ローレン姉弟
こつこつと、靴の音が通りに響く。シリルの提案を呑んだリティシアとエリセは、他の3人の後をふらふらと付いて歩いていた。
いちばん前をシリル。その右後ろにクリス、左後ろにアリス。そして、その少し後ろをリティシアとエリセが歩く、という状態だ。道を知らないリティシアは、自然と後ろの方を歩いているのだが。
「……じゃあ、魔物退治も魔法使いとしての仕事の一環なのね」
リティシアの言葉に、そうだ、という低く落ち着いた声が返ってくる。シリルは、町で様々な依頼を受けて生計を立てているらしい。
「国軍に入るだけが魔法使いじゃないんだよっ」
とは、アリスの弁だ。
シリルの家は、先祖代々そういう仕事をしているらしい。人間は魔族や天使とは違う。魔力を持っているものは少数である。だから、魔法使いしかできない仕事をやる立場の人間が必要になるのだ。
「まあ、こればかりは報酬などは出ないが。個人からの依頼ではないからな。だからといって、放っておく訳にはいかない」
真面目なのね、という言葉を、リティシアは飲み込んだ。真面目、などという言葉で量れる気持ちではない、と思ったからだ。言葉の裏に、住み慣れた国への愛情のようなものを感じた。
「それで、ワタシたちはシリルのお手伝いをしてるの。アーシャも、そうだよ」
「全員住み込みでね」
アリスとクリスが、交互に説明する。
「住み込み?」
「一人では広い家だ。空いてる部屋があるんだから、使えばいい」
エリセの言葉に、シリルがそう返す。
「こういう考えだからねー、シリルは」
アリスがにっこりと微笑みながら、後ろを向いてエリセと目を合わせた。
「言い方は無愛想だけど、優しいからね」
「無愛想で悪かったな」
シリルの返事を聞いて、アリスがころころと笑った。
「……この角を曲がるとすぐだ。歩かせてすまなかったな」
5人は、街の外れの方まで来ていた。この辺りになると、途端に木や草が多くなる。木々は、青い葉を風に揺らしていた。
「いえ、別に。いい運動になったわ」
リティシアはそう返事をしてから、横髪を手で払って後ろへと流した。ばらばらの拍を刻む5つの足音が、角を曲がっていく。
「あの家?」
「そう、あれ」
エリセとクリスが言葉を交わす。
緑に包まれるようにして、それはあった。ほんの少し古ぼけた、木造の家。確かにそこそこ大きさがあって、一人暮らしでは持て余しそうだ。
その扉の前に、ひとつの人影が佇んでいる。
「あ、いた! アーシャっ」
アリスが声を上げると、人影―――アーシャがこちらを振り向いた。微笑みを浮かべて、こちらに向かってひらひらと手を振るのが見てとれた。
双子が彼に向かって走っていく。 他の3人は、変わらない歩調のまま進んでいった。
「……アーシャ、何で外にいる?」
家の玄関先に辿り着いてから、シリルがアーシャに声をかけた。
「一応、みんなを少し待ってようかなと思ってね」
アーシャの声は、シリルのそれよりも少し高くて柔らかい。ついでに言葉遣いも。リティシアは二人の会話を聞きながら、そんなことに気づいた。会ったときにはこういうことに気を配る余裕はなかったのだが。
「それと――」
アーシャは言い掛けて、彼に引っ付いている双子に目を向けた。双子が、不思議そうに彼を見返す。優しげな笑みを浮かべ、アーシャは双子に話しかけた。
「何だか嫌な予感がしてね。扉はまだ開けない方がいいかな、って」
その言葉に、双子はさっとアーシャから目を離す。
「……?」
エリセが怪訝な顔をした。リティシアも、内心では同じく疑問に思っていた。
双子のそんな様子を見て、シリルが訝しむように目を細める。
「…もしかして、またか?アリス、クリス」
双子はどこ吹く風と言った様子で、返事をしない。彼はため息をつくと、そのまま扉へと早足で歩み寄り、取っ手を掴んだ。
「……?」
リティシアはその様子を注視する。エリセも同様だ。彼は一度双子を振り返ってから、勢いよく扉を開けた。
その瞬間、何かが風を切るような声が響く。
続いて、ぼすんと間抜けた音。
シリルが彼自身の眼前で掴んだものを見て、エリセがぽつっと呟いた。
「……クッション?」
「クッションね」
リティシアもそれに頷く。掴んだからよかったものの、顔に当たっていればそれなりに痛かったのではなかろうか。
「あ、惜しいー」
アリスがさらっとそんなことを口にした。
「……アリス、またお前か?」
クッションを左手に持ったまま、シリルは幾分低い声で威圧するように呟く。
「違うよっ、仕掛けたのはクリスだもんっ!」
彼女は若干頬を膨らました。しかし、その言葉はシリルの怒気のこもった声で一蹴される。
