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センチメンタルサマーエンド

作者: 水井 春花

 長くて短い夏のお話――。


安藤(あんどう)さん二年間ありがとうございました」

 中学校の体育館の一角で、私がさっきまで所属していた卓球部の引退式が行われていた。我が卓球部は弱小部である故にわずかの人数しかいない後輩の大声はバレー部、バスケ部などの大手運動部たちの声でかき消されて聞き取りづらい。

 何を言っているのかあまりわからなかったので、

「こちらこそありがとう」

 と、ありきたりな返事を返す。

「安藤先輩、美月(みづき)先輩、今から教室に行きましょう」

 後輩たちは場所変更を唐突に切り出した。

 たった二人しかいない卓球部員の三年生は「最初っから教室にしとけよ!」という本心が喉元まで出かかった。後輩がせっかく好意でやってくれている。無駄にはできないと思ったのでその言葉を出さなかった。

 賑やかな体育館から静かな一年四組へと向かう。ドアを開くとガンガンつなぎや教室の机をくっつけて布を被せただけのパーティーテーブル、黒板には「引退おめでとうございます 卓球部一同」の文字が赤色、黄色、青色の組み合わせででかでかと書かれていた。そして、真ん中に寄せられた机もといパーティーテーブルの上には明らかにクッションだろうと思われるぐらいの大きさの袋があからさまに置いてあった。なるほど、三年生はそれを受け取る算段となっているわけだ。

 私たちが教室に入るとおもむろに、

「先輩たちはまず、引退祝いのプレゼントを受け取ってください。それから、昼食を食べましょう」

 現部長の後輩が満面の笑みで、この後の進行を大まかに説明した。

 とりあえず、私たちはプレゼントを受け取り、脂っこいであろう茶色の食べ物だらけのオードブルに手を付けた。

 この式が終われば、長い長い夏の時間をあの子と過ごせる。不謹慎だがそんなことを考えながら数人だけで過ごす、この引退式を送っていた。

 たった一人の同級生と一緒に卓球第二向かい合っていた日々。しかし、その結果は散々で三年生の大会は地区大会で四位にとどまり県大会にすら出場出来なかった。結果は出せなかった。けどそれはそれで青春らしい活動をしていたと我ながら思うところがある。

 何はともあれ青春の夏が終わり、あの子と過ごす夏が始まる。




 とは言ってもこれからの夏の時間を勉強もとい、塾に回された。そろそろ、受験に本腰を入れなさいという親の意向なのだろう。勉強自体は嫌だけど、塾に行くのは嫌ではないという矛盾を抱えていた。

 なぜなら、幼いころから一緒にいる佐々木(ささき) 真意(まい)がそこにいるからだ。彼女も私と同じく親から高校受験のため塾に回された口なのだ。引退式の後から回された私とは違い、真意の場合は写真部であるため引退は卒業式前とまだまだ先だが、その代わり夏休みの活動がほぼ皆無なのだ。

「あーあ、夏休みは夏休みらしく沢山あそびたかったなーー」

 真意は腕を後ろで組み、長い脚を伸ばし気だるそうにそう呟いた。

「真意は遊んだついでに写真を撮りたいだけでしょ」

 すると真意は笑みを浮かべ、

「ご名答」

「本当に写真バカだね」

「おほめにいだだき光栄ですね」

とお互いに冗談交じりの会話を交わす。真意は薄笑いしていた。

 そして、真意は塾に行くことになってしまったいきさつをほんの少し愚痴った。その後、恥ずかしながら私はここでのささやかな幸せを告白してみることとした。

「塾で勉強するのは嫌なんだけど、真意と一緒にいられるから嬉しいな」

 そう言ってみると、真意は数秒間目を丸くし固まった。やがて、言葉の意味を理解したのだろうか頬を赤く染めていた。

「もう、優絆(ゆうな)ったら。恋人以外にそんなこと言うんじゃありません」

 照れているのか、目をそらし母親が娘に注意をするような口調で返してくれた。

 そんなやり取りをしていると、教室の前に飾られている時計にふと目をやると授業が始まるころ合いだった。

 私はふと窓を見る。

 窓に切り取られた木々とその遥か上に広がる空がこれから始まる長くて短い夏の始まりを告げている。そして真意と一緒に過ごせるというだけで心が躍るように弾む。

 まだ、何が起こるかも知らない私たちの夏が―――。




 七月三十一日、この日も夏らしく快晴で蒸し暑い一日になるだろうと天気予報は告げる。この日もいつもと同じように真意と一緒に塾に通った。そんななんてことのない一日のはずだった。

