悪かねぇな……)
幼い頃から腕白に育ち、六歳の頃には足柄山の当時のヌシ、熊のケモノビトと相撲を取って遊んでいた。
のちにその力を見初められ、武士として徴用されて以来、数々の戦場を駆け抜けてきた。
その手は血に染められてはいるが、ヒトとしての心を手放したことは、只の一度もない。かの酒呑童子との闘いの中においても、最後までヒトでありつづけようとしたのが、この黒曜であった。
(……俺の半分は、鬼の血が流れている、か。知ったことじゃねえな)
半分鬼であっても、もう半分はヒトである。ヒトとして生き続けることに何の問題もない。むしろ、鬼の力を持つが故に、りんと共に、ふうやお山を護ることも出来るのだ。
それに感謝こそすれ、恨むつもりは全く無かった。
「……そろそろお昼にしようかね。もう少し行くと、例の沼のあたりだ。あの辺はヒトも通らないし、今じゃぬかるみもないしねぇ」
「おう、そうだな。ふう、それでいい、か……?」
「おやおや」
ふうは黒曜の肩で彼の頭を抱きながら、すやすやと寝息を立てていた。
「……器用なもんだなおい」
「ふふ、余程居心地がいいんだろうさ」
「……腹が減ったな。急ごう」
「あ、ちょいと。……まったく、照れ隠しも力ずくだねぇ」
そう苦笑しながら、りんは速度を上げる黒曜を追いかけていった。
「……このあたりか?」
「ああ、昔はこの辺に沼があったんだ。それなりに大きい沼だったんだけどね……あ、ほら、あの草むらの際の辺り。生え方が少し不自然だろう? その先もしばらく土だけだ」
「ああ、だいぶでかいな。……しかし、もう何年も経つのに、草の一本も生えねえとはな」
「毒沼だったからね」
「毒?」
「そうさ。由来は知らないけれど、魚はおろか、藻のひとつも生えやしなかったんだよ。そのくせ水は綺麗に透き通っていてね」
「そんな毒聞いたことねえな」
「私もさ。……ただ、ひどく臭かったんだ。なんていうか、鼻の奥をつついてくるような」
「臭くて透明な毒沼、か」
それほど風変わりな沼ならば、ヒトの噂にもなろうというものではあるが、黒曜はついぞ聞いたことがなかった。
「なら、干上がって良かったじゃねえか。こうしてど真ん中を歩いて、真っ直ぐ夫婦山に向かうことも出来るしよ」
「ま、そうなんだけどね。ただ、一夜にしてってのがあまり気味のいい話じゃないからねぇ」
「たしかにな」
黒曜は一先ず、藤原直実には伝えておこう、と思った。調べさせるためである。
過去はどうあれ、今が全く問題のない場所ならば、それはそれで構わない。
だが、これほど大きな土地があって、それがヒトに知られず、今なお草木も生えぬとなれば、何らかの問題があると、黒曜はそう踏んでいた。
「ともあれ、そろそろ昼にしようかね。沼の向こう岸の草むらを超えると、丁度いい場所があるんだよ」
「詳しいな」
「以前、このあたりはちょいと縁があってね……と」
「どうした……ぬっ」
沼だった空き地の真ん中あたり。
草木一本、虫一匹いない、土ばかりのこの場所で、りんと黒曜は何者かの気配を感じていた。
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