エリセの提案
「天界には、治癒の力を持った魔草が生えています。それを経口摂取することでなら、魔草の魔力が体内の魔力の流れに乗り――やがて翼にも魔力と共に流れ込む。昔から、翼を痛めた天使に処方されてきました」
「それ……でも、つまり、取りに行かなきゃならないってことよね」
「はい。しかし……私は堕天した身ですから、天界に入ることはできません。そういう術が掛けられています。だからといって、アーシャ自身が今天界に戻るというのも、彼の怪我を見る限り難しいでしょう」
リティシアが発した言葉に、彼女の忠臣は言いにくそうに告げた。思わず落ち込みそうになったリティシアだが、ぐっと堪えて違う質問をする。
「……それ以外には方法はないの?」
「自然に治癒することを待つことも……できなくはないでしょう。しかし、見た限り……」
それに答えを返したエミルだったが、言葉を途切れさせてしまう。
「エミル?」
リティシアは怪訝に思い、彼の名前を呼んだ。エリセも心配そうな顔でエミルを見守っている。
「傷が……深いですから。もしも怪我の治りが悪かった場合、飛べなくなってしまうかもしれません」
エミルの言葉に、リティシアもエリセも言葉を失った。アーシャが空を飛べなくなるかもしれない。
アーシャは空を飛ぶことが好きだと言っていた。そんなアーシャが翼を失ってしまったら――どんなに悲しむだろうか。
「……つまり、ジークは本気だったってことね……」
掠れた声で、リティシアはようやくそれだけを呟いた。「白い翼は不要だ」と言い切ったジーク。あれは脅しなんかではなかったのだ。
エミルが知っているという優しいジークと、リティシアが今日見た彼の姿とはまったく重ならない。エミルと同様、リティシアもそこに疑問を覚えたが、それよりも目前に迫った問題があった。
「一体……どうすればいいというの?」
リティシアはアーシャの手を握り、顔を俯けた。アーシャをこのまま放っておくことはできない。しかし、今リティシアたちにできることは皆無に等しい。
「あの……リティシア」
しばらくしてから、エリセが口を開いた。それにリティシアは彼女の顔を見る。
「エリセ?」
エリセは、何かを覚悟している様な表情だった。
「……わたしの見た目なら、天使だって誤魔化せないかな」
彼女の台詞に、リティシアは目を見開く。
確かに、エリセは人間の中でも色素が薄い方だ。そして、アーシャやエミルのように、ほとんどの天使は髪や目の色が薄い。思えばジークもそうだった。ならば、見た目だけなら誤魔化せるかもしれないが――
「……不可能ではないかもしれませんが、天界は人間界との交流も断っています。もし天界に入った後に人間だと分かれば、話を聞いてもらえるかも分かりません……。ヒトを殺すことは、天界では禁止事項ですから有り得ませんが、拘束するくらいはするかもしれません」
エミルの言う通りなら、諸手を挙げて賛成することはできない。リティシアが言うべき言葉を探して黙っていると、再びエリセが言葉を紡いだ。
「命はとられない。その保証さえあるなら……やってみる価値がある、と思います。天界にさえ入れれば、もしかしたら機会があるかもしれない。ねぇ、リティシア、そう思わない?」
「……でも」
「わたしね、リティシアがわたしみたいな見た目をしていたなら、天界に乗り込んでいたんじゃないかって自信があるの」
冗談めかしたエリセの言葉。それにリティシアはエリセをまじまじと見つめた。
彼女は本当に変わった。天界に入れたとしても、その先は誰にも分からないというのに、エリセは怯えることなく確かな決意をしている。
それに加えて、エリセが言ったことも否定できなかった。もし可能ならば、リティシアだって天界に行きたい。アーシャを助けたかった。自分を助けてくれた彼を、今度は自分が助けたかった。
しかし、それはアーシャが魔族と関わりがあると知らしめるようなものだ。アーシャが元々天界に拘っていなかったとしても、そして堕天使になってもかまわないと本当に思っていたとしても。それでも、リティシアの方は今でもアーシャの処遇を気にしている。
「……エリセ」
空いた手でエリセの手を掴む。
「お願い……」
声を絞り出したリティシアを、エリセは優しく抱きしめてくれた。
「……天界に行く?」
仕事から帰ってきたシリルを、リティシアたちは庭で出迎えることになった。庭に面した路上には、エミルが白墨で魔法陣を描いている。天界に行くには、独自の魔法を使う必要があるらしい。魔族が闇魔法で魔界に出入りするのと、似たようなものだ。
「本気か、エリセ」
「本気だし、正気だよ」
今回のエリセは、普段からは考えられないくらいに頑固だ。事情を考えれば当然だし、もちろん先ほどのリティシアの言葉も関係あるのだろう。しかし、リティシアはそんな彼女が心配だった。エリセは無理をしてはいないだろうか。
「シリルも、アーシャが心配でしょう?」
シリルはそう言われると反論できないようで、黙り込んでしまう。しかし、割り切れないような表情をしていた。天使の目を欺けるような容姿をしているのはエリセだけ。双子もそれほど色が薄い方ではないし、シリルやリティシアは以ての外だ。必然的に彼女を1人で行かせることになる。
「しかし……」
渋るシリルを、エリセが見上げる。
「シリル。アーシャを助けるためには誰かが行かなきゃ。できるのはわたしだけなんだよ。やらなきゃいけないことが分かって、それをやるって決めたんなら――」
「――実行に移すだけ。そうだな」
シリルは小さく息をつき、エリセと目を合わせた。
「オレが言った言葉だ……。――なら、頼んだ。行ってこいエリセ。ただし、無理はするな。危険だと思ったら逃げろ。いいな?」
シリルが連ねた言葉に、エリセはしっかりと頷いた。
「エリセ、これを預けるわ」
そして、リティシアもシリルの言葉で思い出したものがあった。エミルがリティシアにくれた、通信をするための水晶。
「通信できる魔法……?」
エリセは何のためのものか、見てすぐに納得したらしい。やはり、彼女は賢い。
「そう。エミルが同じものを持っているから。構わないわよね、エミル」
「最善の策かと。……よし」
リティシアがエミルを見遣ったとほぼ同時、エミルが手を止める。どうやら陣が完成したらしい。
「エリセ、無茶は――」
「しないよ、分かってる。双子たちによろしくね」
エリセはリティシアの言葉に小さく笑う。双子は今、リティシアに代わってアーシャの様子を見てくれていた。
「――分かったわ」
頷いて、水晶を彼女に託す。エリセはそれを受けとり、魔法陣に乗ろうとして――シリルに腕を掴まれた。
「シリル?」
「気をつけて」
一瞬の抱擁の後、すぐにエリセは解放される。
「……ありがとう。行ってきます」
今度こそ、エリセは魔法陣の上に乗った。エミルが何事か唱えると同時に、魔法陣が光り――エリセの姿が掻き消えた。




