りんと河童③
「土砂崩れってのはこの辺か」
りんが河童たちに囲まれていた頃。
黒曜はふうを肩に乗せ川を遡り、土砂崩れの辺りが見えるところまで来ていた。
「お母ちゃん遅いよ、お迎えに行こう?」
昼寝から覚めたふうに起こされ、初めは渋っていた黒曜だったが、ぺしょりと畳まれた大きめの耳や、うるうるとその眼に涙が貯まっていくのを見て、仕方がないとばかりに身を起こしたのだった。
「あの姐さんに何の心配もいらねえと思うけどなぁ」
「ふうがやなの!」
「! ……そうか。じゃあしょうがねえなぁ」
つまりふうは、りんが心配だったのではなく、自分が不安だったのだ。
昼寝から起きたら、いつも横で笑っているりんがいない。それを堪らなく不安に感じていたのだった。
それを一言で察するあたり、黒曜にも確かに子煩悩の片鱗はあった。
「おじちゃん、なんか聞こえる」
「ん?」
「なんか、いっぱい声が聞こえるよ」
「……いっぱい?」
黒曜は耳を澄ますが、彼の耳にはそよぐ風と川のせせらぎしか聞こえない。
だが、ふうはケモノビトである。五感がヒトより優れていたとて、なんら不思議はなかった。ふうは耳をそばだて、ちょこちょこと角度を変えつつ、音のする方を探っている。
「どっちからだ、ふう」
「んーとね、んと……あっち!」
「よし行ってみるか」
ふうが指差したのは、川から外れた森の方向であった。
ぐん、と黒曜が歩みを速めた。
なんだかんだ言ってりんが心配なのである。
(あの河童の笑いが妙に引っかかりやがる。あの姐さん、妙にお人好しなところがあるからな)
程なくして、黒曜の耳にも声が聞こえてきた。
が、何を言っているかが分からない。
「ふう、聞こえてきたがよ」
「うん?」
「これ、言葉っていうか、悲鳴じゃねえか?」
「そうなの?」
「お前さん、何て聞こえてる?」
「えっとね。ひぎゃーとか、ごえっとか」
「……さては姐さん、なんか楽しいことしてやがるな」
それから少し歩くと、やがて森を抜けた。
抜けた先の原っぱで二人が見たものは。
「おいおい……」
「あ、お母ちゃんだ、おかあちゃーん!」
「……ふう!?」
原っぱ一杯に転がり呻く河童の群れと、腕から先が獣化し、髪を逆立てて肩で息をするりんの姿だった。
「ああああ……」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
「こええよぉ、こええよぉ……」
「……阿鼻叫喚ってやつだな、こりゃあ」
ふうを肩から降ろし、黒曜は河童たちを眺めた。どうやら死者は出していないらしい。その代り、地獄の亡者のような呻き声と力ない謝罪がそこかしこから聞こえて来ている。
それをやったのがりんであることは明白だが、そのりんは今は完全に獣化を解き、ふうを抱き上げて慈愛に満ちた眼をしている。
「……何があった?」
「ん」
りんは、黒曜に手招きをする。黒曜が近づくと、りんは耳の側で囁いた。
「こいつら、一服盛って手篭めにする気だったらしいのさ」
「……はぁ?」
「まったく、何を考えて……ることはアレだけか……」
呆れ返るりんと黒曜だったが、そのままにしておくわけにもいくまい。変に禍根を残せば、種族同士の争いにもなりかねない。
「とりあえず、こいつらの頭んとこに行くか」
「そうだね。……ねぇ、あんた」
「……え、ひぃっ!」
比較的傷の浅いものをと探してみれば、それはイチだった。
「あんたたちの長のところへ案内してくれないかい? そこでこの顛末を説明してもらいたいんだけどねぇ」
「……え、そんな」
「嫌ならお前ら全部片付けるしかねえんだがよ。どうする?」
「わ、わかりました、ご案内しますっ! ……だからどうか命だけは」
「誰も死んじゃいないよ。……死んだほうがマシって感じのは何人かいるけど」
黒曜はイチを担ぎ上げた。
河童の大きさは人と変わらない。中でもイチは長身の方だったが、黒曜はそれをこともなげに担ぎ上げ、何の重さも感じていないようだった。
