りん②
静かに、確実に。
じわじわとその毒が回っていく、お山。
周明の目的。そしてりんとふうは。
お楽しみください。
「……随分寒いね」
庵に戻り、冷たくなった身体を囲炉裏で暖めているりんが、ぼそりと呟く。
そのりんにもたれるようにくっついているふうも、
「お母ちゃん、さむい……」
と言い、丸くなっていた。見れば耳を畳み、尻尾もくるりと巻いている。りんはそんなふうを膝に抱え、毛皮を着て火にあたっている。
火のあたっていない背中はもちろんだが、何より火自体が弱い。その上、風も入ってこないのにゆらり、ゆらりと炎がゆらめいていた。
いつもの感じではない。
そう感じたりんは、通常よりも五感を鋭く、周囲を警戒していた。
年に何度か、こういう日がある。そんな時には決まって何かが起きる。
有り難くない来訪者。
腕試しにやってくる武芸者。
ケモノビトを攫い、申し訳程度の供物を置きに来る村人。
その殆どがヒトの気配である。そういうものに気付く力を、りんは持ち合わせている。
(そういえば、黒曜殿が来た時には感じなかったねぇ……)
と、りんは思う。
もしかしたら、と考えたことはあった。
あの力はヒトではあり得ない。いずれ何らかのあやかしの血が入ってるのではないか。りんは漠然とそう思い、そしてまた、別に構わぬとも思っていた。
――俺は俺だ。
あの男なら、その一言で済ませてしまうに違いない。
そんなことに思いをはせていたからであろうか。
微かに、庵への洞穴をざり、ざり、とややすり足気味に歩いてくる足音に、りんは気付かなかった。
「邪魔するよ」
「!」
りんは一瞬、黒曜が帰ってきたのかと思った。
初めてここに来た時と同じ台詞だったからである。
だがそれは違うとすぐに判った。
これは、ヒトではない。
「……おや珍しい。ヒトのお客人かい」
ヒトではないと判断しつつ、りんはヒトか、と尋ねた。
カマをかけたのである。
これで声をかけてきた者がヒトではない、と言えば恐らくあやかしであろう。あやかしは自分の矜持として、ヒトと間違えられることを嫌う。
だが、これでヒトだと応えるならば。
それはヒトの寄越した何か、ということになる。
そう考えたりんは、期せずして黒曜が初めて訪れた時と全く同じ返答をしていた。
「……あえての返事か。あざとい真似をするじゃないか」
「何者だい」
「貴様ら“ヌシ”に復讐を誓った者。……とでも言っておくかよ」
「……へぇ」
「この庵に、狐のケモノビトが居るだろう」
「さぁ、知らないねえ」
「しらばっくれずともよい。居るのは分かっておるのだ」
やりとりをしつつ、りんはおかしい、と感じ始めていた。
声や口調が無機質すぎるのである。
ヒトであれば、どんなに感情の起伏のない人物であろうと、その口調や言葉自体には必ずなんらかの感情が乗る。
だがこの声には、それが全く感じられなかった。
(どうにも気味が悪いね)
りんは率直にそう感じていた。
とはいえ、相手の情報が少なすぎる。
このあとどうなるにせよ、少しでも相手の情報は知っておきたい。
「で、それを聞いてどうするんだい」
「殺すのだ」
「……私が口を割るとでも?」
「割らずともよい」
相変わらず全く抑揚がない。
そこでりんは、妙なことに気がついた。
(こいつ、気配がない)
「そこで話していても埒が明くまい。出てこぬか」
「……出ていこうさ」
りんは言いつつ、黒曜から預かっている黒鉄の小刀を腰に差した。
そしていつの間にか寝ているふうをちらりと見た後、庵の扉を音もなく開けた。
――――
賀茂周明は内心ほくそ笑んでいた。
(もっと時間がかかるかと思うたが、意外に気の短い女よの。……どれ、もう二つほど式を送ろうかい)
そう思うなり、周明の前に並んだ人型と鬼型の紙片が一枚ずつ、ふわりと舞い上がり、そのまま周明のいる洞穴から出ていった。
(恐らくはこのまま、一騎討ちということになるだろう。そこまで持ち込んだら、後は二枚が届くまで持ちこたえるだけよ。……あの女ならばそれでも苦にはせぬだろうが、普通のヌシ如きに相手取れるものではないわ)
周明は目を閉じたまま、にぃ、と笑ってみせた。
やがて目を開け、立ち上がると、残った鬼型五枚に息を吹きかける。
五枚の紙片は先程と同じく、ふわりと舞い上がるが、今度は洞穴を出ず、まるで周明の命令を待つかのように留まった。
「……万が一足りなければまた足すだけのこと。それに、あちらの用意も出来る頃合いだしのぅ。……狼のヌシ殿よ、どうあってもお前さんには消えて貰わねばならぬ」
そう言うと周明は、紙片に向かって何事かを唱えた。五枚の紙片はその場でくるくると回転しはじめる。その勢いがどんどんと増し、やがて姿が見えぬ程にまで回転しはじめると、今度はある変化が現れた。
五枚の紙片が、五匹の鬼となっていた。
「麓の街道がどうにもきなくさい。お前たちはお山へ至る山道に伏せ、何者かが来れば跡形もなく消し去れ。……ゆけ」
周明が命令すると同時に、五匹の鬼となった式が洞穴を出た。
「……都の馬鹿共め。儂が正しいことを思い知るがよいわ」
そう呟いた周明は、またしてもその場にあぐらをかき、瞑想をし始めるのだった。
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