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紅玉の姫君  作者: 神奈保 時雨
第五章
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葛藤 (1)

「リティシア」

 エリセの姉に会った日の、次の朝。

 まだ早い時間帯、階段を降りようとしていたリティシアは、呼びかけの主を振り返った。

「エリセ」

 どうしたの、と、彼女は数段ほど上にいるエリセを見上げる。

「昨日……ごめんね」

 リティシアは思わず目を瞬かせた。エリセは申し訳なさそうながら、どこかすっきりした顔つきをしているようだ。

「どうして謝るの?」

「暗い話、聞かせちゃって。でも、もう大丈夫だから」

 そう微笑むエリセの顔に翳りはない。しかし、本当に大丈夫なのだろうか。

 昨日、シリルとは他に話をしたのだろうか。そう問いかけようとリティシアは口を開き――結局、何も言わずにそっとつぐんだ。

 ふと、自分がそれを聞いてはならない気がしたのだ。


 エリセはそれに一瞬怪訝な顔をしてから、リティシアの近くまで足を進めた。

「リティシア」

 先ほどの呼び掛けより、どことなく不安げだ。

「……なぁに?」

「何か困ったことがあったら言って」

 微笑んで見せたリティシアに、エリセは控えめながらそう告げた。リティシアは一瞬、何も言えなくなる。

「わたしも、リティシアたちの役に立ちたいんだ」

 そんなリティシアの様子を知ってか知らずか、エリセはそう微笑んだ。

 昨日みんなにしてもらったように、と言って。

「……、そう。――ありがとう」

 リティシアが笑みを返すと、エリセは首を振って階段を降りていく。照れ隠しか、どことなく速足だ。リティシアは階段に留まったまま、それを見送った。


「……何かしら」

 しばらくして、彼女はそんな風にひとりごちる。どうにも複雑な気分で落ち着かなかった。

 エリセの言葉は素直に嬉しい。彼女はリティシアやシリルたちのことを、仲間と思って信頼しているのだろう。それくらいは先程の言葉を聞けば分かる。


(――ああ、そうだわ)

 ふと思い当った事実に、リティシアは思わず自らの服の裾を軽く握る。

「心苦しい……のね」

 エリセは打ち明けてくれたのに、リティシア自身がだんまりを通していることが。そしてこれからも突き通そうとしていることが。エリセは信用してくれている(・・・・・・・・・)。

 ならば、自分は?

 それに気づくと同時に、リンドールに来てからリティシアが抱いていた疑問や違和感が、じくじくと彼女の思考を支配し始めた。

 何度も何度も、「隠したままでいた方がいい」と自分に言い聞かせていたこと。

 エリセのように自分に立ち向かえるのかという不安。


 ――どこの誰だとしても、俺は君を嫌ったりしないから。


 あの言葉。

 アーシャに嫌われるのではないかと心配したこと。嫌われるのが怖かったわけではないと、その思いを否定したこと。なのに、あの言葉に――安心したこと。

 正体を隠すのは事件解決の足枷になるから。最初も今も、その理由には偽りない。

 しかし、彼女は改めて気づく。

「嫌われたく、ないのね」

 これもまた、事実なのだと。

 アーシャは、みんな自分と同じだ、嫌ったりしないと言った。けれど、リティシアはどこかでそれを恐れている。大体の堕天使が魔族を嫌うように、まだ見ぬ人間たちが魔族を疑っているように、仲間たちが魔族を敬遠しはしないか。その部分を信用できていない。だから打ち明けられないのも、また事実なのだ。

 もう既に、何日も何週間も、リティシアはアーシャたちと過ごしていた。情が移らない方が無理な話だと、彼女は今になって実感する。

 その思考が足を重くして、いつの間にか彼女はその場にひとり、しゃがみ込んでしまっていた。






 時間が過ぎて夜中になっても、リティシアは眠れなかった。今朝気づいたばかりの事実が彼女を縛って、休むことを許さなかったのだ。

 自室の寝台でただ横になっていたリティシアは、ふと部屋の反対側を見る。エリセが小さく寝息をたてて熟睡しているのを確認し、彼女はそっと起き上がった。


 魔力を持っている生き物である以上、1日寝ずとも影響はほとんどない。

「……この際、起きていようかしら」

 リティシアはほとんど声になっていない呟きをこぼす。

 重たい感情に囚われたまま、することもなく横になっているのは苦痛以外の何物でもないのだ。再びまとわりついてくる思考を、彼女は首を振って振り払う。それから音もなく床に降り立つと、足元が軋まぬよう注意を払って扉に向かった。

 夜目は利く。洋灯(ランプ)はいらないだろう。

 リティシアはそっと扉を押し開けた。


 階段が小さく音を立てる。さすがにこればかりは、音を完全に消すことはできない。影の中を通れれば別だが、あいにくリティシアは闇の魔法は扱えない。

 しかし、ここまで来れば人を起こす心配もないだろうか。そう考えた彼女は、結局普段通りに階段を降りることにした。


「リティシア?」

 しかし予想に反して、小さな声がかけられる。しかも寝室のある2階ではなく、居間の方から。

「……アーシャ」

 柔らかいその声は間違えようもなかった。リティシアは明かりの灯っていない居間に向かう。


「……ここで寝ていたの?」

 間もなくソファに腰かけているアーシャを見つけ、首を傾げて見せた。

「まさか。少し夜更かししてただけ」

 声を立てて笑うアーシャに、リティシアはひとり納得する。天使も魔族と変わりなく夜目は利くはずだ。明かりがないのは、ただ単にいらなかったのだろう。

「リティシアは、どうしたの? 眠れなかったのかな」

 アーシャは彼女を見上げて、心配したように尋ねた。ずばり言い当てられ、リティシアは何も言えず俯く。

「……まあ、そうね」

 ようやくそれだけを言って濁そうとすると、温かいものが頭に触れた。彼女はそれにぱっと顔を上げる。

 どうやら、アーシャがいつの間にか立ち上がって頭を撫でているようだった。

「アーシャ……? ――あの」

 リティシアが珍しくたじろいでいると、アーシャは少し屈んでリティシアに目線を合わせた。そうして、柔らかく微笑んでみせる。

「今日、少し浮かない顔をしていたから……少しでも安心してくれればなって」

 それではまるで子供扱いだ。でも実際そうかもしれない。彼とは200も年が離れているのだ。いくら魔力を持つ生き物であっても、その差は小さくはない。


 それに――確かに、安心する。

「……リティシア?」

 戸惑ったようなアーシャの声。リティシアは声が詰まって返事ができなかった。

「どうしたの。リティシア」

 心配そうな、それでいてどこか慌てたような言葉。それとともに、アーシャが優しく目元を拭ってくる。

「……っ」

 目の前がぼやける。自分さえ気づかないうちに、リティシアはぼろぼろと涙を零していた。いつも強気なリティシアが泣いているからか、アーシャは言葉を探すようにしている。

 それが耐えられなくて、人前で泣いたことへの嫌悪感も伴って、リティシアはただ両手で顔を覆ってしまう。



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