第1話 孤独な春の月
薄暗い廊下は、朝の光をほとんど許さなかった。
石の床は冷たく、幼いわたしの足音を吸い込む。
周囲には誰もいない。
その奥で、わたしはひとり、水晶の前に立っていた。
――魔力測定。
アーヴィル家に生まれた子どもは、皆この儀式を通る。
父も母も、兄も姉も、幼い頃から高い魔力を示し、誇り高く育った。
誰もが、水晶に映る自分の魔力の光に誇りを持ち、微笑んだ。
だから、わたしにも期待があったのだろう。
「家の血は強い」と。
水晶は淡い光を放つ。
その光はまるで、生き物のように揺れ、部屋の壁に淡い影を落としていた。
兄のときは炎のような赤が揺れ、姉のときは氷のような光が走ったと、聞いた。
でも――
「……ゼロだ」
静寂を断ち切ったのは、父の冷たい声。
水晶は沈黙し、わたしの影だけが床に落ちる。
影は長く、私を追いかけるように伸びていた。
「そんな……何かの間違いでは……」
母の声がか細く震える。
「間違いではない」
父は水晶を睨むように見つめる。
「アーヴィル家に……魔力が“ゼロ”の子が生まれるなど……」
兄も姉も、遠くで笑っている。
いや、笑っているというより、呆れているだけだった。
幼いわたしはただ、涙を堪えるしかなかった。
「どうして泣いてはいけないのか」
答えはわからない。
けれど、この家では泣くことも許されないと、幼心に理解していた。
水晶の光は消え、部屋の暗さが一層濃くなる。
父の足音が遠ざかる音、母のため息、兄姉の低く笑う声……
すべてが、わたしの孤独を強調する。
手のひらを握りしめ、膝を抱えて立つしかなかった。
冷たい床の感触、石の冷たさ、夜の静寂……
そのすべてが、幼い私の心を押し潰そうとしていた。
───
その日の夜。
小さな鞄を渡され、屋敷の門へと連れて行かれた。
父と母の姿はなかった。
見送りに来たのは、老いた使用人がひとりだけ。
「お嬢様……どうか……」
その言葉は門の軋む音に消え、冷たい風が頬を撫でた。
足元に落ちた影が大きく揺れる。
扉が閉まる。
アーヴィル家は、わたしを振り返らない。
「……なんで……?」
声は震え、涙は止まらなかった。
夜空に浮かぶ星々も、答えてはくれない。
胸の奥で、小さな灯りがふっと消えた気がした。
あの家で生きるという希望の光が、闇に溶けたのだ。
誰かに名前を呼ばれることも、
誰かの隣にいることも、
もう関係のないことなのだと理解した。
幼いわたしは、ただひとり。
夜の道を歩き続けた。
石畳の冷たさ、遠くで響く犬の鳴き声、風の匂い――
すべてが孤独を抱きしめるようだった。
───
月日は流れ、わたしは学園の門前に立つ年齢になった。
空は淡い水色に染まり、小鳥たちが新しい朝を告げていた。
でも、その音はどこか遠く、わたしには届かない。
胸の奥に、あの日から変わらない冷たいものが沈む。
「……今日から、学園」
小さく呟いた声は、風にかき消される。
この世界で唯一、全属性魔法を学べる場所――アルセナ学園。
魔法の才能を持つ者だけが集められる場所に、わたしも立っている。
しかし、魔力ゼロのまま――。
合格通知が来た日、誰より驚いたのはわたし自身だった。
(どうして……?)
その答えはまだわからないまま、学園の門をくぐる。
校門をくぐると、視界は一気に広がる。
新入生たちは皆、笑いながら友達を作っていた。
制服の裾や髪の光、笑い声が重なり、春の空へ弾んでいく。
わたしだけが、その輪に溶け込めない。
胸の奥に冷たい何かが沈む感覚は、あの日から変わらない。
校庭を歩きながら、風の匂いや芝生の感触、話し声の波を感じる。
どれも遠く、私には届かない。
誰かと笑い合うことは、きっとわたしにはもうできないのだろう。
一年A組。
扉の前で深呼吸をする。胸がきゅっと縮む。
そっと開けると、途端に視線が集まった。
(……いやだ)
視線を避け、教室の端に向かう。
小さな影のように、目立たぬように座る。
誰も話しかけてこない。
それでいい。
きっと、楽だと思い込む。
「ねえ! 君も新入生?」
ぱっと光が差し込んだようだった。
顔を上げると、金色の髪の少女が笑顔で覗き込んでいた。
カリエル・メルヴェイユ。
この学園で初めて、わたしに話しかけた子。
けれど私は――
「……はい」
それだけ言って視線をそらす。
笑い方もわからない。
温かさに触れたら、壊れてしまいそうだった。
カリエルは首をかしげたが、嫌な顔はしない。
柔らかく微笑む。
その無邪気な光が、
私の深い影に、ほんの少し触れたような気がした。




