愛されたマロン
ある日、私の部屋に、見知らぬ若者が「いきなり」現れた。
そう、本当にいきなりだ。ボワン、と黒い煙が目の前に発生したかと思うと、その中から彼は出てきたのだ。
「よう。俺は、悪魔だ」
私は困惑と同時に、納得した。
今のこの状況なら、彼が悪魔だと聞かされた方が、しっくりくる。
突飛すぎる状況下なら、頭はかえって冷静に働くものだ。
こんなヘンピな田舎の冴えない男の家へ、一体何のようかね?
私がそう問うと、彼は「願いを叶えにきた」と返してきた。
ほう?
「独り身のあんたに唯一救いを与えてくれた愛犬が、一年前に逃げ出したっきりだったな」
さすが悪魔。私の一番の望みは、ゆうゆう見透かされているようだ。
そうだ、愛犬のマロン。溺愛し、生きる希望にすらなっていた。
「会わせてやるよ」
悪魔は、窓から家の外を指さした。
まさか、と、思う。
家の扉を開けると、すぐそこには、マロンがいた。とんでもなくボロボロで、今にも倒れてしまいそうだ。だが、紛れもなく、本物のマロンだ。
本当に、願いは叶った。だが。
話に聞く悪魔とは、願いを叶えた後に、その人間の魂を抜き取るものなのではないのか?
問いただすつもりで悪魔の方を見ると、彼は首を横に振る。
「そんなことはしない。願いを叶えた者には、どんなこじつけであっても悪魔は危害を加えられない。俺たちの掟で、そう決められてる」
それを聞いて安堵した私は、マロンへ手を伸ばし、抱き上げた。懐かしい、小さな温もり。そっと、抱きしめる腕に力を込める。
ありがとう。君は、私の心からの願いを叶えてくれた。
涙でぼやける私の視界に映ったのは、にこりと微笑む悪魔の姿だった。
「見返りはちゃんと貰うけどな」
そのとき。
マロンが、私の喉笛に噛み付いた。
血が、私の身体を赤く染めていく。
私はマロンを引き剥がそうと、渾身の力で何度も殴りつけた。だが、マロンは離れない。ガッチリとすごい力で私の首を締め上げたまま、離れない。
倒れ込んだ私は、悪魔を見た。彼は家畜を見るような無表情な目で、血だらけの私を見ている。
危害は加えないんじゃ、という言葉は、言葉にならなかった。息すら、できない。
「叶えたのは、あんたの願いじゃない」
意識が遠のく。
「3日ぶりのお肉の味はどうかなワンちゃん。飢え死にの一歩手前だったもんね」
よくも、よくも――――
「願いが叶って、良かったね」
よ く も。
「さて、おっさん。あんたの魂はいただいていくよ」