 ただ、塾に着いてからというもの様子がおかしかったのだ。いつもなら色々なくだらない話をしているはずだが、今日に限っては真意の口が重い。しかも表情がいつになく憂いに満ちていて何も話さず一日が過ぎようとしていた。

 帰り道も同じように真意の下がった眉毛を見ては寂しさを覚えた。

 駅前を過ぎ、商店街を過ぎ、住宅地に入ったころだった。ようやく真意の重たかった口が開いた。私は彼女にいつも通りの会話をしてくれるというほのかな期待した。

 そんな期待も虚しくこちらに顔を向けることもなく一言だけ。

「もしも、私たちが離れたらこの友情はいつまで続くのかな?今日のことも昨日のことも明日のことも出会ったころの思い出だって消えてしまうのかな?」

 声が震えてすぐにでも泣きそうな声だった。

 だからだろうか真意の言葉に冗談じゃないように感じる。

ここで、「大丈夫!」とか「そんなことないよ!」などの軽く耳触りのいい言葉は言うのか簡単だ。だが、そんなことを言えばこの真意との会話を軽く扱っていることになるだろう。大切な友人にそんな軽はずみなことできるわけがない。

 しかし、どんなに考えて悩んだところで真意に対するベストな言葉が見つからない。

 何分間も考えた。深く悩んでいる間に言った自分でも気づいてないうちに声が出ていた。

「大丈夫!色あせないよ、こんな毎日」

 で、かけた言葉が想定していた最悪な答えだった。

 しかし、そんな事を言われたのに真意は意外と嬉しい言葉で返してくれた。

「私だって色あせるわけない。いまだに出会ったころのことを昨日のことのように思い出すもん」

 意外にも嬉しい言葉だったので安堵し目頭が熱くなっていた。

 私と真意が出会ったのは幼稚園の頃。その年頃に友達ができる理由としては「同じ園に通う」や「家が隣またはごく近所」のどちらかが圧倒的に多い。しかし、決してご近所ともいえない距離でもなく、同じ幼稚園に通っていたわけではないのだ。けれど、私たちを追わせてくれたのは母同士が高校時代の友人ということで出会うことになったのだ。

 それが、私たちの出会いと友情の始まりである。

 この頃の真意は泣き虫であり、出会った日の大半はかかわろうとしなかった。そして、「ママー」と泣きじゃくり、佐々木母の元を離れようとしなかったのだ。しかし、人間とは変わるとは良い言ったものでそんな彼女が成長するにつれて大人びた雰囲気を持つようになったのだ。むしろ、私の方が幼くなった感じもした。

 少し大人びた私と泣き虫だった真意。

 子供っぽく考えなしの私と年相応、それ以上の落ち着きを見せる真意。

 どちらも私たちでありそうでもない気がしている。その変化すらも私たちの一つの感情の形であるから。

 真意は今何を悩んでいるのかわからない。いつの日か、それすらも解決して打ち明けてくれる時を信じている。

 夏だからだろうか、十八時ぐらいになるというのに外にいて歩くだけで汗ばむ。塾の中ではクーラーが効いているため勉強道具しか持ってきてはいけないことになっている。禁止されているとはいえ団扇などの清涼感あふれる何かをいったん外に出ると欲してしまう。うだるような暑さにやられたのかは定かではないが、この気候が真意の悩みを溶かせたらいいななどという思考が一瞬よぎった。

 住宅街に着くと真意は用事があるようなそわそわした素振りを現すかのように止まった。鞄からおもむろにカメラを取り出し、電源を入れ調節しているのかボタンやレンズをいじり始めたのだ。

 立ち並ぶ民家にレンズを向けピントを合わせているのか拡大縮小を繰り返す。

 記憶にはっきりと残すかのように長い時間かけて調節したのちシャッターを切る。

 普段より、真意のその一連の作業を丁寧に行っていたかのように感じたのだ。

 カメラを手にしシャッターを切った際、いつもなら興味も微塵とわかない写真なのにファインダー越しに何を見ていたのか、何を撮っていたのかが気になってしかたない。

 後にその時の写真を見せてもらったが、立ち並ぶ民家に入道雲が写っている空がメインの一枚であった。



 悩みの詳細を何も知らずに七月は終わりを告げた。

 結局の所、小さな頭ではいくら考えてたところで、これだと思うものが頭に浮かんでも宙に描いたかのようにふわふわと頼りなく消えていく。それを数十回繰り返すだけに終わってしまった。

