私はここに
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と、内容についての記録の一編。
あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。
よ〜し、今日の掃除はこのくらいでいいかな。つぶらやくんも、トイレ掃除は終わったかい? そろそろあがりにするとしようか。
いやはや、人間って不思議なもんだよねえ。ずうっと昔はトイレ掃除なんか、死んでも嫌だった。誰が使ったかも分からない、床や便座やサニタリーボックスとか、触れたくないじゃない。人によっては、生涯その感覚を抱き続ける人だっているわけでしょ。
でもさ、子供の頃と比べたら許容範囲がだいぶ広くなったと、実感するんだ。寛容というか、諦めの境地というか……妥協?
曲がりなりにも人生の経験を積んだ、ってことかねえ。
「まあ、仕方ないよねえ。あるあるだよねえ。こんなもんだよねえ」と心の中で思えるようになったんだろう。多分。やっぱ回数こなすのが大事って、ひとつの真理かもなあ。
……ああ、回数といえば、ちょっと昔話を思い出しちゃったよ。まだ家族と暮らしていた頃のね。
聞いてみるかい? 帰り道にでもさ。
私の両親は、田舎から上京してきたクチでね。典型的な核家族世帯だった。
当時、祖父母は健在で、年に数回。三日から一週間くらい泊りがけで、祖父母宅に出かけていった記憶があるねえ。
祖父母の家は、昔ながらの木造建築。鉄筋コンクリートなマンションに比べると、開放的で風通しのいい印象を受けた。
私は網戸を閉めた縁側でごろごろするのが好きでね。都会だと、なかなかできる機会がない日向ぼっこと、それについて回るまどろみの時間を、遠慮なくむさぼったものさ。
もう一点。祖父母宅でしか味わえなかったものとして、ヒノキ風呂がある。私が生まれる前後に浴室を広げて、一回り大きなものを用意したとの話だ。浴槽以外に、浴室の壁もヒノキ張りだ。
真新しいヒノキの香りを、嗅いだことがあるかい? あれもまた私にとっては、眠りへいざなってくれるくらい、リラックスできるものでね。身体を洗っては湯船につかり、汗をかいたら、また身体を洗って、湯船につかり……とたっぷり時間をかけて、のぼせることも珍しくなかった。
たいてい、二番目に風呂に入っていいと言われる私。一番目は祖父母のどちらかがもらっていた。お湯につかった後、布団でごろごろすると、ほどなく記憶が飛んでしまって、気がつくと朝になっている……と、なんとももったいなく思えるくらい、眠りっぱなしの休みだったねえ。
私が小学生になり、中学生になり、高校生になっても、祖父母宅への定期的なお出かけは続いた。その頃になると私は、祖父母よりも友達を優先するようになっていたよ。
遊ぶことについて、親は特別とがめるようなことは言わなかったけれど、その代わり、「空いている日でいいから、近く、一人でも祖父母宅へ向かうように」と、くぎを刺されてしまったよ。
この頃になると、私にとってひなたぼっこもヒノキの香りも、逆らいがたさに関しては、昔より弱くなっている。色々と楽しい頃を覚えてしまったからね。
親の言葉に対し、「はいはい」と生返事をしながらも、なかなか行動へと移さない私。その態度に、とうとうしびれを切らしてしまったらしく、最初に忠告されてから一カ月が経とうか、という時。
休みの日ということで、前日に夜更かしし、寝ぼけまなこだった私はたたき起こされて、両親の車に乗せられて、無理やり祖父母宅へ連行されてしまったんだ。
例年、数回訪れているとはいえ、この時に連れてこられた祖父母の家は、かやぶき屋根の一部が陥没している。よくよく見ると、家の壁にも、ところどころ虫が食ったような穴が開いていて、まるで昔話に出てくるやまんばの家のような印象を受けた。
わずか数ヶ月間で現れてきたこの変化は、やせ我慢の糸が切れて、ころころと急坂を転げ始めてしまった、栄華の斜陽とでもいうべき衰え具合を、私に感じさせる。
祖父母も表向きは元気そうに見えたが、祖父の手足はすっかり肉が落ちてしまっていたし、祖母の顔にはしわとしみが、その数を増やして、のさばっていた。これもまた、数ヶ月の時間のみでもたらされたとは、考えづらい。
私が祖父母宅へ連れていかれたのは、土曜日の昼前。その週は土日の休みで、父母は私を置いていくや、とんぼ返り。
