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ライフ

作者: 文月 雪花

「起きろ!エレン!」

 私の名前を叫ぶ少女の声に薄っすらと目を開けると、アヤが寝ている私の身体の上に馬乗りになりながらぴょんぴょんと飛び跳ねていた。

 私は、いたずら心で身体の上で飛び跳ねているアヤを両腕でしっかりと捕まえると、そのまま布団の中に引きずりこみ、アヤの顔を自分の胸に押し付けながら二度寝をする素振りをしてみせた。

 私にとって、アヤが起こしにくるこの朝のひと時が一番の至福の日課だ。

「わ、やめろ!離せ!離せったら!」

 そろそろ離してやらないと泣き出してしまうので、私は、必死でもがくアヤを抱きしめている腕をほどき、解放してやった。アヤは、脱兎のごとく私のベッドから抜け出すと、部屋を飛び出し一階のリビングへ駆け降りていった。

 それを見届けると、私は、ゆっくりと起き上がり、寝間着から外出用の服に着替えた。今日は、行かなければならない所があるのだ。


 簡単な朝食を食べ終えた後、私たち二人が向かったのは小高い丘の上だ。丘の上からは私たちの住んでいる街が見下ろせて、アヤは、それを見下ろしながらはしゃいで駆けまわっていた。その奥には、水平線の彼方まで見渡せる青い大海原が広がっているのが見渡せる。とても眺めのいい景色で、一生ここで街や海を眺めていたくなる。

 そんな丘のちょうど頂上にあたる所に、私の背丈の半分くらいの大きさの木でできた十字架がひっそりと建っている。十字架には、それと同じような十字の形の古ぼけたネックレスがかけられている。私は、十字架の前にしゃがみ込むと、持ってきた花束を手向け、手を合わせた。

 アヤは、十字架の前でしゃがみ込んでいる私に気が付くと、私のもとに駆け寄って私の顔を覗き込み、不思議そうに首を傾げた。

「ここに私のお姉ちゃんがいるの?」

 私の目に向けられたアヤの目は、澄み切っていて、彼女の顔を鮮明に思い出すほどにそっくりだった。

「ああ、そうだよ。ちょうど今日から一年前からね」

 私は、ゆっくりと立ち上がり、丘の遥か上に広がる雲一つない大空を見上げると、眩しさに目を細めながら、そこに浮かんでいる太陽に手を伸ばして仰いだ。


 私の唯一の家族であった母親は、私の目の前で殺人犯に殺された。その時に抱いた憎しみから、私は、刑務官を務めようと決めた。本来、刑務官の役割は、死刑囚が死刑までの安らかな生活を送れるようにするものだが、私は、死刑囚の死刑を執行し、憎しみを晴らしていた。

 私は、たくさんの死刑囚を色々な刑で殺してきた。斬首、絞首、電気椅子、毒ガス、銃殺......

 中でも毒ガスによる死刑は、一番苦痛を伴う刑で、目や鼻、あらゆる箇所から体液を垂れ流しにしながら痙攣し、死んでいくものだ。

 その時の私には、憎しみしかなく、ただひたすらに、復讐だけを求めていた。彼女と出会うまでは。

 そして彼女は、私にとって、最後の被刑者だった。


 トラックの後ろから降りてきたその死刑囚は、その小さな体、白く細い腕に不釣り合いな大きな手錠をかけられ、担当の看守である私とウィルに独房へ連れていかれた。

 独房の扉が閉まり、錠がかけられると、彼女は、扉の格子を両手で掴み、扉を閉め錠をかけたウィルを睨み付けた。

「何だ?その反抗的な目は?お前が犯人じゃないと言いたそうな目だな。新聞で見たがお前は極悪非道な死刑囚の子供らしいじゃないか。あんな惨たらしい人殺しができるのはお前のような狂った親を持ったやつにしかできないんだよ!」