 ただ、真意はずっとはそのような態度をとっているわけではなかった。三日に二日はいつも通りでその日はいつもより沢山話をしていた気がする。

 ある日のことである。

「明日、花火大会行かない?」

 塾に着くなり真意から遊びのお誘いが珍しく来た。

 相槌を打つかのように私は答える。

「あぁ、あの市内の花火大会ね」

「こっちの花火大会はしょぼいからね」

 そう、ここの花火大会は花火大会として語るにも語れないほど色々な意味でスケールが小さくしょぼい。それもそのはずで開催場所が三軒分の家の広さの公園で行われる。そのスペースの狭さ故、大がかりな打ち上げ花火ができないのだ。せいぜい二十~三十発、市販の打ち上げ花火を打ち上げて終わりという代物である。そんな名ばかりの花火大会を見に行くくらいならお金を賭けてでも市内の一万発の花火大会を見た方がよいのではないかと数年前話した。そして、中学一年生の頃真意と一緒に行ったのだ。思ったよりも良かったので去年も行った。

 そして、今年もだ。

「じゃあ、塾が終わったら浴衣で駅に集合!」

 約束時間を確認するや否や真意は久々に笑った。


 夕焼けが周りを赤く染め始めたころ、駅に浴衣を着て向かった。

 浴衣は濃紺の下地に色とりどりの菊の花のデザインがちりばめられている母から譲ってもらった浴衣を着用。

 真意が来るまでの時間つぶしのために駅を一周歩いて回ると、ちょうど真意の父と真意が黒い車に乗って現れた。真意の父はサービス業に努めているため、平日の方が送迎してもらいやすい。浴衣姿で歩くのはいつもよりも神経を使うので、こういうときは羨ましい限りである。

 黒のデイズから真意が降りると、おぼつかない足取りで私のところまで一歩一歩ゆっくりと来た。

 彼女の浴衣は白の下地に淡く朝顔がプリントされてある。それを映えさせるかのように濃紺の帯で結ばれている。髪は上におだんご結びがしてあり、結び目には花飾りを着けている。普段、腰ぐらいまであるつややかな黒髪も素敵だが、今日の髪型は一段と美しかったのだ。きっと女性からも美しいと思われる人ってのは真意のような人を指すのかなと考えたりもした。

 お互い挨拶のように軽く褒めあい、JR線に乗って目指すは市内。電車は快速に乗っているからか人が多く、腰を掛けることが出来なかったのだ。やはり県内一・二を争う大きい花火大会だけあり車内には浴衣姿の人も見られた。そして、心なしかカップルも多いように感じられた。

 市内に着いたころには辺りも暗くなっており月がうっすらと見え始めていた。駅から歩いて四十分に花火大会の会場である公園に着くことが出来るが歩く事はせずに市内巡回バスを利用し目的地に向かった。

 会場に着いたのは闇が辺り一帯を覆い尽くす時間だ。

 普段はベンチが数台しかないただ広いだけのひらけた公園だが、この日は花火大会のために沢山の屋台が並んでいた。甘い綿菓子、醤油が焼ける匂い、くじ引きで落胆する人々。それらの賑わいも気にせず二人だけの世界に入っている男女。それら全ての人々が今日、この時を一体となり盛り上げている。

 私たちもその一部のようだ。

 真意は妬んだような眼差しで手を繋ぐ男女を見つめていた。

 よほど、今年こそはって思っていたのだろう。

「来年はデートでここに行きたい」

 と、僅かな希望に目を輝かせていた。

「なら、まず彼氏を作らないとね」

 私たちは生まれてこの方男女交際なるものを経験したことが無い。出会ってからほとんどの時間を真意と過ごした。だから男の子が入る隙など部活ぐらいしかなかった。そして、小学生のころにデパートで買ったおそろいの青いカチューシャを友情の証のように今も着けている。そのせいか時折「できているのではないか?」という噂すらも流れるほどの仲なのだ。

