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紅玉の姫君  作者: 神奈保 時雨
第一章
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邂逅

 リティシアは深く息を吐き、後ろの少女を振り向いた。


少女はリティシアより少しだけ背が高く、大人びた雰囲気だった。若く見えるものの、彼女も魔法使いであるのなら、長い時を生きてきたのだろう。気は弱そうだが、その眼差しは落ち着いている。


「ああいう馬鹿は、どこにでもいるものなのね……少しでも不利になると、すぐに逃げていく」


 少女は何も答えず、ただリティシアを見つめている。


「……怖がらせたかしら」

リティシアが微笑むと、彼女はぶんぶんと首を振った。

「……まあ、魔法使いならあれくらいで驚かないわよね」


 リティシアは自己完結する。もしあれが魔法による攻撃だったなら、あんなものでは済まない。常人より長く生きる魔法使いなら、もっと激しい戦いも1度は見たことがあるはずだ。実際、リティシアもそういう経験があるからこそ、先ほども動じずにいられたのだから。こくり、と少女が頷く。

 リティシアは改めて彼女を見て、あることに気付いた。


「……ああ。なんであいつらが、貴女のことを魔法使いだって知っているのかと思ったら」


 リティシアは、少女が羽織っているローブを指差した。薄い紫色の生地に、紋章のようなものが刺繍してある。


「それ、魔法学院の制服じゃないの」

 それと同じものを、ユリアが持っているのだ。彼女はリンドールの魔法学院のものだと言っていた。ユリアが昔通っていた、魔法の知識や呪文を教えてくれるところの制服だと。

 少女は自分の格好を確認すると、納得したように頷いた。

「あ、確かに……そうかもしれません。リンドールの人なら、誰でも知っていますものね。…わたし、そこを卒業したばかりなんです」

今気付いたとばかりに言う彼女に、リティシアは苦笑を浮かべた。


「……なんだか、抜けているのね」

「す、すみません……」

「謝ることじゃないわ」


 少女は首を振り、小さく頭を下げた。


「いえ、それだけじゃなくて……助けていただいて、ありがとうございます。元々、わたしがこの路地に入らなければ、あなたの手を煩わせることもなかったのに」


リティシアはそれには答えず、少女にただ問い掛けた。


「……貴女、名前は何ていうの?」

「え? あ――エリセです。エリセ・アーベライン」


 戸惑いながらも名乗ったエリセに向かって、リティシアは改めて彼女の言葉に返答した。


「そう、じゃあエリセ。履き違えてはいけないわ。悪いのは貴女じゃなくて、あいつらでしょ。それに、お礼もいらないわ、ついでに敬語も。さっき言った通り、あたしが気に入らなかったからやっただけよ」

「でも、それじゃわたしの気がすみません。せめて、お礼だけでも――」


 そう反論するエリセを手で制して、リティシアは言葉を紡いだ。


「……そうね。じゃあ、ひとつお願いを聞いてもらえるかしら」


 このまま拒み続けても、堂々巡りになる気がする。それならばと、厚意に甘えることにしたのだ。


「はい、何でしょう――……じゃなかった、何?」


 敬語はいらない、というリティシアの言葉を覚えていたらしい。リティシアはエリセの律儀さに笑みをこぼした。


「あたし、リンドールに来るのは初めてなの。よければ、案内してくれないかしら」





「エリセ、あれは何?」

「あれは……雑貨屋さんだよ。色々可愛いものを売っているの。……入る?」

「んー……とりあえず、あとでいいわ」


 リティシアの頼みを快諾したエリセは、彼女にミリュキアを案内してくれている真っ最中だ。人ごみを避けつつ、興味深そうにあちこち見回しているリティシアを見て、エリセは首を傾げる。


「リティシア、リンドールに来るのは本当に初めて?」

 その言葉にリティシアはエリセを見て、軽く頷く。

「そうよ」

「でも、魔法学院のこと、知っているんだね」


 リンドール以外にはないのに、という言葉に、リティシアは一瞬言葉に詰まった。先ほどエリセに名を尋ねられたときも、同じような状態に陥ったばかりだ。エーデルフェルトの名は、魔界の王族として広く知られている。今は種族間の交流がないとはいえ、それくらいのことならば人間も知っているだろう。


 別にリティシア自身は、魔族だとばれても構わないような気はするのだが――魔族は他の二種族に比べ、自らの本能や感情に正直で、少し理性が薄い。

 気に入らないことがあれば喧嘩をするし、思ったことはするりと口から出てしまう。それゆえ人間や天使と交流があったころは、他の種と揉め事を起こすこともしばしばだった。

そのせいか、どうやら魔族は他の種に忌み嫌われているようで、アンゼルムもその点では苦労したという。

 今になってリティシアは、アンゼルムが人間界行きに反対したときの言葉を思い出していた。


『リティシア、魔族の中でも我々のような吸血鬼は特に嫌われているのだぞ。向こうでは、血を吸うということは禍々しいことらしい。別に、血を飲み干して殺してしまうわけではないことぐらい、向こうも分かっているはずだが』


 エーデルフェルトはどうやら、他の魔族よりも面倒なことが多いらしい。そんなに面倒なことなら、自分が魔界の王女だということは隠しておいた方が楽だろう。そう思って、エリセには姓を名乗らなかったのだ。

 彼女がそれで納得してくれたのが救いだったが――いざ隠そうと思うと、様々なところで返事に困る。


「……母がそこに通っていたから。あたし自身は、違う国で育ったんだけど」


 嘘こそついていないが、いちばん重要なことを隠して返答するリティシア。そんな彼女に、エリセはさらに問い掛ける。


「じゃあ、リティシアも魔法使いなの?」

「まあ、ね。あたしは独学だけど」


 人間界で唯一学院のあるリンドールにも、魔法学院に通わず、独学で魔法を習得する魔法使いは多い。他の国ならば、ほとんどの魔法使いが独学で魔法を習得するという。答えに逃げ道があってよかった――と、リティシアは内心ほっとした。