 ウィルは、そう叫ぶと、手にしていた護身用の木の棒で格子をつかんでいる彼女の左手の方を思いっきり叩いた。

 彼女は、悲鳴をあげると左手を押さえた。彼女の手と手の間から血が冷たいコンクリートの床に滴る。

「ウィル、あとは私がやる。アンタは少し休んでいたらどうだ?」

 それを聞いたウィルは、つまらなさそうに舌打ちをし、廊下を歩いていった。

 ウィルが休憩室に入っていったのを確認すると、私は、彼と同じように腰にぶら下げている鍵の束から一つの鍵を手にすると、独房の錠を開け、独房の中に入っていった。

「どれ、見せてみろ。大丈夫だ、何もしないから」

 私は、優しく声をかけながら独房の隅で左手を押さえて怯えている彼女の方へ歩み寄り、ゆっくりとしゃがむと、その細く白い手をそっと手に取った。

 幸い、彼女の左手は骨折もしていなく、爪が大きく割れて出血している程度だった。

 私は、ポケットからハンカチを取り出すと適当な形に裂き、出血している彼女の左手に優しく巻き付け、外れないようにハンカチの端を縛ってやった。


 彼女の名前は、マリアと言い、殺人罪で死刑判決を下された。ここのすぐ近くで起きた事件だった。ちょうど学校の終わり、街の子供たちが近くの公園や空き地で遊んでいる頃、人気のない路地裏に返り血にまみれた彼女と彼女の辺りに無残な姿で横たわっている彼女の友達だった子供たちが発見されたのだ。新聞には載っていなかったが、凶器は見つかっていないが死刑囚の子である彼女が犯人に違いないとし、五分で判決が下ったらしい。

 私は、どう考えても非力そうなマリアが人を、ましてや複数の子供を殺せたとは思えないのだった。

 それに、マリアは、獄中でも特に暴れるといったこともなく、至って穏やかだった。


 ある日、私が独房の監視をしていて、マリアのいる独房を通りかかった時、彼女が、扉の方まで近寄ってきて、格子の間から何か紙のようなものを差し出した。手に取って広げてみると、それは、以前私が彼女に差し入れた紙に鉛筆で描かれた丘の絵だった。私の住んでいる街と、海が見渡せる丘だ。その丘には見覚えがある。幼いころ母親によく連れられてやってきた丘で、私のお気に入りの場所だった。上手く描けてるものだ。

「これを私に?」

 独房の中にいるマリアを伺うと、彼女は、恥ずかしそうに小さく頷いた。私は、そんな彼女の嬉しくも恥ずかしそうな目を見ると心が暖かくなるのを感じた。

 そして確信する。マリアは殺人犯ではないと。

「ありがとう。大事にするよ」

 私は、ポケットの中にその絵が描かれた紙をそっとポケットにしまい、廊下を歩いていった。


 それから数週間後、私とウィルが夜勤の当番だった。彼は、いつも通り夜勤をサボり、休憩室で寝ているので、私が独房を監視しなければならなかった。

 私は、暗い所が苦手なのだが、渋々懐中電灯を片手に消灯後の暗い廊下を歩いて廻った。

 独房に異常がないのを確認しながら歩いていると、不審な独房がひとつあった。扉が開いているのだ。マリアの独房だ。

 私が急いで独房に駆け寄ると、マリアはそこにいた。しかし、そこに、暗闇の中に紛れて、彼女の両脚を無理やり開かせながら、山のように彼女に覆い被さっている人影があった。

 懐中電灯を照らしてみると、そこには、休憩室で寝ていたはずのウィルがマリアに交わりを強いて及んでいた。

「おい、そこで何をしている!」

 私が叫ぶと、ウィルは、これまでに見たこともないような残酷で気味の悪い笑みを浮かべ、私の問いに答えることなく独房を後にしようとした。

 私は、すかさずウィルの胸ぐらを掴み、彼を壁に押し付けた。

「今度彼女に妙なことをしてみろ、職務怠慢も含めて全部上に報告してやるからな」

 私の脅しにも怯むことなく、ウィルは不気味な笑みを浮かべ続けている。

「ああ、やれるものならやってみろよ」

 ウィルは、そう言うと胸ぐらを掴んでいる私の手を振りほどき、廊下の闇に溶け込むようにして休憩室へと戻っていった。

 マリアの元に駆け寄ると、彼女は、独房の隅でうずくまって小さく震えていた。あまりのショックに泣くことすらも忘れているのだろうか、彼女は無表情のままだった。

 私は、すぐに汚れを拭い、乱れていた服を整えてやった。マリアは、私と目を合わせると、震える両手で私の服の袖を掴み、初めて涙を流した。

 夜勤の途中だったが、このままマリアを一人にしていくわけにもいかないので、私は、彼女が落ち着くまで傍にいてやることにした。

 しばらくして、泣き疲れたのか、マリアは、私の腕の中で静かに寝てしまった。私は、マリアが眠りについたのを確認すると、彼女を抱きかかえ、備え付けのベッドにそっと寝かせ、毛布をかけてやった。