 去年のこの日も同じ言葉を交わしていたのを思い出した。私たちにとって恒例行事みたいになりつつある。

 数多ある屋台の中から綿あめを買い本命である花火鑑賞のためにスペース取りへと急ぐ。如何せん特等席は先に来ていた人たちがシートででかでかと陣取っていた。そのため良くも悪くもない、少しだけ良い庶民席で手を打つこととなった。

 それでも花火を観ることが出来た。庶民席でも十分に楽しめる位置。

 隣にいた高校生のグループは花火が打ちあがると度々呪文のような横文字や金属の名前などを叫んでいる。普通、「たまやー」や「かぎやー」などと叫ぶようなものと教わったので私たちは疑問を持った。もしかしたら、高校生には高校生で流行っているネタとかあるのではないのだろうかということで落ち着いた。

 一方私たちは大きな花火や変則的に花火が打ちあがる度に感嘆の声を上げるだけだった。

 周りの高校生や大人たちと比べると幼さが目立つ反応だったろう。しかし、中学生なのだからこのくらいで丁度いいのではないのかとも思う。

 数十分不規則に色々な色やパターンの花火が打ちあがった。その締めくくりに、夜空を埋めるような大きくカラフルな花火が打ちあがる。

 火花が消えると同時に終了を告げるアナウンスが流れた。

『これにて、市内花火大会の全工程を終了させていただきます。本日はお越しいただきましてありがとうございました』

 アナウンスが流れると、同時に周りの人々はその場から姿を消した。

 しかし、私たちはそこを離れなかった。いや、離れられなかったのだ。

 真意は何かを憂いているようなそんな表情でじっと花火の消えた夜空を見つめていた。彼女に見とれていた私はその場を離れる選択肢など無いに等しいものである。何も話さず、夜空を見上げている。

 一時間の沈黙を破ったのは私でも真意でもない第三者だった。

 肩を叩かれ振り向くと「STAFF」と書かれてある腕章を身につけている二十歳ぐらいのお姉さんに声をかけられたのだった。

「お嬢ちゃん達もう祭りは終わったのよ。バスの最終便はさっき出ちゃったし、もう少しで終電も乗り遅れてしまうよ」

 『終電』それだけはなんとかして避けなければ。私たちはその危機感で頭の中がいっぱいになった。すぐさま私は真意を無意識の彼方から呼び戻すように体を精いっぱい揺らしたのだ。我に返った真意は「花火大会は!」と叫ぶ。途中から記憶が抜け落ちているようだった。

 もう夜の十一時でバスの最終便を逃していることはスタッフさんも言っていたことだが、お互い確信した。JR線の方も15分後に終電だそうで、今からどんな手段で移動しようと駅に着くわけがないのだ。そんな私たちに残された選択肢は2つで泊まるか、歩いて家に帰るかのどちらかである。

 どちらかで言うならホテルで一泊の方がいい。話し合いするまでもなくすぐに決着はついた。

 決まってすぐに真意は財布の中身を確かめるや否や、

「ヤバイ、お金がない」

 と激しく落ち込む。

 真意につられて、私もあわてて財布を調べるが中身を見ると同時に顔が青ざめていくのを感じた。

「七百四十円しかない」

 お札すらなかったのだ。タクシーを呼ぼうにも電話番号を知らない。それに、帰ってすぐ親に「タクシー代払って」と言えば何カ月分のお小遣いが飛ぶのだろうと考えると呼ぶに呼べなかったのだ。

 結局徒歩しか選択肢が残されていなかった。

 わかりきっていることだが、浴衣で長時間歩くのは苦行だ。まず浴衣の作りによって歩幅が三分の一ぐらいと短くなり、尚且つ履きなれない下駄である。普段なら四十分のところこれでは一時間以上かかってしまうは容易に想像できた。

「足が……痛い」

「歩き始めて何分経つんだろう」

 そんなネガティブなやり取りを数度して最寄り駅が見えたころ、私のバックがアップテンポのメロディーを奏で始めた。探るとメロディーを奏でているのは母から借りた携帯であった。母から携帯を借りたことを今まで忘れていたのだ。

