入学準備
「じゃあ、この子はもらいますね」
「どうぞどうぞ。ご自由に使って」
コルタは恨めしい気持ちを表情に込めて、クーゲルを見た。
「ちょっとは味方してくれたって良かったんじゃないですか?」
あははとクーゲルは笑った。ますますコルタは殺意がつのるのを感じた。そんなコルタを見ながら、クーゲルは肩をすくめた。
「あなたにはちょっとした荒療治が必要だと思ったのよ。ほら、ここに来てからもずっと塞ぎ込んでるじゃない。たまには、気分転換も必要よ」
「気分転換にやることが外交官の真似事なら、世の中は外交官で溢れかえっているでしょうね」
コルタは恨めしさをできる限り込めて皮肉った。全く、こっちの身にもなってほしい。急に東西間の貴族たちを結びつけろと無理難題を突きつけられるのが、気分転換なのだろうか。
「さすが、クーゲル師の同居人ですね。皮肉の言い方がそっくりだ」
アレキサンドラが笑った。この人もこの人だ。いきなり現れて、無理やり学園に連れて行こうとするなんて、強引が過ぎる。コルタは頭の中で毒づいた。道中皮肉を言いまくってやろうと、固く決意する。
「それはどうも。それはそうと、そろそろ行った方がいいんじゃない?入学までの時間は短いんでしょう」
「はい。あと二週間ですね。その間に、いろいろ叩き込むつもりです」
「あの、叩き込むって何を⋯?」
アレキサンドラがにっこりと笑う。この笑い方は、悪魔の微笑みだということがわかってきたコルタは、嫌な予感が命中しそうなのを感じた。
「礼儀作法、会話術、髪の整え方、服飾雑貨の知識、ダンス、乗馬、刺繍、聖典の読解、ピアノやバイオリンなどの演奏の仕方、古歌や古典の暗唱、絵画への教養、基本的な計算、歴史や地理、大陸古語と西海語の読み書き、エスト語の習得、基本的な魔法の使い方、そのくらいですよ。二週間もあれば余裕でしょう」
「そうですね。余裕がありすぎて、忘れてしまいそうですよ」
コルタはため息をついた。そんなにたくさん、二週間きりで覚えられるわけがない。貴族や王族の子だって、五年とか掛けて学んでいくものだろうに、ひどい無茶振りだ。そんなコルタの不満を感じたのか、アレキサンドラが肩をすくめた。
「本当はもっと早く迎えに来たかったんですけれど、いかんせん予定が多くて。まぁ、二週間でなんとか頑張ってください。応援してますよ」
「頑張ってねぇ。お手紙、ちょうだいね」
「わかりました。じゃ、さよなら」
瞬間移動のような魔法で視界が歪んでいくのを見ながら、ここに帰ってこられるのは果たしていつになるのだろうかと、ぼんやりとコルタは思った。
一瞬の間を置いて、コルタは見知らぬ屋敷の前に現れていた。庭が広い。屋敷も広い。何から何まで森の小屋とは違う。見慣れないものばかりできょろきょろとしていると、アレキサンドラに話しかけられた。
「さて、これからあなたは、アスコルターレ・クオーレと名乗ってください」
「クオーレ?」
「はい、私の苗字です。一応、貴族や王族のための学園なので、あなたにも貴族に偽装してもらう必要があるんです」
なるほど。コルタは自分の体を見下ろした。今日から自分はアスコルターレではなく、アスコルターレ・クオーレになるのか。なんだか不思議な感じだ。
「さぁ、外で長話もなんですし、屋敷に入りましょう」
すたすたと歩いていくアレキサンドラを追いかけながら、コルタはたずねた。
「あの、学園生活ってどれくらい我慢すればいいんですか?三年くらい?」
「五年ですね。でも、若いときの五年なんて一瞬ですよ」
五年。コルタはその長さにめまいがした。五年も学園という牢獄で過ごさなければいけないのか。拷問みたいだ。
「わたし、あなたと一緒で若くないみたいです」
「おっと、同じにしないでください。この間までは二十五歳だったんですよ」
アレキサンドラとそんなことを話しながら、コルタは屋敷の中に足を踏み入れた。靴の上からでもわかるような、ふかふかのカーペットが敷いてある。そして、何より…。
「床にものが落ちていないんですね」
コルタは心の底から感心した。なんともいえない目つきで、アレキサンドラがコルタを見る。
「皮肉じゃなさそうなところが複雑ですね」
「まず、屋敷の部屋を覚えてください。もう、迷子になったからと言って、屋敷の中を挙動不審に彷徨わないでください」
「いいですか、礼儀作法というのは、ただ暗記するものではありません。相手への敬意や真心をいつも持ちながら、それぞれの所作を行うんですよ」
「…バイオリンというのは、ギィギィ弦を鳴らして、相手の聴力を奪う武器ではないんですよ」
「ダンスはリズムです。ちゃんと、メロディと相手に合わせて、ステップを踏むんです」
「会話は、相手に皮肉を倍返しするものではありません」
「エスト語は話せないと話にすらなりませんよ。エストの血を重んじる貴族の中には、エスト語しか教えない者も、かなりいますからね」
「だいぶできてきましたね」
アレキサンドラが満足そうに言った。コルタは力なくうなずいた。文字通り、気力をごりごりと削り取られる毎日だった。
「最後に、彼を渡しておきましょう」
アレキサンドラがパンと手を叩いた。どこからともなく、開いた窓から、夜の空気とともに真っ黒な羽を持つ烏が飛び込んできた。目だけ銀色をしている。
「代々、クオーレ家に仕える、烏の使い魔です。彼はフェデルタと言います」
「Yoロシくネ、個ルタ」
つたない口ぶりだ。しかし、なぜかどこかに愛嬌がある。コルタはそっとフェデルタの方に、腕を伸ばした。抵抗もせずに、ぽんと腕に乗ってくれる。かわいい。コルタは黒い毛並みを優しく撫でた。
「じゃ、眠いので、もう寝ますね。この子、連れて行ってもいいですか?」
「いいですよ。思う存分、仲を深めてください」
にっこりとアレキサンドラがうなずいた。コルタはあくびをしながら、フェデルタと共に寝室へと向かった。いよいよ明日は入学式だ。アレキサンドラの猛特訓のせいか、入学式には思ったよりも緊張していない自分に少し驚きながら、コルタはベッドに入った。
「で、調子はどうかしら?」
「かなりいいですね。思ったより物覚えが良かった。エスト語なんて、一日で習得してくれましたよ。触れたこともないはずなのにね。まぁ、ダンスとバイオリンは要努力ですが」
「でしょう、うちのコルタはすごいのよ」
自慢げに話すクーゲルの使い魔に、アレキサンドラは苦笑した。
「まぁ、いくらいろいろできたところで、本番にできなかったら意味はないですけれどね。そこの辺りは少し心配です」
「大丈夫よ、そんなに気を揉まなくとも。あの子、意外と筋は強いから」
「じゃあ、期待しておきます」