 私が所長室に呼ばれたのはそれから三日後の夕方だった。帰りの身支度を整え、帰ろうとするところを所長に呼び止められたのだ。

「君を呼び止めたのは他でもない、君の担当しているあの死刑囚のことだ」

「マリアがどうかしたのですか?」

 私が聞くと、上等そうな黒いスーツをボールのように膨らませた太っちょの所長は、頷き、大層柔らかそうな立派な椅子にふんぞり返りながら机の引き出しを開けると、ファイルに挟まれた一枚の書面を取り出すと私に手渡した。

 それは、翌日の朝、マリアの死刑を執行するという書面で、市長のサインが書いてある。それも一番苦痛を伴う毒ガスによる死刑だ。そして、執行者の欄には、私の名前が記されていた。

 なぜ急にマリアの死刑執行が決まったのか、よりにもよって私が執行者なのか私はすぐにわかった。市長を父親に持つウィルであればこんなことをするのはとても簡単なはずだ。私への悪意とマリアの口封じのためだろう。

「これはウィルの仕業に違いありません!なんとかならないんですか!?」

 私は、所長の大きな机に両手をつき、身を乗り出して所長に訴えた。

「エレン君、それは間違いないことだが、私の立場を考えてくれ。市長に逆らえば私は彼の権限で左遷されてしまう。悪いがたかが死刑囚一人のためにそこまですることはできんよ」

 所長は、困ったように顔を渋らせ、首を横に振った。

「ですが......」

「世の中、正しいことが必ず得をするというものではない。君の意見はどう言われても聞くことはできない」

 確かに正しいことが必ず得をするということはないだろう。しかし、私は、マリアを助けることを諦めきれなかった。


 所長室を出てすぐに、私は、マリアの独房へと向かった。

「アンタの刑の執行が明日に決まった。執行者は私だ。けど私は、何の罪もないアンタを殺したくない。今ならまだ間に合う。ここから逃がしてやる」

 私がそう言うと、マリアは、ほっとしたような顔をするとゆっくりと首を横に振った。

「私は、ここであなたに殺されたいの」

 マリアから聞いた最初の言葉だった。

「どうして?死ぬのが怖くないのか?」

「怖くないと言ったら嘘になる。けど、人は必ず死ぬもの。私はその最後をどう遂げるかを選べる幸せな人間よ」

「アンタは無実じゃないか!今ここで死ぬ必要はないだろ!?」

「確かに私は無実。けど、私が死ぬことで色々な人の人生が大きく変わるの。あるべきようになる。それだけのこと。私の最後を選ばせて」

「わかった。明日の朝、迎えに行くよ......」

 マリアの澄んだ瞳を見つめているのが怖く、私は、目を逸らした。


 翌朝、私は、マリアの独房の鍵を手にし、廊下を歩いていた。霧の立ち込める寒い朝だった。

 私が、マリアの独房へ着くと彼女は、独房の隅にうずくまって小さく震えていて、私と目を合わせると、今にも泣きだしてしまいそうな顔をして、私のもとに駆け寄ると、私の服の裾を掴んだ。

「私、やっぱり死ぬのが怖い。私のこと抱きしめて。あなたの胸の中が落ち着くの」

「ああ、まだ時間はある。好きなだけ抱きしめてあげるよ」

 私は、マリアの震える小さな身体にそっと腕をまわし、彼女を自分の胸の中にしっかりと抱き寄せた。


 マリアの刑の執行の時間が近づき、私は、マリアを連れて廊下の奥にある刑場へと向かった。刑場は、一般公開されていて、奥に並べられたパイプイスに座っている被害者の遺族は、冷たい視線をマリアへと向けている。そして、一番奥の隅では、ウィルが残酷な笑みを浮かべて私たち二人を眺めていた。