「仕掛けたのがクリスでも、お前も楽しんでいるだろう。どう考えても」
「えへへ、ばれたー?」
シリルの怒りをものともせず、アリスはあっけらかんとした口調で言う。事情のわからないリティシアとエリセは、顔を見合わせるばかりだ。シリルはアリスの言葉については特に言及することもなく、で? と続けた。
「お前が主犯か?クリス」
「主犯なんて人聞き悪いなー」
やはりあっけらかんとした調子でクリスが返事をする。
「……呆れてものも言えない」
彼は双子とアーシャに歩み寄ると、手に持っていたクッションで双子の頭を軽く叩いた。ぼふぼふと音が響き、双子が同時に頬を膨らます。間に挟まれたアーシャは、ただただ苦笑いを浮かべていた。
「いつも言っているだろう。下らない悪戯に魔法を使うな」
どうやら、双子は魔力を用いて、クッションが飛んでくるように細工をしたらしい。詳しい仕組みは不明だが。
「魔法とは、人のためにあるものであって、遊びのためにあるものじゃない」
シリルの言葉に、アーシャもうんうんと頷く。
「わかったよぉ。もうやらないー」
アリスが拗ねたような口調で言い、クリスもそれに頷いた。
「もう何十年も、その台詞は聞き続けてる」
呆れたような声で、シリルがそう返した。
「お前らはいつになったら成長するんだ」
「少しずつ成長してるよー」
クリスのその言葉に、嘘つけ、とシリルが応酬する。
「少なくともこの数十年間、ちっとも変わってないだろう。精神的にも―――」
「あと、背もね」
アーシャがにっこりと微笑む。
からかうようなその台詞に、アリスはただ頬を膨らます。
しかし、クリスは違った。
「すぐに伸びるっ!」
そうアーシャに向かって噛みつく。
「背くらいすぐに伸ばして、アーシャもシリルも抜かしてやるんだからなっ!」
子供ながらに、男としての矜持があるらしい。その言葉に、アーシャはただ微笑んだ。リティシアもほんの少し笑みを浮かべ、その光景を眺める。
「そうか、頑張れ。難しいと思うけどな、それなりに」
シリルはそう言葉を吐く。表情はほとんど変わらないが、その声は楽しんでいるような調子にも聞こえた。
こうしたやりとりを聞いていると、この魔法使いたちの関係が少しは分かろうというものだ。
「ああ、背、高いよね。二人とも」
エリセがリティシアに言葉をかける。
「ええ、そうね」
シリルは長身だし、アーシャもそれには及ばないまでも、背が高い方だ。並ぶのはともかく、抜かすのは難しそうである。
「うぅぅ、今に見てろよ……!」
そう唸るクリスにクッションを押し付け、シリルは再び口を開いた。
「そういえば、アーシャ。犯人らしき人物は見つかったのか?」
「ううん、見つからなかった。やっぱり難しかったね。召喚中じゃなきゃ、通行人に紛れ込むこともできるからさ……」
そう苦笑いをするアーシャに、そうか、とシリルが返す。
「やはり、そううまくはいかないな」
ため息混じりのその言葉に、アーシャは再び苦笑を浮かべた。
「さっさと犯人が捕まれば、一件落着なんだけどなぁ」
クッションを両手で持ちながら、クリスが呟く。
「……それはともかく、さっきの話。どういうこと?」
事件の話で、ふと先ほどの話――通りで立ち止まっていたときの――を思い出したリティシアが、誰にというわけでもなしにそう口にした。
「さっき?」
先ほどいなかったアーシャは、不思議そうに首を傾げている。
「魔法学院にいた彼女が、どうして一連の事件を知らないのか」
シリルがエリセを見ながら、アーシャに向かって簡潔に説明する。
「ああ、なるほど」
アーシャは、それだけで納得したようだ。リティシアがそれを疑問に感じていると、ふとアーシャと目が合った。
「君は、知っていた?」
その問いに、リティシアはただ首を振る。
「リンドールの人じゃないんだってー」
アリスがアーシャにそう告げると、なるほどね、と彼が頷く。
「で、説明する前に、アーシャが帰ってきてないか様子を見にきたってわけ」
クリスがそう締めくくると、アーシャは再び頷いた。
「で、どういう理由があるのかしら……?」
リティシアが再びそう問うと、アリスがにこっと微笑んだ。
「そう急がないで?長くなる話だし。おうち入って、座って話したらいいんじゃないかな」
家主の許可もなしに、それを決めてもいいのだろうか。リティシアがそんな意味を込めてシリルに目をやると、彼は無表情のまま口を開いた。
「オレは別に構わない」
「ねっ」
アリスが再び微笑む。
「あ、うん……」
「……そうね」
彼女に圧されるようにして、エリセとリティシアはその提案を呑んだ。