リティシアの打算 (2)
「……リティシア?」
小さな呼び掛けに、リティシアは思考の海から浮上した。ふと隣を見れば、エリセが不思議そうにこちらを見ている。
どうやら、リティシアは長らく沈黙していたらしい。何と返事をしたものかとリティシアが迷っていると、アリスが独り言を言うかのごとくぽつりと呟いた。
「えっと、ね。話を戻すと、人手が足りないの。だから、厚かましいお願いだって分かってるけど――」
彼女が何を言おうとしているのか分かった瞬間、リティシアははっとする。
思いついたのだ。
「……あたしっ」
反射的に、リティシアは立ち上がった。その勢いに、椅子が音を立てて後ろへ逃げる。
そして、皆が驚いたようにリティシアに注目していた。もう、何も言わなかったことにはできない。そんな考えを巡らせながら、リティシアは言葉を続けた。
「――協力するわ」
アリスが拍子抜けしたように、え、と小さな声を漏らす。
父には言えない。放っておくこともできない。
それならば、解決してやればいいのだ、自分の手で。
「……え、でも、リンドールの人じゃないんだよね?」
クリスが目を見開いて、そう呟いた。
「ええ、それは違うわ。でも――」
リティシアはテーブルに手をついて、身を乗り出す。まるで演説のようだ。向かいにいるアーシャは気圧されるようにして、ほんの少しだけ、椅子ごと後ずさった。
「――気に食わないのよ」
演説のような体勢で呟いたのは、極めて明快な一言だった。
「気に入らないの。その特定もされてない誰かのやり口がっ」
言っていると、本当に腹が立ってくるから困る。それに、気に入らないのは本当だ。どこかの誰かのせいで、父がよくないことを言われているのは確かだ。リティシアの苛立ちを察知したのか、アーシャが苦笑いを浮かべた。
「怒るのも分かるけど、少しだけ落ち着こうよ」
「……それもそうね」
リティシアは椅子を引き寄せ、すとんと腰を下ろした。
「でも、前言撤回はしないわよ」
そのままテーブルに頬杖をついて続ける。
「確かにあたしはリンドールの人間ではないけれど、理由なんてそれで十分だもの」
その言葉に、アーシャが柔らかく微笑んだ。
「……ありがとう」
「……お礼を言われるようなことじゃないわ」
ほんの少し、アーシャから目線をずらしてそう告げた。純粋にただ助けたい、と思ったわけではないのだ。だから、素直にそのお礼を受けとることはできない。
「今ここで決めてしまって構わないのか」
家族や友人に相談をするべきではないのか。シリルは暗に、そう言いたいのだろう。
「いいの。自分のことだもの、自分で決めるわ」
そう言うと、シリルも頷いた。そこでふと、彼は双子に目を向ける。リティシアもそれに従い、双子を見た。
彼らは期待のこもった目で、エリセをじっと見つめていた。リティシアも、静かにエリセへと視線を移す。
――迷っている。
リティシアにはエリセがそう見えた。ほんの少し眉を下げ、言葉に迷うように目を泳がせている。
「エリセ。あたしが決めたからって、流されることはないのよ」
今更ながらに何だか申し訳なくなって、リティシアは小声で彼女に語りかける。半日にも満たない付き合いだが、彼女はエリセが怖がりなことを知っている。
それでいてお人好しなことも。
自分に危害を加えようとする人間にすら攻撃できないほどに、エリセは優しい。
だから、双子の期待に応えたいと思っているだろうことも、協力すると決めれば避けられぬ戦いに恐怖を感じているだろうことも、容易に想像できた。
だからこそ、流されることはないとリティシアは言ったのだ。リティシアが決めたからとついてくる義理は彼女にはない。怖いなら、戦わないのもありだろう。
「わたし……わたしは」
か細い声が続きを紡ぐのを、リティシアはじっと待った。
沈黙が訪れた。
エリセは言葉が喉に引っ掛かってしまったように押し黙っている。見兼ねたリティシアがまた声をかけようとした、そのとき。
「……時間が掛かってもいい。自分で決めろ」
落ち着き払った、低い声が響いた。
全員が、シリルに注目する。彼は、真っ直ぐにエリセを見つめていた。エリセも、その漆黒の目に吸い込まれるようにしてシリルを見つめた。
「いくらでも待つ。焦らなくていいし……話しておいて何だが、無理に戦うことはない。無理強いは、しない。ただ、これからも王都で暮らしていくなら、また魔物に遭遇するかもしれない。そこを留意してくれれば、それでいい」
ぽつぽつと、しかし芯の通った声で、彼はエリセに告げた。対するエリセは、ただ黙って聞いている。
「魔法使いと言っても、万能じゃない。事件に関わるというのなら、危険を伴う」
彼らは、ただ自分たちのことを心配して話してくれたのだろう。あらかじめ知識があるのとないのとでは、いざ事件に遭遇したというときの判断に差が出る。
そのことは、リティシアもエリセも分かっていた。きっとどんな道を選ぼうと、彼らは自分たちを責めたりしないし、するつもりもないだろう。
ただ、もしかしたらと。
淡い期待を持っていただけだということも。
そして、まだ幼い双子には、それを隠すのは少々難しかったのだ。
リティシアはエリセの言葉を待ちながら、エリセはシリルを見つめながら、同じ考えに至っていた。そして、エリセの表情に小さな変化が訪れる。
先ほどまでの迷いが消えたかのように、強い眼差しをしている。リティシアはその変化を認め、ただエリセを見つめた。
「……わたしは」
声も、先ほどよりずっとよく通る。彼女はシリルと目を合わせたまま、言葉を紡いだ。
「……わたしは。学院を卒業しても、国軍に入る気には、どうしてもなれなくて。……臆病、だから。でも、だからといって学者とかを目指すというわけでもなくて」
ぽつぽつと話す彼女を、全員が見つめていた。
「でも、せっかく魔法が使えるようになったのに、何の、誰の役にも立てないなんて、やっぱり嫌なの。わたしにできることがあるなら、やりたい。――だから、わたしは。わたしにできることが、ここにあるのなら」
そこでエリセは一旦言葉を切り、皆をゆっくりと見回した。
「――協力、したい、です。……ずっと臆病でも、いられないから」
臆病なんかじゃない。リティシアは、心からそう思った。彼女は自分から、過酷な道を選んだのだから。




