逃走
「圧死はごめんだわっ……!」
あれが当たれば、痛いと思う間もなく即死するだろう。しかし、避ければ――通りも、リティシアが今背にしている建物も、一瞬で崩れ落ちるかもしれない。それでも、選択肢などない。
本来なら襲い掛かってくるはずもないゴーレムを食い止める手段など、リティシアは知らないのだから。勢いのついた拳が、振り下ろされる。避けようと二人が心を決めたそのとき――知らない声が響いた。
「―――目を閉じてて!」
鋭く、制止するような声。それとともに、光が炸裂した。
「眩しっ……」
エリセが小さく悲鳴をあげ、腕で目を覆う。リティシアも、反射的に目をきつく閉じた。
「光の魔法……?」
そう呟いて目を開ければ――光の影響で少し色合いの変わった視界に、ゴーレムがよろけているのが映った。それと同時に知らない青年が、リティシアたちとゴーレムの間に割り込む。
「……誰?」
状況に頭がついていかず、リティシアは素っ頓狂な声を上げる。
「――それは、後で」
その男性はリティシアの言葉にそう返事をすると、二人のほうを振り返った。薄い金色をした彼の髪と目が、日の光を反射する。身に着けているものは全体的に白っぽく、光に溶け込んで消えてしまいそうな印象を受ける。
しかし、そんな印象とは裏腹に、力強い声で彼はリティシアたちに告げた。
「あんな目眩ましじゃ、たいした時間稼ぎにはならない。まずはここを離れなくちゃ!」
目眩まし、ということは、あの光は彼の仕業なのだろうか。リティシアが頭の中を疑問符でいっぱいにしていると、彼の手がリティシアの右手首を捕まえた。
「ちょっと――」
「ごめん、そっちの子と手を繋いで。こっち!」
言われるままにリティシアが左手でエリセの手をつかむと、右手がぐいっと引っ張られた。反論する間もないままに、金髪の男性が走り出す。彼が首に掛けている銀のプレートが、しゃらりと軽い音を立てた。それと同時に、後ろから大きな震動と轟音が響く。
「……もう立ち直ったっていうの」
「ちょ……っと、速っ――」
リティシアが独り言を言うのと時を同じくして、エリセが短く叫ぶ。彼女には無理のある速さのようだ。しかし、速度を緩めたら追いつかれてしまうかもしれない。リティシアはエリセの手を掴む力を強めた。
もし彼女がよろけて、手がすり抜けて転ぶようなことがあれば――そんなことは、考えたくもなかった。
「アーシャ!」
少し走ったところで、誰かの声が響いた。リティシアが前方に目を向けると、誰か――黒髪の青年が、こちらを見て叫んでいた。
「シリルっ」
それに金髪の男性―――アーシャが叫び返す。
「こっちだ。魔法陣が見つかった!」
相変わらず、後方からはひどい揺れが伝わってきている。それに加えて、大勢の人が叫ぶ声。ゴーレムの大きさから言って、他の通りから頭あたりが見えたのだろう。
アーシャはその言葉に頷くと、ほんの少し速度を緩めた。シリルと呼ばれた青年のところに来たところで、完全に足を止める。同時に、リティシアの右手が解放された。
「どこに?」
「向こうの路地だ。木箱を除けたら見つかった」
そこから彼らが少々言葉を交わす間、リティシアとエリセはゴーレムの足音に耳を澄ませていた。彼女たちのことを見失ったのだろうか、先ほどよりもずっと歩みが遅かった。
「……悪いんだけど――」
アーシャは息を整えながら、リティシアたちを振り返る。
「あの魔物を……おびき寄せなきゃいけないみたいだ」
「え……」
声を上げたのはエリセだ。
「随分、分かりにくいところに陣があるらしいし……帰すには上手く誘導しないと」
アーシャはすまなそうな顔をすると、言葉を続けた。
「できれば、君たちには安全な所にいてほしいけど――二手に分かれれば、魔物が君たちの方を追う可能性もある」
確かに、その可能性はある、というより高いだろう。ゴーレムはもともと、リティシアたちを攻撃しようとしていたのだから。 それくらいの知能はあると踏んでおいてもいい。
「……離れるのは賢明ではないわね。あたしたちも一緒に行く、ってことかしら?」
「そういうことになるな」
ずっと黙っていたシリルも、それを肯定する。エリセが、繋いだままだったリティシアの手をぎゅっと握った瞬間――
「来たっ!」
アーシャが、上を見て叫んだ。通りに影が落ち、どしん、と音が鳴り響く。
「来い!」
シリルの一言で、4人は弾かれたように走り出した。しかし、先ほどのようにただ引き離すのではなく、魔物との距離を窺いながら。
「……エリセ、大丈夫だからね」
リティシアは、エリセにだけ聞こえる声で呟く。彼女がゴーレムに怯えているのは分かっていた。繋いでいる手が、小刻みに震えているのだ。
エリセは返事の代わりに、リティシアの手を握り返した。
「……ここ?」
不意にアーシャの声が耳に飛び込み、リティシアは彼の方に目を向けた。いつの間にか、路地の行き止まりまで来ていた。そこに積まれていたのであろう木箱がどかされ、魔法陣の文様が覗いている。
「これは……分かりにくい場所ね」
「魔物が召喚された状態だったから、かろうじて魔力を感じ取れたんだ」
シリルがゴーレムに視線を向けながら、リティシアに説明する。
「……来たよ」
エリセが弱々しく呟く。
「ぎりぎりまで引き付けて。合図したら、一斉に避けるよ」
アーシャの言葉に、他の3人がそれぞれ頷いた。
ゴーレムが4人に目を留め、1歩踏み出す。
「……まだよ」
繋がれた手がぴくりと動いたのに気づき、リティシアはエリセに声を掛ける。それと同時に、ゴーレムが走り出した。尋常ではない震動が伝わってくる。
「もう少し――」
シリルの呟きが聞こえた。ゴーレムはどんどん距離を縮め、ついに腕を振り上げた。
「避けてっ!」
アーシャが鋭く叫ぶ。
瞬間的に、リティシアはエリセの手を引っ張り、2人で勢いよく倒れこんだ。リティシアはエリセを強く抱きしめる。その脇を、ゴーレムはすり抜けていった。勢いをつけたその巨体は、急に止まることができなかったのだ。
魔法陣が、一際眩い光を放つ。光が収まると――ゴーレムが消えていた。すかさず、シリルが魔法陣に傷を1本つける。これでこの魔法陣は使えない。
4人はしばらく放心し――大きく、安堵の息を吐いた。リティシアは、エリセの背中をぽんぽんと叩いてやる。
「エリセ、もう大丈夫よ」
「……うん」
その言葉に、エリセはようやく言葉を返した。