 連絡主を見てみると『自宅』と表示されており、すぐに通話に入った。

 母から来た電話は私たちが帰ってこないことを心配しているから迎えに来るというものだった。絶対に怒られると腹をくくっていたのだがあっさりと話が進み拍子抜けした。まさに呆然と言う感じだ。

 母のお迎えが来るまでの四十分間、私たちは受験のこと、恋愛のこと、学校のことなどとりとめのない話をした。しかし、なぜだか受験のことになると麻衣は珍しくうつむいて口ごもっていた。

 その様子から、何かに悩んでいることはすぐに分かった。受験に関する勉強が嫌なのはわかる。しかし、それだけでここまで戸惑うだろうか?受験に何か親の思惑があるのかもしれない。

 そう考えたので、家庭のことを軽々しく訊くのはいくら親友とは言えど野暮というものだ。この、少し腑に落ちない得体のしれない感情は闇に葬り去るしかなかった。

 母が来た後、私たちは車に乗り自宅へと向かった。その帰路で母は電話では話すことがなかったであろううっぷんを晴らすかのように私に小言を良い続けた。

 家に着くや否や何もする気になれないほど疲れていたのでパジャマに着替えてからすぐに寝ることにした。

 言うまでもないが、この時の時間は日付を越していた。



 あの花火大会以降、真意は塾に来る日がめっきりと少なくなった。心配した私は何かあるのかと本人にそれとなく聞いてみたが「家庭の用事でちょっとね」と言い張るのみで要領を得ない。

 何か隠してるとも取れるその言い方が妙に心に引っかかってしまう。

 人というのは隠されると余計に見たくなってしまうもので、いくら相手が親友だとしても好奇心は隠せなかった。とうとう痺れを切らせた私は真意の家を見に行くことにした。

 そこで見た彼女の家は人が住んでいるかわからなくなる。そのくらいに外から見ても家具が少なくすっきりとしていた。そこから考えたことは、家具の移動でもしているのだろうか? などと思いながら他の所に目をやった。

 すると、昔は花が沢山あった綺麗な花壇も今では花どころか緑がなくなり土が剥き出しになっている。

 この様子から直感で感じた。

 どうも、佐々木家で何かが起こっているらしい。

 その「何か」を考えると思い当たる節は色々あるが、全てが繋がる結論までには至らない。


 一カ月前より少なくなった会話。

 毎日のようには塾に来なくなった真意。

 来ない理由を何かしら家の用事というようになった事。


 なにもかもがその「何か」の伏線のような気がするぐらいに胸騒ぎがする。

 何故か、一緒に居続けた真意が私のもとを離れてどこか行ってしまうのではないか。そんな不安を胸に抱きながら過ごすのは辛かったのだ。

 その日から辛さや不安から逃げるようにいつしか他の人と遊ぶことがほんの少しだけ多くなった。



 夏休みも終わりに近づいた八月二十九日。

 快晴の青空とツクツクボーシの大合唱の中、塾に通った。

 計画的に物事を進めない人は今日あたりから宿題の濁流にでも呑まれている頃だろう。中学三年生の学校の夏休みの宿題というのは部活の引退と受験生ということも相まって、昨年よりも二割(当社比)ほど増量されていた。例年より宿題が多かったにも関わらず何度か勉強会を行い宿題の内容をまる写しさせてもらった。なので残るは「夏休みの思い出」というテーマの作文だけだった。

 真意の隣でやり残した塾の方の宿題を開く。

 一ページ半にも及ぶ英単語を作業のように書きつぶしていく。

 一ページ終わったくらいの頃、隣から声をかけられた。

「この後海を見に行かない?」

 唐突なお誘いに耳を疑う。真意の目はまっすぐ私の目を見つめている。本当のものだと納得したとたん固まった。

 今まで何かを誘うのは大体私だった。今日に限って珍しく真意からのお誘いが来たのだ。その時の私は驚きを隠せず、まさに開いた口が塞がらない状態だったのだろう。

「海といったら、あの小学生の時に臨海学校で行った海の家の近くの……」

「そう、その海! 残りの宿題の自由研究もしないといけないしね」

「珍しい。真意がこの時期まで宿題がおわってないなんて」

 この街には住宅街そう遠くないところに海がある。レジャースポットになるまでは有名ではないが、地元の人が時々釣りやサーフィンをする人が来るぐらい。

 真意は何故、海を選んだのか知らない。でも、真意には真意なりのこだわりがあると考えた。真意のその瞳は一点の曇りすら見せなかったのだ。

 小学五年生の頃、臨海学校に行って以来一度もあの海に行ったことはない。でも、真意の家族は毎年夏休みが終わるころにその海に行っていた。

 いくら宿題があると言えど、両親ともう行っているはずなのに今年は私といくのか。


 両親ともども忙しいのだろうか?

