1話【ポニーテールの根暗・名倉隼瑠】
【読み方】
◆名倉隼瑠
◆南誠高校
◆三ヶ島
陽が落ちはじめ、南誠高校の生徒達が次々と正門をくぐり抜けて行く。
そんな頃、図書室では明るい茶色に染められたポニーテールが世話しなく動き回っていた。
図書室の時計には『故障中』の貼紙が貼付けられており、黙々と作業に没頭する彼女は、時間という存在を忘れていた。
図書室には彼女1人しか人はいない。
彼女が引き回す本を乗せた台車が、ガラガラと音をたてている。
「なんでラノベが太宰治の隣にあるのよ……! 図書委員は何してるわけ!?」
そして彼女の、独り言にしてはボリュームを上げすぎた音声の独り言も。
今日も、放課後は図書室で新しい本でも探そうかと、図書室に来ただけなのに。
いつの間にか図書の整理を始め、既に2時間が経過していた。
「ちっくしょー。普段はあんまり手ェ出さないホラー系のコーナーに行ったのが悪かったんかなあ……。 だって、ホラーコーナーに植物図鑑? 不思議の国のアリスはホラーかっつの!」
様々なコーナーで回収したライトノベルを、ライトノベルコーナーにしっかり作者順に並べる。
あまりにバラバラな図書の配置に彼女――名倉隼瑠は――いてもたってもいられなくなってしまったのだった。
図書委員でもないのに何でこんなことをしてるんだあたしは、と思いながらも手は休めない。
本当は、2年生になったら図書委員に入ろうと決めていたのだ。なのに、委員会を取り決めるその時にいざなってみると、右手は制服のスカートを強く掴んだまま動いてはくれなかった。
小学生の頃から、いや、思えば幼少の頃から引っ込み思案だった。
幼稚園時代は常に先生の後ろについてまわってばかりいて、友達なんて当たり前のようにできなかった。
小学生時代にはまだマシになったが、通知表には必ず『自己主張ができない』とお決まりの文句が記載されていた。
中学生時代は……最悪だった。できれば思い出したくも無い。
部活動が始まり、多少脚に自信があった隼瑠は陸上部に入部した。
それが失敗だった。
陸上部では常に浮いてしまい、更には陰口まで叩かれるようになってしまった。
それからは、授業でもめっきり発言回数が減り、本ばかり読んでいた。
中学の図書室は使いずらかったため、近所の図書館を利用していた。
毎日のように図書館で顔を合わせる、お婆さんとかなり親しくなった程だ。
中学生になれば、皆は恋愛への興味も一層増して、中には交際する男女もいた。
だが、毎日を乗り切るのがやっとな隼瑠は恋愛なんてしたこともない。
そして、ろくに勉強もせずに本ばかり読んで中学生時代を過ごした隼瑠は、自宅から離れた私立高校に通うことになった。
学力は平均といったところか。本気を出せば余裕で合格してしまうような高校だ。
ここ、南誠高校を選んだ理由は学力の問題より、図書室が大規模という点のほうが大きい。それに、ナイトも申し出れば許可されるし、髪を染めるのも自由とされている。そこに少なからず魅力を感じたのだ。
「ったく、図書室の規模は嬉しいんだけど。整備されなさすぎじゃないかなコレは」
高校生になってからは自分を変えようと固く誓い、今では女子のグループにも入ることができているし、『ハヤル』と下の名前で呼んでくれる友達もたくさんできた。
それでも、放課後になったら図書室に通い詰めるのは日課になっている。
どこか自分の気もちを押し殺して友達と付き合っている、ということは隼瑠自身でも理解していた。自分をさらけ出す自信は、2年生になった今でもまだ湧かない。
読書は隼瑠の心の支えになっていた。
ようやく台車に乗っていた図書をあらかた本棚に並べ替え終わり、隼瑠はわざとらしく大きなため息を吐いた。
その時、ポケットのケータイが震えた。
ディスプレイには新着メールの表示。開けてみると、SNSサイトからのメールだった。
