第一章 第2話 夢の中の君
その夜、月城朋広は再び夢を見た。
けれどそれは昨日とは違う。
まるで自分が他人の視界を通して見ているような――そんな感覚だった。
視界の向こうに、桜咲学園の中庭が広がる。
制服の袖が揺れる。視線を下げると、そこには細い手首と、桜色のリボンが見えた。
間違いない――これは桐原桔梗の視点だった。
彼女は誰かに手紙を書いていた。
便箋の上に、筆圧を抑えるようにして綴られる文字。
『もし、また夢で会えたら、あなたに伝えたいことがあります』
最後に、ゆっくりと署名が添えられる――桔梗。
目が覚めた瞬間、胸の鼓動が止まりそうになった。
これは、単なる夢じゃない。
誰かの“昨日”を本当に見ている。
桔梗が言っていた『桜霊の夢』――それが現実に起きている。
朝、教室で彼女を見ると、昨日とは違う空気を纏っていた。
彼女はノートに何かを描いている。
その筆先の動きが、夢の中の彼女と重なる。
思わず声をかけた。
「……手紙、書いてた?」
桔梗の手が止まる。静かに顔を上げ、微笑を浮かべた。
「夢で見たんですね」
「やっぱり……本当にあの夢は」
「“昨日”を見たんですよ、きっと」
彼女の言葉は穏やかで、どこか諦めにも似た響きを持っていた。
「私も――あなたの夢を見ました」
「え?」
「あなたが、桜の下で私を見ていた夢。……同じ景色を、逆側から見ていました」
その瞬間、言葉が出なかった。
互いに“相手の昨日”を見ていた――。
それはつまり、二人の時間が少しずつ重なり始めているということだった。
放課後、二人は再び古桜の下に立った。
桔梗は風に髪を揺らしながら、そっと言った。
「ねえ、もし私たちが夢で繋がっているなら……昨日も、明日も、もう一つの“私”が見ているんじゃないかな」
「もう一つの、君?」
「ええ。夢の中にだけ存在する“私”。現実よりも少し優しい、もう一人の自分」
朋広はその言葉を噛みしめた。
桜の花びらが舞う音が、まるで心臓の鼓動と重なって聞こえる。
「もしそんな君がいるなら、俺はその“昨日”ごと、全部見ていたい」
桔梗は少しだけ目を伏せ、微笑んだ。
「……それは、優しい呪いですね」
春の陽射しが沈むころ、二人は無言で並んで立ち尽くした。
桜の花が、まるで記憶を繋ぐ糸のように、空へと流れていった。
その夜。
夢は、さらに鮮明だった。
今度は、彼女の視界の中で、朋広自身が微笑んでいた。
「今日も、夢で会えたね」
――桔梗の声が、耳の奥に直接届くように響く。
彼は何も言わず、ただ頷いた。
夢の中で、言葉は必要なかった。
互いの記憶が、そのまま流れ込んでくる。
桜の下に、ふたりの影が重なる。
花びらが降るたび、時間が少しずつ巻き戻る。
桔梗が泣いていた“昨日”と、笑っていた“今日”が混ざり合っていく。
そして最後に、彼女が囁いた。
「この夢はね、“未来”にも繋がるんです」
「未来……?」
「ええ。桜霊の夢は“昨日”だけじゃなくて、“これからの記憶”も運んでくるの」
朋広は息を呑んだ。
「じゃあ……俺たちは、未来を見てる?」
「そう。でも、見えるのは“どちらかがいなくなった後”の夢」
その言葉に、夢の景色が静かに歪んだ。
桔梗の姿が遠のく。
「まだ言えないんです。けれど、あなたが“この夢”を信じてくれたら――その時、すべてが繋がります」
目が覚めると、頬に一枚の花びらが落ちていた。
まるで夢から現実へと、花が渡ってきたようだった。
翌日。
桔梗は学校を欠席していた。
教師は「風邪だ」と言ったが、朋広の胸に言いようのない不安が広がっていった。
窓の外、古桜の枝先から一枚の花びらがひらりと落ちる。
夢と現実の境界がまたひとつ、崩れていく。
そしてその夜、朋広は再び夢の中で彼女の姿を探した。
しかし、どれほど呼んでも返事はない。
桜の下に残されたのは、彼女が書いた“手紙”だけだった。
『次の夢で、すべてを話します。――桔梗』




