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《第4話 昨日の君を愛した僕へ》

満月の夜。

 桜咲学園の古桜は、淡い光を放っていた。

 花はとうに散ったはずなのに、月明かりに照らされた枝先は、まるで春を取り戻したように輝いていた。


 朋広は、桔梗のノートと手紙を胸に抱え、校庭を歩いていた。

 あれから数日――夢の中でも、もう彼女の姿は現れない。

 だが、風の音の中に、確かに彼女の声が混じっている気がした。


 「桔梗……」

 彼は呟きながら桜の下に立ち、目を閉じた。

 ――眠ると、夢が繋がる。

 それが彼らの“始まり”だった。

 ならばもう一度、夢の世界で彼女に逢えるはずだ。


 意識が沈む。

 現実の音が遠のき、代わりに桜の花びらが舞い上がる音が聞こえた。

 光の中に、あの少女がいた。


 「……来てくれたんだね」

 桔梗は微笑んでいた。

 その姿は、少し透けていて、風に揺れる花びらと同化している。

 「最後の夢なんだ」

 「最後?」

 「うん。もう、あなたの昨日には戻れないから。」


 朋広は近づこうとする。

 だが、距離を詰めるたびに、彼女の姿が淡く揺らぐ。

 「どうして……どうして消えるんだよ」

 「私は“昨日”に囚われた人だから」

 「昨日に?」

 「そう。あなたが見たあの最初の夢――あれは、私の“最後の日”だったの。」


 朋広は息を呑む。

 桔梗の夢の中で見た、泣いていた少女。

 あの日、彼女はすでに“現実の桔梗”ではなかったのだ。


 「じゃあ……君はもう、最初から――」

 「ううん。ちゃんと“いた”よ。夢の中の私も、あなたに出逢って変われたの。」

 桔梗は静かに微笑み、彼の頬に手を伸ばす。

 その手は温かいのに、どこか透き通っていた。

 「ありがとう、朋広くん。あなたが覚えてくれたから、私の昨日は消えずに済んだ。」


 彼女の言葉に、胸の奥が熱くなる。

 「俺の昨日は……お前がいた昨日しかない。」

 「それでいいの。

  昨日を愛せる人は、きっと明日を生きられるから。」


 彼女の姿が、光の粒に変わっていく。

 朋広は必死にその手を掴もうとするが、指先から零れ落ちるばかりだ。

 「行かないでくれ!」

 「大丈夫。私は、“君の心の中”に残るから。」


 その瞬間、桜の木全体が淡く輝いた。

 風が、まるで花びらのように優しく二人を包み込む。

 そして、桔梗の声が囁いた。

 ――“昨日の君を、愛した私から”。


光が消え、静寂が訪れる。

 朋広は桜の下で目を覚ました。

 頬には、確かに涙の跡があった。

 夜明けの風が吹き抜け、満月の残光が空に滲む。


 周囲には誰もいない。

 だが、風の中に桔梗の声が微かに混じっていた。

 「ありがとう、朋広くん」

 その言葉が、確かに耳の奥で響いた。


 朝焼けの中、朋広は桜を見上げた。

 花は咲いていない。

 けれど、枝先から舞い落ちたひとひらの“光の花びら”が、彼の肩に降りた。

 それはまるで、彼女の笑顔そのもののようだった。


 季節は流れ、夏が過ぎ、秋が訪れた。

 学園の校舎では、新しい生徒たちが賑やかに笑っている。

 だが、彼の中では、いまだにあの春が終わっていなかった。


 放課後、彼は文芸部の部室で原稿用紙を広げた。

 タイトルを書き込む。

 ――『昨日の君を愛した僕へ』


 ペンを持つ手が微かに震える。

 書き進めるうちに、彼の頭の中に桔梗の声が蘇った。

 「ねえ、朋広くん。物語は“終わる”んじゃなくて、“咲く”んだよ」

 その言葉に背中を押されるように、彼は続きを書き始めた。


 窓の外。

 風が吹き抜け、机の上の花びらを舞い上げた。

 そのひとひらが、彼の原稿の上に落ちる。

 ――“昨日”が、“今日”になる瞬間。


 彼はペンを止め、静かに呟いた。

 「桔梗。俺は、お前を今日も愛してる。」


 その声が、春の風のように優しく消えていく。

 窓の外には、まだ咲いていない桜の枝。

 けれど、確かに感じる。

 ――その下で、彼女が微笑んでいる気配を。


 夜。

 机の上に置かれたノートが、風で少し開く。

 最後のページには、かすかに残された文字。

 『夢で逢えたら、もう一度笑ってね。』


 朋広は微笑み、目を閉じた。

 夢の中、桜の花びらが再び舞い上がる。

 そこに、桔梗が立っていた。

 今度は、もう泣いていない。


 ――“昨日の君を、愛した僕へ”

 それは、永遠に咲き続ける、ふたりの物語だった。

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