りんと黒曜②
先行掲載分が好評でしたので、続けて二話目を掲載いたします。
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黒曜とりんが麓の村へと行く道すがらである。
もうすっかり陽は落ち、辺りには暗闇が深く拡がっていた。
りんは動きやすい旅姿に身支度をし、質素ながらも清潔な装いで、黒曜の少し前を歩いている。
そんな中、口を開いたのは黒曜であった。
「ヌシ殿」
「りん、で構わぬよ。して、いかがされた、ヤトハレ殿?」
「くくっ……。黒曜で構わねえよ。いや、あのふうって子のことなんだがな」
りんの軽い意趣返しに、してやられたという表情で苦笑した黒曜は、先程から気になっていることを尋ねた。
「あの子ども、りん殿の子ではないな」
「……なぜそう思う」
「あの子は狐だろう」
黒曜は表情を変えずに言った。
「以前、狐のケモノビトを見たことがある。耳や尾の形、顔つき、毛並み。少なくとも銀狼の子ではなかろうよ」
「鋭いね。……そうだよ、あの子は私が腹を痛めた子ではない。私の親友の子さ。生まれて間もなく母親が死んじまったんで、私が育てることにしたのさ」
「……なるほどな」
聞いた黒曜は、少しバツが悪そうな顔で、髪をボリボリとかいた。
「すまぬことを聞いた。どうにも俺ぁガサツでいけねえ」
「ふふ、なに、構わぬさ。彼女とて、娘を護っての討ち死にだ。本望でこそあれ、恨むことなど何もないよ」
「……強ぇんだな、ケモノビトってのは」
そんな黒曜にりんはくすり、と微笑む。
(微笑ましい御仁よの)
りんは、この巨大な斧を自由に振り回す屈強な大男を可愛らしい、と感じていた。
一方、黒曜は黒曜で、りんの身体能力に改めて舌を巻いていた。木の根や石ころなど、昼間のように避け、進んでいく。
それに付いていける黒曜もまた、人間離れしている。
(流石に夜目の利くことよ。月明かりだけでよくぞこの速さを出す)
「あの子は強い。……そう、あの子自身がいるだけで、あの庵にヒトが寄り付かない程度にはね」
「それが、なんで攫われたんだ?」
「まだ幼いからね。あの子の力は、庵の周りでしか表すことが出来ないのさ。……ところが、あの子はわんぱくでねぇ。洞穴を出て、森の中で遊んでいる時に攫われたと、そういうことさ」
「そうか」
黒曜は、自らの子供時代を思い出していた。自分も野山を散々駆け回り、時には迷子になって泣いて帰ったものだ。
大人という生き物は狡猾だ。
あの時の自分が攫われたなら、いくら力が強かろうと、まともに抵抗など出来ぬまま連れて行かれてしまうだろう、とも思う。
「あの子が次のヌシ、か」
「まだわからぬさ。……あの子の代になった頃には、ヌシなど必要のない、そういう世の中になって欲しいとも思っているよ」
「……そういうものか」
「そういうものさ」
それからしばらく二人は無言で下山を急いだ。
程なくして、森の木々の間にぽつり、ぽつりと灯りが見え始めた辺りで、二人は休憩を取っていた。これからの手はずを相談するためである。
「村を潰す、とは言ったものの、罪のない者に手を出したくはない。狙うはふうを攫った人間、ということになるかねぇ」
「……潰した方がいいかもしれん」
「! ……どういうことだい?」
「ふうが言っていた、他にも痛いことをされてる、てぇのが気になる。少なくとも、アヤカシの類の子どもってことだろう」
「そりゃあそうさ。子どものうちは耳も尻尾も隠せない。ひと目見ればわかるだろう」
「わからなかった」
「……え?」
「あの村で、俺は子どもを六人見た。……全員、人間に見えた。生気はなかったがな」
黒曜の言葉に、りんは戦慄した。
まさか。
黒曜の言うのが本当だとしたら、いや、この男はこんなことで他人を騙す男ではない。
ということは。
「……依頼を受ける時、村長が言っていた。高齢化が進んで、子どもはこの六人だけだ、とな」
「なん……」
「こいつぁ……」
とんでもねえオニが棲んでいそうだ、と黒曜は誰とも知れずに呟いた。
――――
「いやあ、そうですか。探していたケモノビトの娘は死んでいた、と」
「ヌシに聞いた話だと、連れ帰った時にはもう虫の息だったらしい。で、この女を連れて行けってことでな」
