舞散る桜は生命の灯火
桜が咲き始める季節に、俺は彼女に恋をした。
そして今、桜舞う木の下で、彼女と二人、佇んでいる。
彼女に出会ったきっかけは、彼女の歌声。
日々の学生生活が上手く行かず、落ち込みながら帰路についていたとき。
ふと聞こえてきた、心地の良い声。
毎日のように通る駅前に響く、聴き慣れない少女の歌声は、俺の感情を揺さぶった。
俯いていた顔を上げて見れば、人影が視界を横切る中、少女が一人、ギターを弾いている姿が目に入る。
俺の足は自然と彼女のもとへ向かっており、気付いたときには彼女の前で足を止めていた。
後ろでまとめた長めの黒髪を揺らしながら、彼女の口から滑らかに紡がれる詩。
俺はその詩に、興味を惹かれた。
いや、詩ではなく、彼女の声に惹かれたのだろう。
彼女の声を聴いていると、落ち込んでいた気持ちが不思議と和らいでいったのだ。
その日は最後まで聞くことなく去ってしまったが。
落ち込んでいた気持ちは、自然と前向きになっていた。
その日以来、毎日のように駅前にいる彼女を見かけた。
数人は彼女の前で立ち止まるが、多くの人が素通りしていく。
それでも彼女は、とても楽しそうに、そして幸せそうに歌っていた。
同時に俺も、彼女の歌声を聞くのが日課になっており。
気付けば、彼女に惹かれている自分がいた。
そして、ある日の夜のこと。
今日も同じように彼女の歌声を、彼女の前に立ちながら聞いていた。
最後の曲が終わり、ありがとうございました、と礼儀正しく一礼する彼女。
そんな彼女に、まばらながらも、立ち聞きしていた人々からの拍手が送られる。
もちろん俺も、心から拍手を送った。
彼女がギターを片付け始めるのと同時に、周囲の人もその場を離れる。
俺も同じように帰ろうと、背を向けたその時だった。
「あ……あの!」
背後から、聴き慣れた彼女の声。
驚きながらも振り返れば、緊張したような面持ちの彼女がいた。
「毎日……聴きに来てくださってますよね」
どうやら彼女も、俺の顔を覚えてくれていたらしい。
それだけでも心が舞い上がった。
この嬉しさを押し殺しつつ、あくまでも冷静を装って返事をする。
「……ああ、聞きに来てる」
「やっぱり……!ありがとうございます!」
緊張したような面持ちから一転、柔らかい微笑みを浮かべる彼女。
ああ、可愛い。
──これが、恋か。
彼女と初めて会話したあの日。
それから約1ヶ月の月日が流れ、今日に至る。
その1ヶ月の間に、俺は彼女と頻繁に会話をするようになり、連絡先を交換する仲にまでなった。
今日は、彼女からの約束の日。
──私の話を聞いてほしいんです。
──空いている日はありませんか?
彼女からそんな連絡があったのだ。
ふわりふわりと、花弁を降らせる桜の木。
後ろで手を組み、愛おしそうに見上げる彼女。
どこか古風な雰囲気を纏う、1つにまとめられた黒髪も、気持ちよさそうにそよいでいる。
彼女には、桜が似合う。
直感的にそう思った。
そんな彼女に魅入っていると、ふと彼女がこちらに顔を向け、視線が交わる。
そしてにこりと微笑むと同時に、心臓が大きく跳ね上がった。
「単刀直入に言いますね」
俺の方に体を向け、手を前で組み直すと、彼女は微笑みながらこんなことを口にした。
「この桜が全ての花を散らすとき、私の花も、散るんです」
何を言っているのか、最初はよくわからなかった。
けれど。
それは。
もしかして──
「私、余命があと2ヶ月なんです」
微笑む彼女の口から紡がれた言葉は、残酷な運命を示す言葉だった。
一際強い風が吹き、桜の花弁が一斉に舞う。
その様が、彼女の命を擦り減らしていることの表れであるような気がして。
俺は。
俺は──
「好きだ」
桜散る前に、ただその一言を伝えるだけで、精一杯だった。