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黒曜①

 粉雪が降り始めていた。


 河童との一戦の後、ヌシの庵で囲炉裏を囲んでいる時のことである。

 三和土(たたき)の縁に座ってちびちびと湯を飲んでいた黒曜が、不意に口を開いた。


「流石にお山の冬を越すのはかなわねえな。暖かくなるまで、どこかでヤトハレやってくらぁ」

「おや。庵で寝泊まりしてくれても構わないよ?」

「いや、水入らずを邪魔するのもな。……それに、ちぃと片付けておきたいこともある」


 ふうん、と、寝ているふうに布団を掛けながらりんは応え、やがて


「春には戻ってくるのかい?」

「……戻ってくる、か」

「不満かい?」

「いや」


 黒曜は少し温くなった湯を一気に飲み干した。


「戻れるってのはいいなと思ってよ」

「……」

「冬はいけねえな。空気は乾くのに湿っぽくなりやがる」

「……黒曜殿」


 りんは黒曜の後ろに回り、そのまま黒曜の首を抱いた。ひんやりとしたりんの二の腕が、黒曜の頬を撫でるように絡みつく。黒曜はされるがまま、りんに首を抱かれている。


「あんたがここを、戻る場所にするのなら一向に構わないさ。元々ヤトハレのあんただ、ヒトの世界にもしがらみはあろうしねぇ。……けれど、春になって戻ってくるのなら」


 りんの暖かい吐息が黒曜の耳にふわりとかかる。

 黒曜はそれに劣情を抱きそうになったが、必死で押し留めた。


「……戻って来る頃には、この庵を少し、大きくしておくさ」

「……そうか。だが、それはしなくていい」

「……え?」

俺がここに(・・・・・)戻ったら(・・・・)、俺も手伝うさ。五郎丸にも頼もう」


 りんは断られたことで少し寂しげな顔をしていたが、次の黒曜の言葉に、くす、と小さく微笑んだ。


「……そうだねぇ。それがいいねぇ」

「戻る。待っててくれ」

「待ってるさ。あんたの他に、ここの住人を増やす気はないよ」

「それは助かる。俺は人見知りなんでな」

「よくいうよ……」


 湯を飲みきり、黒曜は湯呑みをりんに渡す。


「もう一杯くれ。それを飲んだら出立する」

「朝を待たないのかい?」

「ふうに後ろ髪を引かれるのは痛ぇんだよ」

「ふふ、わかったよ」


 その後、湯を呑んだ黒曜は、大斧に武具を纏めた袋を引っ掛け、山を下りたのだった。


――――


 山を下り、街道をしばらく歩く。

 行く先は決まっていた。

 半日ほど歩き、朝日が昇りきると、日差しとともにほのかな暖かさが沁みる。


(昨夜は雪があったから、難儀するかと思ったがな……)


 小春日和と言ってもいい、穏やかな朝であった。

 黒曜の前から、武士が一人歩いてくる。黒曜の後ろにはお山が見えるばかりなので、向こうから現れたということは、お山に行くのだろうか。

 武士は黒曜を見ると立ち止まり、手を上げた。

 藤原直実(なおざね)である。


「……藤原の」

「坂田殿。久しゅう」

「今は黒曜だ。……俺に何か用だったか」

「はい。……近々四天王が動きます」

「……何?」


 藤原は黒曜を街道の横に手招きした。黒曜がそれに従うと、道端の木陰に回り、小声で話し始めた。


「先の村での出来事が、尾ひれを付けて出回っているのです。曰く、村長はじめ村人全てが鬼と化し、近隣の村、集落を陥落させ、お山のヌシ様をも狙っているのだとか」

「ばかばかしい」

「それがそうでもないのです」


 藤原はそこで言葉を切り、懐から一枚の呪符を取り出した。


「あの村の近隣の集落に、これが貼られていました」

「……あやかしを閉じ込める結界か」

「その通り。たしか例の村にも貼られていたとか」

「ああ、そこにあやかしの子供たちが監禁されていた。訊くに、中ではあやかしの力は全く使えなかったそうだ」

「……やはりそういうものですか」

「やはり、というと」


 藤原が、声を一層潜ませる。

 それは、衝撃の一言、といってもいい内容だった。


「これの貼られた小屋の中で、鬼が数匹死んでおりました」

「なんだと!?」

「静かに。……このことは朝廷でも話題に上り、故に四天王が動くということになりました。……つきましては、坂田殿にも近くお声が掛かるかと」

「俺はもう四天王でもなんでもない、ただのヤトハレだ。それに、既に死んだことになっているはずだ」

「……綱殿」

「!」

「それに、頼光様も」

「……お見通しってことか」


 黒曜は大きく溜息を付いた。が、それほど落胆している様子はない。


「意外に落ち着いておられますな」

「予想しなかったわけじゃあねえからな。それに、俺がこれから行くところも、その件に無関係じゃねえかもしれん」

「……黒曜殿は、何処へ」

「知り合いに預けた腰の物を取りに行くだけだ。藤原の、このことは、他の誰にも漏らすなよ」

「委細承知しております。それ故、此度は一人で参りました」

「うむ。俺がお山にいないことを、今は知られるわけにはいかん」

「どちらに参られるので」

「……足柄山だよ。春には戻る。それまで頼む」


 黒曜と藤原はそこで別れた。道程としては先を行く黒曜も折り返し帰る藤原も同じ道を行くことになるのだが、朝廷に認められた武士と、傭兵であるヤトハレが肩を並べて歩くわけにもいかない。


「……少し急ぐか」


 黒曜の足は自然、早くなっていた。


 足柄山は、お山からは黒曜の足で歩き三日程の場所にある。

 藤原と別れた二日後。

 足柄山の麓にある集落で湯をもらった黒曜は、その日の午後には山に入っていた。


「懐かしいな」


 幼少の頃、毎日のように遊んだ山である。実は先程立ち寄った集落には、黒曜の生家があるのだが、そこにはもう既に、彼を知るものは住んでいない。


 足柄山は、それほど高い山ではない。だが、春から秋は木々に緑があふれ、強きものも弱きものも、そして生き物の(ことはり)から外れたあやかしまでをもそこに住まうことが許された楽園である。

 黒曜はこの山で生き物を遊び、命を学び、心と身体を鍛え上げた。

 その頃のヌシの熊と相撲をとったのもいい思い出である。


「変わらない……こともないか」


 山の様子が少しばかり変わっていることに黒曜は気づいていた。

 相変わらず生き物の命に満ちた山ではある。


「……随分気を張ってるみてぇだな」


 やがて頂に辿り着き、祀られた社を拝むと、黒曜は声を張り上げた。


「おい、金が帰ってきたぞ! 出てこいよ!」


 少し経つと、周りの木々を風が揺らし始めた。

 そして。


「おう、久しいな、金の字。一体何しに来やがった」


 一際高い杉の木からふわりと降り立ったのは、大きく鼻の伸びた天狗であった。

いつも応援ありがとうございます!


これからもどうかひとつヽ(=´▽`=)ノ

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