村に入った二人は、まず村長の家へと向かった。そこでは、村の男衆が集まり、なにやら会合を行っていた。それを好都合とばかり、りんと黒曜は村長に依頼の報告にやってきたのだった。
離れに案内された二人だったが、今はそこに村長が現れ、膝を突き合わせての話し合いと、そういう流れである。
村長が好色そうな眼をりんに向けると、りんは不快感を隠しもせず、村長を睨んだ。
「なるほどぉ……しかし、これは中々の……」
「時に村長殿、あんた、その娘が連れ去られた時、ヌシのことは見なかったのかい」
「ああいや、その時は私は野暮用がありましてな、ここにはいなかったのです」
「ああ、通りで。……これがその、ヌシなんだがね」
「なっ……!」
村長が驚きのあまり、座ったまま後ずさった。
やれやれ、器用なことだと思いつつ、黒曜はりんに声を掛けた。
「おい、これから世話になる村長殿にご挨拶だ」
りんは少し不満げな眼を黒曜に向けると、村長に向き直り、見事な三つ指をついてみせた。
「“お山”のヌシ、りんでございます。我が娘とはいえ、大変なご無礼をいたしました。生憎あの子は既に御用たまわりかねる次第ゆえ、私自身をもってご奉公させていただきたく参上いたしました。……何卒」
「い、いや……」
「村長殿」
黒曜はにやりと笑い、村長に近づいて耳打ちをする。
「あの女、既に飼い慣らしてある。これでも一端のヤトハレだ、そういう手練手管はあるさ……まぁ多少はごねることもあろうが、なに、ヌシとはいえ、女は女だ。……あとは、よしなに、だ」
「……な、なるほど」
村長の眼が再び好色に濁る。
頃合いとみて、黒曜は得物を持って立ち上がった。
「こ、黒曜殿、どちらへ?」
「野暮は好きじゃあねえんでな。ちょいとお散歩だ。他の連中も母屋にいるんだろう? まずはお披露目、楽しんじゃあどうだい」
「へ、へへ、じ、じゃあお言葉に甘えて……」
部屋を出る前、黒曜とりんは一瞬目線を交わした。
(じゃ、頼むぜ。上手く引き付けておいてくれ)
(……仕方ない、引き受けたよ)
黒曜が外に出ると同時に、家の中がにわかに騒がしくなった。
「ま、指一本でも触れりゃいいけどな」
ぼそりと呟き、村の中を歩きはじめる。
要は、りんを囮にしたのである。村の男たちの目をりんに向け、その間に黒曜は村を探索する。
目的は、子どもたちの確認と救出である。
(六人がばらけているとは思えねえ。いずれかの家にまとめて放り込まれてんだろうが……さて)
村長の家に集まっていたのは、村の男衆のみだった。ということは、女たちはそれぞれの家にいるはずである。
だが。
「人の気配がねえな……」
どの家にも、そこに人がいる気配がない。
更に、どこからかは分からないが、肉の饐えたような臭いが漂ってきている。
黒曜はこの臭いに憶えがあった。
(どっかで人が死んでんのか……?)
かたん。
「!」
黒曜の目線の先にある戸が鳴った。
風か、とも思ったが、戸が鳴るほどの風は今吹いていない。
(……あそこか)
黒曜は躊躇うことなく、その戸に向かって歩みを進める。それと同時に先程の臭いも強くなっていった。
「……当たってくれるなよ」
がらり、と黒曜が開いた戸の奥には。
「……だ、れぇ」
「こぁ、いよ……」
「やだよぅ……」
「……ぃ、たぃ」
「……」
「……」
恐らく全員があやかしの子であろう。
まともな服も着せられず、ボロボロの布を身体に引っ掛けただけの子どもが六人、むせ返る程の血膿の臭いを出したまま、放り込まれていた。
黒曜は膝をつき、出来るだけ子どもたちを怖がらせないよう、ゆっくりした声を出した。
「……待たせたな。お山のヌシ殿から、お前たちを助けてくれと頼まれた。お友達のふうって子も無事だ。お山に戻るまではもう少しの我慢だ。……立てないのはいるか?おじちゃんが運んでやるから言ってみろ」
「ヌシ、さまの、お、とも、だち……?」
「あぁ、そうだ。ヌシ殿も心配してな、この村にお前たちを迎えにきてる」
「ほん、と……? おじ、ちゃん、この子」
黒曜に告げた子どもが指しているのは、 二つの、小さなあやかしの死骸だった。
「……外道が」
黒曜の胸を、小さな炎がちくり、ちくりと焦がし炙っていた。