 それとも不仲なのだろうか?

 いや、真意が受験生だから気を使っていかないのだろうか?

 それとも、もう行ったのだろうか?


 などと、色々と思考を巡らせては思いついたのはこの通り数少ない考察だけだった。

 そしていくら考えてもしっくりくる答えなど出るわけもない。そしてさらに思い悩む結果になってしまった。

 この日の塾の授業は長い長い歴史をたった六十分に無理やり凝縮されたような授業は悩める十五歳の頭の中にはまったくといっていいほど入ってこなかったのだ。

 各六十分の歴史と英語の授業をこなした後に早々と私たちは塾を出て、最寄りのバス停に歩いていった。

 バス停前で十数分待ったところで海行きのバスが到着。

 残念ながら、前の花火大会の時に貯めていた手持ちのお札を使い切っていた。行きと帰りのバスの最低限のお金しか持ち合わせていない。だけどありがたいことに、飲み物は塾に行く前、親に渡された水筒がある。しかし、食べ物に関しては買えるほどの余裕はなかった。そのことを念頭に置くとそれほど長居は出来ないことになる。

 塾を出たのは午後五時ぐらい、海に着くころには六時になっていた。

 真意にとっては一年ぶり、私にとっては実に三年ぶりとなる海。

 いくら、夏のレジャースポットの海と言え、夕暮れ時になると人は少なくなっていた。そこに居るのは夜釣りの準備をしているおじさんたち、海の家に泊まって合宿をしているらしい何かの部活動の人々、馬に乗り海沿いを歩く人々。真意の自由研究を助けるために貝を拾いながら三十分ぐらい海沿いを歩く。

 夕焼けが水面をオレンジ色に染め始めたころ私は何かに誘われたかのようにローファーと靴下を脱ぎ海へと走った。

 浅瀬に足を入れると波が私の足を容赦なく濡らした。夏なのに脚が冷え切ってしまいそうなぐらい冷たかった。

波の引いたり来たりするリズムが好きで、そこで立ち止まった。次第にそれだけでは物足りなさを感じ、独自のステップを踏む。足が水を刺激しぴしゃぴしゃと音を鳴らして跳ねる。

 その様子をみて貝を集めている真意は苦笑する。

 それから、少し経ったときふと何か大事なことを忘れているような感覚に襲われた。

 奇遇ながら真意もそれを感じたようで、私たちは向き合った。

 夕焼けの太陽の光が真意を照らす。光の加減で普段は長い黒髪が茶髪に見え、少しいつもとは違う真意が見えた。その美しさに見とれる私は夕日を背に海に足を入れたまま。

 何を忘れているのかわからぬまま、お互い数秒間見つめ合う。

 私なりの願いを言ってみるのはどうだろう。

蘇の衝動から姿勢を前かがみになり真意に頼むように言うのだ。

 真意はどんな顔でどんな応答をするのだろうか?


 なんてことのない、ささやかな願い。

 でも叶うとも限らない願い。


「来年もいっしょにここに行こうね」

 その言葉は宙に舞い、誰のところにも届かない。

 私が何か地雷を踏んだのかはわからないが、真意の眉は下がり、申し訳なさそうにこちらを見ている。その口からか弱い声で謝られたように聞こえた。

 急に言われて何も言えず、理解しきれず固まる私に真意は一つ一つ丁寧に言葉をつなげる。

「私、引っ越すことになったの。明日の早朝にこと地を離れる」

 それは急すぎる展開で頭の中が真っ白になる。

「引っ越すってどういうこと? それに、明日って……」

 私には全てが解らなかった。真意がここを離れなければいけない理由も何故この時期なのかも……。すべてが突然変わりはてている気がした、それゆえ理解が追い付かない。

「親の仕事の都合で東京に引っ越すことになったの。父親が本社に転勤が決定して出世だかなんだか分からないけど、嬉しいみたいで。あの表情見ていたら反対出来なかった」

 と、「親」「仕事」と引っ越す理由としてはメジャーな答えだった。

 しかし、私たちは十五才。一人で出来ることは前に比べると増えてきたが、まだ全てが一人で出来るわけがない。親の力がないと暮らせないし、生きていけない。残酷だけど日々思い知らされる。反対できる訳はない。この時親は絶対的な力をもっているとふと思った。