当の私はというと、父母が帰ってからさほど間を置かずに、風呂に入るように。そして今日は泊っていくようにと、言われたんだ。
ヒノキに包まれた浴室は、疲れ具合を隠せなくなってきた祖父母宅の中でも、昔と変わらない色と香りに包まれていた。
ヒノキ風呂は、いかに換気をして、木々を乾燥した状態にできるかが、何よりも大切。濡れたまま放っておけばカビが生えるし、かといって天日にさらし過ぎたりすれば、今度は度を越えた乾き具合により、ひびが入るなどして木が傷む。
すでに十余年を過ぎても、新品同然に扱われているこの場所。日々、汗や汚れを洗う場所という、俗の極致にありながら、丁重に扱わなくてはいけないという、無言の威圧感や神聖さをかもし出していた。
当の私も、湯船に対してだいぶ大きくなっている。疲れが癒されても、かつて何度も湯船につかっては、身体を洗い、また湯船に……というくつろぎ方をするのは、はばかられた。
ほんの十分程度の入浴。祖父が用意したシャツとズボンに着替えると、早くも布団が敷かれてしまう。
まだ陽は高かったが、昨日の夜更かし分が響いてきているのか、まぶたが重い。
考え事をして、ふっと顔を上げると、いつの間にか、自分のまなこが閉じ切ってしまっていたことに気づく……そんな、逆らい難い眠気だった。
ほんの数十分程度の昼寝のつもりで、私は掛け布団の上に寝転がる。眠りに落ちるまでの間、祖父か祖母が、浴室を何やら掃除しているような音が聞こえてきていた。
次に目を開いたのは、寝入ったと思ってから、一時間半が経った時だった。部屋に入ってくる明かりが、少し赤みを帯びているように思える。
ひょいと身体を起こすと、部屋の障子戸の向こうで、縁側に腰かけて何かしら手を動かし続けている、祖父の背中が目に入った。
近づいていくと、祖父は背中を向けたまま、「おはよう」と一言。すぐ脇に置いてあるビニール袋に、右手を突っ込む。そこから取り出されたものに、私は少し身を引いてしまったよ。
それは爪と黒髪だったんだ。十数センチあるかどうかという髪の毛を、不揃いな扇形に切った爪に、ぐるぐると巻き付けていく。
そのうえ、祖父が自分の膝にのせて、先ほどから盛んに手を動かしているものの正体が、毛むくじゃらのヒトガタとでもいうべきもの。毛人形とも形容できるかもしれない。
なぜならそれらの中に、髪から取る時についたとは思えない、垢らしきものがこびりついているのだから。
そういえば、寝る前には伸びていた私の手足の爪が、今はすっかり短くなっている。寝ている間に切られたのかも知れない。
なんと声を掛けたものか分からず、固まっている私に対し、祖父は変わらず背を向けたまま「間に合って助かったぞ」と、切り出した。
「うちの家はなあ、ずうっと昔から『鬼』に目をつけられている。ご先祖様が何かの退治に同道したためだというが、詳しい経緯は残っとらん。
鬼の命は悠久。人の命は有限。時の果てまで呪いをかけんと、鬼は最期に言い残したらしい。事実、鬼が消えてから数年間。天変地異が鬼討伐に参加した者の、村々へ襲い掛かった。彼らは他の皆の暮らしを案じ、故郷を離れ、身を寄せ合うようになる。
そして、肉体を失った鬼を欺くべく、この人形作りを生み出したのだ」
鬼は一族に流れる命の香りをたどって、呪いをかける。そのため、呪術に多用される爪や髪を用い、身代わりにする術を編み出した。
本来、生きている一族すべてに降りかかるべき呪いを、個々人の一部を使って作った、人形へ引き受けさせる。それがずっと昔から続いてきたのだという。
「お前の親が、無理にでも連れてこさせたのが、このためよ。放っておいては、知らぬところで危害が及びかねんからな。
だが、もうじいちゃんもばあちゃんも歳じゃ。もし、わしらができなくなったなら、自分で続けるんじゃ。なに、ここまで本格的でなくてもよい。自分のほんの少しの髪と爪。それをしっかり結び付け、林の中にでも置いておけ。
くれぐれも家の近くは避けよ。自他ともに迷惑がかかるからな」
祖父はそういって、私の分の人形をこさえていく。その晩、どこかへ出かけて行ったけれど、その所在を教えてくれることはなかったよ。
私は今でも言いつけを守っている。ひっそりとね。
祖父母が他界して久しい。きっと他の家族も全員やっている。ここまで大過なく行えているが、もし怠ったならば、いつ何が起こるか分からない。
この積み重ねが、いずれ終わる時が来るのか。その結論も、私の代では出ないかも知れないね。