 私は、遺族の冷たい視線からマリアをかばうようにして、円柱状の鉄でできた棺のようなガス室へと彼女を連れていった。

「ねえ、最後にもう一度だけ抱きしめて」

「ああ」

 私は、マリアに言われるまま、もう一度、彼女を抱きしめた。

 すると、マリアは、私の耳元へ小声で呟いた。

「あなたにだけに真実を言うわ。けど、これは公にしないでほしい。彼は私の最後を見れば変わるはずだから。真犯人はこの刑場の中にいるの。あの時、私は、恐ろしくて、犯人に犯された友達が殺されるのを隠れながら見ていることしかできなかった。犯人が逃げた後で、友達を助けようと遺体をゆすったり病院へと連れていこうとしたけどダメだった。皆その時には死んじゃってた。その所を見られて私は捕まったの。今でも犯人の顔は覚えている。犯人は......」

 この刑務所の近くで起こった事件。マリアがウィルを睨んだ理由。ウィルの残忍な性格と性癖。私の脳裏で、全てが一つに繋がった。犯人は、ウィルだったのだ。

「それと最後にお願いがあるの。私が死んだら、あなたに渡した絵の所に墓を作ってほしいの。私のお気に入りの場所だから......後もう一つ、私の妹、アヤの面倒をみてあげて。私のたった一人の大切な家族なの」

「ああ、わかった。約束しよう」

「ありがとう」

 マリアは、言い終えると、私の胸から身を離し、ガス室へと歩み始めた。

 私は、マリアの肩を優しく掴み、彼女を引きとめると、自分の首につけていた十字架のネックレスを外し、彼女の首につけてやった。殺された母の唯一の形見だ。もう恨みなんてどうでもいい。全て彼女がどこかへ忘れ去らせてしまったのだ。

「これ、何?」

 マリアは、不思議そうに首にぶら下がっているネックレスをのぞき込む。

「お守り。私の大切なものだけど、それはアンタに持っていてもらいたいんだ」

「そっか、ありがとう。そろそろ時間だから行かなきゃ。さようなら。あなたは本当にいい人だったよ」

 マリアは、そう言うと再び歩み始め、ガス室へと入った。

 そして、私は、ガス室の分厚い絶縁扉を閉めようとした。

「待って、言い忘れたことがあるの!」

 マリアの声が聞こえ、私は、手を止めた。

「どうした?」

「私、あなたのことが好き!これで全部言い終わった。もう閉めても大丈夫よ」

 絶縁扉は完全に閉められ、マリアの微笑みが扉の向こうへと消えていった。

 私は、ガス室の横についているボタンの押した。ガス室の中に毒ガスが充満されていく音が聞こえる。

 そして、マリアの悲鳴と彼女が絶縁扉を必死に叩く音が聞こえる。

「嫌だ!!苦しい!!死にたくない!!出して!!ここから出して!!」

 やがて、マリアの声と扉を叩く音は聞こえなくなり、そして刑場は静寂に飲み込まれた。

 毒ガスが引いた後で、絶縁扉を開けると、目や鼻、あらゆる箇所から体液を垂らしたままになったマリアが横になって動かなくなっている。その右手には、さっき私がマリアにあげた十字架のネックレスが握られていた。

「満足か?これで満足か!?」

 私は、奥で人が変わったように怯え、放心しているウィルに歩み寄り、殴り倒すと、茫然としている遺族の胸ぐらを掴み、揺さぶった。


 その後、私は、辞表を押し付けるようにして所長に突き出して、マリアの遺体を引き取ると、刑務所を出ていった。

 マリアの墓を彼女の絵に描いてある丘へ作ってやった後で、私はアヤを街の孤児院から引き取った。彼女はマリアにそっくりの顔だったのですぐに見つけることができた。


 私が刑務官を辞め、アヤの引き取り手が見つかって、ウィルの人がかわってしまった。確かに色々な人の人生が変わった。

  これが彼女が望んだ世界だったのだろうか?

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― 新着の感想 ―
[良い点] Twitterでお世話になっておりますw ナイトハルトです!! 物語にまとまりがあって凄く読みやすかったです! 人物から風景まで、とにかく細かく表現されていて、 読書が比較的苦手な僕で…
[良い点] キレイな文章。 読みやすく、必要な描写と内容がしっかり。 マリア~ [一言] 最後、真犯人がなぜそこまで狼狽えてるのかが微妙? 元々残虐な人物なのだろうし。 私が理解できてないだけかも…
2016/11/11 10:40 退会済み
管理
[一言] 伝えたいことだけをダイレクトに伝え、それ以外の不足した情報を読者に補完させ最後まで一気に書ききる。 正に短編小説の妙を読ませてもらった気がします。 文章自体も読みやすく、キャラに感情移入し…
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