 魔族の魔法の形式は、学院で学ぶものとはまったく異なるものだ。リティシアはアンゼルムとユリアの魔法を見比べて、それを知っていた。独学の魔法使いが多いとのであれば、もし魔法を使う機会があっても、それほど注目を集めなくても済むだろう。とはいえ、独学の人間であっても魔族よりは丁寧な使い方をすると思うが。


「そう、すごいね……独学で魔法を使いこなせるだなんて」

「習い方がどうだって、使えればいいじゃないの。エリセは、元々行こうと思って学院に行ったの?」

「……うん、わたし、不器用だから。自分ひとりじゃ自信がなくて」


 苦笑いをするエリセの言葉に、どこか引っかかるものを感じたリティシアだったが――それよりも、ひとつ気になったことがあった。


「ねえ、何だかここ、人がいないのね。どこへ行くの?」


 先ほどまで沢山の人々が行き交っている通りにいたのに、いつの間にか閑散としているところに出てきていたのだ。裏路地ほど狭くないが、人は1人も見当たらなかった。

 あれ、とエリセが声を上げる。もしかして、と眉をひそめたリティシアに、彼女は申し訳なさそうに手を合わせた。

「ごめんなさい、いつもの癖でこっちに出てきちゃったみたい」


 やはり、エリセはどこか抜けている。戻ろう、とリティシアが笑いながら言おうとしたとき、エリセがぽつりと付け加えた。


「……でも、いつもならここにも人がたくさんいるんだよ。つい最近、ちょっと事件が起きて……」

「事件?」

 不穏な単語に、リティシアは鋭い反応をした。

「何があったの?」


 エリセは答えようと口を開きかけ――それを閉ざす。そして小さく首を振り、どこか焦ったような声を出す。


「……あとで説明する。今は、ここから離れた方がいいと思う」

「――どうして? 犯人がまだ捕まってないとか、かしら」

 事件、という言葉から、リティシアは犯罪でも起こったのかと思ったのだが、エリセは煮え切らない反応を返す。

「うーん、犯人っていうよりは……――」

「――……ちょっと待って」


 エリセが何かの気配を察知する。それと同時に、リティシアも振り返った。獣の唸り声がする。その音源に二人が目を向けると、赤紫色の獣が視界に入った。

 リティシアは目を見開く。

 毒々しい色に、血走った目。獰猛そうな顔。リティシアが、故郷でよく見ていたもの。


「――魔物……!? どうして、ここに――」





 魔族の中でも知性や魔力が低い生き物は、魔物と呼ばれている。普段のリティシアにとっては、魔物など、その辺りを歩いている野良犬に等しい。魔界ではありふれた存在だ。しかし、人間界では勝手が違う。魔物が人間界にいるとなると――


「魔物――また、出るなんて」

「……また?」


 エリセの言葉に、リティシアはさらに驚愕する。


「魔物が人間界に出てきたということは――誰か、召喚者がいるということよ」


魔族は自力では人間界に出てこられない。そういう結界が張られている。王――つまり、アンゼルムの許可があって初めて、人間界に出てこられるのだ。リティシアがやったように、影を介して。

 言葉さえ持たぬ魔物が、許可など取りに来るはずがない。それにその許可は、人間をむやみやたらに傷つけないことが条件で貰えるものだ。だから、他の魔族が連れてきたという可能性もないだろう。魔物つきでは、まず許可は出ない。危険だからだ。


「……魔界の結界をものともせずに、魔物を呼ぶなんて。そんなことができる魔法使いは、かなり限られているはずでしょう?」

 エリセが小さく頷く。

「そのはず、だけど――でもね。さっき言った、ここで起きた事件。……あのときも、魔物がここに出たの」

「……なんですって」


「そのとき居合わせた人たちで、何とか魔物は退けたけど――肝心の陣が、見つかってなかった」


 魔物を召喚するには、魔法陣を使う。つまり、この辺りにはまだ魔物を召喚するための陣があるということで――


「……それで、誰もここに寄り付かないというわけね」


 それは同時に、いつ魔物が飛び出してくるかわからないということだ。エリセが早く離れようとしたのも頷ける。リティシアが納得したのと同時に、魔物が唸り声を上げた。


「……何よ」

 しかし、リティシアが一瞥すると、唸り声が引っ込んだ。

 魔界は、完全な実力主義の世界だ。その中で王権を持つほどの力がある、エーデルフェルト家。その家の者に逆らうことは危険だと、魔物は本能で分かっているのだろう。

 その証拠に、真紅の瞳と視線がぶつかった瞬間、魔物は大人しくなった。この色は、魔界ではエーデルフェルト特有のものなのだ。しかし、ずっとこうしているわけにもいかないだろう。


「……エリセ、貴女、魔法学院に行ってたなら詳しいわよね。…召喚された魔物にとって――」

「……彼らにとって召喚者は主人。どんな言うことでも聞く……だよね」

「やっぱり、そうよね」


 試験の問いに答えるような淀みない言葉に、リティシアは溜め息をつく。召喚には、そういう効力を持つ呪文が使われているのだ。


(こうして召喚されている以上、魔物が優先するのはあたしではなく召喚者。あたしに牙を剥く可能性も、充分ある……)


 今取っている行動も、完璧に安全だとは言い切れない。それならば――


「エリセ」


 リティシアははっきりした声で、隣の魔法使いに告げる。


「この魔物、あたしたちで何とかするわよ」

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