5話 知らせは突然に
こんなにも想っているのに。
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天界は昼も夜もなく、常優しく明るい光に包まれている。
しかし人界で言う年に一度、どうしてかわからないが天界が暗くなるのだ。
これを天界の神々は闇の日と呼んでいる。
フェルの母はちょうどこの日に死んだ。
天界での殺しは固く禁じられており、殺しを行うことは大罪となされ、どんなに位の高い者、権力のある者でも堕とされる。
いつものように神会議が開かれた。
いつもは雑談で終ってしまうことも多々あるのだが、今日は違った。
どこか張りつめた空気の中、オリュンポスの神々がいかめしい顔をして座っている。
「あと数日で闇の日…約束の日だ。よいな?セルザス様」
白い口髭をたくわえたの神、ゼウスが空気を震わすほどの威厳ある声で厳かに告げた。ゼウスはオリュンポス十二神の主神で、主神に相応しいたくましい容貌をしている。他の神々の目が、やっとあの忌まわしい子どもを堕とすことが出来る、とでも言うように嬉々と輝いている。
いつもは神議会に出席しないセルザスが、面倒くさそうに口を開く。
「…ああ、分ってるさ。その条件付きで
引き取ったんだからな…仕方がない…」
セルザスは少し思案するそぶりを見せ、再び口を開いた。
「…どうせ堕とすんだ。
…もうあいつに…本当の事を言ってしまってもいいだろ?」
「……いいだろう」
その言葉を聞いてセルザスは嬉しそうにわらった。
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天界の柔らかな日差しは温かく感じさせる。
穏やかで幸せな時間が過ぎてゆく。
短い金髪で白い獣のような耳をした白と黒の羽を持つ男の子が、小さく可愛らしい花の咲く花畑を駆け回っている。転んでも楽しそうにまた走り出した。
あまり遠くに行かないのよ、という声が聞こえた気がする。
その時どんっと誰かにぶつかってしまい、よろけながら2・3歩下がり上を見上げると、露骨に嫌な顔をしてその子どもを見下ろしてくる天使が3人ほどいた。彼らはこそこそ話し、嫌な顔をして、子どもをちらちら見ながら去って行った。
子どもは僅かに目を瞠って、その場に立ち尽くした。
何と言ったらいいのか分らない感情が込み上げてくる。
その時、白い腕が伸びてきて後ろからふわっと優しく抱きしめられた。
白い羽根が視界の隅に映る。後ろを見なくてもわかる。
おかあさんだ。
優しくて、温かくて。
さっきまでの不安が嘘のように消えていた。
母は子どもの手に、何かを乗せ、優しく手で包み込むようにして握らせた。
何だろうと小首を傾げそっと手を開くと、その子どもの小さな手のひらの上に紅いルビーを埋め込んだ銀色の十字架のピアスが乗っていた。
光を受け紅いルビーがきらりと光る。
フェルは後ろを振り向いた。
光がまぶしくて母の顔が見えない。
顔が分らない。
彼女は一瞬切なげな笑みをこぼした。
子どもを優しく抱きかかえていた腕がするりとほどかれ、
最後にそっと頭を撫でて、離れていく。
温もりが消えていく。
どこにいくの?
子どもは必死に手を伸ばしたが、遠ざかる母の手には届かない。明るかった周りがだんだん暗くなっていく。子どもは不安で押し潰されそうになりながら必死で追いかけた。
まって
ねぇ、どこにいくの?!
まって、おかあさん!
おかあさん!!
追いかけても追いかけても
母に追いつくことはない。
そして闇に飲み込まれていった。
「行かないで!お母さん!」
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はっと目が覚めた。
じんわりと嫌な汗がにじんでいる。
机から顔を上げ汗を手の甲で拭い辺りを見回すと、そこはいつもと変わらぬ自分の部屋。夢だったことを悟り、フェルは複雑な面持ちになった。
「…お母さんの夢…?」
ぼそりと呟き、無意識に右耳の十字架のピアスにそっと触れた。冷たい金属の感触が、現実だと告げている。ついと目を細めた。
どうしたんだろう、こんな夢を見るなんて…
今までに一度もなかった。
どうしてだか、泣きたい気分になった。
その気持ちを誤魔化すかのように、全く別のことを呟く。
「いつの間に寝ちゃったんだろう…」
左頬についた痕をさする。
どうやら椅子に座って考え事をしていたら、いつの間にか寝てしまったようだ。
昨日のセルザスの表情がやっぱり気になって、あの後ずっと考えていたのだが、結局分らないまま。
やはり悩み事か、考え事か。
手を組み腕を前に突き出し伸びをして、立ち上がろうとした時、扉が開きセルザスが無言でずかずかと入ってきた。どこか様子の変なセルザスを見て、何事かとフェルは軽く目を瞠った。セルザスも自室があるのだが、よくしょっちゅう頻繁に常にフェルの部屋へ来るのだ。
フェルにだって一人で静かにしていたい時があるので、たまに迷惑だなと思うこともあるが、そんな事言えない。いつものように自分の部屋であるかのように勝手に入ってきて、フェルの前で立ち止まった。
「フェル、大事な話がある。」
いつものふざけた口調でない、真面目な口調と態度に
フェルは無意識に姿勢を正し、無言で続きを促す。
なんだろう、嫌な予感しかしない。
「フェル・ルア・ルシファンス。
お前は3日後の闇の日に堕とされることになった。」
鼓動が跳ねた。
たっぷり三呼吸分の沈黙ののち、何を言われたのかようやく理解したらしいフェルが目を見開いた。自分が堕とされるべき存在だとは分っていたが、唐突に告げられた思いがけぬ台詞になかなか言葉が出てこない。
何かを言いだそうとしては止め、答えあぐねている。
セルザスはかまわず更に続けた。
「守れなくて…すまない…。それと…今まで隠していたのだが、
堕天する今、隠す必要はないだろう…」
セルザスがそっと目を瞑る。
そして更に次に発せられる言葉にフェルは耳を疑った。
「お前の母は生きている。」
全ての時が止まったような錯覚にとらわれる。
フェルの目がこれ以上にないほど見開かれ
様々な感情を抱えた瞳が大きく揺れた。