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紅玉の姫君  作者: 神奈保 時雨
第四章
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アーシャの戸惑い (1)

「どっちだ?」

「あっちです……っ」

 シリルは少年の声に頷いて走っていく。少しでも速く移動できるようにと、少年はシリルに抱えられていた。リティシアはそれに従いながら、少年が今しがた指した方向を見据えた。

 今回こそ、何とかして証拠を見つけなければ。どんな些細なことも見逃してはならない――と、彼女は自分に言い聞かせる。


「リティシア」

 並走していたアーシャの声を聞き、リティシアは彼に目を向けた。

「あまり身構えないでね。いつも通りにやれば、きっと大丈夫だから」

 柔らかい声で紡がれた言葉に、リティシアは内心で苦笑する。どうやら、自分は相当怖い顔をしていたらしい。

「……ええ、そうね。ありがとう」

 微笑んで言えば、アーシャもいつも通りの温かい笑みを浮かべる。それから間もなくシリルが足を止めたことに気づき、リティシアも止まった。アーシャとエリセ、双子もそれに従う。


 そこは日当たりはいいものの、比較的狭い通りだった。いかにも子供たちが遊び場にしそうな場所だ。

「……ここか?」

 シリルが少年に問うと、少年は小さく頷く。シリルがそれを受けて少年を降ろし、安全な場所に戻るように言い聞かせた、そのとき。


「……魔法使いさま!」

 ひとりの女性が路地から飛び出してきたかと思うと、シリルに向かって叫んだ。

「どうした――」

「あちらにも魔物が出たんです!」

 シリルの返事に、女性は間髪入れずにそう返す。彼女は明らかにこことは違う方向を指していた。

「それから、市場の方にも……来ていただけますか!?」

 シリルは勿論、仲間たちも驚きを隠せないようだった。


「3箇所も――?」

 リティシアもぽつりと呟く。やはり、この一連の事件の犯人はこちら側の動きが見えているのかもしれない。こちらが団体で動いていると分かっていて、分断しにかかっているとしかリティシアには考えられなかった。

 誰かがきっと、こちらを見ている。


「……分かった。すぐに向かう!」

 すぐにシリルが鋭く反応したことにより、リティシアの思考が中断される。

「リティシア、アーシャ。ここに残れるか」

 続いて発せられた言葉に、リティシアとアーシャは同時に首を縦に振る。

「なら、他の3人はオレと一緒に来い。そこからまた二手に分かれる、いいか?」

 分断されるのは痛手だが、他の場所に出た魔物を放っておくわけにはいかない。言外にそうシリルが告げていることを感じ取ったのか、エリセと双子もすぐに頷いた。

「二人とも、ここを頼んだ」

 シリルは女性に案内を頼むと、リティシアとアーシャを振り返った。

「任せてちょうだい」

「うん、シリルたちも気をつけて」

 シリルは2人の言葉にまた頷くと、エリセたちを連れてまた走り出した。


「……リティシア。魔物、探そうか」

 シリルたちが角を曲がって見えなくなると同時に、アーシャが呟く。今のところ、魔物は姿を隠している。ここまでは案内してもらえたものの、あとは魔力を辿って探すしかなさそうだ。

「ええ」

 リティシアは注意深く辺りを見回しながら頷く。先ほどの少年もシリルの指示に従って避難したらしく、今は周りに誰もいなかった。

 リティシアは一度目を閉じ、魔力の残滓にのみ意識を集中させる。魔力を持つ者にとっては、周囲の魔力の流れを感知することは比較的簡単だ。

 自分のすぐ隣にアーシャの魔力を感じた。しかし、他の魔力はあまり感じられない。


「……隠れるのが上手いね」

「そうね……」

 アーシャの言葉に頷き、リティシアは更に感覚を集中させる。

「――?」

 そして違和感を覚えたとき。

「リティシア!」

 アーシャがリティシアを庇うようにして伏せ、翼を広げた。その瞬間、先ほどまで二人がいた場所を影の針が掠めた。アーシャはすぐに魔力を溜め、空中に向かって反撃する。

「――魔鳥!」

 空中を旋回している巨大な鳥の姿に、リティシアは鋭く呟く。

「……空中にいたんだね。魔力が遠いはずだ」

 アーシャはリティシアを腕の中に庇ったまま、魔鳥を目で追った。魔鳥は二人を嘲笑うかのように、さらに高度を上げていく。

「……逃げるつもりだわ」

 逃げられたら厄介だ。あの魔鳥は、もしかしたら他の場所で人間を襲うかもしれない。リティシアは唇を噛む。


「……リティシア、掴まって!」

 そのとき、アーシャがリティシアを横抱きにした。

「なっ……!?」

「飛ぶよ!」

 地面を蹴った音に続いて、身体が浮く感覚がした。

「え、ちょっと、アーシャ!?」

 思わずしがみつき、リティシアは半ば叫ぶように彼の名前を呼ぶ。

「ごめん、ちょっとだけ我慢してね!」

 アーシャは魔鳥の姿を捉え、上昇に転じた。

「え、きゃあぁぁ!?」

 あまりに急激な上昇に、情けないながらも大声が出た。アーシャはしっかり抱えてくれているものの、安全性の保証などどこにもない。眼下では景色が目まぐるしく変わっていた。泣き言を言っている余裕などないが、大丈夫だと言う心の余裕もない。 空を飛ぶことなど、彼女にとっては初めてだった。