特に深く読まず、消去してしまった。
最近SNSサイトからのメールが多いんだよね……。幾つか解約しちゃおっかなあ。
などと考えている時、ディスプレイの右上に表示された時計が目に入った。
えっ、もうこんな時間!? 声には出さずに、図書室の窓に駆け寄った。
正門は開け放たれてこそいるが、生徒の姿はほぼ無い。
ケータイをポケットに押し込み、台車を元の場所に戻してから、カウンターに置いておいた鞄を乱暴に引っつかんで図書室を後にした。
鍵は見回りにくる教師がかけることになっている。誰もいない廊下を速歩きで進む。
結局、今日は読書することができなかった。
自分で決めて行動したことだから仕方ないとはいえ、やり場の無い怒りを図書委員に向けざるをえない。
作業をするために、長く伸ばしたスカートを片手で折りながら昇降口を目指す。
そして、校舎の1階に設置されたトイレに近づいた時――。
「こいつマジ、何も喋らねえじゃーん!」
自分の独り言よりも大きいであろう声に驚いた隼瑠は足を止めた。
校舎にはもう誰もいないと思っていただけに、一瞬「幽霊的ななにか……」と考えが頭をよぎったが即却下する。
ホラーコーナーなんかに行ったからか!? っていうか、聞こえてきた台詞からして幽霊は無いよ、無い。
ポニーテールをきつく締め直してから、足音を忍ばせてトイレに近づく。
声は男子トイレから聞こえてきている。
「ホントこいつってさぁ、意味わかんねえよな。気もち悪いったら!」
『こいつ』? こいつって誰なんだろうか。
男の声と、何か物音がする。声は複数だ。3人程度だろうか。
男子トイレを覗くような趣味は隼瑠には無いが、今はそんなことを言っている場合じゃない。なんだか嫌な感じがしていたた。
思いきって、入口から奥を覗いてみる。
トイレの最も奥に、制服姿の男子がいるのが見えた。やはり数は3だ。
あれ? 3人の後ろ姿は全員見覚えがある。そして、3人の足の間から腰を下ろしているのか、黒い髪らしきものが見える。トイレの床に座るなんて有り得ない。
不穏なものを感じとった隼瑠は、気配をできるだけ消して男子トイレの中を観察することにした。
「なあ、何か言えよ! なんでお金持ってきてくんないのかなあ?」
やっぱり、あの3人とも同じクラスの男子だ。
隼瑠が気がついたのと同時に、中央にいた長身の男子が腰を下ろしている人影に蹴りを入れた。
うわっ、今蹴った! ヤバイ、これイジメだよね。
中学生時代の嫌な思いでが蒸し返された。
頭が急激に冷える感覚を再び覚える。この感覚に慣れることはたぶん、無い。
一人が蹴りを入れると残りの二人も暴力を振るいだした。
中央の男子に胸倉を捕まれた人影が持ち上がった。人影の顔を確認する。
……その瞬間、隼瑠の中で何かがキレた。
ただでさえも図書室の一件でイラだっていた隼瑠は止まらなかった。
鞄を背中に背負い、ポニーテールを揺らしながらズカズカと男子トイレの中に入って行った。
胸倉を捕まれていた人影の目が隼瑠を捕らえ、大きく見開かれる。
それを見た3人が後ろを振り向いた時にはもう遅い。
隼瑠は中央の男子を思い切り蹴り飛ばした。
とはいっても、運動部を中学で引退してからは、ろくに運動していない隼瑠の蹴りに大した威力は無い。
それでも、意表を疲れた男子はよろめいて人影を手放した。
再びへたりこんだ人影と、3人の男子との間に隼瑠が入り込む。
「あのさあ、いっつも三ヶ島くんのことそうやってイジメてるでしょ! いい加減見てて腹立つんだよ、気もちが悪いのは手前等のほうだろうが!」
3人の男子が固まり、隼瑠も眉間にシワを寄せて睨みつける。
中央の男子が仕切り屋なのだろう、中央の男子が口を開いた。
「……あんさあ、ここ、男子トイレなんだけど」
「知るかっつの! あ、いや。知ってるけど!?」
自分に正直になって発言したのは、何年ぶりだろう。