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紅玉の姫君  作者: 神奈保 時雨
第十一章
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幕引き(1)


「間に合った?」

「ええ、何とか間に合ったわ……ありがとう、エリセ」

 アーシャと天使たちが対峙しているのを見つけたとき、リティシアと彼らの間には距離があった。だが、エリセが咄嗟に魔法で風を起こしてくれたおかげで、炎を割り込ませることができたのだ。

 リティシアはいまだ、ジークの口から真相を聞いてはいない。彼がアーシャを傷つけたことだって覚えている。しかし、リティシアは確かに、ジークとアーシャが互いを庇おうとするのを見た。

 飲み込めないことも納得いかないこともあるが、二人がそれでいいのなら、兄弟のことはそれでいいのかもしれない。血縁者にしかわからないことはあるのかもしれない。きょうだいを持たないリティシアには、いまいち理解できない感覚ではある。リティシアがジークを許せるかも別の問題だ。それでも、アーシャが納得しているならば口を出すつもりはない。どちらかといえば、今の問題は――彼らが対峙している天使たちなのだろう。リティシアたちの後ろからも、タニア率いる天使たちがついてきてはいるのだが。


 タニアたちや、今リティシアの前にいる天使たち。彼らが自分たちと異質なものに対して攻撃を加えるところを、リティシアは二度――ジークを含めるのならば三度見ている。もちろん、天使たちにはエミルやアーシャに怪我をさせようというつもりはないのだろう。それでも、やっていることは同じなのだ。

 気に食わない、と思った。アーシャと天使たちの間にどんなやりとりがあったのかも知らないが、それでも気に食わなかった。

リティシアは背筋を伸ばし、天使たちへと一歩進みだす。アーシャが自分を見ているのに気付き、歩調を早める。今度はエミルも止めなかった。

「止まりなさい。これは天使の問題――」

「人間界でこれだけ騒ぎを起こしておいて、何が天使の問題よ!」

 天使の中の誰かが張り上げた声をぴしゃりと跳ね除ける。早足に歩み寄り、リティシアはアーシャとジークを背中に庇うかたちで天使たちと向き直った。

「何があったかしらないけれど。実力行使で従わせるのが天使のやり方なのかしら!」

 仁王立ちで天使たちを睨みつける。彼らの表情には特に変化はないが、リティシアを攻撃することはしなかった。

「リティシア、危ないから下がって」

 しかし、アーシャは心配だったようだ。リティシアはそんなアーシャを振り返る。自然とジークも視界に入ったが、ジークはアーシャにもリティシアにも文句を言う様子がない。正直なところ、リティシアにとってはそれがいちばん意外だった。

「……これはどういう状況なの、アーシャ」

 聞きたいことも言いたいこともたくさんあった。だが、まずはそれが気になった。なぜ、アーシャはジークと天使の間に立ちはだかることになったのか。

 純粋な疑問からのリティシアの言葉に、しかしアーシャは少し表情を曇らせる。何か重大なことがあったのかと心配したが、アーシャの口から出た理由は、単純明快なものだった。


「ジークが連れ戻される前に……もう少しだけ、話したいことがあるんだ。だから」

「……それだけ?」

 思わず、言葉が口をついて出る。きっと天使たちも、ジークが人間界で何をしていたのか尋問する義務があるのだろう。「連れ戻される」とはそういうことだ。そして、アーシャはジークが連れ戻されることを疑ってもいないし、阻止しようともしていない。それで何となく、リティシアも事件の犯人について確信を持つことができた。

罪があるなら、罰を受けねばならない。それはリティシアにも分かるし、それが好ましいとも思っている。しかし――少し言葉を交わすくらいのことを、攻撃を加えてまで妨害しようとしたのだろうか。そんな思いを込めた言葉に、アーシャは目を見開き――やがて眉を下げて微笑んで、「それだけ」と頷いた。

「なら、なにも攻撃することないじゃない。兄弟で連れだって逃げようっていうんじゃないのよ」

「我らの任務を妨害する理由にはならない」

 再び天使を振り返ったリティシアに、天使からすげない言葉が返ってくる。あまりの言いように、リティシアは頭が熱くなるのを感じた。

「そうやって、理解できないものを抑えつけるところが――今回の騒動の一端にもなってるんじゃない!」

 ジークがリティシアに見せた敵意。アーシャが仲間たちに語ってくれた、ジークの過去。「種族が天使だけなら」という言葉。

 それらすべてに通じるものが、今の天使たちの態度にあった。リティシアから見れば、ジークという青年は天界の価値観の縮図を表しているにすぎない。

「理解しろなんて言わないわ。貴方たちの在り方がおかしいとも言わない。それは貴方たちの今の態度と同じだもの。貴方たちにだって、他の価値観を切り捨てる権利なんてないのよ!」

 アーシャとジークが、後ろでどんな表情をしているのかは分からない。天使たちの表情は変わらない。だが、シリルやエリセが頷いているのだけは、リティシアの視界の端にも映った。

「そうやってほかの意見を取り入れる余地がないから、こんなことになるんじゃないの。勿論こんな事件は間違ってるに決まってるし、正当化するつもりなんてないわよ――でも、異種族間の交流を断ってからずっと、貴方たちの仕組みはうまく回ってなんかいなかったんだわ!」

 リティシアは異種族同士が進んで交流している時代を知らない。アンゼルムの若いころの話なのだから、きっとアーシャたちも知らないのだろう。

しかし、それでもエミルを含む多くの天使が魔界へと移住し、アーシャは天界を出奔した。それだけで済んでいるうちならまだよかったのかもしれない。しかし、今回の事件は別だ。そのうえ、堕天使になるよりも死を選んだという天使――その価値観だって、天界によってつくられたものなのだから。