「リティシア、魔法を撃てる!?」

 風を切る音に負けないくらい、アーシャが声を張る。

「こ、この状況で!?馬鹿言わないでーっ!」

 まさか手を離すこともできず、リティシアはそう叫び返す。

「……じゃあ、ちょっとごめん!」

 言い切らないうちに、彼はリティシアを片手だけで抱き抱えた。

「――!?」

 リティシアはそれに硬直する。臓腑が浮くような心地がした。リティシアの硬直とは裏腹に、アーシャはそのままの速度を保っていた。

 彼は空いた手を魔鳥へと伸ばす。その瞬間、雷が魔鳥を叩き落とした。


「かかった!」

 アーシャは再び両手でリティシアを抱える。

「降りるのね?」

 幾分ほっとして質問したリティシアに、アーシャは頷いてみせる。

「だから、もう少しだけ辛抱してね」

「……え?」


 リティシアの目の前から、白い翼が消えた。


 ――あろうことか、アーシャは自由落下を開始したのだ。

「……っきゃあぁぁぁあ!」

 しっかり掴まっていないと空中に置いていかれそうで、リティシアは懸命にアーシャの服を掴んだ。地面が見え、リティシアが思わず目をきつく閉じたとき。再び、身体が浮き上がる感覚がした。リティシアはそれに恐る恐る目を開ける。すると、アーシャが音もなく着地するのが目に入った。

 彼の背には再び真っ白な翼が出現している。

「……ごめんね、リティシア。緊急事態だったから、つい」

「……つい、じゃないわよ!」

 申し訳なさそうな笑みを浮かべたアーシャの頭をひっぱたき、リティシアは彼の腕の中から逃れた。アーシャはそれに痛そうに頭をさすりつつも魔鳥を探している。


「……あ、あれ」

 アーシャが指したある一点を、リティシアは目で追った。

「……翼に当たっていたのね」

 魔鳥は地面に這いつくばるようにしながら、二人を威嚇していた。翼が傷ついているらしく、飛べずにただ羽ばたきを繰り返している。

「ちょっと、悪いことしちゃったかな」

 自分も翼を持っている故に同情したのか、アーシャがぽつりと呟く。

「そうね。でも、そんなことを言っている場合じゃないわ」

 魔鳥が吐き出した影の針を炎で叩き落とし、リティシアは警戒を強める。

「魔鳥が弱っているうちに、片をつけないと――」

 そこまで言って、リティシアは言葉を切る。


「この光……」

 アーシャも目を見開いたようだった。魔鳥は淡い光を放っていた。大分見慣れてきた、魔物が魔界へと帰るときのあの光だ。

「……そんなに陣から離れたのかしら」

 思わず振り返り、小さく呟く。 まだ魔物は力尽きていない。ならば、魔力の供給が行き届かなくなったと考えるのが自然だろう。

「そうとも限らないよ。誰かが陣を見つけて、使えないようにしたのかもしれない」

 真っ白な翼を消し、アーシャが呟く。

「確かに、その可能性もあるわね」

 リティシアは魔鳥を注意深く見つめた。魔鳥が再びリティシアを襲おうとしないのは、弱ってきたせいか。それとも、召喚魔法の拘束力が弱まったせいだろうか。

「――あ」

 考えを巡らせているうちに魔鳥が消え、リティシアは小さく声を上げる。


「リティシア、アーシャ!」

 それと同時にエリセの声が聞こえ、リティシアは振り返る。

「エリセ。大丈夫だった?」

 アーシャの言葉に、走り寄ってきたエリセが小さく頷く。彼女の後ろからは、シリルと双子も走ってきていた。

「魔法陣は、消したよ。それと……見つけたものがあって」

 走って上がった息を整えながら、エリセが告げる。その言葉に、リティシアははっとして彼女を見た。


「――証拠、なの?」

 リティシアの言葉に、エリセは小さく首を捻る。

「それはまだ、分からない。今から確認しようと思ってな」

 シリルが無愛想に何かを取り出すのを見て、リティシアは首を傾げる。証拠かどうかが分からない、というのはどういうことだろうか。

「これが、陣の近くに落ちていた」

「――……羽根?」

 シリルが取り出したのは、真っ白な小さい羽だった。

「そう、羽根だ。……アーシャ、お前なら分かるな。オレたちが確認したいことは何か」

 シリルの言葉にリティシアはアーシャに目を向け、心中驚く。

 アーシャからはいつもの笑みが消えていたのだ。彼は返事をするように小さく頷き、シリルの手から羽を取り上げた。


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