黒曜②
黒曜の目の前に降り立った天狗は、手に持った羽根扇をひらひらさせている。背中からは大きな鳥のような翼が見え隠れしていた。
天狗は、長年の友人と世間話でもするかのような口調で言った。
「随分お見限りじゃねえか、金の字。とっくにくたばったかと思ったぜ」
「相変わらず口が悪いな長っ鼻。足柄のヌシが聞いて呆れるぜ」
「長っ鼻っていうんじゃねえよ!」
「先に金の字つったのはてめぇだろうが」
「ちっ、ああ言えばこう言いやがる。……んで、何の用だよ」
黒曜の挑発に苦々しい顔の天狗であったが、どうやら話は聞くつもりらしかった。
この天狗、ヌシとしての才覚には富むが、どうにも気分屋であった。
自分が興味を持たないことに対しては、相手が誰であろうと話を聞かない。
その昔、時の帝が足を運び、頼み事をしてもどこ吹く風だったのは有名な話である。
だからこそ、黒曜はいきなり挑発してみせたのだ。
「てめぇが盗んだおれの刀を返してもらいに来た」
「……なんの話だよ」
「しらばっくれんな。てめぇが“あの戦場”から俺の刀を盗みやがったのは割れてんだよ。まあこっちも根無し草だ、荷物になるから別に捨て置いても構わねえとも思っちゃいたが、どうやら腰を下ろす所が出来たみたいなんでな。……それに道すがら、入り用になる話も聞いちまったからよ」
「また鬼退治かよ」
「てめぇの知ったこっちゃねえよ。いいから返せ」
「断る」
「あ?」
「分かってねぇな」
天狗はニヤリと大きく口角を上げた。
「……そうさな、おめぇの持ってる、その“鬼の斧”と交換なら考えてやるさ」
「鬼の斧だと?」
「なんだ、知らねぇで使ってたのか。そうよ、おめぇがあの時、酒呑童子の死体からもぎ取ってきたその斧よ。その斧にはな、神通力があるんだ」
天狗は得意げに解説し始めた。
黒曜としてはどうでもいい話ではあるが、ここで臍を曲げられてもつまらないと、しばらく話を聞くことにした。
「斧の神通力は、斧自身の重さを軽く感じさせる。感じたことはなかったか? あれほどに重い大斧を軽々と振り回す。いくら腕力があったところで、そんなことは出来ぬ。あれにはな、酒呑童子の神通力が宿っておるのだ」
「そうか。まぁ、それはいい。……で、それをどうしようってんだ」
「別にどうしようとも思わん」
「あ?」
「ただそういうものを集めて自分のものにしておきたいだけだ。……おめぇの刀と交換なら、安いもんだろうよ」
「巫山戯ろ」
「……何?」
黒曜は荷を捨て、大斧の布を外した。それを右腕一本で掴み上げ、肩に担ぐ。
「こそ泥風情にくれてやる訳ねえだろうが。欲しけりゃてめぇで手に入れろ。特別に俺の刀、使っても構わねえぞ」
「……言うじゃねえかヒト風情が。面白い、勝ったほうが全部手に入れるってことだな。……我が一番弟子」
「てめぇに弟子入りした覚えはねえ。ガキの俺を死ぬほど殴って、谷に突き落としておいてどの口がほざきやがる」
天狗は薄く笑い、黒曜の刀を腰に差し、深めに腰を落として抜き打ちの構えを取る。対する黒曜も、担いだ右肩を引き、左脚を前に出して腰を落とした。
「そういやあおめぇ、今はお山にいるんだってな」
「……誰から聞いた」
「蛇の道だよ。……おめぇ、あのヌシに惚れたろ」
「……」
「ありゃあいい女だからなぁ。他の山のヌシ連中もずぅっと狙ってんだ。……もちろん、俺もな」
「……」
天狗がニィ、と口角を吊り上げる。
「こいつが終わったら、全部戴いた上で、あの女も戴くとしようかよ」
「盛ってんじゃねぇよクソ天狗が」
それまでもどこかしら張っていた足柄山の空気が、更に硬く張り詰める。冷たくもなく、熱くもない。ただ、その場の空気が限界まで圧縮されたような、息苦しい空間が出来上がっていた。
「抜かねえでいいのかい」
「斬る時には抜くさ」
「そうかよ」
圧縮された空気は爆ぜることを知らぬかのように、固く閉ざされている。
呼吸すらままならぬ場の中、先に動いたのは黒曜であった。
「むおんん!!」
長く取られた間を一瞬で詰め、肩に担いだ大斧を無造作に振り下ろす。天狗は後ろに避けつつ、更に上に浮き上がった。が、急にがくんと左肩を下げ、そのまま地面に降り立った。
振り下ろされた大斧は地面を打たず、勢いそのままに独楽のように回り、もう一度天狗に襲いかかっていた。
以前藤原直実の見せた回転三撃の応用である。
その二撃目を天狗はすんでのところで避けようとしたが、背中の翼が羽ばたいたところに斧の切っ先が引っかかったのだった。
「くっ……そ」
「おらぁっ!」
黒曜の斬撃は天狗に一瞬の暇も許さない。二連撃で左に流れた斧の刃を向け直し、腰の捻りを利用して、横薙ぎに大きく振り抜いた。
「ぬあっ!」
慌てて天狗は後ろに飛び退る。が、それに構わず追撃する斧は、天狗に当たりこそしないものの、着実に天狗の逃げ場を削り取っていた。
一方天狗も押されているばかりではない。
「ほぅれ!!」
刀の柄に手を掛けたまま、右に左に避けては絶妙な距離を取り、逆に黒曜に追い込ませているのである。
(そろそろかい)
十数度に渡り大斧を振るう黒曜も、流石におかしいと気づいていた。
かといって今の流れでは、手を休ませるわけにはいかない。
(この野郎、簡単に追い込ませすぎる。何を狙っている?)
やがて大きな杉の木の根元に天狗を追い込んだ黒曜は、最後の一撃とばかりに大斧を左の地摺りから上へ跳ね上げた。
「かかったっ!!」
がつん、と大きな抵抗が斧にかかる。
「仕留めたかっ」
だがそれは、斧の刃が、杉の木を捉えた衝撃だった。斧は深く杉の幹に食い込んでいた。天狗の絶妙なまでの間合いが、連撃の中で黒曜の距離感覚を一瞬奪ったのである。
「なにっ!!」
「しねぇっ!」
黒曜の真横、右側に鋭い痛みが走る。
「ぐぬぅっ!!」
だが、叫びを上げたのは天狗の方であった。
黒曜の太刀、通称“波切”は、先にいくほど太くなっている。そもそもの厚みが普通の刀と比べて段違いに厚い。加えてその刀身は、黒曜の身長に合わせ、太刀としても相当長い。
つまり、抜き打ちには全く向いていないのである。
一撃の威力を重視し、鞘走りに期待した天狗であったが、それは逆効果であった。勢いの死んだ斬撃が、黒曜の皮一枚を斬り裂いたにすぎなかった。
「だから言ったろうがっ!!」
叫びざま、黒曜は常に腰に差している、りんから預かった小刀を左手で逆手に抜き、声のする方を力任せに斬り抜いた。
一瞬の間の後、ぼとり、と地面に音がした。
「おぉおお! ああああっ!!」
顔を両手で抑え地面を転げ回る天狗。
その近くには、今の斬撃で斬り落とされた、天狗の鼻が土埃を被っていた。
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