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紅玉の姫君  作者: 神奈保 時雨
序章
2/61

エーデルフェルト

 この世界には3つの種族が存在する。


 地上に住まう人間、遥か高く、空に近い山々に住まう天使、そして――リティシアたちのように、鬱蒼とした森の奥に住んでいる魔族。3つの種族はそれぞれまとまって住んでいる。

 そのうち魔族は、ある吸血鬼の一族が王族として、ひとつに纏め上げていた。その王族の名は、エーデルフェルト家。


「エーデルフェルト、エーデルフェルトって、王族だから何よ?リティシアは好きなことを好きなだけやれって、父さまよく言ってたじゃないの!」


 今、王の座に就いているのはリティシアの父であるアンゼルム。

 つまりリティシアは魔界の王女なのだが――


「今までのこととこれとは違うんだ、一人娘を知らない土地に1人で行かせるなんて……」

「ちょっと、落ち着きなさいよ、二人とも」


 彼女は今、人間界に行きたいと言ってアンゼルムを困らせていた。

 今現在、種族間での関わりはまったくといっていいほどなく、その点ではリティシアの願望はとんでもないものだと言える。しかし、人間界に行く術がないわけではない。

 そして、リティシアがそう望むのには理由があった。


「それに、まったく知らないところってわけじゃないでしょう?」


 リティシアはしばらくむっとしていたが、やがて悪戯っぽい笑みを浮かべた。

 それとともに放たれた言葉を聞いて、アンゼルムは逆に、眉間に皺を寄せる。彼女がこういう表情をするときは、必ずと言っていいほど何か企んでいるのだ。


「父さまだって昔、人間界に行っていたのでしょう?しかも、お祖父さまの反対を押し切って」


 そう、第一の理由は、自らの父も人間界に出向いたことがあるということ。彼もまたリティシアと同じように親の反対を押し切り、人間界行きの許可を勝ち取ったという。

 だからこそ、アンゼルムは人間界を好きだと言っているのだ。それはリティシアも知っていた。そして、それほどまでに父が行きたがった世界を一目見てみたいと、彼女は思っていたのである。

 しかし、アンゼルムが引き下がる訳もない。彼は人間界を好いている以上に、一人娘を溺愛している。単身旅にやるなどもってのほかだ。彼は娘に負けまいと口を開く。


「お前、何百年前の話だと思っているんだ。大体あのころはまだ国交があってだな……」

「あたしは別に悪いことだとは思わないわよ」


 まったく聞いていない。

 アンゼルムはひそかに溜め息をついた。


「だって、父さまは人間界に行ったから母さまに出会えたのでしょう?だからあたしが生まれたのよ。とっても――ロマンチックじゃない」


 そんな言葉で締めくくり、リティシアは両手を組み合わせる。


「リティシア、いつからそんな女の子らしいことを言うようになったんだ……?」

「あら、失礼ね。あたしはいつだって女の子らしいわよ」


 ふたつめにして最大の理由。

 それは、先ほどリティシアが言っていたように、ユリアの生まれが人間界――つまり、彼女が人間だったからだ。アンゼルムは人間界でユリアに一目惚れをし、また彼女もアンゼルムに惹かれ――二人は無事結婚した、ということらしいが。


 少しおどけてみせたが、母の生まれ故郷を見たいというのは紛れもない事実である。


「でもねえ、リティシア」

 黙って父娘(おやこ)の言い合いを聞いていたユリアが、穏やかな口調で娘に語りかけた。


「魔族と違って、人間は全部が全部魔力を持っているわけではないのよ。私がいたころとは、随分変わっているんじゃないかしら」


 天使や魔族は、魔の力を生まれ持っている。魔力は魔法という不可思議な術の原動力となり、また、それを持つものの老化を極めて遅らせるのだ。

 リティシアも外見は17歳ほどにしか見えないが、実際は先日680を超えたばかりだ。人間にも魔法使いと呼ばれる、魔力を持った人間がいるという。

 ユリアはそんな人間の1人だった。そして魔法使いから生まれた人間も魔力を持つ。しかしそうした存在は、ほかの種族に比べれば、ほんの一握りだ。

 ユリアが人間界にいたのはリティシアが生まれる前のことだから、既に700年以上の時が過ぎている。そのころとまったく同じ世界だとは限らないだろう。


 しかし、リティシアはそれを意に介さなかった。


「住んでる人たちが変わっても、文化はそうそう変わったりしないわよ」


 どうやら、彼女は譲る気などまったくないようだ。それを悟ったユリアはゆっくり息を吐き、アンゼルムへと目を向けた。


「……アンゼルム。行かせてあげたらどうかしら?きっとこの子、人間界へ行くまで言い続けるわよ」

「ユリア……」


 思ってもみない妻の言葉に、アンゼルムは目を見開いた。


「小さいころにした、貴方との約束をずっと覚えていたのよ、この子」


 確かにリティシアがまだ子どもだったころ、「人間界へ行きたい」と言った彼女に、「大人になったらな」と言ったのはアンゼルムだ。彼はまさか本気だとは思っていなかった。しかし、娘の方はそれを本気にした。

 それで今現在、彼女は「1度許可をもらった」と言い張っている。実際は彼女が強引に、人間界行きの計画を進めたのだが。

 そんなリティシアは母の言葉を聞き、今が好機と踏んだようだ。テーブルへと身を乗り出し、最後のひと押しとばかりに言葉を並べ立てる。


「ねえ、あたし、父さまたちの縁の地に行ってみたいのよ。いいでしょう、お願いだから」


 それから程なくして――アンゼルムは、ユリアとリティシアの言葉の前に陥落した。


 その瞬間、リティシアが両の拳を空中へと突き上げたのは、項垂れていたアンゼルムには見えなかったのだが。


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