一荘目【このボロアパートは一体なんなんですかね。】
「……ここ、どこ」
口に出すほどのことでもないだろうが、思わず口に出してしまった。
もしも目をあけて、自分の部屋でもどこでもない、しかも見たことのない路上に放り出されていたら誰でも驚愕の声をあげるものだ…と思う。
だって、わたしは絶対、絶対にベッドに入って眠りについたはずなのだ。
気に入っているボーダーの部屋着だって着ているし。
覆いかぶさるようにしてそびえ立つ、そこそこ大きいボロアパート。
大きな満月に照らされて余計怖さを感じる。
壁の塗装は剥がれ、蔦が絡んでいる。
アパートの周りを囲っているもっさりとコケの生えた塀には、「五月荘」と書いてあるように見えなくもない。
こんな名前見たことも聞いたこともないけれど。
寝てる間にどこか遠い場所に運ばれない限り現実ではありえないような状況に置かれているが、夢、でもなさそうだ。
裸足の足裏からアスファルトのひんやりとした冷たさがしっかりと伝わって来るし、夜特有のひんやりとした風も感じる。
それに、なんだか美味しそうな匂いもする。
…どうやらこの食欲のそそられる匂いはそこのボロアパートから流れ出てきている匂いらしい。
思わず、ふらりと歩み寄ってみる。
きぃん、と耳鳴りのしそうなほど静かな路上に、ひたひたとわたしの足音が木霊した。
ぞわぞわと背筋を粟立たせる音を立てて低い門を押し開ける。
何部屋かあるようだが、その中のひと部屋しか明かりがついていない。
その部屋は1階のようだ、管理人の部屋なのだろうか。
窓からこぼれ落ちている暖かい色で窓の下の雑草が染まっている。
(結構、夜中のはずなんだけどなぁ…)
一旦立ち止まったあと、恐る恐るドアの前に近づいてみる。
ドアの横に表札と思しきものがぶら下げてあった。
ボロボロの、木の板。
よくよく目を凝らしてみれば、ミミズのような汚い字で「管理人」と書いてある。
その下に、また同じような文字で「一ノ瀬 ゼン」と書いてあった。
管理人の名前だろうか…
一ノ瀬、という人をを呼び出してみようと思いインターホンを探したが、そんなものは見当たらない。
どうにか呼び出せるものはないかと周りを探したが、案の定何もないため軽く、かるーく、ノックをしてみた。
三回ほどノックをしようとして、一回目のノックをして二回目…のノックをする前に、大きな音を立てて勢いよくドアが開いた。
もちろんそれは、ドアのまん前に立っていたわたしの顔面にクリーンヒット。
相当強い力の持ち主らしく、後ろへ吹っ飛ばされて倒れると目の前に見えていた地面がぐらり、と揺れて
わたしはそのまま、意識を失った。