 だから、否定の言葉が出るわけなかったのだ。

 私は精一杯の強がりで返す。

「事後報告じゃなくて良かったよ」

 それに、両親不仲説などではなかったのでほんの少しだけ安堵した。同時に明日から真意のいない日々が始まる喪失感に苛まれた。

 果たして、自分が言ったことは本音か建て前か分からない。

 夕凪、夕暮れとセンチメンタルになるには持って来いの時間の景色はあの悲しみをより引き立てているかのように思えた。

「そろそろ時間だね。帰ろう」

 そう真意が切り出しバス停へと向かう。

 帰るのは本意ではないが、花火大会での事もあるので親の信用のためにも素直に帰るほかなかった。

 真意の告白から、一緒にいる時間の一分一秒すら恋しかった。

 バスは田んぼ道を通り抜け岐路に着いた。

 去っていく彼女の背中を見ながら二度とこうして会えないのではないか。そう直感に近い何かを感じた。

 蜩の声が聞こえる。

秋の近付く音……いや、


 センチメンタルな夏のおわりを―――。



6


 八月三十日、快晴、午前六時。

 告白の件を考えていたら眠れなく、睡眠時間は三時間を切っていた。

 しかし、不思議と眠気は襲わず、意識だけは鮮明だ。

 これまで今まで時間と状況はずっと同じく繋がっていると錯覚を覚えていた。

 しかし、今は離れていく真意と私たちがどうなるか見えない。

 だからこそ、行かなければと思う。最後に会うのは本心を確かめるためにも必要なこと。

 幸い、夏は日が昇るのが早い。朝六時になる前には日が昇っており、外に出るのも抵抗などない。

 真意たちは七時を回ると、玄関から出てきた。各々が持つ荷物はまるで一泊ぐらいの旅行に行くかのような量だ。家の中を実際見ないと引っ越しだとは思わないのだろう。

 引っ越すことについては、今思えば予期させるようなことは色々あった。

 なのに気付きもしなかった。

見ていた振りをしていただけではないか?

 親友なんてこれまでよく言えたものだと、自分で嘲笑した。

「あれ、優絆? どうしてここにいるの?」

 真意は驚いたのか、目を丸くして私を見る。

 普通ならいくら友人でも家の前で待ち伏せするなんてストーカーまがいの行為。すぐさま、不審者扱いされてもおかしくない。

 そんな状況にも関わらず目的を告げた。

「真意の見送りに来たの」

 すると、真意は涙を浮かばせ、「ありがとう」と返され抱きしめられた。

 十年間――。

 それは私たちは近所というだけで知り合った日から今までの時間、子供らしい遊びからちょっとだけ背伸びしたり喧嘩をしては仲直りをしたりした。そして、沢山のものを得た。いや、積み上げていった。

 友情。そんな言葉じゃ陳腐になるほどに大事な――。

 最後にどうしてもずっと疑問に思っていたことを訊いた。

「でも、どうして引っ越す直前まで教えてくれなかったの?」

「言いづらかった。どうしても、口に出せなかった。優絆とは一緒にいられなくなるとか……」

 ……。

 このまま離れるともうこうやって日常のように会えない。声を聴いて話したりすることも簡単にはできない。何か、とても言いたい事があるのだがどうも出ない。

 真意の両親はそろそろ出発するといわんばかりに真意を呼ぶ。すると真意は慌てて両親が乗っている車へと向かう。悲しみがだんだんとこみ上げる。このまま車に吸い込まれる真意を見るだけ……。

 しかし、真意は私の方に振り返り、

「優絆、十年間一緒にいて楽しかった。これまでありがとう」

 と一言だけ残して車の中に消えた。

 発車した車を目で追いながら出会ってからこれまでのことを思い返してみた。次第に車は見えなくなり思い出で胸の奥が詰まった。

 見えなくなって一時が経ち、朝食をとりに家へ帰ろうと家の方角を向いた。

 そのとき、頬を涙が伝っていることに気付いた。


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