2話 変わることなき日々
太陽も月もなければ昼も夜もなく、常に優しい光に包まれ、 その光の色合いは日によって微妙に違う。 遥か昔のギリシャやローマの神殿や街並みに似た建造物が所々にある。 神殿にありそうな石柱が何本も建ち、地面は石のタイルが敷き詰められていたり、地面がむき出しになっていたり、場所により様々で 薄いドライアイスのような雲でところどころ覆われている。
空にある見渡す限りの雲は、夕焼けのようなオレンジ色やピンク色に薄く染まっており、 雲の切れ間からはうっすらと光が差しむ。
光の筋がきらきらと輝き、実に幻想的だ。
同じような景色が果てしなく続いていて、全体的に白い印象を受ける。
そう、ここは神々や天使、妖精が住むところ。天界。
人間たちが天国と呼ぶところだ。
ひと際目立つ建物がある。
神々の審議の場である、審判の塔だ。
教会を連想させるような建物で、周りの建物や石柱とは違った雰囲気を醸し出す。またそれは人間界にあるものより高くそびえ立ち、神々しさと共に威圧感さえ感じる。近くで見れば相当のものだろう。
人間が長い年月をかけて得た技術・知識など神から見れば塵同然。第一、神と比べること自体愚かなことである。門をくぐれば、そこは緑豊かな庭が広がり、噴水の水の音と色々な色の花や植物が心を和ませリラックスさせてくれる。
ひとつのシンボルのように頂上にあるクリスタルが輝きを放っていた。
+ + +
「すみませんっ遅くなりました…!」
天界の光は塔の中も明るく照らす。
ステンドグラスは天界の美しい光を吸い込み、その輝きを増している。大理石の床で、模様が描かれている。
少年はその廊下を裸足でぺたぺたと音を鳴らしながら走り抜け、少し息を切らしながら部屋に入ったのだが予想に反し部屋には誰も居なかった。
部屋はとても狭く、少し薄暗い印象を受ける。イスとテーブル、あとは本棚があるだけの閑散とした部屋だ。元々物置だったのだが、母の死後居場所のない彼を引き取った天使が、少年のために片付けてくれたのだ。
居心地が良いというわけでも、悪いという訳でもない。だが、半堕天使の自分にとってはこの天界に安心できる場所など無いのかもしれない。
怪訝そうに眉をひそめ息を整えながら、誰かを探すかのようにきょろきょろと目を彷徨わせていると、後ろから男の声がした。
「遅ーーーーい!フェル・ルア・ルシファンス!!はい、遅刻1点ー」
仁王立ちになった男が、少年が振り向いた瞬間を狙って、額を指で軽く弾いてきた。
「す…すみません…」
弾かれた額を押さえ、逃げ腰になりながら言う。
「それ、さっきも聞いたぞ。謝る前に言うことあるだろう?」
男が少し怒ったような顔をしてみせた。
背が高いので見上げなければならない。
少年、フェルはわけがわからず、目を瞬かせながら暫く怪訝な顔をしていたが、
はっとあることに気付き、今にも消え入りそうな声で細々と言った。
「…ただいま…」
「おかえり」
男は満足げににやりと笑って、フェルの頭をわしゃわしゃとかきまわした。
彼の名前はセルザス・ルースファン。
彼こそが、母の死後、居場所のないフェルを引き取った天使だ。天使と言っても彼は位が高いので神天使と呼ばれる。神に近い天使であるので、神とあまり区別がつけられていない。
髪の色はフェルより少し薄い金髪で長髪。ついでに身長も高く、なかなかの美形だ。左側の髪を右側に持ちあげ、そのまま垂らし、青い宝石をあしらった菱形の止め具で毛先を止めている。また、他の天使や神とは違う、貴族の軍服のような特殊な服を着ていた。何故なら神議会の中でもトップクラスで権力もあるからだ。
神議会とは審判の塔で、天界について秩序についてなどを議論する、神による議会のことだ。また、神や天使を堕とすか堕とすまいかを判定する所でもある。
神議会はゼウスをはじめとするオリュンポス十二神と、2名の天使で構成されている。
2名の天使うちの1人がセルザスで、創造神のお気に入りでもあるらしい。
また彼はフェルの母親の元恋人であり、彼女にフェルのことを託されたのだ。
頼れるのは、あなたしかいない、と。
僕をこうして引き取ってくれているのは、セルザスが好きだった彼女の、僕のお母さんの頼みだから。
じゃぁセルザスも頼まれなかったら、僕をこうして置いてはくれないんだよね。
自分にはこんなささやかな居場所さえもないんだろうな…
フェルに気軽に接してくれているのはセルザスだけのようなものであったが、
どこかで、本音は他の神や天使と同じだろうと無意識にフェルは思っていた。
