決意
「――よし、準備完了ね」
広々とした部屋に置かれた鏡台の前で、1人の少女がそう呟いた。彼女は鏡に向かって、自分の身支度を整えている。
黒みがかった茶色の巻き髪には手入れが行き届いて、わずかな傷みもない。
鏡に映る顔はよく整っていて、気の強そうな笑みを浮かべている。
そして、鏡を見つめるその瞳は――目の覚めるような紅色をしていた。
少女は髪に遣っていた視線を、自分の着ている服に移した。黒を基調とした上品な作りで、赤のリボンや白のカフスがアクセントになっている。
華美に走り過ぎないそのデザインは、少女によく似合っていた。
その服や、部屋にある調度の数々を見ると、彼女のことを知らないものでも、この少女の家は裕福なのだと分かるだろう。
家具も服と同じく、上品なもので統一されている。
彼女は鏡に向かって満足そうな表情を浮かべ、椅子から立ち上がる。
部屋から出ようと、扉に手を掛けたそのとき、ノックの音が響いた。
「……あら、父さま?」
ゆっくりと2回叩くノックは、少女の父親のものだとすぐに分かった。扉の向こうから、貫禄のある声が響く。
「リティシア、今いいかね?」
「いいけど、どうしたの? どうせ、朝食の席で会うじゃない」
リティシアと呼ばれた少女は、扉を開けながら父へと問いかける。
すると彼は、大仰に両手を広げ、リティシアへと言葉を掛けた。
「愛する娘に早く会いたいと思うのは、悪いことかね?」
その仕草と言葉に、リティシアは思わず吹き出す。
彼はこうしておどけてみせるのが好きだ。見た目こそ厳格そうではあるが、それでなかなか茶目っ気のある人物である。
「まったく、いつもいつも大げさなんだから。おおかた、母さまに呼んでくるよう頼まれたんでしょ」
リティシアの父は白銀の髪を掻き回し、ばれたか、と笑う。
リティシアもそれに釣られて笑った。
「母さまが待ってるのね? じゃあ、行きましょう、父さま」
「おはよう、リティシア。アンゼルム、ありがとうね」
居間へ向かうと、テーブルに1人の女性が座っていた。リティシアと同じ色合いの茶髪を頭の上で結い上げ、頬杖をつきながら微笑んでいる。
顔立ちはどことなくリティシアと似ていた。
「母さま、おはよう。今日も綺麗ね」
「ありがとう。リティシアも可愛いわ」
お互いに褒めあう母と娘。そんな2人を見て、父――アンゼルムは、声を立てて笑う。
「ユリアもリティシアも、そう毎日同じやり取りをしなくてもいいだろう。2人とも、いつだって美人だ」
「まあ、父さまがいちばん上手だわ」
リティシアが肩をすくめておどけてみせると、母であるユリアがくすくすと笑う。リティシアとアンゼルムが席に着くと、ユリアは再び娘に声を掛けた。
「でもリティシア、今日は特に気合が入ってるわね」
「当然よ」
リティシアは頷くと、顔の横に拳を突きあげる。
「今日はあたしの、新しい出発の日だもの」
するとアンゼルムが、笑みを消して神妙な顔になった。
「リティシア、その話なんだがなあ……」
「あら、父さま。まだ反対なの? 1回は許可したじゃない」
「でもな、エーデルフェルト家の娘として―――」
「あたしは決めたのよ」
リティシアと同じ真紅の目を細め、何か言おうとする父の声を遮って、リティシアは続ける。
「あたしは見に行くの。母さまが生まれ育って、父さまがこの魔界の次に好きだって言う、人間の世界をね」