「……何故そうまで怒れる」

 後ろから声が聞こえたのは、いくら言葉を叩きつけても動じない天使に、リティシアが焦れたときだった。リティシアは再び兄弟を振り返る。アーシャの肩越しに、ジークと目が合った。

「別に貴方のためじゃないわ。アーシャの望みを叶えたいからよ」

「……それだけなら対話など要らないだろう。それにアーシャやエミルのためなのならば、もう天界に文句など言う必要もない」

 確かにそうなのかもしれない。彼らはすでに天界を出た身だ。アーシャに至っては天界に愛想を尽かしている。アーシャとジークに話をさせたいだけなら、天使のように実力行使をすればいいだけだというのも、分からないではない。魔法を使えば二人を隔離するなど簡単なのだから。

「……正しくないと思ったことを自分でしてどうなるのよ」

 それでも怒りを感じたのは確かで、筋が通らないと思ったことを自分がやることに抵抗があるのも確かなのだ。

「それに、今アーシャやエミルが天界に身を置いていなくても……天使であってもそうじゃなくても。過去それでつらい思いをしたのも事実だわ」

 リティシアは、ジークを振り返っているアーシャを見、こちらをただ見守っているエミルを見て、最後にジークに視線を戻した。

「そのつらい思いの上で、アーシャたちも他の堕天使たちも生きてるのよ。今が過去でできているなら、怒る意味は充分にあるわ」

 そして、そうすることで、将来同じような思いをするかもしれない存在が減るかもしれないのであれば。

 ほんの少しの間――リティシアにはずいぶん長い時間に感じられたが――ジークは微動だにせずリティシアを見ていた。


「え、ジーク」

 だからだろうか。ジークがアーシャを静かに押しのけて歩き出したとき、リティシアはすぐに反応することができなかった。ジークが淡々と天使たちの方に歩いていくのを、リティシアはただ振り返る。反射的にそれを追いかけたらしいアーシャが、リティシアの前まで進み出た。

「来るな。アーシャ」

「でも!」

「……お前は天使のまま、ここで生きていくのだろう」

 足を止めたアーシャの、驚いたような横顔が見えた。リティシアには、ジークの言葉が何を表しているのか分からない。それでも、アーシャにとっては意味のある言葉なのだと分かった。

 ジークは一度アーシャを振り返り、再び天使たちの方へ進んでいく。

「アーシャ。まだ言うことがあるのではないの?」

 アーシャは安堵したような、それでいてまだ引っかかったことがあるような様子でたたずんでいる。立ち止まってはいるものの、今にも歩み出しそうにして。

「今じゃなきゃ言えないわ。後でなんてないのよ」

 リティシアを振り返ったアーシャを、彼女もまた真っ直ぐに見上げる。機会はあるかもしれないが、今この状況は二度とこない。アーシャは虚を突かれたように瞬きを繰り返し――唇を引き結んで頷いた。彼は再び足を前に運び、半分駆け足のようになって、ジークの手を捕まえた。


「ジーク。ちゃんと償って、そしたら――ジークもまたここに来て。ジークの……天使のジークのままで、おいでよ」

「――どれだけかかると思っている」

「何百年でも、千年かかっても待つよ」


 兄弟の会話は短かった。アーシャは手を離し、ジークは数人の天使に脇を固められる。

ジークを見送るアーシャの後ろ姿からは、彼の表情はわからない。しかし、今はきっと無理をして笑ってはいないだろうと、理由もないのにリティシアはそう思った。

 いつの間にかリティシアの隣に来ていたシリルやエリセ、双子たちを見る。彼ら人間は、いちばん苦労した身でありながら、リティシアやアーシャの言葉に口を挟むことをしなかった。それがいちばんありがたい。自分やアーシャを信じてくれているという何よりの証拠だったから。

 リティシアはエリセの手を握り、エリセに手を握り返されながら、天使たちに連れていかれるジークを見ていた。それを見送るアーシャの背中も。天使たちの白い翼が一斉に飛び立つ。

あとには仲間たちと、それから――タニアと呼ばれた女性に、どこかアーシャと似た面影をもつ天使が一人、残っていた。

「タニアさん……それに、フォンスさんも」

 エリセが小さく呟く。彼女はタニアのみならず、フォンスと呼ばれた男性とも面識があるようだった。リティシアたちの知らないエリセの姿には、あの臆病な様子はどこにもない。

「我らはアーシャにまだ伝えるべきことがありますので」

 静かなタニアの声に、アーシャが二人に向き直った。何かを覚悟したような、穏やかでいて強い眼差し。そんなアーシャの瞳に、リティシアは少しだけ胸騒ぎを覚える。

「……魔族との交流、今回の任務の妨害、あなたも裁かれるべき事項が多々あります。アーシャ」

「うん。分かってる……父さんには、謝らないと、ごめんね。また苦労をかけるけど、でも俺は後悔してない」

 アーシャはタニアに頷いてから、フォンスへと向き直る。アーシャに父と呼ばれた彼の表情からは、疲れ以外の感情は読み取れなかった。

「……規律違反に対する罰則を受けるなら、お前も一度天界に戻る必要があるが……今しばらくはジークのことで司法も精一杯だろう。今日のところはこのまま帰ることとする」

 フォンスは感情の読み取れない声で告げてから、ふとアーシャを見て黙り込む。

「……父さん?」

「お前もジークも、規範的な天使とは程遠い」

 突き放すようなフォンスの言葉に、リティシアは反射的にアーシャを見た。彼が傷つくのではないかと思ったのだ。

「だが、こちらではそれが一般的なようだ」

 しかしそれは、不器用な励ましだったのかもしれない。感情を理解できない彼なりの。

「……うん」

 アーシャも、それにただ微笑んでいた。


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