「今日はどうだった?」
セルザスはフェルの顔を覗き込んで、ん?と続きを促してみた。
対するフェルはほんの少し渋面を作り黙り込んでしまう。
今日は、ではなく今日もいつもと同じだ。
どこへ行っても白い目で見られる。
半分天使で半分悪魔。
そんな自分の居場所は何処にもないんだろうな…。小さい時から何となく感じていた。
「やっぱり、睨まれる…。辛いけど、でもみんなは悪くないよ、
僕が悪いんだから。堕ちたのも僕のせい。」
そう言って何かを堪えるように自嘲気味の薄い笑みを浮かべた。
フェルには母親しかおらず、父親の事は何も教えてくれなかったので誰なのか知らない。フェルにとって、母親をなくしたことは想像以上に傷つくものだった。
小さい時からこの半堕天使という立場のため常に周りから白い目で見られ、腫れもののように扱われていたが、母が優しく包みこんでくれたおかげで大丈夫な気がした。
心のよりどころであった母。
無くしてぽっかり心に空いた穴。
白い目で見られても、悪口を言われても、どんなに蔑まれても、腫れもののように扱われようと。
フェルは反論しない。
余計、神々の神経を逆撫でし、不利になるだけだ。
それなら、認めてしまえばいい。
認めてしまえば、抗うことさえしなければ、さほど苦しくない。
気持ちなんて、しまってしまおう。
僕が全て悪いんだ。
「あー…それは、誰が悪いかなんて、誰にもわからんではないか。
半堕天使とか関係ない。フェルはフェルだ。もっと自信を持て。」
またそれかと言うように、少し渋面を作り、こめかみを掻きながらセルザスは言った。本当は、今日の空は綺麗だったかどうかを聞きたかったのだが捉え違いされてしまったな…と心の中で考えた。
よし、今度は単語を省かずにちゃんと言おう。
そのまま俯いてしまったフェルの頭をぽんと叩く。
「ほら、食事行くぞ。みんな待ってる」
「行きたくない…」
「何言ってんだー今日のメニューはなんじゃろなーほいっ」
元気づけるように明るく言って笑い、フェルの手を取って部屋を後にした。
+ + +
足取りの重いフェルを、半ば無理矢理連れていくのはいつもの光景である。
広いホールに白くて長いテーブルが配置され、上には純金のキャンドルが置かれ、天井は高く窓には綺麗なステンドグラスが施されていて光が常に差し込む。
更には煌びやかなシャンデリアが吊り下げられている。
豪華絢爛という言葉がぴったり当てはまる。
テーブルを囲んで神議会の神たちが食事を楽しんでいた。
元々食事をする必要はないが、楽しみとして食べるのだ。
食事の場に少し遅れて入ってきたフェルに、その場にいる全員の視線が突き刺さった。ぎこちない、嫌な空気が流れ、こそこそ話が反響して聞こえてくる。
「す…すみません…」
思わず謝ってしまった。
本日3回目のすみませんである。
周りの視線が痛いのは、勿論フェルが半堕天使だからである。
ほとんどの神や天使はフェルを腫れもののように扱い、毛嫌いしている。
自分と違うもの、異質なもの、秩序を乱すものを、神や天使は嫌う。
周りの目を少し気にしながら、遠慮がちに端の方のイスに座った。
白い部屋に白いテーブル。黒い翼がよく映える。
食事の時間は彼にとって苦痛な時間だ。
だんだんフェルの背が縮こまっていく。
――別に食べなかったら死ぬってわけでもないのに…
なんで皆食事をするんだろう…
とフェルは毎回心の中で疑問に思う。
そんなことをつらつらと考えていたその時。
「わっ!」
「うわぁっ!!」
いきなり肩を叩かれ吃驚し、フェルは素っ頓狂な声をあげてしまった。
丸くなった背筋が一気に真っ直ぐになり、ついでに周りの視線が更に痛く冷たくなったのがわかる。よくもやったな、という思いを抑えて後ろを見上げた。
悪びれもしない様子のセルザスが立っている。
「…何するんですか…」
「よっしゃ。背筋伸びたな。」
「伸びたな、って…やめてよ…」
「嫌だね」
にやりとしながらセルザスは即座に切り返した。
そして他の神達の方に向き、深々と溜息をつく。
「君たちその態度さぁ……人間と同じことをしているのに気付かないのかね?
気高きオリュンポス十二神とあろうものが…。」
目元に剣をにじませ冷たく言い放った。
人間も神・天使も結局は皆同じだ。
自分とは違うものを避け、排除しようとすることで落ち着こうとする。
カチャカチャと皿とスプーンが当たる音が
異様に大きく聞こえてきて、とても耳触りだと感じる。
やっぱり今日も落ち着けない中で食事をした。
いつもと変わらない
変わることのない日常。