「おら、連れてってやるから案内しろ」
「は、はいぃ……」
ふうを抱いたりんも後からついてくる。
そのりんに、ふうは無邪気に話しかけた。
「ねーお母ちゃん」
「ん、なんだいふう」
「お母ちゃん、おっぱいちっちゃくなったの?」
「……へ?」
「あとなんか固い……」
「ああ」
りんは苦笑しつつ、ふうの頭をなでた。ふうは少しくすぐったそうにしながらも、なすがままである。
「さらしを巻いてんだよ。邪魔になるかと思ってねぇ」
「ふうん」
「さ、行こう。おじちゃんもうあんな先に行っちゃった」
「あ、ほんとだ! おじちゃんまってー!」
「……ったく、そんな話されちゃあ先にも行くってんだよ」
黒曜は苦笑交じりにそう呟きながらも、歩みを緩めていた。
――――
「申し訳ありませんでしたぁっ!!」
河童の棲み家へ行くと、急に現れた来訪者を河童の長は訝しがった。黒曜に降ろされたイチが事情を説明すると、長はイチを思い切りぶん殴り、りんに向かって土下座をした。
「この度はうちの若い者が大変な失礼を致しました。このままお山を出て行けと言われるならば受けねばなりませぬが、どうか女子供だけは勘弁してやっていただきたくっ……!」
「まあまあ、顔を上げておくれよ。別に取って食いやしないさ。それに、別にお山を出ていく必要もない。まだ若い連中さ、勢いにまかせてってのもあるだろう。……それに、もう二度とすることはあるまいさ」
長は不思議そうな顔でりんを見上げた。
「そいつは一体どういうことで……?」
「若い衆への仕置はもう済んでるってことさね。ま、ちょいとやりすぎたかなって気もするけどねぇ」
りんは長に、若い河童たちの状態を説明した。長はそれを聞くと、屈強な大人衆を使いにやった。ほどなくして若い衆を担いだ大人衆が戻ると、果たして若い衆たちは、りんを見るなり怯えだした。
「お前たち、どうしたんだ。早くヌシ様に膝をついて謝りなさい」
「頭領、それがこいつら、さっきからずっと謝りっぱなしなんだ」
「ああ。ずっとごめんなさいごめんなさいってな」
「……頭領さん」
りんは大きくため息をついた。
「若い衆がそうなってるのは、私を襲った時にちょいと懲らしめたからさ。的にかけられてたのが私じゃなければ、こいつらはまんまとやらかしてただろうからね」
「ヌシ、様……」
「勿論、やったことはやったことだ。こいつらにはともかく、私は頭領さんには頭を下げなくちゃならない。だけど、私がそれをしたら、お互いに頭を上げることが出来ないだろう?」
「たしかに……」
「だからね、提案さ」
「……提案?」
「私とこの黒曜、二人であんた達の代表と、正々堂々一騎打ちをする」
「なんですと!?」
りんの言葉に黒曜は驚いた表情を見せた。
「おいおい、りん殿。それは聞いてないぞ」
「そうさ。今言ったからね。……でも、お互い長、ヌシと呼ばれるあやかしさ。こういうことは、強い方が正しいってことになるのさ」
「……なるほどな」
上の者で話をつけ、手打ちにする。
そういう話であった。
「やり方は頭領、あんたに任せるよ。まあ、出来ればはっきりと勝負の決まるものがいい。……丁度ここには娘もいるしね」
「どういうことです?」
「俺とりん殿、それにこのふうで三人。そっちも三人出して、先に二人勝ったら勝ちと、そういう話だ」
「いやしかし、そんな幼子を巻き込んでは……」
「おい、気が早ええんじゃねえか?」
黒曜は長に向かってにぃ、と口角を吊り上げた。
「ふうに順番が回る訳がねえだろう? おら、早く決めろ」
「……いいでしょう。これでどちらも禍根なし、ということですな」
「だからそう言ってんだろう」
「分かりました。では、河童一族の決闘方法でやりましょう」
「そいつは一体なんだい?」
「……相撲ですよ」
ごらんいただき、ありがとうございます!
これからも応援よろしくお願い致しますヽ(=´▽`=)ノ
感想、評価などいただけると小躍りします!
そちらもよろしくおねがいしますー!